Ruby on Railsチュートリアルメモ1
最近Ruby on Railsのチュートリアル読んで手を動かしてる。
ところどころコケたところかつ覚えているところだけ誰か用にメモしておきます。
1.5.2 Herokuにデプロイする の節
$ git push remote heroku master
を実行したところ、以下のエラー
Counting objects: 115, done. Compressing objects: 100% (97/97), done. Writing objects: 100% (115/115), 53.82 KiB | 2.07 MiB/s, done. Total 115 (delta 10), reused 0 (delta 0) remote: Compressing source files... done. remote: Building source: remote: ~(略)~ remote: Compiling… remote: Compilation failed: remote: error Command "webpack" not found. remote: remote: yarn run v1.22.17 remote: info Visit https://yarnpkg.com/en/docs/cli/run for documentation about this command. remote: remote: remote: ! remote: ! Precompiling assets failed. remote: ! remote: ! Push rejected, failed to compile Ruby app. remote: remote: ! Push failed remote: Verifying deploy... remote: remote: ! Push rejected to ***. remote: To https://git.heroku.com/***.git ! [remote rejected] master -> master (pre-receive hook declined) error: failed to push some refs to 'https://git.heroku.com/***.git'
gitにpushしようとしてエラーが出てしまう。
調査
remote: ! remote: ! Precompiling assets failed. remote: !
にある通り、コンパイル前にコケているということがわかります。 直前のログには
remote: Compiling… remote: Compilation failed: remote: error Command "webpack" not found.
とあるように、webpackがないからコケているのが明白です。(他の人の症状も見たけど、configファイルに書いた設定で文字処理がうまくいきませんでしたというパターンもある模様。きちんとログを読むのが大事ですね)
ただし、ここで素直にwebpackをyarnからインストールしてはいけない。仔細は省略するwebpack周りが本質的な問題ではなかったからです。 (筆者はここからnode_modulesを削除したり@rails/webpacker等を変更したりと色々と検討したが、結局1時間ほど無駄に潰した)
解決策
Gemfileの構成を以下の通りに修正した。ほとんど公式ドキュメントからの転用+pg周りの記載。 (ちなみにpgとはPostgreSQL RDBMSにアクセスするために必要なライブラリ)
source 'https://rubygems.org' git_source(:github) { |repo| "https://github.com/#{repo}.git" } gem 'rails', '6.0.4' gem 'puma', '4.3.6' gem 'sass-rails', '5.1.0' gem 'webpacker', '4.0.7' gem 'turbolinks', '5.2.0' gem 'jbuilder', '2.9.1' gem 'bootsnap', '1.10.3', require: false group :development, :test do gem 'sqlite3', '1.4.1' gem 'byebug', '11.0.1', platforms: [:mri, :mingw, :x64_mingw] end group :development do gem 'web-console', '4.0.1' gem 'listen', '3.1.5' gem 'spring', '2.1.0' gem 'spring-watcher-listen', '2.0.1' end group :test do gem 'capybara', '3.28.0' gem 'selenium-webdriver', '3.142.4' gem 'webdrivers', '4.1.2' end group :production do gem 'pg', '1.1.4' end gem 'tzinfo-data', platforms: [:mingw, :mswin, :x64_mingw, :jruby]
こちらでpushすると問題なくherokuに反映された。
6月が始まった
どうでもいい話
面倒臭い話がやってきて、その対応のことを考えたり調べたりしていたら日記が2日も開いてしまった。
これから先の計画もどうすれば自分にとっておもしろいものになるか、煮詰めていきたい。
↑あと面倒臭いことがやってくると、途端に悶々と考える時間が増えてしまうので、そういうときはyouTubeで興味のある分野の動画を見て少しでも知識を詰め込もうとしている。昨日は裁判関連動画を眺めていた。
タイトルは忘れたんだけど、『やって後悔する民事裁判のパターン』というものの中に「民事裁判はそもそも謝罪を要求して始めるものではない、あくまで金銭で物事を解決しようというものですので、謝罪目的の人はそもそも裁判を起こさないほうがいい」という言葉があった。自分はその言葉に深く染み入った。
そもそも誰かしらに強制されて謝罪されても何の救いにもならないと自分は思っているので、「謝ってくれさえすればそれでよかった」といった考えの人もワンステップ上げて「じゃあ謝ってくれない場合は」→「他の方法で制裁を加える」あるいは「もう忘れる」というところまでたどり着けたほうが人生うまくいくのかもしれない。
あとそもそもそういう知識や仕組みこそ義務教育で一度触れさせて、「社会はごめんなさいで話は終着しないので、やるなら徹底的にやるか、とっとと忘れるかのどちらかで心の落とし所をつけなさい」という考えを身につけさせるのが本当はいいんだろうなということを思った。
なんだか邪念に満ち溢れた日記になった。面倒なことが起きるとすぐにこういうことを考えてしまう。
ネットでも日記を書く癖をつけたい
思考のアウトプット
日記にしているノートには毎日「今日起きたこと」を記録として記しているのだけど、「今日どんなことを考えていたのか」ということまで詳細に書いていません。ノート日記の運用に関しては「あれはいつにやったっけ」とのちに振り返るために書いているのでそれでいいと思っているのだけど、一方で「思考のアウトプット」がじゅうぶんでなく、それによって起きているデメリットを近年強く感じるようになってきました。
デメリットですが具体的には
- 外部に向けてアウトプットをしていないことによって、適切な表現を用いて相手に伝える技能が落ちているのではないかと不安に思うことが増えた。
- 思考だけが先走りしてしまい、細かい感情面を自分の中で落とし込むことが難しくなっているように感じられている。結果、相手に物を伝える際に迷うことが増えた。
- 文章をまとめる時間が以前より増えた。
ということで、時間のあるときは積極的にブログを活用してこれらの能力向上に努めたいと思いました。
今日やっていたことからの考えていたこと
キングダムハーツ20周年コラボのアルトニアへ
洗濯をしてから東新宿へ向かった。一人用テーブルに案内されたが、初日と比較するとテーブル配置が微妙に違っていた。なぜだろう。
アルトニアはコロナ禍以前以降でスタッフがほとんど入れ替わっており、そのせいかスタッフのクオリティが落ちているように思う。例えばハイティーセットに付属していたお茶をソーサラーに思いきりこぼされた状態で供給されたり、何度呼んでもなかなか店員が来なかったりといった具合で、以前はにこやかに色々と丁寧に接客してもらっていた分、そしてアルトニアはスクウェアエニックスのゲームを身近かつ親しみを持って感じられる空間であると思っているため、そういったことで自分の中におけるスクウェアエニックスへのイメージが落ちていることを残念に思っている。
靖国通りを歩いて日本棋院へ向かう途中に考えていたこと
今日は暑いという報道があったが、アルトニアを出る頃は天気がやや曇りになっていた。 そのこともあり、明治通りから靖国通りを歩いて市ヶ谷にある日本棋院へ向かった。近隣の店では週刊碁を扱っている店がなく、市ヶ谷にある日本棋院へ向かうしかないことと、最近ちょっと体重増加が気になっていたので積極的に歩いている。 明治通りにある花園神社には出店が出ていた。どうも例大祭らしい。 靖国通りを市ヶ谷方面にひたすら歩いている途中、主に二つのことを考えていた。
