【日記】留学していた同期と会った
1年間留学していた同期と会いました,相変わらず元気そうでした.
いくつか刺激になるような話を聞かせてもらえたので,思いつくままに軽くまとめておきます.
【勉強とかスキルとか】
日本人は自分のスキルに関して謙虚な態度を見せがちだけど,もっと積極的に手を挙げていいと思う.そもそもこれまで何をやってきたかではなく,これから何をやるかだ.
仮にやれないのに「やれます」と言ってしまっても,その日のうちに本を読んで勉強しちゃえばいい.そうでしょう? 結局そうやってまた新しいスキル習得につながる.
【結婚観とか働き方について】
オーストリア,ドイツ,フランス,いずれの国でも離婚率は6割程度.日本の3割とは大きく違う.とにかく結婚や恋愛に対して日本のそれとは価値観が違う.
好きなら一緒にいればいいし,そうでなくなったら離れればいい.
それができる理由の一つとして,向こうの国はそもそも育休が取りやすいと思った.こどもが小さいうちは男女関わらずしっかり育休を取って育児に参加して,そしてまた働く.会社もそれを認める.日本でよくみられるような,女性のみが家や育児にかかりきりではない.そして子育てが終われば,こどもはこども,自分は自分であって,自分はもう次のライフステージを楽しむために生きている.こども側も親が離婚することや自由に恋愛するといった価値観を,非常に尊重している文化がある.
働くにせよ,余暇が充実しているからこそ働くモチベーションが存在している.人生を楽しむための一部として,働いている.
【日本人の価値観とか】
日本は正直,他の人と比較しすぎかもしれないと思った.向こうの国の人は誰々の年齢や職業がどうだとか,SNSやスマホにべったりとかしない.
スマホゲームに課金するより,食や旅行にお金を使った方がよくない?
【おまけ・研究について】
キャリアも踏まえると,まあいろいろ考える必要があるよねという話をしてきた.
仙川・猨田彦にて再会を楽しんだんですが,抹茶桜ラテが美味しかったです.
ユートレジャーさんのキングダムハーツジュエリーDIYに行ってきた
相変わらず「キングダムハーツ」の文字を見ると、何も考えずに財布を開いてしまいます。
今回はユートレジャーさんのこちらの企画に行ってきました。
最近は本当にキングダムハーツコンテンツはファンによる激戦区になっているようで、ニュース配信一時間以内にサイトを見に行ったときにすでに最初週の土日は埋まっていたので翌週日曜にアタック。
桜が咲き始める陽気な天気の日曜、新宿まで行ってきました。
キンハーのDIY体験にきたよ (@ U-TREASURE POP-UP SHOP in 新宿区, 東京都) https://t.co/jD5knlf2no pic.twitter.com/EWZinlEK0U
— みたぬ (@srknr) 2018年3月25日
予約の時点でどのアクセサリー(ネックレス・リング・バングル)にするかを選べるのだけど、やっぱり現物を見てから選びたいなーと思って、スタッフさんにサンプル品を見せていただく。
アイテムかっこいいぞ!(ドコドコ pic.twitter.com/pgCROrhWNY
— みたぬ (@srknr) 2018年3月25日
ネックレスが想定したものよりひとまわり小さかったのと、そもそもネックレスもリングもたくさん持っているしなーと思って、バングルを選択。
丸みを帯びている形状の方が柔らかい印象を持てそう・太めの方が文字を打ち込みやすそうと思って、あまり悩まず「太め・丸みのもの」に決めました。
「世界観を尊重するため、入れられる文字には限定がありまして〜」と案内され、なるほどそれじゃ無難な名前を入れるかとサクっと決定。確かに「KINGDOM HEARTS」とか打てたらまずいですもんね。。。
ユートレジャーさんのキンハーDIY体験、ソラの刻印、バングルを頼むことにしました。
— みたぬ (@srknr) 2018年3月25日
ではでは刻印体験頑張りますね(細かい作業下手くそマン) pic.twitter.com/YMYmcThz9y
ソラの刻印はお任せになるんですが、文字部分は自分で打ち込むことに。
最初は刻印体験だけかなーと思いきや、「頑張ってもらいますよ!」と対応してくださったスタッフさんに言われる。おう、指先不器用なんだけど大丈夫か???
