みたぬメモ

地味にメモ

TwitterのDMでセックスブスメンヘラ女に絡まれて超面倒な気持ちになった話 ※アルコール入り

それは私がのんきに貰い物のチーズケーキを食べて「うひゃわっしょい!!!!チーズケーキ!!チーズケーキ!!!!! あああああああ、この食感は俺の求めているチーズケーキではない!!!!!!!なんだよ、じゃあ私は好きでもないチーズケーキのために高カロリーを摂取したのか!!!!好きでもないチーズケーキから無駄な栄養を摂ったのか!!!!好きってなんだ、愛ってなんだよ!!!チクショウ!!!」などと脳内でキレていた金曜午後でありました。

相互フォロワーさん(当時)からDMが来ました。

その人をセックスブスメンヘラ女さん(敬称・仮名)とします。鍵垢です。

 

その人とは最近相互フォロワーになったんですが、

 「セックスしているときにどうして女だけ突っ込まれなきゃいけないのかな。女にもちんこがついていれば二つあるわけじゃん。それってそれだけで強いよね」

 「突っ込まれているときだけ女という実感を得るけど、でもそれってすごく空虚。そんなことで自分が女性ということを実感するのが癪。」

 「ちんこを舐めているときに男性が無防備なのがナンヤカンヤ」

という具合の、いつもセックスと女性における意味不明悟り系つぶやきをしていた人でした。私はいつもの好奇心とTwitterランドにおける多様性維持でフォローしていました。私のアカウントは電気で通信できない一応国立の大学関係者が多く、男性はだいたい童貞、女性も毎日推しへの課金で死にかけ、「はーおっぱい揉みたい」などという童貞つぶやきが日常茶飯事です。

そんな中でこういった生々しく具体的で、ノルウェイの森に出てくる小林緑のような、70年代に流行ったような愛と青春と堕落の喜びっぽい話題を鍵垢とはいえ、毎日明け透けに呟くセックスブスメンヘラ女さんに私は興味を持っていました。とりあえず毎日イイネしてましたイイネはコミュニケーションです。

 

話が逸れました。70年代の愛と青春と堕落の喜び系つぶやきだけなら畏敬と感謝を込めてセックスメンヘラ女さんと名付けていたのですが、ブスと加えさせてもらったのには強い理由があります。

以前、私は意識的に実験としてキラキラアカウント(TwitterInstagramか何かと勘違いしているかのような加工画像と毒にも薬にもならないような呟きをするアカウントです。造語です。)活動をしていました。それまでの私はいつもまともとあほのアカウントの狭間をさまよっていたので、これは特殊な試みでした。

そのときにいきなりセックスメンヘラ女(当時)さんから「あなたはどういった方なんですか?」とDMが来ました。これはチャンスです。あわよくば70年代の愛と青春と堕落の輝きの多様性を手にいれるチャンスです。

私は速攻でDMを返しました。

その人とのやりとりは非常におもしろく、「女としてこうあるべきというジェンダーに強い反感を覚える」、「なぜ女性だけ生理やメンタルのバイオリズムと長年付き合わねばならないのか」、「化粧をしないのがマナー違反だなんてよくわからない」、「男性もいろいろあるとは思うが、女性は化粧をしたりヒールの高いパンプスを履いて女を磨く必要があるのが非常に苦痛。他の女性はそれを楽しんでやっているのかもしれないけど、私はそれらを心から楽しめない。」といった話を聞かせてもらいました。

"ジェンダー"、"女性として"……非常に素晴らしく懐かしい響きに私は歓喜を隠せませんでした。なにせ電気で通信できない大学の人たちは事あるごとに「はーおっぱい」「おなかすいた」「いま起きた(朝11時)」でしたので、久々に幼稚園児以上とTwitterで会話しているということへ神への感謝を持ちました。

 

しかしそのセックスメンヘラ女さんとはそのとき一度話がこじれかけます。

セックスメンヘラ女さんは就活を控えているそうで、その話題になりました。

世間話として「美女から就活が決まるんですよね〜。」と私個人として話題を振ったつもりでしたが、セックスメンヘラ女さんの気に触ったようでした。

 

「不愉快ですね。今から就活を控えている女性にそれを言えるあなたの神経が分からない。」

 

oh, sorry.

 

そのときは「しまった、これでは70年代愛と青春と堕落の輝きツイートを読めなくなる」「別にこの人の美醜云々はツッコミ入れていないし、話の文脈からあきらかに世間話だから不快になるという気持ち自体は共感はしないけど、この人が不快に感じたのは事実で、そういう気持ちをさせたのは私である。だからここは謝罪しよう。」という具合に、詫びて彼女に怒りを収めてもらいました。

この一件から更なる畏敬を込めてセックスブスメンヘラ女さんと心で呼ぶことにしました。

 

さて、時は進み私が優雅にチーズケーキをむしゃむしゃしていたときです。

セックスブスメンヘラ女さんは、Twitterランドによくいる"自称こじれだけどアラサーくたびれアタシでも人生楽しいしw"的なアカウントの「大手企業に興味ない就活生とか、本当は強がってんじゃないのwww」という煽りにホイホイ乗っかっていました。そのつぶやきに対して「そんなことない。そんな一概に決めつけないで欲しい」と鍵垢引用ツイをされていました。

それをさらに知り合い早稲田男の鍵垢にスクショ引用されて「はいはい強がり強がりwww」と言われたことに腹を立てているつぶやきをしていました。とりあえず私は日課としてイイネをしておきました。

 

そのときいきなり彼女から「Twitterランドで不快な人物に遭遇しました!」とDMされました。私はそのときチーズケーキから愛とは何かを悟ろうとしていた哲学中でしたので「おっ、生理か?」と返信したい気持ちをこらえ、「先ほどつぶやいていた案件ですね」と返しました。

