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みたぬメモ

地味にメモ

現況の結婚観についてつらつらとメモ

雑記

今の自分が持っている結婚観とこどもを持つことについて、備忘録のためと他の人の意見も気になるのでちょっと記しておく。

つまり以下の記述は、あくまで一個人が考えたことであり、特定の誰かを指して攻撃する目的ではありません。

 

1. 飼い猫を見て結婚観について思うこと

我が家にはメス猫がいる。

もう14歳にもなるので、完全におばあちゃん猫だろう。そして家猫ゆえに去勢も特にしなかった。(本当は寿命を考慮すると去勢した方がいいのだろうけど、ここは本筋議論ではないのでこのへんにしておく)

だから年4回ぐらいは発情期が訪れる。

10年ぐらい前までは「発情期なのに、うちの事情で子どもが産めなくて可哀想だな」、「生き物としての雌とはなんだろうな」などと考えていた。

ただ最近は「ここにはオス猫がいないから産めないのは当然だし、そもそもうちの猫が子どもを産めないからといって、誰がうちの猫を責めるのだろうか?」などと考えている。

  

2. 友人の話

大学を中退した女性の友人がいる。(ちなみに電通大の友人ではない)

確か彼女が学部2年で21歳ぐらいのとき、必修単位を落として二留が決定したため「奨学金返済も嵩張るだけだし大学に通っても意味がない」と言ってスッパリ辞めていた。

私が「思い切ったね」と伝えると「30歳までに子どもが欲しいから。今付き合っている彼氏も私レベルならこの人でいいという妥協ができるし、このまま大学に通ったとしたら、卒業が26〜27歳。子どもが二人欲しいなら、1〜2年しか出産までの猶予がない。だったらいっそ今スッパリ辞めて、資金を稼ぎたい。彼氏も一度正社員になっておいてほしいと言っているし。学歴より家族が欲しい。」と言っていたのはなるほどねえと思っている。

  

3. 哲学中の悟り

最近「子どもを作るなら、それなりに資金力がないと厳しい。」と考えていた。

仔細は省くけど夢想した状態ではなく、言うなれば生物として(まだ強い言葉選びかもしれないが)、強迫観念にでも駆られた状態で考えていたと思っていてほしい。

ただ最近は考えすぎたのか、「何故産まれてもいないどころか生命を持っていない子どもに対して、ここまで責任を持つような考え方がここまで身についているんだろうか。」と天啓が舞い降りた。

もちろん子を為すならそれなりに責任は伴うものであるし社会からも求められるものではあるが、なんだか不思議な話である。

(親が小さい頃から「お腹を冷やさない方がいい」・「太らない方がいい」などと色々言ってくれたのは、自分の将来における選択肢を狭めないためにだとはもちろん理解している。)

けれどどうして深刻なレベルで、子が育つ経済環境について、引いては身体があたかも子を作るためにコンディションを整えていくことを真面目に考え実行することを強いられる考えが自分や周りの人に備わっているのだろうかと思った。

例えばだけど、室町時代に暮らした庶民の人間が、家庭の経済事情を踏まえて子どもを作ったとは思い難い。(歴史学文化人類学見地としてはきちんとした答えが出ているのかもしれないけど、そこも本筋ではないから省く)

それこそ大昔なんて、狩りに行くための人手が欲しくて人口を増やしたのではないだろうか?

そういったことを踏まえると、いまや機械や電気が人間の生活を支えてくれて大昔に比べて人手がいらなくなったのにも関わらず、いつから私を含めて周りは「いずれは子どもを」、「伴侶がいなければ半人前」などといった考えが染み付いたのだろうか。

 

現代の日本都心において(私がこう書くのは、地方の暮らしを把握していないからである)子どもを作ることが、性欲の終着点や自己の承認欲求、自分の老後の生活安定、パートナーと自分を結びつけるためのある種のツールといった自己保身ではないなどと、何人が言い切った上で、それを果たせない他人が不完全であることをどうして自己保身というエゴで非難できるのだろうか? 

(誰もできないだろう。)

 

 ___

ということを考えていた。

パートナーの有無や子どもがいるとかいらないとかではなく、世の中ももう少し気楽でもいい気はしてきた。

人類のために自分が生きるのは虚しい。

そんなことを思うこの頃です。

 

 

 

___ 

 

まあこんな意識高そうなことを書いていても、一年後にはまた違うことを考えているかもしれないですねテヘペロ

(※ ちょうどmixiで過去日記を掘り起こされるキャンペーンがあったのを意図した書き方)

 

周りの人もよく「子どもがー」と言うのを見かけるけど、実際みなさんどうなのでしょうか。ちょっと気になっている。