1.については、今週北海道に行った際に時計台に設置されていた資料を読んでから、ここずっと考えていたことだった。資料の中には札幌農学校はもともと札幌女学校の構想計画があったものの、札幌女学校に通うものの条件として「卒業後5年間開拓使として勤務すること・北海道在籍者と結婚すること」といったものがあったため、転学者が続出して、さらに他の事情も相まって札幌女学校は二年ほどで廃校になったとのことだった。 自分はこの資料を読んで「当時の女学生はわがままではなかろうか」という一次感想を抱いた。わがままというのは、仮にも国費学生という名目ならば、ある程度の義務を果たすのも道理ではなかろうかという感情から来ています。 もう一つ噛み砕けば、そういう身勝手な振る舞いをした先人者に対して、「これだから女は」といった批判される要素を同性が作ったことについて怒っているのだと思う。なにせ同じような境遇である札幌農学校に男子学生は通い研鑽に励み、現在の北海道なり北大の礎を作ったのである。なぜ男性がやれて女性ができないのだろうか。 まあ別に自分がそのことをダシにして怒られたことはないので、そのことについて不快に思う必要はないかもしれません。けれどそういった事実があり、それが同性によって作られたということは単純に自分を含む後世の人間に対して迷惑だなというところまで考えていました。
そして今日靖国通りを歩いていてもそのことを考えていたのですが、「そもそも当時の日本の背景として、恋愛結婚などほとんどできないはずだが」ということに気づきました。つまり当時の女性たちは親や周りに言われた通りの結婚をしており、結婚は当人の自由意志でできる時代ではなかったということです。それにも関わらず、「北海道在籍の人間と結婚したくない」とはどういうことなのだろうか……といった違和感を受けた。 このあたりについて納得できる答えを持つには、明治時代の文化について調べる必要があること、しかし調べたところで一度抱いた「迷惑」という感情を払拭するほどの納得できる答えを得られるのだろうかといったことを考えながら歩きました。おかげで頭が痛くなってしまった。
もうひとつの2.についてですが、これは上に比べるとライトな話です。
自分の中で市ヶ谷に向かうとき、
という主に3つのルートがすぐに思い浮かびます。 しかし靖国通りを歩くルートはすでに3回ほど経験しているため、少々飽きてきました。 最初のうちこそ「防衛省は大きい」だとか「ここにオライリージャパンがあるのか」といった驚きに満ちた発見があったのですが、いかんせん新宿からあまりにもまっすぐすぎる道で、特におもしろいものも多いわけではありません。強いて言えば市ヶ谷から新宿まで歩く際は「せっかくだし御苑に寄ろう」「あえて靖国通りを歩かないところを向かおう」と色々歩いてみたのですが、それも自分の中で「ここを歩けば新宿に着く」というものが定着してしまいました。
そういったわけでもう一つなにかルートがないものかとちょっと考えていたのですが、そういえば今年の5/5に御苑の千駄ヶ谷門から出て、神宮球場に向かい、そこから千駄ヶ谷駅に戻って電車に乗り、市ヶ谷駅に向かったルートを思い出しました。 靖国通り沿いに歩くルートと比べるとおそらく長い道のりになるでしょうが、総武線沿いに歩いて市ヶ谷に向かうのは新たな発見があるのではないかとか考えていました。 今度ルートを調べてみたいと思います。そもそも地形的に達成できるのかどうか気になるところではありますが。
5月の振り返り
はじめに
5月はまだ終わっていないけれど、最近きちんとアウトプットできていないし5月についてまとめて書きたくなったのでこのタイトルにした。 この5月にプライベートにおいてどのようなことに取り組んだか、そこからどういった気づきを得たのか、あるいはどのような発見に到れたのかを淡々と書いていきます。
■囲碁
星からのコスミに対する有用性
これをすると100%切られることはないとのこと。個人的には断点が多くなりそう・片方の辺は取れるかもしれないが片方の辺は取られるだろうというところが思いついてしまい、不安の方が勝る。要するに有用性についてまだしっくりきていない。
↑打っていて気づいたのだけど、終局まで至った経験が少ないために、自分の陣地をどこまで取れたら満足できるのかがわかっていない気がする。だから『星を打つ→コスミを打つ』という戦略に対して、いくら切られなくても片方の辺が取られるだろうという点に不満が残っていて、その有用性に心から納得できないでいるのかもしれない。
同様に捨て石という概念も実戦ではまだうまく使えていない。詰碁をしていると「ここはあえて取らせる」というところに気付けるのだが。
購入した本の読破率
高尾紳路先生の本: 序盤の打ち方, 第四譜まで。やはり石を並べないと頭の中で碁盤を作って進行を考えるのは素人にはなかなか厳しい。そして石を並べて考えるとなると、腰をじっくり据えて取り組む必要があるというところで、ちょっとだけ尻込みしている自分がいる。
虎丸先生の本: 難しくて最初の5問程度しかまだ解けていない。これも石を並べて試行錯誤するのが良さそうと思いつつ、石を並べるのが(以下略)
■パン作り
「そういえば小学校低学年以降、パンを作ったことがない」ということに気づき、突然作りたくなった。
思い返せば自分はパン作りのことをよく知らず、パン作りに詳しいフォロワーに「薄力粉ではダメ。肉まんのような生地しか作れない」「ベーキングパウダーではどうあがいてもスコーンのようなパンしか作れないから、ドライイーストを買いなさい。ドライイーストは富澤商店で一包みごとで売っている」といった有用な(しかしパン作りをしたことがある人からすれば基本的な)情報をもらって、パン作りに向けて準備を整えることができた。
富澤商店:調布パルコの地下にあることを教えてもらってはじめて認知した。自分に関係ない(と思っている)情報は、視覚に入っていてもうまくキャッチできていないなあと痛感した。
無塩バターが家になかったため普通のバターで作ったところ、全体的にしょっぱい仕上がりとなる。やはり無塩バターをきちんと用いるか、塩を少なめに調合する必要があると気づく。
それにつけてもパンのバター含有量には自分で作ってみてびっくりした。「クロワッサンは食べすぎるな」と親に幼少期から口すっぱく言われてきた理由も納得した。
そして発酵にかかる時間の長さ。余裕があるときにしか作れないと思いました。
■Ruby on rails
progateで勉強し始めた。
フロントエンドに用いられるどの言語に近いだろうと考えたところ、angularJSに書き方が通じるところがあるかなと思う。例えば以下の処理。
<% posts=["a", "b"] %> <% posts.each do |post| %> <div> <%=post %> </div> <% end %>
$scope.list = [{id: 1, name: "a", ...}, {id: 2, name: "b", ...} ]
<p ng-repeat="nameList in list">{{nameList.value}}</p>
言うほど似てないかも??? 書いていて思った(思い出した)が、Ruby on railsの一つのやり方として、変数はview内で定義するのではなくactionに書き出すといった考え方が大事だし、けれど最初は細々とした書き方を習う必要があるし、そして細々とした書き方そのものでなくどこにどれを書いておけばいいのかを理解するのにAngularやReactをやっておいてよかったな〜という感想の方が適切かも知れない。
■散歩
表参道〜南青山と、御苑千駄ヶ谷〜神宮球場、九段下〜市ヶ谷、市ヶ谷〜新宿を歩いた。
九段下〜市ヶ谷〜新宿間は、靖国通りをひたすら歩いた。九段下〜市ヶ谷までは靖国神社を脇に見つつコンビニやカフェが並んでいるギャップがおもしろいけれど、市ヶ谷から新宿までは防衛省脇の道がとにかく長く感じられるので退屈に感じてしまう。 しかしながら、実際歩いてみて東京の土地勘が身につくのは頭の中の地図がつながっていく感覚を得られるので非常に楽しい。 いずれ新宿〜渋谷の散歩をやってみたいけど、これから暑くなるし悩みどころ。
■法律について
「自分は法律知識が少ないし、それによって自分は何かしら必要以上に心配を抱えたり、あるいは気づかぬうちに不利益を被っているかも知れない」と考えることが多くなり、いろいろな本を読んでいます。
最近ノートに書き記したのは所得税法第231条。 労働法において雇い主が労働者に給与明細を渡さなければいけない義務規定はないが、所得税法によるとそれらしき規定があることを知った。以下抜粋。
居住者に対し国内において給与等、退職手当等又は公的年金等の支払をする者は、財務省令で定めるところによりその給与等、退職手当等又は公的年金等の金額その他必要な事項を記載した支払明細書を、その支払を受けるものに交付しなければならない
とある。 もし仮に労働者が給与明細をもらえない場合は、労基ではなく税務署に行くことになるのだなとか知れて興味深い。
〜〜〜〜
ざっくばらんに色々と書き出してみたけど、「あれ意外に色々と取り組んでいるな……」と思えた。 もともと自分はノートに日記をつけているけれど、このようにブログに書き出すことによって、記憶が上書き/補強される部分もあるし、日記をつけているときには言語化していなかった部分について改めて熟考/追究できるところがあると気づけた。 6月終わりも何か書ければいいな……。
御曹司をひざまずかせてしまったので応援していた話
突然ですが、皆さんは御曹司をひざまずかせてしまったことがありますか?
