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地味にメモ

家の掃除〜ぼくのなつやすみ26日目〜

今日はずっと家の掃除をしていました.

自分はオタクで,しかもグッズを集めちゃう系のオタクだし一時期は絵もガンガン描いていたオタクだったので,本当に物が多い.

漫画本は長編もの(10冊以上)が好きになることが多いし,とにかくそのへんに描き散らかしている絵だとか,あと計算用紙だとか,なんだか捨てられない.

もうおかしい……笑うしかない…….

 

部屋の掃除中はもちろん,コンテナやらなんやらをたくさん運んだら全身から汗が滴るのを感じました.普通の運動より汗を掻くとはこれいかに.

 

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しかし悔しいことに,自分でも買ったものを忘れているグッズ類がいくつか存在しました.

自分でも「あれ……こんなものが発売されていたのか」と,ちょっと驚くものもいくつかあって,昔のようにとても欲しかったグッズをようやく手に入れて,ベッドまで持って行って一緒に寝るほどの感激さはとっくに薄れていたんだなと気づいた.もちろん加齢に伴う成長はさもありなん,しかしそこはかとなく悲しい.

 

秋月りす先生のOL進化論の一つに,「物の取捨選択ができないやつが,人間関係で大事な人を選べるわけがない(大意)」とあったのだけど,まさにそんな感じの人生になりつつあるような,ないような.

認めたくはないんだけど,最近は衝動的に買ってしまっては満足して,一つ一つを手に入れた時の感激がやっぱり昔より薄れている気がする.

これはヤフオクだとかメルカリといった物のやりとりがスムーズになるプラットフォームが発達して,昔よりも欲しい品を手に入れやすくなった時代背景もあるのだろうし,昔の自分にとっての500円と今の自分にとっての500円の価値が全然違うといった,金銭感覚の遷移も当然存在しているのだろうと思っています. 

 

欲しいものは欲しい,けど本当にそれが欲しいものなのかどうか,

これは最近いろいろなオタク友達と会っていても,やはりライフプランに伴って諸々と整理を始めている話を聞いていて,自分もこの頃考えさせられているテーマです.(実際,それで片付けを始めたわけですし)

 

 

ただやっぱり,グッズ類といえども自分のいくつかの価値観や感受性を育ててくれたものであったり,それらを販売してくれている企業に対しての感謝であったりと,おいそれとも手放せないものばかりだったり,逆に服の方が傷みとか色落ちといった視覚的な要素によって諦めがつきやすいので手放しやすかったりと,コンテナの中身もどんどん酷いことになっている気がしました.

 

とはいえ,これらの膨大なグッズと自分はいつまで一緒にいられるのだろうか.

ちょっとヒヤヒヤしながら生きています.