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飼い猫の墓参り

この日記は「みたぬなつやすみ〜ぼくのなつやすみ15日目〜」の位置付けになるものです.

基本的に飼い猫がどうこうという話になるので,他の誰かの役に立つというわけでもないんですけど,自分の中の大事な記憶ということで文章を残しておこうと思いました.

 

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飼い猫・たまが今年の6月16日に亡くなりました.老衰です.猫は平均寿命が15年ながらも16年も生きてくれたことと,わりとどうしようもない自分に変わって両親の面倒を見てくれていたと個人的に勝手に認識しているので,飼い猫には感謝しかありません.なんか致命的な引っ掻き傷や咬み傷をやらかされたこともあるんですけど,まあ,彼女が我が家族にやってくれたことを思えばチャラです.

 

 

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1. 5/31にピザ食べ放題に行った後

その日,自分は大学の友人達と調布のピザ食べ放題の店に行きました.

「歩いて帰るなら実家の方が近いな」とふと思い立ち,久々に家に帰ることにしました.(自分は最近家にちゃんと帰っていなかったのです)

すると母から「たまが今日いきなり元気が無くなった,ごはんも食べていない」と言われました.確かに飼い猫の様子を見ると,全身が心臓の鼓動に合わせて上下していると言えばいいんでしょうか,今までにないぐらいバックンバックンと体が震えていました.この動きは,腎臓病で亡くなった彼女の姉妹猫のときを思い出しました.

この日は「たまがストレスになるから,あなたは家に帰りなさい」と実家にも関わらず追い返されました.とはいえ,「これはそろそろ覚悟を決めないとな」ということをいやおうなしに感じさせられていました.

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そして飼い猫が餌を食べられなかったのに,どうして自分はピザ食べ放題なんて飽食の極みを尽くしているんだろうな,なんて罪悪感を抱えたまま帰路を歩きました.

 

 

2. 二週間

気が気ではなく,飼い猫の好きなエサや,猫草など,買えるものは色々と買いました.なるべく頻繁に家に寄るようにしました.

その都度,親にも飼い猫の面倒を見てもらっているお礼として,わりと多くのお金を渡していきました.「これでおいしいものを食べてください」とかなんとか言った気がします.これは以前に姉妹猫が亡くなったとき,世話をしていた家族全員がやはり体力的にも精神的にもしんどかったということを覚えていたからです.ちょっとでも親の気が休まればいいと思いました.

途中,飼い猫が鳴いた日のことや,今日はどこどこのメーカーの餌ならちょっと食べたの,といった報告を聞けて,持ち直せるかなあということを1割ぐらいは考えていた気がします.

けれど9割のときが来れば,おそらく自分が飼い猫を届けるのだろうとなんとなく義務感を背負っていました.

 

3. 6/16

この日の4:56, 6:18, 7:05に母から着信がありました.

8時に目覚めてそれらの着信に気づいて,猛省しました.「もしかして一時間早く起きていたら間に合ったんじゃないか」などと,前2件の着信に気づいていないまますぐに着替えました.(前日に人と少し飲んでいたこともあり,もしかすると自分のうっかりコンボのせいで間に合わなかったんじゃなかったかと本当にヒヤヒヤしたのです)

母に折り返しかけ直したところ,飼い猫が亡くなったことを知らされ,急いで家に帰りました.

 

 

家では,飼い猫が愛用していたバスタオルに綺麗にくるまれており,近くには飼い猫が好きだった餌が綺麗に並べられていました.

 

「ああ,綺麗だなあ」と飼い猫を見て思いました.もともと細身の猫だったので,この二週間ろくに食が進んでいなかったと聞いていたものの,体も毛並みは相変わらず綺麗で,生きていないのが少し信じられませんでした.

「真夜中にたまが起きて,トイレに行こうとしたんだろうね,私の布団の上をまたごうとしたときに失禁して,そのときのショックでそのまま」と,説明されました.

飼い猫は二週間の間も粗相をしたとは聞いておらず,そもそも子猫の時からトイレに失敗したことも数えるほどしかなかった賢い猫だったので,失禁したことは相当にショックだったんだろうなあと思いました.母はでもどこか微笑みながら「最後の置き土産ね」と言っていました.

 

とりあえずお疲れ様でしたと母,父と飼い猫に告げ,平静を装おうとしました.

飼い猫を早く引き取ってもらわないといけないし,自分がその役目のために呼ばれたので,自分が泣くわけにはいかないなあと覚悟をとっくに決めていたつもりでした.

たくさん撫でて,触らせてもらって,満足したつもりなのに,自室にとっとと戻ればいいのに,飼い猫の近くでずっと素知らぬ顔でスマホをいじっていました.フローリングにそのまま座っていたのに,不思議と冷たくはなかった気がします.

 

動物霊園の業者さんに電話をすると,たまたま巡回ルートの近くを回っていたので本日中に引き取りに来られるとのことで,すぐにお願いしました.

 

じゃあ支度をしようと,父が用意していたというダンボール箱を取り出しました.猫なのにみかん箱だったので,たまは嫌だろうね,なんて直前までふざけあっていました.

 

泣かないと決めていたんですけど,父と母が飼い猫をダンボールに入れる瞬間,ここで初めてぼろぼろと泣いてしまいました.