私はあります。
「あんたなに人様をひざまずかせちゃってんのアホか」というツッコミはいやほんとその通りですごめんなさい(低頭)
次に、「いや突然御曹司って言われても……そもそも御曹司っているの?」と思った人もいると思います。
私も正直そう思っていました。
「”御曹司”……。日本にそんな人、実在してるんですか?(実在してるんだろうけど、私の人生にはおよそ関わりがない)」という具合に。
今回のブログは私の近況話と、囲碁棋士 兼 新聞記者 兼 御曹司の一力遼さんをひざまずかせてしまったこと、それからずっと一力さんを応援していた話について、残したくなったので書き留めていきます。
- 1. オタク活動の限界と新しい趣味
- 2. オタクは本当にどうしようもないしそのどうしようもなさが御曹司をひざまずかせる
- 3. オタクがすぐにキレ散らかすのは期待が大きいから
- 4. 方向性はともかくやれることはやっておくスタンス
- 5. そして始まる棋聖戦
- 6. エピローグ
1. オタク活動の限界と新しい趣味
私はもともとゲームや漫画のグッズを収集するのが大好きな、そこらへんによくいるオタクです。
このまえいろいろ引っ張り出したけどこれでまだ序の口なのが恐ろしい
しかし近年、限界を感じつつありました。部屋の収納もそうですが、主にメンタル面においてです。
グッズを棚に飾っては眺め、箱に収納してはたまに取り出して眺め……ということをやっておりました。
そしてある日、グッズの箱に積もった埃を拭いていてふと気づきます。
虚無ではないかと。
このグッズが存在しなければ、埃を拭き去るという動作を日常から排除できる。その空いた時間をほかのことに充てることもできる。ということに気づいてしまいました。
そこから「本当にこのグッズがほしかったのか……?」と、自問自答する日々が長く続きました。自問自答するたびメンタルは徐々に抉られます。そもそも自問自答している時点で熱中できていないわけですし。
そして多くの人の意見を聞き、長い時間をかけて「私にとって収集は一生続けられる趣味ではない」という考えにたどり着きました。(他にも自分の収集癖について色々と考えるきっかけはあったんですけど、書き出すと長くなるのでひとまずこのぐらいで。)
しかしここで訪れるのが、空虚です。そして「頭を使う趣味を作らないと、ボケるのが早くなる……」という焦りに至ります。
頭を使う趣味か。勉強は趣味にならない気がする。楽しんでやれるかどうか自分の性格上自信がないし。
じゃあゲームはどうだろうか。いやいやど近眼だし、画面を前にしてずっとやれるかわからない。
ゲーム?
そういえば、囲碁って一生続けられる頭を使う趣味って言うよなあ。
こうして囲碁を始めることにしました。このとき2021年6月ぐらいのことでした。
2. オタクは本当にどうしようもないしそのどうしようもなさが御曹司をひざまずかせる
独学でぼちぼち囲碁の勉強を始め、私は囲碁の配信番組もよく観るようになります。
それまで知らなかったんですけど、いまどきの囲碁はyouTubeで生中継配信をしてくれてるのがありがたい。
ちょうどその頃『女流本因坊戦』というタイトル戦があり、藤沢さんはストレート3勝という見事な勝ちっぷりでタイトル防衛をします。私はその強さにすっかり惚れ惚れしていました。
そして女流本因坊戦後に放送された、『ポン抜き情報局』の藤沢里菜さんゲスト回をリアタイします。
番組内では「藤沢里菜女流本因坊と星合志保三段の連名色紙が当たる!」という企画があり、私は「藤沢さんの色紙欲しいわ~^^」と軽い気持ちで応募したところ、
当たります。
届いた時はすごいテンションが上がりました。
篆書体で『女流本因坊』と書いてあるカッコいい印も押してあるし、いや~これはちゃんと飾らないと! ウキウキして額縁を買って飾ります。
いや~~~~最高じゃん~~~。これ見て毎日囲碁の勉強のやる気を出すぞ~~~~。
👀「……………………………」
👀「………………………………………」
👀「………………他の先生の色紙もほしいな……」←収集オタクの悪い癖が発動した瞬間
収集癖に見切りをつけて囲碁を始めたくせに、また収集したくなるというまさかのトラップ。この強欲。オタクは本当にどうしようもない(自戒)
いやでも欲しくなるじゃん(ならないよ)
女流タイトルホルダーに貰ったし、次に貰うなら男性のタイトルホルダーから貰いたいよな~~。
👀「そうなると、現タイトルホルダー(2021年11月当時)の井山さんか虎丸さんか一力さんか許さんか……」
このときオタク、図々しくも「もらえるなら虎丸さんか一力さんのサインが欲しいなあ」とまで思っていました。
虎丸さんはとにかく名前の圧がすごくて最初見たときは「どんな怖い人なんだろう……👀」と思っていたんですが、私も愛読している『ヒカルの碁』の影響を受けてプロ棋士になり、史上最年少での名人位を獲ったという功績がオタクの中でポイント高く、好感度が上がりました(単純)
さらに言えば本因坊戦での対局中、微動だにせず静かに打つ姿が非常に印象的でずっと応援していました。だからサインが欲しい(強欲)
そして一力さんについては文藝春秋2021年7月号に掲載された特集記事を読んで知っておりまして、
これがまあ、
序章だけこちらのリンクから読めます。課金すると全部読める
自分の人生を反省させられる内容でした。
そのときの衝撃と感想を書き出してはいたんですけど、それだけで3千文字以上になってしまったのでさすがにこのブログでは削ってしまった。いずれの機会に再掲します。
記事には一力遼さんがこれまで超一線級のプロ棋士として数々の成果を残しつつ、おうちを継ぐための試練も同時並行でこなしたエピソードなどが載っていて、これが全部本当なら「一力さんって人は真面目な青年なんだろうな」と誰もが一力さんに好印象を抱く内容だったのです。
そう、おうちを継ぐ……。
先述リンクから読める序章にも書いてあるんですけど、一力さんは地方大手新聞社・河北新報(かほくしんぽう)の創設家の一人息子で、要するに御曹司です。
河北新報についてもうすこしくわしく:
- そもそも地方は地方紙普及率(シェア率)が高い。
私も地方紙に詳しくなかったんですけど朝日毎日読売の三大全国紙は、地方ではシェア率が低いことをこのとき知りました - 宮城県民のほぼ半分が読んでいる地方紙が、河北新報。
- 河北新報は3.11で唯一被災した新聞社。当時の報道写真は他メディアでも多数引用された。
- 河北新報はテレビ局(東北放送)も一族経営で持っているので、宮城県で力がある。
ちなみに一力遼さんのお父さん・おじさん・おじいさん・曾祖父・高祖父は個別でwikiが作られているほどのとんでもないご一家です。由緒がありすぎる。
【参考】
おとうさん:一力雅彦 - Wikipedia
おじさん :一力敦彦 - Wikipedia
おじいさん:一力一夫 - Wikipedia
曽祖父 :一力次郎 - Wikipedia
高祖父 :一力健治郎 - Wikipedia
👀「河北新報について詳しく知らなかったけど、宮城の情報インフラは一力家が握っているといっても過言じゃないっぽい。六本木ヒルズのIT社長とか目じゃなさそう」
👀「そんなところの御曹司だから悠々自適に生きる人生もあっただろうに、コネが全く使えない勝負師の世界に入って、人並み以上の成果を出し続けるのほんとえらい……」
だからまあ、その強さにあやかるべく色紙が欲しいなあと思ってました(結局そこにいきつくのね)
さてこのとき2021年11月中旬。
同年11月23日には、日本棋院にて『プロ棋士ペア碁選手権2021』が開催される予定でした。そのイベントにはトップクラスの棋士たちが集まるとのことです。
ペア碁:男女1組でペアを組み、交互に碁を打つ競技。競技中はペアと相談禁止。
さらに過去の大会の様子を書いている個人ブログを調べると、「プロ棋士からサインをもらえました!」とあります。
👀「これに行けばサインがもらえるらしい、行くか〜」
オタクは観覧申し込みを済ませ、ニコニコして当日向かいます。
ただし、大きな問題がありました。
当時はコロナの影響が懸念されていたため、観客が入れる会場とプロ棋士の対局場は分かれていました。
👀「あれ……。これはもしかして気軽にサインがもらえないのでは?」
オタクは焦ります。実際その予感は当たります。
観客たちは大盤解説会が行われる会場で開会式を待ちました。
開会式には出場されるプロ棋士の先生方も集まりますが………、対局のためすぐに別室に移動されました(!)