上げ直し : 刻印→焼きなまし→バングルの形に曲げて→削っての工程でできました👏👏👏 pic.twitter.com/OQqASQt09s
— みたぬ (@srknr) 2018年3月25日
一つのツイートで簡単にまとめちゃいましたが、まずは刻印。
下手くそマン頑張ります pic.twitter.com/2etBwcCkKP
— みたぬ (@srknr) 2018年3月25日
刻印するための工具で最初は何回か練習させていただく。
自分、不器用なんすよ(一枚目) pic.twitter.com/FsROpTj0Ga
— みたぬ (@srknr) 2018年3月25日
これの何が難しいって、水平方向に文字を打っていくこと。あらゆる角度から見て「よっしゃここ!」と思っていても、目視だとズレるズレる。さらに、ラウンド(湾曲しているもの)を選ぶと、打った時にめりこみやすくて文字も潰れやすい。
スタッフさんからは「難しいので、あえてずらして打っていくのもいいと思いますよ!ほかのお客さんだと右肩上がりに打っていった人もいますね〜」と教えていただく。なるほどなるほど。
刻印が終わると、次に「焼きなまし」なる作業。ガスバーナーで炙って、金属をバングルの形に曲げやすくするために行う作業とのこと。
スタッフさん「全体が赤くなってきたらやめどきです〜。水の中に入れてくださいね。」
わたし「溶けたら刻印からやりなおしですか?」
スタッフさん「はい!!(いい笑顔)」
スタッフさんがめっちゃおもしろく、雑談に夢中になっていたらうっかりやり直しになりかけました。
スタッフさん「次にバングルの形に曲げまーす!」
わたし「この下の土台の木はやはり北海道から拾ってきたんですか?」
スタッフさん「ははははは!お客さん面白いこと言いますね!」
ある程度自分で曲げた後は、スタッフさんが腕の形に合わせて微調整してくださる様子。
スタッフさん「次に、ピカピカに削って磨いて行きましょう!粉塵が舞うから防護メガネとマスクつけてくださいね!」
めっちゃ綺麗になりました!
人が映り込むぐらいにはピカピカ。
最後に超音波機で綺麗にしていただき……(メガネ屋さんの前にあるやつ)
完成!!!!外の桜も綺麗です。
ちょっと削りすぎたときについた傷といった細かい点はユートレジャーさんでも確認して直すので、安心してくださいねーと嬉しい一言。
【感想】
最初の選定からおよそ二時間半ほどかけてのDIY体験でしたが、めっちゃ楽しかったです。材料費入って2万5千円ぐらいでしたけど、既製品のアクセサリーを買うのとはまた違った体験を得られました。
あと対応してくださったスタッフさんもとてもフレンドリーで、たくさん話しかけてもらったり、ひとつひとつの工程について「これは〜〜のためにやります」とすごくわかりやすく教えてもらえたり、「あーなるほど、これぐらいの傷ならいまチャッチャッと直しますよ!」とすぐに軌道修正してもらえたりと、不器用な人でも至れり尽くせり感がありました。
対応してくださった人がめっちゃフレンドリーだったので雑に写真撮ってもらいました pic.twitter.com/wrCJpb5gRm
— みたぬ (@srknr) 2018年3月25日
今回はキングダムハーツでしたが、キャラクターブランド以外にもDIY体験を系列店でもやっているからぜひお越しくださいねーとのこと。
大人のための技術工作教室、という感じだったのでご興味があればぜひ。
[https://twitter.com/srknr/status/977765899955355648:embed#スタッフさん「キングダムハーツ、めっちゃ人気でしてポケモンでも同じような企画をやらせていただいたんですけど、それ以上の盛況かもしれません」・:\*+.\*1/.:+]
まさかの任天堂以上か。。。
そして最後の締めとして、、、キングダムハーツ16周年おめでとうございます!!!!これからもついていきます!!!!!!