飼い猫が死後硬直で形が変わらないまま,すっぽりとダンボールに入ったことがなぜかどうしようもなく悲しかったのです.相変わらず綺麗に飼い猫が好きだったバスタオルにくるまれていたのに,とてもやりきれない気持ちになりました.

 

これはいかんと,顔を洗って,玄関に飼い猫が入ったダンボールを運びました.ああやっぱり(この箱は)軽いなあなんてことを思った気がします.

 

そして業者の方がお越しになられ,「このたびは御愁傷様でございました」と,目を閉じて深くお辞儀をしながら両手を合わせてくれた時,母も自分もそこでまた泣きました.

「ああ,やっぱりたまは亡くなったんだな」と,そこでようやく実感したのです.知らない人に手を合わせられたことで,ようやく踏ん切りがつきました.

 

合同葬に必要な書類を母が書き,お金を渡したところで業者の方から「最後のお別れは大丈夫でしょうか」と聞かれました.

思わず自分が飼い猫の頭を撫でてしまったものの,「よく考えたらたまは母の方が好きだったんだから,母さんが最後に撫でてやってください」と頼み,「もうじゅうぶん撫でたんだけどね」と言いつつ撫でていました.

 

ダンボールは自分が抱えて,家(自分の家は4階です)から下の道路に着きました.業者さんが乗って来た白いバンがありました.花壇にどこそこと植えられた紫陽花が綺麗だなあと思ったような記憶もあります.

ひんやりとした冷気が流れてくる車の中には,すでによそのご家庭の箱もありました.

 

そこで「お別れは大丈夫ですか?」ともう一度聞かれました.じゃあ最後にと飼い猫の顔をもう一度見せてもらいました.

飼い猫の顔はやっぱり綺麗で,寝ているだけのように見えました.

母が撫でたんだから,自分は見るだけにしようと思いました.けれど,その眺めている時間,きっと10秒ぐらいなんでしょうけど,飼い猫と過ごした16年間のいろいろが一気に思い出されて,また涙がぼろぼろと流れました.

あっという間だ,全部あっという間だ,とても短い時間だった.けど16年だ.

そんなことを思ったような気がします.涙がまったく止まりませんでした.

 

「ありがとうございました,もう大丈夫です」と伝えたところ,業者の方がすごく丁寧に白いガムテープでダンボールの蓋を閉じてくれました.

 

「ありがとうございました」とやっぱり深くお辞儀をしながら,白いバンが出ていくのを見送りました.

そして父母に「お疲れ様,ありがとう」と言われ,そこから父とダラダラ話したような記憶があります.実を書くと,それまで両親とはほぼほぼ会話をしていなかったので,5年ぶりぐらいになんだか色々と話した気がします.

翌日には飼い猫を偲んで,家族で飼い猫の好きだった海鮮類を食べるというなんとも贅沢な晩御飯を過ごしました.

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今日はなんとなく思い立って墓参りに行ってきました.本当はポケモンスタンプラリーにでも行こうと思ったんですが,迎え盆の日にやたらリアルな飼い猫の夢を見たのでなんだか行かないといけないなあという気持ちに駆られていました.(こう書くとかなり薄情なんですが,もともと我が家に墓参りや盆,帰省の習慣がなく,私自身もそういう行事に疎いというところがあります)

 

寺に着いたところ結構な数の参拝客がおり,暑い中でも熱心にお墓を綺麗にする人たちが多かったです.

花を買って,線香をあげて,急だったので飼い猫の好きだった餌を持ってくることを忘れたのでやや不謹慎ながら飼い猫の好きだったファンタグレープの代わりに自販機にあったコカコーラを購入し(持って帰りました),墓参りを済ませました.

そういえば合同葬では卒塔婆をお願いしたはずなんだけどなと思い,卒塔婆置きのところを探しました.途中寺のお坊さんも一緒になって探してくださり,「三ヶ月以内ならあるはずなんですけどね……」と諦め掛けていたときに,自分が発見しました.

 

卒塔婆にはたまだけでなく姉妹猫の名前も共に書かれており,「ようやくだなあ」という気持ちになれました.本日はそこでようやくボロボロと泣いてしまいました.

卒塔婆がお焚き上げされる前に来られて,本当によかったなと思いました.

 

 

 

飼い猫がなくなってから,悲しいというよりも「もういないんだ」という気持ちがずっと大きくて,家に帰って来てからも目で探しては「ああいないんだな」と確認する,ということを繰り返しています.

そのうち,目で探すこともなくなるんじゃないかなと思います.

 

 

両親は「歳が歳だから,もう猫は飼わない」と言っていました.(もともと飼い猫も捨て猫だったので飼い始めたという経緯でした)それはある一面ではすごく正しくて,誠実な対応だとは思っていますが,ただ個人的なわがままを承知で書けば,両親に残されている時間の短さや,労力が昔に比べて衰えたことを考えざるをえない寂しい発言だと思いました.

 

かなり悲しいはずなんですけど,それでもやはり飼い猫と過ごせた日々は賑やかで,猫の生態について詳しくなれたんじゃないか,なんて思い上がりながら,感謝しています.

ペットを飼うと死ぬ時が寂しいから無理,といった意見もよく聞きますが,ペットでも恋人でも友人でも家族でも誰でも,それでもお互いに残されている時間をどれだけ充実したものにできるかという前向きなことを考えながら,今後も誰かと一緒に楽しく時を過ごしていくことが大事なのかもなと思いました.