開会式でのペア棋士たち紹介の様子
先生方は大盤解説会の解説のためにときおり戻ってこられるも、感染拡大防止のためすぐに去られます。強欲なオタクも「移動中に話しかけるのはダメだな」とさすがに遠慮が働きます。
個人的には山下敬吾先生の喋りが「喋り慣れてる」という感じでおもしろかったです
大盤解説会自体は内容がまだ難しかったんですけど、「こういう場があるのはすごいなー」とゆるい気持ちで終始見てました。
👀 .o0(しかしどうあがいても先生方に話しかけるチャンスは見出せない、サイン色紙をもらうのは結構絶望的かもしれない)
けれどたった一つだけチャンスが残っていました。
それは、決勝に進出するペアは閉会式インタビューのために会場に戻ってくるとのこと。
👀 .o0(決勝進出組にタイトルホルダーの先生が残っていれば、当初の目的が果たせるかもしれん……)
もはや色紙欲しさだけに、タイトルホルダーがいるペアを応援するオタク。
そして願いは叶います。長い死闘後、井山裕太さん&牛栄子さん、一力遼さん&知念かおりさんの二組ペアが決勝進出を果たしました。めでたい!
手前の人、Eテレで囲碁フォーカスの講師役をやってる鈴木伸二先生(のはず)
閉会式も終わり、会場内で仲良くなったおじさんに「たぶんあのインタビューのあとにサインもらえるよ、行ってきたらどうでしょう」と後押しされました。
このとき18時前。会場の雰囲気は「中学校の卒業式が終わった後かな?」ってぐらいゆるい。どれぐらいかというとヒカ碁の監修をしてた吉原由香里先生が普通にファンと喋ってるぐらいゆるかった。こんなゆるい空気でいいのだろうか。オタクはオタクイベントで慣らされてきたので出演者側にこんなにフランクに話しかけていい空間があるなんてびっくりだよ……。
そして、当時『天元』のタイトルホルダーである一力遼さんが会場内を去るかどうしようかとさまよっているのが見えます。井山さんは用事があったのかすぐにいなくなってました
👀 .o0(会場内にあるパイプ椅子もどんどん片付けられているし、井山さんもいなくなった。タイトルホルダーの色紙がほしいならもう今しかない……。それに一力さんが残っているのは超ラッキーなのでは!?)
オタクは勇気を出して向かってみることにしてみました。
そのときの出来事は、今でも忘れられません。
👀✨「あのー、ファンです。色紙書いてもらえますか?」
一力さん「あっ、はい。いいですよ(色紙とペンを受け取ってもらう)」
やったぜ! 今日の個人的目的は達成できそうである。いやーよかったよかった。
👀 .o0(一力さんは思ったより背が高いのね)
オタクは一応164cmあるんだけど一力さんは180cmありそうだな~。youTube配信だと基本ずっと座っていらっしゃるし気づかなかったな。御曹司で高身長とか持ってるなあ。
👀 .o0(……ん? その一力さんの頭が……下がっていく……?)
皆さん、色紙ってどのように書いてもらうものだと思いますか。
私は、『片手で色紙を抱えて、片手でペンを持って書く』ものだと思っています。それでいいと思います。まさしくこんな感じ。
引用元:asahi.com:参加者に気軽にサインをする高尾名人=9月18日 - 写真特集 - 囲碁
でも一力さんは私から受け取った色紙を、そのまま近くにあったパイプ椅子の座位部分に乗せました。
👀「 ……?(この人、何を始めるんだ……?)」
そして一力さんはその椅子に向かって、両膝を地面につけました。
👀 .o0(お、おう……。一力さんのつむじが見えてるな……180cmありそうな人のつむじだ、わーい、滅多にみられないぞ(?????))
👀 .o0(いや、違う……。この……今の状況は……………)
そう。
このときオタクの脳内では、激しい動揺と困惑が始まりました。
こ、国内2位の囲碁棋士かつ、お、御曹司が……(椅子を挟んで)私にひざまずく形でサインしてくれてる!?!?!?
(※別に私にひざまずいているわけではない)
りょ、両膝が思いきり床面についてますけど、そのスーツたぶん吊るしのスーツじゃないですよね!?!? 絶対高いところのですよね!?!?!?!?
わたし河北新報の人にこの場面見られたら刺されない!?!?!
「うちの跡取りになんてことをさせよる、この庶民が!」って、わたし刺されるよ!?!?!?👀💦(刺されないよ)
時間にして数秒ながらも、大混乱の極みです。
というか……こんないち庶民にためらいもなく、ひざまずく形で色紙を書いてくれるだなんて……(※何度でも書くが別に私にひざまずいているわけではない)
この人、人間性がめちゃくちゃ素晴らしくないか……?
だってファンに渡す色紙の文字が、綺麗になるようにするためだけでしょ……?
あと仮に私が24歳のときに異性から「色紙ください!」と言われたら絶対舞い上がる。つうか激闘の3戦を終わらせた後って絶対疲れてるじゃん。ちょっとは嫌な顔しちゃうかもなのに、普通に受け取ってくれたぞ。台がないと書きにくいとしても自分なら膝を屈み込む形で書く。スーツ汚れるとかそういうためらいを一切発生させないで自然に膝を床につけてるのすごすぎんか? これが人気商売の芸能人ならまだわかるけど、囲碁棋士ってそういうのじゃないじゃん。っていうか芸能人ですらそこまでしないと思うよ。振る舞いがまさしく御曹司じゃん。ノブレスオブリージュじゃん(違う)御曹司がひざまずいてるのに庶民の私が立ちっぱなのおかしくない? 私こそが両膝ついて土下座した方がいいんじゃないかな(大混乱)
親御さんの教育がいいんだろうな……。本当のお金持ちってのはゆとりを飛び越えた何かがあるよ。人生何周目なんだろう。敵わない……敵わないよ……。
「いやほんとまじで色紙一枚にそこまでしてくださらないでください(日本語崩壊)」と懇願さえしたくなります。昨日今日で身についたものではない所作とそれを裏付ける優雅さと気品さに圧倒されてしまう。
オタクの頭の中は、一力さんには絶対に聴かせられないような怒涛の思考の波が押し寄せてきます。
そして一力さんが書き終えたのを見届けると、『やばいやばいやばいやばい、やばいぞ……これはやばいぞ……』と脳内はいよいよ異常に焦ります。
👀 .o0(ど、ど、どうしよう。なにか、お礼を言わねば。あとなにか最近のご活躍で、すばらしかったことを言わねば……!!!!)