*1: °ω°
10年やって行くためのプロの姿勢について考えさせられたのでまとめておく
先日、とある舞台挨拶イベントに行ってきた。
その作品は10年以上前に公開されたリバイバル上映で(詳細を書くと特定されそうなので茶を濁します)、当時のファンもキャストさんも言ってしまえば「仔細は覚えていない」状態ながらも、その作品が好きだからファンは集まっているという感じであった。
だから例えばキャストさんから「私の演じたキャラクターって@@@という感じだったんですね」という他人事発言や、明らかにコンディションが優れていないようなキャストさんが出てくる。もしこれがいま脂が乗っているコンテンツの舞台挨拶で、事務所が売り出したい役者さんの発言や行為だとしたらアンチがたくさん湧くようなものだとは思う。けどファンは「まあ10年以上前だしね、我々も覚えてないしキャストさんからしたらお仕事だからひとつひとつ覚えていられないよね。お仕事大変ですよね」という具合に、ファンも穏やかに見守るようなイベントだった。
ただ、そういった中でも嬉しいことを言ってくれるキャストさんが何人かいた。
「私も長年この仕事をやらせてもらっていて、演じさせていただく役に差をつけてはいけないと思うけど、でも@@というキャラクターはやはり自分の中でも特別なキャラクターです」
「この舞台挨拶に臨む前に、当時のインタビュー雑誌を読んだりして当時の現場のことを思い出してきました」
「私もこのシリーズを今、見返していて……やっぱりいいですね」
==========
そうした発言をしてくれたキャストさんたちは全員、主役級の役柄を演じてくださった。だから思い入れの部分では、他のちょっとした脇役を演じた役者さんたちとは比べ物にならない部分もあるとは思う。
けれど、あえて書きたい。
wikiの項目を指標に使うことは好ましくないと思うが、そのお三方は近年においても変わらず第一線でご活躍されている。さらに言えば、その三人のキャストさんはその分野に詳しくはなくても誰しもが一度ぐらいは名前を聞いたことがあるか、演じてくださった役柄の恩恵に与ったことがあると思う。
=============
いま自分が取り組んでいることをそもそも10年やるかどうかなんて目標が定まらないこともあると思うし、第一、10年間息切れすることなく続けることを幸せだと思わない人ももちろんいると思う。
ただ、一つ一つの仕事を丁寧に接していくことが結果として第一線で10年間以上も続けることに繋がるのだと、目の前で見せていただけた。
自分に余裕がなかったり、自信がなくなったりすると物事に対して丁寧に接していくことは難しいとは思う。
それでも、それができる人は必ずいるということをしっかり覚えておきたいと思った。
(なにより自分自身も、ファンに対して嬉しい言葉を言ってくださるキャストさんに対して自然に好感を持てたし、キャストさんも作品に対して一体感を持って接している気持ちになれてすごく嬉しかった。いいイベントに行けたと思う。)
【CSS】tableタグを使わず、ul, liのみで表を作成する
備忘録として。
以下のような表を、tableタグに依存せずに構成したいと思います。
HTML側
<!doctype html> <html> <head> <link rel="stylesheet" href="./table_ul_li_flex.css" type="text/css"> </head> <body> <div class="table"> <div class="list-row"> <ul> <li class="table-first-column">果物の項目</li> <li class="table-column">りんご</li> <li class="table-column">みかん</li> </ul> </div> <div class="list-row"> <ul> <li class="table-first-column">野菜の項目</li> <li class="table-column">大根</li> <li class="table-column">きゅうり</li> </ul> </div> <div vlass="list-row"> <ul> <li class="table-first-column">お菓子の項目</li> <li class="table-column">キャンディ</li> <li class="table-column">マシュマロ</li> </ul> </div> </div><!-- table-class --> </body> </html>
CSS側
li{ list-style: none; } .table{ display: flex; } .table div ul{ display: table; table-layout: fixed; margin: 10px 0; padding: 0; border: 0; outline: 0; vertical-align: baseline; } .table-first-column{ flex-direction: column; padding: 5px 15px 5px 2px; margin-right: 0; border: 1px solid #ccc; background-color: #e8e8e8; } .table-column{ flex-direction: column; padding: 5px 15px 5px 2px; margin-right: 0; border: 1px solid #ccc; }
もっとうまいやり方もありそうですけどひとまず。
githubが寂しいことに気づいたので、とりあえずしばらくは思い立ったものをきちんとコツコツあげておこうと思います。
github.com
ラブホ女子会のブログが思いのほかアクセス数が高くて困惑している
以前、ラブホ女子会というものを大学の後輩たちとやってきました。
もうこれがすごい。うちのブログのアクセス数の8~9割を占めている。はてなスターの数とブクマ数を見ると、さほどユーザー反響があったようには思えないのに。
(あともっというと、結構まともなエントリも書いているんですよ!)
