みたぬメモ

地味にメモ

17年度パンデパ秋公演の「中の見えない壺」を観劇した

観てきました。個人的には3年生の引退公演となる秋公演が、一年の中でいちばんのエネルギー集大成を観せてもらえるので好きです。(主観)

 

内容の感想

まあ正直舐めていたなと思いました。本公演オリジナル脚本ということで、世界観設定が"普通の大学における、演劇サークルに入るか否か悩む大学生"という導入は「うーんありがち」と最初は失礼ながら思ってしまった。

学生劇団によるオリジナル脚本かつ世界観設定が大学生の大学劇は、たいがい「作者が経験した感情・人間関係を二次体験orメタ体験できるような自己哲学もの青春群像劇」になりがちだと思っていて、たいがい過去を内包した精神世界の自分との対話を行い、そういった声を無視してそれでも現実世界を生きるけなげな主人公の今後を想起させて終わりか、それともひたすら陽の差さないところに向かって進んでいく暗澹とした終わりになりがちなのである。

そこから脱却して(あるいは差別化を図りながら)表現するには(演劇に限らずたとえば小説や漫画も同様)結構大変な作業だと思っている。別にそれらがすべて悪いわけではないんだけど、どうしても他のものと比較すると記憶の海の中で埋没しがちになる。

でも今回の劇は演劇らしさのある笑いをしっかりメリハリとして抑えつつ、そもそもの根幹として大事な主人公その他人物の設定もしっかりできていて、なによりカウンセラー役の役者セリフ言い回しと主人公との対話が非常に小気味よくテンポよく展開されていて「これはすごいな」と思った。(語彙力が消えつつある)

特に「普通とは何か?」「社会で周りと生きていくには?」という問いかけに対して、ひとまずの解を出していくくだりが面白くて、「これがこの作者(後輩)、そして主人公とこの世界の答えなんだな」としみじみ思った。あと人間の象徴として壺を使ったのも、実に哲学的でおもしろいと思います。15年度の秋公演『トランス』、16年度新歓公演『あの人のいた街』もなかなかおもしろかったんだけど、今回はそれらとは違ったテイストでよかったと思う。

 

後輩たちへの激励

一つの劇の形にするためには脚本だけではなく、演じる役者であったり劇をサポートする裏方周りの役割が欠かせないのだけど、去年とはちょっと勝手の違う中、今回もいろいろ頑張っていたと思う。

本公演はダブルキャストの体裁をとっていて、自分は引退する3年生が中心となって演じる回に行ったのだけど、「もうちょっとこの子達の代の劇を観たかったなー」と毎年のことながら思いました。本当にお疲れ様でした。

そして次のまたまた個性的かつ賑やかな代にも期待です。

 

おわび

雨がひどい中に慌てて向かい、さらにはお昼を食べていなかったので隣のマックに行ってから会場に向かってしまいました。受付の後輩が「なんやこいつ」という顔をしつつも、「そろそろ開演していいですか?」と声かけをしてくれたことに甘え、「このポテトもうちょっと食べてからでもいいですか?」と聞いてしまい、5分ぐらい開演が遅れました。本当にすみません。