一力さん「(立ち上がりながら)はい、どうぞ」
👀💦「あの!!! 山登り番組観ました!!! 山登っててえらいと思いました!!!!!」
……………………………………。
👀「間違えたよ」
家族「間違えてるね。もっと言うことあるでしょ(・ω・`)」
なぜだろう。なぜ。
よりによって一力さんがひたすら山登ってたときの番組を、オタクは一番最初に思い出したんだろうか。
囲碁 - 第29期竜星 一力 遼の素顔|囲碁・将棋チャンネルホームページ
囲碁界tips:『竜星』というタイトルを獲ると、記念にその人個人の特集番組を作ってもらえます。
一力さんはそれまでも『竜星』を連覇していてネタが尽きていたからか、このときだけ特例で山を登らされていました。
「自分だったら『どうしてタイトルを獲ったのに山登りさせられてるんだろう』と文句言いそうだけど、一力さんはニコニコ登ってるのえらいな」と思いながらぼーっと観てた記憶があります。
帰宅して家族に「なんか間違えた気がするので反省会させてください……」と凹みながら打ちあけました。
家族「囲碁界ナンバーツーかつ、河北新報の御曹司をその人間性の良さゆえにひざまずかせちゃったか(・ω・`) でも色紙もらえてよかったね」
👀「そうね……。あんなに囲碁を頑張っていらして結果も出して、人間性もパーフェクトな青年がいるとは思わなかった。完全に一力先生のファンになったよ」
あとペア碁大会の日、スタッフさんもこういったツイートをされていました。
今日はプロ棋士ペア碁選手権の棋譜付けのバイトに行ってました。
— K.YーY.K (@KYYK54084524) 2021年11月23日
自分は一力先生の碁の記録だったのですが、対局前に真っ先に会場に入り、選手用に2種類の飲み物が置いてあるコーナーから1本ずつ取ってきてペアの先生の方に置き、好きな方を選んでもらう、という気配りに感動しました。 pic.twitter.com/JeRL7DJpGY
人生何周目なんだろう……。
御曹司って聞くだけでなんとなく調子に乗ってる嫌な人間なんじゃないかとかちょっと思っていたんですけど、すべての偏見を覆されました。勝てない。囲碁も身長も家柄も人間性も何もかも勝てない。
そんな一力先生に書いていただいた文字は『希望』。
事故によって一力先生をひざまずかせてしまった罪悪感はありつつも、それ以上にわざわざサインを書いてもらえたという嬉しさが勝り、即座に額に入れて飾りました。
👀「ぴったり収まってええやん〜」
家族「せっかく書いてもらったんだし、ちゃんと囲碁やらないとバチあたるよ(・ω・`)」
そしてオタクは碁会所や近所の囲碁サークルに通い始めるようになります。
「せっかく色紙を書いてもらったし、一力先生の棋譜を理解できるぐらいまでにはなりたい。そのためには人に教えてもらわないともう独学では成長できない」と考えたからです。私にしては大進歩の発想です。
そのとき教わったプロから「一力さんの棋譜や解説を理解できるようになりたいなら、まずはアマチュア初段を目指しなさい」という明確な目標を授かり、ますます囲碁に励むようになります。
👀「アマチュア初段、なるほど。ちなみに今の私はどれぐらいの棋力でしょう」
碁会所のプロ「15級ってところですね」
👀「先が長すぎる(※)」
※初心者(20級) <<<< ぺーぺー(15級) <<<< ちょっとだけまともに打てる(10級) <<<<< ようやく囲碁が打てる(アマチュア初段) <<<< かなり打てる(アマチュア6段/院生クラス) <<<< プロ初段 <<<< たくさんのプロ <<< (厚い壁) <<< タイトルホルダー(一力先生レベル)
しかしこのあと、囲碁界に大事件が起きます。
一力先生は唯一持っていたタイトル『天元』を、正直そこまで注目されていなかった若手棋士・関航太郎さんに奪取されました。
対局内容は惨敗も惨敗。まさしく大番狂わせの事態。
そしてまもなく一力さんは日本棋院の序列一覧トップから写真が外され、単なる『一力遼 九段』となってしまうのであります。
👀「い、一力先生の写真が外れてしまった……」
当時の段位順ページ
レーティングでは国内ナンバーツーの実力なのに、無冠状態。
これはたとえるなら全盛期のイチローや大谷翔平さんが二軍落ちするレベルの大事件では。
ともかく、どうして。なぜ。
一力先生が負けた。
そんな動揺と衝撃が自分の中に広がります。
失冠時の一力先生の表情は観ていてこちらもつらかった
👀「一途に努力してきた一力先生ですら負けるのに、オタクが囲碁でアマチュア初段を取るのはもっと努力が必要なのでは…………?
努力が必要ということは集中しないといけないし、集中するには部屋が片付いていないといけないよな……。ど、どうしよう……とりあえず邪念の元であるオタクグッズとかいらないものを捨てるか(動揺しながら手当たり次第にゴミ袋に突っ込む)」
ここでオタク、なぜか今までずっと集めてきた品のいくつかを捨て始めます。私のことを知っている人が聞けばこれまた大事件です。
家族「因果関係はよくわからないけど部屋が片付いていいね(・ω・`)」
👀 💦「よくないよ!? 一力先生がタイトル失ったんだよ!?!?!?!? 囲碁界にとって一大事だよ!!!!!!!!」
それまで一力先生を持ち上げていた囲碁界は、無慈悲な扱いが増えたように見えました。
囲碁棋士の方々は一力先生を腫れ物に触るかのごとく扱う人が増え、youTubeのチャット欄・Twitter・5chのファンのコメントでは「やはりボンボンではダメか」「大学になんて行かせるべきじゃなかった」「メンタルが弱すぎる」といった、一力先生本人の責でない事情や今までの努力を否定するコメントが一気に増えました。
オタクはそれらを「一力先生がタイトルを持ってた頃にはあれだけ持ち上げてたのにな……」と、非常に悔しく悲しい気持ちで眺めていました。
3. オタクがすぐにキレ散らかすのは期待が大きいから
年が明けて2022年1月。
無冠状態になった一力さんでしたが、あるタイトルへの挑戦権を持っていました。
同名タイトルは将棋界にもありますが、『棋聖』は将棋界で言うところの『竜王』です。
棋聖を獲れば、序列は一気に一位に返り咲くというビッグタイトル。
しかし相手は囲碁界最強・井山裕太さんです。国内レーティング一位がこの人。
去年一力さんは、保持していた七大タイトルの一つ『碁聖』を、井山さんに奪われています。
更に付け加えると、去年の一力さんは井山さんが保持する『名人』挑戦をするも、3勝4敗で終わった宿命の相手。
「ここでなんとしてもタイトルを獲ってほしいが、相手が井山さんで記録が懸かっているならだいぶ厳しいのでは……」
このように思っていた一力ファンもいるんじゃないでしょうか。
一力さんも別に弱くはないんですけど、井山さんはハンターハンターで例えるとメルエムみたいな。
なにせ年末には虎丸さんが持っていた『王座』のタイトルも奪取して、囲碁界の七大タイトルのうち五つ持っているという圧倒的王者ぶり。
王座を井山さんに奪取され、虎丸さんの写真も消えてしまっていた頃の棋院のページ
個人的に井山さんに対しては「他にもタイトルを持ってるから、一個ぐらいあげてもいいだろ」と思わなくもないんですが、井山さんは『棋聖』において前人未到の9連覇中。ここで勝てば現役名誉棋聖称号を名乗れる10連覇となる大勝負で、気を緩ませることは決してないでしょう。
そんなかなり絶望的な状況ですが、一力さんが他のタイトルの挑戦権を得られるかどうかもわからない今、タイトル保持者として返り咲くのに望みをつなぐのはまさに『棋聖』戦です。
私も最初、「一力先生には棋聖を獲ってほしい……。オタクも動揺のあまりにグッズ捨てちゃったし……」と、文字に起こすと意味不明な気持ちで見守っていました。
しかしある記事を読み、オタクのその気持ちは一気に憤怒に変わります。
「失うものは何もない」~一力遼九段が井山裕太棋聖に挑む、棋聖戦開幕直前インタビュー【コラム:品田渓】 https://t.co/WTQSPrZ25J pic.twitter.com/qVnQr1YBrj
— 日本棋院 (@Nihonkiin_pr) 2022年1月7日
本文からの引用:
―― 井山棋聖との七番勝負に向けて抱負をお願いします。
タイトルもありませんし、失うものは何もありません。ただ向かっていくだけです。最高の舞台で戦える喜びを噛み締めながら、自分の碁をお見せできるように頑張ります。
👀「……」
タイトルもありませんし、失うものは何もありません。
👀「………………は?💢」
いや前段から通して読むと普通の文にも読めるんですけど、それでもだいぶ違和感を受けました。
失うものがないとは、いったいどういうことでしょうか。
確かにタイトルはない。しかしそれは状態であって意気込みではない。
『自分の碁をお見せできるように頑張ります』も、勝ちたいという態度とはちょっと違うように見える。
タイトルがないからこそ、『全力を尽くす』だとか『打倒井山さんです』『必ず棋聖を獲って多くの方を安心させたいです』といった、抱負ではそういう強い感情が見たいのだ。なんだこれは。
それになんというか、失うものは本当にないのだろうか。タイトルだけが一力先生の価値だろうか。
一緒に山登りしてくれた星合先生や大西先生もいるじゃん?
兄弟子の平田先生や、師匠の宋先生・洪先生からの期待もあるわけじゃん?
あと河北新報で待っててくれている人たちもいるわけじゃん?
