読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

みたぬメモ

地味にメモ

いい感じのGWを過ごした(追記あり)

この高揚感を雑に思いついた順にまとめておきたい。

 

1. ジョギング

連日、結構走った。もともと運動好きではないけどいい感じのスウェットを最近買ったこともあり、テンションが上がっているのだと思う。近所はツツジや川の土手など、水と緑の自然に恵まれていたことにしみじみ気づかされる。

 

2. お絵かき

中高時代の落書きが続々発掘されて、触発された。毎朝下書きして、ペン入れをした。

当時は描けば描くほど泥沼で「こんなんじゃダメだ!」と、目的設定も明確でない割にいっちょまえに苦悩していたけど、振り返ってそれらの絵を見ると(自画自賛と承知で)「なんだ、結構描けてるじゃん」と懐かしみと親しみ、そして感嘆を素直に感じることができた。案外、かっこつけて描いてみた絵の方が「んーこれは表情が出ていなくてダメ」という具合に、描くのと見るのと、どちらも肩の力を抜いて楽しめる年齢になったようです。

 

3. おでかけ

多くの人に「もっと違うところを行ってみたらどうだろう」というアドバイスを受けたこともあり、あまり出歩かないところに行ってみた。とはいえ、ほとんどは一度は行ったことのある場所だったので、新たな発見や感動があったかというとやや微妙ではある。ただ、今まで通り過ぎてはいたけど入ったことのない店や、ちょっと入り組んだ場所まで足を伸ばしたりと、言うなれば今までは幅優先探索だったのが、深さ優先探索で出歩いたのは新鮮であった。

あと1日、完璧にオフ日を作った。自分がどこに行くのか、何を見るのか、何を食べるのか、それがなんとなく知りたくて気の向くままに歩を進めた。とりあえず二箇所具体的な場所を思いついたもののTwitterで雑に友人に意見を求めたり、結局最初に考えていた場所とは違うところを歩いてみたりした。最後は馴染みの店で終えた。

そういうことができる一面を持っていた自分に、なんとなく驚いた。贅沢な時間の使い方ができたと思う。

 

4. 人

今までも仲良くしてくれている人や、初めて会う人たち、普段は遠いクラスタの人など、バラエティ豊かな人たちと会って話をして、ごはんを食べたりと楽しい時間を共有できた。

第一印象で「合う・合わない」がわかるという感覚が優れている人がいると思う。自分もそういう感覚はあるにはあるけど、その感覚をとりあえず疑っているので、なるべく今後も色々な人に出会っていきたい。その方がおもしろいし、セーフティネットが広い分にはいいことだと、感覚よりも理性的に判断している気がする。

 

5. 読書

最近読んだ本に「ゲームやSNSをやるのは、脳が刺激を求めていてそれが単純に達成できるから。代わりとして知識や深い思考能力を養うために本を読みなさい。」と書いてあったことから、その言葉に素直に反省して色々読み始めている。

そういったわけでウェブ関係の本を眺めたり、哲学思想や研究関連、文学などなど、他ジャンルにおいてパッと開いたページから読み進める手法で色々と手を出した。活字はいい。没頭できることもあるし、他にやりたいことも思い出すのに手っ取り早い。

 

6. ゲーム

3DSシアトリズムFFをちょこちょこやった。一番気に入っているのは4~10の曲なのだけど、8は特に気に入ってるため、未だに手を出していない。こういう意思選択決定方が、なんというか人生的にもたまに損をしていないかちょっと不安になる。

そういえばもらったPS3をまだ接続させていない。

 

7. 音楽

面倒臭がりを克服するべく、CDとして買ってはいたものの放置していたものをiCloudミュージックに落とす作業をした。

ZARDはいい。すごく好きだし、いいんだけど、ずっと聴いていると考えすぎて解釈する癖まで伝染しそう(これも考えすぎなんだろうけど)。というわけで、美女と野獣だったりキュアップラパパとかセーラームーン幽☆遊☆白書とかも聴いたりした。新規開拓もしないとなあ。

 

8. 食事

新しいレシピ作りにはさほどチャレンジしなかった。でも最近ようやく中学~高校時代ぐらいまで料理の勘が取り戻しつつある気がする。

外食は、なんだか最近さしたる感動がない。美味しいっちゃ美味しいし、価格も十分にpayできているとは思うんだけど、なんだろうね?人と話しながら食べるごはんも、一人で食べるごはんも、そのへんあまり変わりもないし。本当になんだろうね?

 

9. 掃除

そういえば、部屋の移動が完全に終わった。去年の6月ごろに兄が独立するのに伴い、なぜか私が兄の部屋に移動が自動決定されていたのが、ようやくである。親がむしろ痺れを切らして強制移動させたというのに近い。10年以上使った部屋を強制的に奪われてむしゃくしゃした時期もあったけど、もう色々言ってもしょうがないし、もうほとんど移動していた兄の部屋だった場所もそこそこに快適ではある。(と思うことにしている。)

掃除に伴い、中高時代のものが次々と発掘された。やはりというか当然かもしれないけど、当時色々考えていたことの片鱗が窺えるものが発掘されると、連続的思考/経験があって今の自分に至っているとしみじみ気づかされる。(突然変異であったり離散しているわけではなく、着々と自分の中で積まれたものがあって、今の自分が存在していると言いたい。)まあ、当時から考えすぎではあるとは思った。思考行動を楽しんでいるならいいんですが、もっと気楽に生きるかその時間をもっと勉強しておけと10年前の自分に言いたい。

とはいえ。

当時の写真も発掘したんだけど、笑うべきときに友達や先生にたくさん囲まれて笑っている写真ばかりだった。そのときそのときでやれるベストを尽くしたとは言わないけど、当時楽しく過ごした感情までも否定するのもキツイし面倒なので、これまでも楽しい人生を過ごしていたし多分これからも楽しく生きていくんだろうなーと改めて認識することができた。

 

10. 人・2

にゃーん。

日記を発掘したこととか、色々な人と会話をしたり色々なところに行ったり、そこから考えてみたんだけど、自分も他人も年齢・環境にとらわれずに案外柔軟に変わっていけると思いましたね。

そう考える背景に色々とあるけど、端的に書くとそんなことを思いました。なによりポジティブ解釈思考の方が、楽しい。

 

 

筆、もといキーの向くままたくさん文字を打ってだいぶすっきりしました。

こういうダラダラした思考回路を開示する終わりのない文章もたまにはいいものです。相変わらず考えすぎなのは、気にしないとして。

 

 

追記(5/8)

こういう感じです。

いいGWを過ごせました。