さらに一ヶ月分のアクセスログを見ると、毎日200前後のアクセスがあります。(もちろん誤差はあるかもしれない)
個人ブログがおよそ1日50PVあればいいと言われている中、この数字。
意味わからないでしょ? 私も意味がわからない。
1. 需要があるっぽい
googleとyahooから「ラブホ女子会」という検索ワードでたくさんお越しいただいている。もしかするとラブホ女子会というのは世の中に需要があるのかもしれない。考えさせられる。
2. ねこのてさんがすごい(過去ブログをご覧ください)
彼女は本当にすごい。また今度飲みに行きたい。というよりブログで一番ひどい目に遭っている気がしなくもないので詫びたい。詫びさせてください。
ラブホ女子会のブログに「ベーシックなアウトプットは先人に任せればよい」などと書いてはいて、それはまさしく本心なのだけど、自分のアウトプットがベーシック寄りなアウトプットになるケースもあるんだなーーと本当に稀有な事例にあたった気持ちです。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
フルメタル・パニック!という作品に調布のいち地元民として感謝している
皆さんはふるさとはありますか。
まあそんなものは捨てたとかいちいち覚えていないという人もいるかもしれません。
筆者は東京都にある調布市に住んでいます。小中大は調布の学校に通いました。(高校だけ他のところに浮気しました、すみません)
しかし調布といえば京王電鉄の開発計画に伴い、街の様相が年々様変わりしています。
一番大きいのは駅が地上→地下と変わったことでしょうか。詳しくはこちらのサイトでも紹介されています。
引用元:
やあ、懐かしい!夏の地上駅改札口は地獄のような暑さでした。(これより前の調布駅南口には噴水広場があったことも覚えているんですけど、まあそれは割愛します)
ご存知の方も多いでしょうが現在の調布駅付近は、トリエができたことによりこんな感じになっています。
いやー、綺麗です。「映画の街に映画館が戻ってきた」と私より上の世代は結構喜んでいました。(映画の街:調布にはゴジラなどを撮影した、日活撮影所があるために親しまれる愛称)
地元が綺麗になっていいなあと思う反面、やはり寂しさを感じます。もちろん記憶にある調布市というのはいつも綺麗ではなく、ごみごみしたような部分もあったと思うんだけど、それすらもなんだか思い出せないし、もう行くこともできない。写真にでも撮っておけばよかったかとも思うんだけど、後の祭りです。(そもそも幼すぎて、写真に残せるような機器を持っていなかったという問題もありますが)
はてさて、表題にある「フルメタル・パニック!」という、ご存知の方も多い作品。
フルメタル・パニック! 略してフルメタは、東京にある調布市が主な舞台です。(現在はTOKYO MXで過去シリーズも再放送しているのでぜひ観てね!4月からは新シリーズもやるよ!!)