私よりも以前に応援してくれたファンもいるのではなかろうか。そういう人たちの気持ちはどこにいくんだろうか。
それらをどう思っていらっしゃるんだろうか。
ペア碁大会の時にわざわざ膝を折って色紙を書いてくれたほどの気遣いレベルMAXの一力先生がそういうことを言うとは……。周りの人たちのことをあまりに蔑ろにしているように思えてしまって、その発言にはすごく落胆して憤慨してしまったのでありました。
👀💢「オタクのグッズもなくなってるんだぞ!! 失うものは、たくさんあるよ一力!?」
家族「あなたがオタクグッズ捨てたのは一力さんに関係ないでしょ(・ω・`)」
オタクはそれでも家族にクダを巻くのをやめられません。
👀「だってさあ、ショックなんだよ。そんなこと言ってたら気持ちの面で勝てないと思う。『わたし井山さんを倒します。必ず倒します』ぐらいの気持ちが見たかった」
家族「むちゃくちゃを言うなあ(・ω・`)
だいたい抱負を語る場面で、強気で語って負けたら恥ずかしいじゃん?」
👀「それはそうだけどさあ。せめてこう頑張りますとかさあ、あるじゃない。そんな弱気だったら、お父さんの元で社長になるための修行を早くした方がいいでしょ。タイトルは早々に諦めて、ハッピー二足わらじライフを無難に過ごしつつ引退した方がいいよ」
家族「なに言ってるの。一力さんってまだ24歳なんでしょ?(・ω・`)
新聞人で24は若造すぎて、どこに出しても舐められるからまだ社長候補にもなれないと思うよ)」
👀「え、若いうちから跡取り確定でちやほやされるもんじゃないの?」
家族「されない。絶対にされない。一力家のwikiにあったでしょ? みんな大学を出たら、大手広告代理店に修行に行かされるんだよ。若いうちにコネクションを作って、新聞人としてのやり方を学ぶんだよ。新卒で揉まれるチャンスを逸した以上、一力さんはまだ囲碁界で踏ん張らないといけないと思うよ」
👀「………………御曹司って大変だな(いまさら)」
そして家族に諌められて、少し考え直しました。一力先生にも一力先生なりの事情があって言葉を選んで発言してるんだろうな……とか。
そもそもなぜ私がこんなにキレてるんだろうと(いまさら・2度目)
私と一力先生は知り合いでもなんでもないですし、むしろ言ってしまえば軽い事故とはいえひざまずかせて色紙を書かせた最悪のファンなわけで、冷静に考えれば一力先生がそういった発言をしていたとしても「ふーんそういうこと言う人なんだ」で終わらせていいはずです。
外していなかった色紙をしばし見つめて思案。
👀「……………………………………………………………。」
👀「…………自分は、この色紙を外したくないんだよなあ」
「タイトルホルダーの先生にあやかりたい!」という気持ちのままなら、無冠になった一力さんの色紙は外すのが正しいかもしれません。
それこそ一力先生の不甲斐なさに嘆くなら、この色紙は価値がなくなったと考えて捨てるのも一つの手です。
けれどこの色紙は一力先生がわざわざ膝をついてまで書いてくださった、私にとっては大事な色紙でした。
捨てたくはない。しかしこのまま飾っていても「この色紙? 一力遼さんという囲碁棋士が『天元』というタイトルを持ってた頃に書いてもらった」という、過去形の説明をしないといけなくなる。それは大変つらい。タイトルをもう一度獲ってほしい。
いずれ引退はされるだろうが、そのときはなんとしても強いままで河北新報に迎えられてほしい。
👀「ならば私のやることは、キレ散らかすことではなくて、一力先生が再びタイトルを獲れるように応援することでは?」
オタクもたまにはまともなことに気づきます。
👀「それで一力先生が棋聖を獲ったら、またサイン色紙書いてもらえばwin-winじゃない?」
強欲も止まらない。
4. 方向性はともかくやれることはやっておくスタンス
何をすれば応援になるんだろうか。
オタクは考えます。
無冠になった一力先生に対する世間の声は、先述の通り非常にシビアでした。おそらくご本人もいくつかは観測してしまっているんじゃなかろうか。
そこで『一力先生を応援しているファンはまだいますよ』という声を届けることが、ファンの自分ができることじゃないかと考えます。
👀 .o0(すると、ファンレターと差し入れかな)
ちょうどその頃、棋聖戦第1局を記念した前夜祭イベントが行われることを知りました。
第46期棋聖戦第1局トークイベント&大盤解説会のお知らせ | 囲碁大会・イベント | 囲碁の日本棋院
そこにオタクが参加してファンレターと差し入れを渡せば、少しは一力先生の活力になるんじゃないかと目論みます。
ただ自分はメッセージを送るという行為が苦手で、しかも囲碁もまだよくわかっていない人間です。そんな奴から「棋聖が獲れるように応援しています!」と書かれても、「気楽に書いてくれちゃって」と悪感情を持たれる可能性も無きにしも非ず。
私は普段から雑な言葉遣いをしがちの人間なので、相当のプレッシャーがかかりました。
👀「御曹司かつ、囲碁棋士の一力遼さんにファンレターを書いてます。その人は将棋界でいうところの藤井聡太さんばりの天才なんですが、持っていたタイトルを全部失い、近々全盛期の羽生善治さんやひふみんクラスの相手にタイトルを賭けて挑戦する立場です。
ファンレター原稿を読みあげるので、キモかったら遠慮なく止めてください。棋聖を獲ってもらうために応援するのに、『えっキモオタからの手紙キモい』と思考のリソースを無駄に奪ってしまって、一力さんが棋聖が獲れなくなるぐらいなら応援しないほうがいいので、ほんとキモかったら止めてください」
微妙に普及活動を行いつつ、ファンレター内容について相談に乗ってもらいます。特に初稿は内容がめちゃくちゃすぎて、色々な方々に校正してもらいました。
Take1
👀「『山登りでは後輩棋士に親切に接し、プロ棋士ペア碁選手権では丁寧な姿勢で色紙を書いてくださるなど、人間性が素晴らしい人がいるのだと感動しました』」
家族「いいんだけどさ。相手は囲碁棋士なんだから、人間性で褒められるより囲碁の内容で褒められたいんじゃないの?(・ω・`)」
👀「正論すぎる」
Take2
👀「『文藝春秋の記事を読み、囲碁界には幼い頃から才能もある人が、さらなる努力を重ねていると知りました。そのおかげで私自身は身の程を知り、驕ることなく勉強ができています。』」
哲学クラスタ「いやいやいやいや、それ書いたら『てめーのせいでこちらは囲碁の道を頓挫したんだからアタシの分までしっかりやれよ』って暗にプレッシャーかけてますよ、絶対ダメですよ!?」
👀「気づかなかった」
Take3
👀「えーっと『差し入れですが、いらなかったら捨ててもらって大丈夫です』」
おねーさん「いや、なんでそれ書いたの!?!?!? 捨てられるかも知れないもの贈るなよ!!!!」
👀「えっ だって庶民の食べ物が口に合わなかった場合は申し訳ないし、『捨てていい』って書いてあったら捨てやすいかなって」
おねーさん「いやいやいやいや、もうちょっと御曹司を信じてやれよ!? いらなかったら言われなくても捨ててるだろうし! そこは私が言う通りに書いて! あんたそれ絶対書いちゃダメだからね!?!?!」
👀「何から何までありがたい(無能)」
こうして実に多くの人の目にかけられ(結局Take8ぐらいまでいった)、内容が着々と固まります。
その節は多くの人たちに大変お世話になりました。
5. そして始まる棋聖戦
棋聖戦第1局前夜祭・椿山荘にて
👀「こちら一力先生に差し入れなんですけど渡しておいてもらえますか」
受付「あっ、はい……?」
囲碁界は差し入れ文化に馴染みがなさそうでしたが、なんやかんやで預けることに成功。
当時の様子。
わたしの後頭部がEテレデビューしてた!!!!!!🥳🥳🥳🥳🥳🥳🥳
— みたぬ (@xsrknrx) 2022年2月6日
🤔🤔🤔🤔🤔🤔#囲碁フォーカス pic.twitter.com/jQX0zLBHaD
わたしの後頭部より、棋聖戦第一局の前夜祭イベントが行われたホテル椿山荘の写真を見てください……これが「ここは庭園が綺麗なところですのでお若い二人はお散歩でもしてきたらですか」の場所かあ……と思いました pic.twitter.com/NXT3x5bGjj