しかし繰り返しますが、私は愛とは何かを考えていたときでした。「早稲田の男にスクショで煽られたからってなんだよ、とりあえずチーズケーキ食べなよ」と思考が雑になっていました。

 

「ナーバスになりやすい時期に神経をすり減らすのはもったいないですよ。」

 「まあ貴方が腹をたてる気持ちはわかりますね。リテラシーが低い人に思います。」

 「ルール違反はおっしゃる通りです。鍵垢の秘匿性が失われますから。」

「あと、悪意的に引用されたのが気に入らない部分もあるのだと推察しております。」

 

こんな具合の、80年代後半バブルを謳歌した毒にも薬にもならない男のような言葉を重ねていました。

しかしセックスブスメンヘラ女さんはまだ憤りを収められないようで、「身バレしないとは思うけどスクショはルール違反だと思うんです!」と意見をぶつけられていました。

私は片手間に英語ドキュメントを読み始めていたので「HAHAHA、若さゆえの情熱と過ちかな?」という気持ちで、

 

「上から目線に聞こえたら申し訳ないですが、人への悪意に対しては素直になっておいた方が後々生きやすくなるコツになるかなあと思います。過剰に反応して攻撃しろという訳ではなくて、自分の感情に素直になっておいた方がいいという意味です。」

「そうじゃないと、貴方の神経がすり減るだけになって疲れるのはもったいないので。」

 

"上から目線に聞こえたら申し訳ないですが"、このフレーズは私が気に入っている中の一つです。

これは「私はけして貴方を立場が下とは微塵にも思っていないし、対等な立場として冷静な議論を交わしたいと思っている。しかし私の言葉足らずで上から目線かのように聞こえるかもしれない、だから先に非礼を詫びておく」という意味合いで使っている言葉です。友人から引用させてもらった、いつも私を低い立場からの物言いにさせてくれるワードです。

 

 

「あまり分かったような言い方しないで欲しいです。」

「なんでいつも話が進んでいくとそうやって上から目線になるんですか?」

 

敗北しました。

このとき私は顔がカオナシになり「アッアッアッ……マジカヨ」という大変厳しい気持ちになっていました。

しかし質問をされている以上は返さないと無礼になります。それに数あるツイッタラーの中で私を選んでDMをしてくださっているのだから、「いいからお前セックスしてこい。おまえの承認欲求もおまえのイエスマンもそこにある。」などと言わず、なるべくその気持ちには応えたいと思います。

 

「話しかけられた目的(事由)が見えないので私も戸惑っているのです。アドバイスを求められているのか、それとも単に話を聞いて欲しいのか。」

 

「ほんっとにめんどくさい人ですよね。 分からないなら話を聞いて欲しいだけなのかなって思って無難な対応しといた方がいいですよ。 そういうコミュニケーションの取り方って学んできませんでした?(笑)」

 

このとき、私は思い出していました。

幼少期から母にいきなりオチもわけもわからない話を振られるたび「同意や意見を求められているのか解決法を共に模索してほしいのかわからない。雑談がしたいのなら兄にしてください。」と無難に代替案を提示しつつ返していました。

しかし母には「うるさいわね!あんたは雑談にも話を合わせられないの!うんうん頷いていることもできないの!?」と肉便器ならぬ愚痴便器にされてとりあえずキレられていた過去を思い出しました。お母さんそれはね、子どもを別人格として認められない母性の人間ですと思いつつも、「まあこの人もこの人なりに何かしら私の及びもつかない深淵があるのだろう。」などと雑解釈していました。

このDMのセックスブスメンヘラ女も、自称色々な男性に抱かれてちんこを舐めているからには何かしら魅力があることは事実として認めざるを得ません。たとえ肉便器だって人間だ

さて、教育を受けてこなかったのかという返答に対して返事をする時間が来ました。

 

「少なくとも私は。」

 

"少なくとも"、このワードも非常に好きです。最初に出会ったのは数学Aの確率の単元だったでしょうか。

私は"私たちみんな困ってるんです!!!"などという主語の拡大が非常に嫌いです。そうやって味方をつけて相手を攻撃したいだけの人格に侮蔑すら感じます。

それに比べて"私は困ってるんです"のシンプルさの素晴らしいことか。更にそれに"少なくとも"をつけることによって「あなたはあなたなりに違う考えや環境を持っているかもしれない、でも私は違うのですよ」ということを奥ゆかしく伝える手法として、なかなかナイスです。このワードを積極的に使う人間とは握手をして抱きしめに行きたい。

 

 

「ああ、就活生に向かって美人から内定もらえるなんて無神経なこと言える人ですもんね。それで生きてこられたのは周りの人も変わってるからなんですかね。」

 

肉便器、おめーも女がどうとか言いつつもセックスを楽しんだんだろ?

「私は構わないが、周りの人を非難する意見は許容しがたいですね」と返そうとしたとき、ブロックされました😭

 

 

しかし……私もこの世に17年も生きているので、よくわかっています。

「セックスをするときしか自分を女性として認識できないの><」「化粧している自分がときたま馬鹿らしいわ」などとのたまい気に入らない人間を攻撃してブロックし、セックスとオナニーの狭間で自己の承認欲求を求めるクソ女が、世の中の男性に可愛がられ、愛されることも。

私は、嫉妬しているのでしょう。

でも、ああ、私の好きな人たちもこんな女にコロッと騙されるのだろうな(でもそれも人生であるから、致し方ない)(けど、やりきれないね)という具合に、一時間程度で新たな悟りを開きました。

これが創作だったらどんなにいいだろう。でもこういう女はいる。知ってる。

 

はあ、おっぱい。