フルメタは世界観の設定上、2000~2005年ごろの話になります。そのため、主人公たちが住む街・通う学校もその頃の調布がモデルになっているのですが…………いち地元民としては「あぁーーー懐かしい。10年ぐらい前の調布だな」としみじみした安心した気持ちで観ていられます。
これがもう本当にいい感じに再現されている。ファンの方による聖地巡礼のサイトもぜひご覧ください。(地元民としては聖地と呼ばれるとこそばゆいのですが)
引用元:http://tmsp.web.fc2.com/fullmeta.htm
いやーほんま懐かしい。今でこそマクドナルドは南口にはなく、いまは古着屋になっていたり(【トレジャーファクトリースタイル】調布店 TOP|洋服や古着の買取と販売)、あとこの看板ビルもなくなっていて、いまは綺麗なビルになっていたりします。
さっきから懐かしいという単語以外を書けていません。(とてもまずい)
以前に母(愛媛出身)から、「地元に帰るたび、様子が変わってしまっているので故郷感があまりない。どちらかといえば、親戚のいる広島の方が帰ってくるたびにその変わらない様子にホッとする」ということを言われたことがあります。
それでいうとフルメタの世界には、私が当時憧れていたいわゆる「高校生」たちによる青春群像劇が、自分の知っている調布と共に、アニメーションの世界で彩りを失うことなく生きているのです。
地上駅であった頃の国領駅、仙川の商店街の街並み、自転車で滑走する背景に流れる多摩の住宅地。それら一つ一つの場所に特別に強い思い出があったわけではないですが、フルメタル・パニック!のアニメを観るだけでいつでもその場所、もとい当時の"日常"と"憧憬"にすら戻れるのです。
自分の住んでいる街そのものは外景がなくなってからその良さを勝手に美化して思い出すものだと思いますが、私はいつでもフルメタの世界を通して楽しいストーリーと共に同時に美しい思い出に浸ることができるのです。こんな作品には、そうそう出会えません。
フルメタル・パニック!自体もとてもおもしろく魅力的な作品であることはもちろん、調布という街を選び、市民としても嬉しい形で作品として・アニメーションとして残してくださっていることに感謝の一言しかありません。
もう一度載せちゃうぞ!! 地元民も応援しているぞ!!!!
…………まあ、今年春からの新作では調布は火の海にされてしまうんですが。
せめてもの詫びの印として、新しくできたシアタス調布で先行上映会ぐらいやってもらいたいものです。などと、おあとがよろしいようで。
人に言われたことで特に印象に残っている言葉をひたすらあげてみる
出だしからひどい話なんですが、人生もそこそこに生きてきて、「あっ、これたぶん自分は長生きするのではないか」と気づくようになってきました。
これはわからない人はわからないだろうけど、自分はなんとなく、30歳ぐらいまで生きていないのではないかと漠然とした考えを昔から持っていて、でもその漠然とした考えはそろそろ覆され、今では「うーん、どうももうちょっと長く生きるような気がする。そうなると自分の人生は他者貢献・相互扶助……まあそんな感じでとりあえず社会がもっとハッピーになるようにしつつ、自分の人生を最大限冗長化する努力をしないといけないような気がする」と、これまた漠然とした考えにシフトしつつあります。(「今更ですか?」と聞かれても人には人の人生があると私は思っていて、私も人の口出しをしないから、私のことをろくに知らない人に口出しされるといやだなあという所存です。でも好き嫌いは当然あると思うので、エクスキューズを投げます。ここいらで「あっ、こいつの文章や考え方は私にフィットしないかも!」と思ったら逃げてください)
〜〜〜〜〜
で、長く生きて行くにはある程度は人生の指標、もっと低レイヤーに落とすと行動の指標というのが言葉として必要だと思っています。現時点では「うーんあの人のあの言葉はよかったなー、じゃあ取り入れてみるかー」というものがもちろん存在していて、たぶんその中のいくつかは今後も変わらないだろうし、いくつかは変わるかもしれない。ここでやりたいのはそれらをきちんと言語化して記録に残すことで、その言葉が「なぜ自分にフィットしたのか / もうフィットしなくなったのか」ということの述懐と、こういうことを書けばたぶん他の人が持つそういう言葉を、同じように書いてくれるんじゃないかなーという呼応を期待しているからです。(自分がそういうものを読むのが好きなので)