— みたぬ (@xsrknrx) 2022年2月6日
たいへん綺麗な宿で感動しました。今度後輩とヌン活しに行きます。
イベント中に出演者撮り放題なのがすごいと思う
井山先生と一力先生は翌日の棋聖戦に備えてすぐにご退出されましたが、トークイベント終了時には他の先生方とたくさん話せました 囲碁界のこのプロの先生と気安く話せる敷居の低さはなんかうれしい
星合先生と写真撮ってもらってるオタクの図 この方も背が高くてびっくりした
そして棋聖戦が始まりました。
このブログの想定読者は囲碁の知識がない人だと思いますし、あえて解説はしないんですが各局はyouTubeにアーカイブが残っています。
一局ごとに14時間ぐらいかかってますけど、作業用BGMとしてたのしめるのでお時間あればぜひ あとぜひイイネ押してあげて欲しい
ちなみに棋聖戦は二日制なので1局につき1日目・2日目と動画が残ってます
オタクはこのとき「ただじっと観てるのもなんだし、何か応援したいわね」と思い、一力先生が好きというラーメン屋に通い、神社に参拝するというムーブを行います。
すべては「遠隔地で頑張っている一力先生の代わりにラーメンを食べて願掛けしておこう」という気持ちですが、届いているかどうかは謎すぎる。
おいしかった
辛味噌ベースですがそこまで辛くなく750円という安価でお腹いっぱいになるので全方位に薦めたい
ちなみにこの店は超人気店でいつ来ても長蛇の列です。しかもカウンターが6席しかないので時間にゆとりがないとおすすめはできないかも。けれど何度か家族(夫)も付き合わせたとき、店主がいつも隣同士になるように気遣ってくれて嬉しかったです。
あと棋聖戦中にはペア碁大会の決勝戦や農心杯という世界戦もありました。
その間もせっせと差し入れとファンレター送ったりラーメンを食べるなどします。
囲碁のプロ棋士の先生にファンレター書いてるんだけど、便箋めっちゃ綺麗なの選んだ。見てるだけでテンション上がるなあ〜 pic.twitter.com/gKkek3G1Bm
— みたぬ (@xsrknrx) 2022年2月7日
一力遼先生と知念かおり先生のペアがペア碁選手権2021に優勝してめでたい〜の気持ちになりました🙌 準優勝の井山五冠と牛栄子先生もお疲れさまでした! pic.twitter.com/IX4WFh2d75
— みたぬ (@xsrknrx) 2022年2月13日
さて棋聖戦(・名人戦・本因坊戦)は、先に4勝を挙げた方がタイトルを得ます。
一力先生は第4局の時点で3勝しました。
「棋聖奪取まであと一勝だしもうここまできたら逃げ切れるだろう……!!」と思いきや、第5局は一力先生が中盤まで優勢だったのにも関わらず、落とします。
そして棋聖戦は第6局にもつれこみ、3月10日~3月11日に開催されることとなりました。
👀「去年行われた名人戦の一力先生vs井山先生。一力さんは先に3勝しました。けれど井山先生に追いつかれて4勝を取られてしまい、名人を奪取できませんでした」
家族「はあ(・ω・`)」
👀「一方の井山先生は、昨年の本因坊・碁聖・王座というタイトル戦でもカド番に追い込まれてから怒涛の勢いで追いつき、防衛あるいはタイトル奪取を果たしています。その勢いから『カド番の鬼』とも呼ばれています。だからこそ、ここで絶対3勝3敗のタイに戻してはいけません。
そして一力さんは宮城出身。ここで勝てば3.11から11年という節目の日に故郷に明るいニュースを持ち帰れるという、東北民としては絶対に外せない局です」
家族「それは確かに勝ってほしいね」
👀「というか、ここで負けちゃったら、もう、だ、だめかも知れない……」
オタクは懸念していたことがありました。
一力先生といえば、ファンどころかプロ棋士の間でもネタにされるほど、対局において勝ってる時も負けてる時も表情や態度に出やすい棋士です。
実直型と言えば聞こえはいいんですけど、裏を返せばメンタルコントロールが弱いということです。
井山先生にも一力先生の実力は「完成度が高い棋士」と完全に認めてもらっているんですが、劣勢になると天井を仰いだり前髪を弄りだしたり相手にいい手を打たれると一気に顔が赤くなったりと、とにかく動じやすいのが一力先生唯一の弱点。
10秒だけちょっと見て欲しい 兄弟子の平田先生(奥さんが声優の照井春佳さん)が、一力先生のモノマネをしてるんですけど一力先生はほんとにこういうことやる
天元戦でもメンタルコントロールができずにそのまま失冠したように見えたので、『第6局で獲れなきゃ棋聖を獲るのは永遠に無理だろう』とオタクはこのとき強く思いました。
👀「ま、ま、ま、ま負けたらどうしよう、、、負けたら、、、いや、負けるなんて信じられない、今回はラーメン二回行くわ!! 神社参拝も頑張る!!!!」
家族「まずあなたが落ち着きなよ(・ω・`)」
そしてオタクは宣言通り、タイトなスケジュールの中でラーメンを二日連続で食べに行く大暴挙を起こします。
👀「これで勝ってくれ、、、、頼む…………」
しかし。
第6局、一力先生は負けました。
中盤から井山先生が圧倒的な展開を仕掛けて、完全大差の負けとなります。
👀「一力先生が、負けたか……」
これまでだったら「井山先生空気読めよ!!」などと吠えていたかも知れません。けれどこのとき、自分は逆に静かになっていました。
”あれだけ応援したのに。”
まず、そういう気持ちが先に湧きました。
それからちょっと考え直しました。
私はまだアマチュア初段レベルの実力も持っていません。あと別に一力先生の師匠でも親でも長期の支援者でもありません。
そんなやつが「応援しているんだから一力先生勝ってくれよ!」と言っているわけですけど、それについて「自分はどこの目線から発言しているんだ。何様なんだろう……?」と思いました。
もちろん競技者に厳しい檄を飛ばすファンは他の世界でもいます。けれどそういうことを言う人って、チケットを買ったりグッズを買ったりだとかなにかしら公式に支援をしてたりとか、ある程度その競技に詳しいから文句を言っていると思うんですよ。
そのどちらにもあてはまらない状態で、一方的に「ラーメン行ってるんだし神社も参拝してるし差し入れもしてるし勝ってくれ頼む」と騒いでいるのは、ちょっと筋が違うんじゃないかと思いました。全部私が勝手にやってることですし。それに自分の性格がどんどん上から目線になってしまっていることにも危惧したのかもしれません。
👀 .o0(仮に一力先生が負けたら、私はとんでもない暴言を吐いちゃうんじゃなかろうか。それは囲碁をまだ全然わかっていないのに、おかしい。 そして仮に勝ったとしても自分の性格上、次は『本因坊』、次は『名人』と強く期待しすぎるだろう)
あと「他人ばかり応援/批判していて、自分は何をしてるんだ?(何もしていない)」ということにも気づいていました。それこそ先述のメンタルコントロールのくだりだって、一力先生を心配している自分がいるのも本当だが、一力先生の勝敗で動じてる自分がいるのは変じゃないかと。
よくないな、まったくよくない。美しいファンじゃない。
👀「決めました」
家族「何を?(・ω・`)」
👀「一力先生が勝っても負けても、私は棋聖戦で一力先生の応援を卒業します。そうしないといけません」
『自分自身の振る舞いを振り返って急激に冷めてしまった』と言ってもいいんですけど、このときの自分は『腹を決めた』という感覚にも近かったように思います。
あと実況中のAI評価値を見て「あああああああ一力先生が負けるううううう」ってTwitterで叫んでるのも迷惑だなと思ったのも大きいかも。当時見てたフォロワーさんたちにはTL汚し申し訳ない
そして棋聖戦第7局の前日である3月16日。
覚えている人も多いと思いますが、この日は福島県沖を中心とした震度6の地震が二回発生しました。宮城も震度6の地震が発生しました。
👀「3.11を彷彿するような大きな地震だ……。一力先生のメンタルは大丈夫か……?」
対局中は不正防止のため、すべての電子機器は事前に預けることになっています。
そのため一力先生は宮城に地震があったことを知っても、ご家族が無事かどうか安否を確かめることはできないのです。