で、ここでは偉人や有名人とかそういうものの言葉は取り上げていません(ネットに転がっているものをあえて書き残す必要もないかなと思いました)
【フィットしたもの10選】
1. 人間が作ったものなんだから、人間にとって便利な仕様になっていると考えてもいいのではないか
これは兄の言葉です。
たしか兄がエクセルに苦戦していて、「〜〜という機能があれば便利なのに、どうして存在しないのだろうか。いや待て、調べてみるか。やはりあった。そうだよな、そもそもエクセルは人間が作ったものなんだから、ある程度人間にとって使いやすい仕様であると、機能を想定しながら使うことも大事なんじゃないか」とブログに書いていたのがやけに印象に残っています。
実際、自分が「こうすれば楽なのに」と思ったことはほとんど考え尽くされていて、もうすでに手を尽くされている可能性と、それでも本当に不便であれば自分で作るなりすればいいという二つの側面をもらった言葉だなと思いました。
2. なぜ織田信長が負けたと思いますか? 情報が足りなかったからですよ。
これはとあるチームを組んでいたとき、映画監督志望の人に言われた言葉です。自分が「これこれこういう風にすればよくなるんじゃないか」と言ったときに「それはどうでしょう、もうちょっと調べましょう」と切り返され、続けて言われた言葉です。
歴史を出されると、それは(およそ)事実であるのでもう切り返せません。実際、情報が足りないと人間は不安になりがちであったり、策を組み立てるのも独善的になりがちになったりと、ネガティブ要素を少なからず持ってしまうと自分も同意するので、本気で何かに勝ちたい・目標を到達させたい場合は、それに関連する情報に敏感になる必要があると思っています。
3. 人間、全部持つことは無理なのでやはり取捨選択は必要
これは隣のラボの先生に言われた言葉で、「まあそんなもんなんだろうなあ」としっくりきたのでそのまま取り入れている。これは隣のラボの先生のことをわりと無条件に「うーんすごい人やなー」と尊敬していることや(これはもしかしたらよくないことなのだろうけど)、人生の先輩から出た言葉は基本的に素直に享受するという自分の人間性もあるのかもしれません。
4. 人間、背が高いとか自分より綺麗だとか若いだとか、そういうものだけで簡単に嫉妬する。女は特にそうだ。
これは近所に住んでいたおばあちゃん(over 80)に言われた話です。そのときは自分も何かで疲れていて、「どうしてこんな目に遭うのかわからない」といったことを話したところ、人生論について語られて「あー、まあそう考えると合点はいくな」と腑に落ちた言葉です。フラットに評価されることは非常に珍しく、あいつは俺より背が高いといったファーストインプレッションや、あいつは学歴があるから調子に乗っている、あいつは学がないから馬鹿に違いないなどと、その人の持つバックグラウンドで勝手に、しかもほとんどは無意識的に傾斜をつけて評価する人は多いという、自制を込めて覚えています。
5. コミュニケーションとは、目に見えないものの方が評価されやすい
これは尊敬している先輩に言われた言葉です。
自分が人間関係に悩んでいたときに、アドバイスをくださいと恐れ多くも言ったところ「人間はおもしろいもので、朝の挨拶だとかちょっと身の回りを綺麗にすることが実はコミュニケーションに大事」ということと、「別に成果があるとか中身があるとかは関係なくて、その人の機嫌がいいかどうか、気にいるか気に入らないかということを忘れがち」というのを聞いて、これはちょっとメタ的かもしれませんが、私はその先輩を結構尊敬していまして、「その人ですらそういうことを実践しているんだから、まあそりゃ実践した方がうまくいくに決まっているよな」という気持ちがすんなりと持てたのかもしれません。
6. ロジカルな物言いは確かによい側面も持ち合わせているが、結局人間はすききらいで動く動物だ。実際市場だってそういうもので動いているものもある。
これは5のつながりで思い出しました、これまた別の尊敬している先輩から言われたものです。
きっかけは理系特有の、といってもこの言葉からみなさんが想起する印象は人それぞれだと思うんですが、自分の認識だと「感情の揺らぎがなく・落ち着き払って・きちんとした知識/経験前提のもとでの・ロジカルな話し方」というものに憧れをもっていまして(それはたぶん尊敬している人たちがそういう話し方をする人が多いからかもしれない)、自分もそうであろうとしているが、しかしえらそうだのなんだの言われてしまいがちだということを言ったようなときに言われた言葉です。
まあTPOに合わせた話し方をしなさいよと言われたらそれまでですが、他者のすききらいという要素を考慮しないやり方はうまくいかないんだなーとしみじみ思わされた言葉です。
7. いま辛いと思っているものはきっとずっと辛くて、それにずっと捉われてエネルギーを費やすぐらいなら、いまもう少しのエネルギーを出して、それの解決になるように動いたらどうですか
これは大学の同期に言われた言葉です。
そのときも相変わらずしんどいことが起きていた気がして、それを指摘された時に「それもそうだ。もうちょっと頑張れば解決するかもしれない」という風に動くきっかけになった言葉です。つらいときは長期的につらい状態になってしまうかもしれない、ということを見落としがちで、結局それらの総エネルギーはすさまじくなってしまいがち。なんでも行動って大事ですね。
8. なんかねえ、人間は一人でいるとさみしくなる生き物なんだよ
これは特別に世話になっている、大学の先生に言われた言葉です。人生についてしみじみ茶をしばきつつ話したときに言われた言葉で、「君は家族や友達が身近にたくさんいるから、さみしくないんだと思うんだよね。だから、一人でもいいんじゃないかなとか思うのかもしれないけど、人間はさみしくなる生き物だからね」と言われて「うーんまあそうかもなー」と、まあ、実感したりしなかったり。(心では認めつつも、頭では理解したくないのかもしれません。)でも、ある人はそういう心の持ち方を持っている、と考えると、どうして集団であろうとするのかなーとか、そういうメカニズムがわかるのはいいことだと思っています。
9. 人間、弱っているときは自分より弱い(と思っている)人間を傷つけたくなるものだからねえ
これも上と同じ先生に言われた言葉で、「ああ、うん。まあそうだよな」と思ったものです。そのときの自分は、たぶんその先生から見ると傷ついた状態で、でもどうしてそういう攻撃(という表現も間違いかもしれませんが)を喰らったんだろうというしみじみした話をしたところ、その人もその人で弱っていて、行為自体が正しいか悪いかはともかくその人は私に攻撃せざるを得なかったのだという、事象の理解は得られたなーと思える言葉でした。
10.
(おっ、もう最後か。いいやつにするかーーーと思っていろいろ思い出していたら、逆にどれがよいのかわからなくなって空白)
(細かいことはパッと思いつくんですが、たとえば「私ははっきりと物を言うことは損をすることだと思っている」、「誠実さが欠けている相手に、私も誠実さを欠けてしまったら、相手に隙を与える」、「別に敬ってはいない相手に敬語を使うのは、あくまでも自分の身を守るため」とかいろいろあるんですけど、なんか「うーんどれも違うねーーー」という気持ちになりました。たぶんフィットしていないのかもしれません。)
人の言葉に優劣も何もないですし、もっといえば選べないぐらいには、自分は自分で思っているよりも人に恵まれていたのかもしれません。
〜〜〜〜
いつだったかスピリチュアルな本を雑に読んでいたとき、「他人から言われる言葉というのは、その人の今にとって重要なことを、ご先祖の霊がその他人の口を使ってあなたにアドバイスしていると受け止めなさい」といったことが書かれていまして、「その考えもいいなー」とそのとき思いました。
耳に痛い言葉や激励の言葉も、"その人にとってはいまの私に必要だと思った言葉だから言われているんだなー"と思えば、ある程度は受け入れやすい体制であったり、逆にスルーする体制が作れるのかなあなどと模索しています。
結局は言葉も縁であって、なんかこのエントリの中で「あーうんうんわかるわー」という共感だったり「いやいや私はこう思うわ」というアウトプットだったりを誰かしらに巻き起こせたら嬉しいなと思いました。というところで締めます。