👀「これは一力先生にとっては大変不利では……? メンタルが弱い一力先生だし、いよいよ無理かもなあ」
けどオタク、このあたりで「いや良くないな、また動じてる」と思い直します。
👀 .o0(もうここまできたら信じるしかない。それに自分は第7局で推し活を卒業するし、勝っても負けてもここで終わりなんだ)
そこからわりといつも通りに過ごしていた気がします。
第7局の1日目である3月17日に、吉祥寺にある武蔵八幡に参拝しました。「境内の河津桜がもう咲いてるのか、もうそんな時期かー」と思った記憶があります。
1日目の封じ手は、黒番の一力先生になりました。
この時点のAI評価値は一力先生:井山先生で33.0:67.0でした。つまりこの時点で、評価値上では一力先生が不利でした。
画像は上のyouTubeリンクより
棋聖戦第7局・2日目の3月18日。
東京は朝から冷たい雨が降っていましたが、この日もラーメンを食べに大塚屋に行きました。雨のせいか、普段よりも人が並んでいなかった記憶があります。
かえりしなに日本棋院に寄り、1階の対局モニタを眺めました。
👀「評価値は依然として井山先生有利か」
このときは一力先生には勝ってほしいけど、やっぱり井山先生かなとか、いや一力先生には棋聖奪取してほしいとか、それでもどちらの結果に終わっても静かでいられたらとか、いろいろな気持ちが混ざっていたような気がします。
帰宅して、棋聖戦実況中継を開きます。
評価値は依然として井山先生が有利でした。でもこれも一力先生の実力だ。
騒いでどうにかなるなら騒ぐが、そうではない。
👀「………………あれ? 評価値が一力先生に少しずつ傾いてる?」
しかしそれもわずかな差でしかなく、一力先生:井山先生とで42.5 : 57.5、 43.1:56.9と、常に拮抗している状態でした。それが一時間以上続きます。
一力先生の表情を見ても、油断は全然できない盤面であることも伺えます。
それでもいい。一方的にやられている時間が長く続くよりかは、少しでも一力ファンも夢が見たい……。
けれど形勢は一力先生にさらに傾きます。
「もしかして、もしかして有利なのでは?」と思う気持ちと、「いや囲碁は半目さえ勝てれば勝ちだから、一力先生がどこか少しでも下手な手を打てば普通に大逆転がある。そういう対局を何度も見てきた。だから評価値は鵜呑みにできない」と、自分を諌める気持ちが同時に動きます。
でも中盤明け~終盤ぐらいになると自分もいよいよ見えてきます。盤面が。
👀「これは……素人の自分にもわかる……」
👀「黒の地が多い」
👀「一力先生が勝つ」
いや油断はできない。
相手は散々煮え湯を飲まされた井山先生である。
youTubeのチャット欄も「いや魔王ならここからでも」「一力はメンタル弱いから」と燃えます。
そしてそのときがようやくやってきました。
一力先生:井山先生の評価値が終盤99.7:0.3、目差は9.5
井山先生が、投了しました。
このとき、youTubeチャット欄は一力先生へのおめでとうコメントとスパチャと、そして井山先生への労いコメントで溢れます。 オタクも少額だけどスパチャ投げといた。
勝者フラッシュインタビューでは、記者が『4年前の棋聖戦ではストレート負けでしたが、今回はどうでしたか』という質問と、『前日には地元の宮城で地震がありましたけどどうでしたか』という二大泣かせに行く質問をぶつけます。
そう。4年前の棋聖戦。
当時大学生だった一力先生はストレート負けし、その場でハンカチを取り出し涙を流しました。それ以外の対局でも、一力先生は多くの場で井山先生には泣かされてきました。
勝ちたい気持ちが常に出ていて、表情や態度にすぐに出るあの一力先生が涙をこらえている。
👀「涙を流す一力先生がいない……」
オタクは2022年3月18日、一力先生が棋聖を獲るその瞬間をまさしく見られたのでありました。
家族「一力さんが勝ってよかったね!(・ω・ )」
👀「推し活が、終わりました」
家族「そうだね、でも明後日(3月20日)のペア碁ワールドカップで一力さんを見られるかもしれないんでしょ? そのときまた棋聖としてのサインがもらえたらいいね。『棋聖獲ったらまた書いてほしい』って言ってたよね」
👀「そうですね」
オタクはこのとき、一力さんが勝っておめでたいという気持ちと、以前からの宣言通りここで推し活をやめないといけないという気持ちに挟まれて、胸中複雑でした。
6. エピローグ
棋聖戦が終わった翌日・3月19日。
『ペア碁ワールドカップ2020』が渋谷・東急セルリアンタワーにて開催されていました。
私は藤沢里菜先生と井山先生が出場するペア碁見たさに向かいます。
会場内のほとんどの客は井山先生が昨日まで死闘を繰り広げたのを知っているので、対局前インタビューで井山先生が「昨日つらいことがありまして……」と自ら場の笑いを誘っていたのがさすがだと思いました
そして19日のペア碁観戦も終わり、オタクが帰ろうかなーと思ったときです。
👀「あれ、あちらにいるのは一力先生かな? 昨日は京都で棋聖戦をやって、今朝もインタビューに応じていらしてたのに」
ファンに囲まれてサイン攻めされている一力先生
👀「今日対局がある井山先生と一緒に移動してきたのかも。多くのファンからサインお願いされてる。自分も行こう」
👀「あの、サインお願いしてもいいですか?」
一力先生(お疲れモード)「はい、いいですよ」
シャッシャッ
👀「…………ありがとうございます! 以前天元の時にもらった色紙の上に飾りますね!」
一力先生「あっはい」
あっけなく終わった。しかも若干塩対応。凹む。明らかにまあお疲れっぽいしな。
小声早口で前に色紙を書いてもらったときの話をしたけど、さすがに覚えてないよなあ。まあ向こうも天元時代に色紙なんてたくさん書いただろうし。
しかしついに終わった。これで『棋聖・一力遼』の色紙が手に入った。夢ではない。
👀 .o0(ああよかった。これで全て終わった。)
棋聖を獲得された一力先生は、しばらくは「ボンボン」だの「メンタル弱すぎ」と揶揄られることもないだろう。それに今まで2回ほど囲碁のイベントに行ったけど、一力先生があんなにファンに囲まれているのを初めて見られたしもう安心だ。
一力先生の棋戦は続くけど、オタクとしてはここでエンディングがいい。推し活卒業だ。
帰りの電車の中でそんなことをたくさん考えました。
👀「棋聖の一力先生の色紙をもらえた」
家族「おお、おめでとう!(・ω・ ) ずっと応援してきた甲斐があったね」
👀「うん。そうだね 」
👀「『飛翔』か……。」
そして次の日もペア碁ワールドカップに行くつもりだったので、最後のファンレターを書きました。
👀 .o(えーと。『一力先生へ。棋聖奪取おめでとうございます! これからも国内外でのご活躍を楽しみにしております。』、うん。これぐらいあっさりさせよう。まあ返信も一度も来たことないし、そもそも読んでくれてるかも怪しいからね)
一力先生が棋聖を獲れてどれぐらい嬉しかったかとか、一力先生の囲碁に向かう姿勢にどれだけ自分も励まされたかとか、どういう応援してたかとか書かれても困るじゃん。神社に行ってラーメン食べに行ってただけだけど。そういうのは自分の胸のうちにそっとしまっておこう。ブログには書いてるけど。
御曹司の一力先生をひざまずかせてしまい、そして棋聖戦で応援をし続けたこの三ヶ月。
いろいろな思い出があります。
椿山荘に行ったこと。寒い中もラーメンを食べに行ったこと。神社に参拝したこと。差し入れのお菓子を買うときに人波に揉みくちゃにされたこと。ファンレターのためにボールペン字を必死に練習したこと。多くの人に「ファンレター頑張ってね」と自分も応援されたこと(?)
方向性は多少ズレていると思うんですが、ここまで人を一生懸命応援したことはないので、たぶん忘れないような気がします。
こんなオタクのことなど気にかけず、今後も優雅に羽ばたいていってほしい。
棋聖を獲った後のインタビュー写真について、どなたかが「近年の一力の笑顔の中で最もいい出来」と評していたけど本当にそう思う。
一力先生、棋聖獲得本当におめでとうございました!
そういったわけで、このまとめも終わりです。
最近後輩に「そういや最近一力さんって言わなくなりましたね」と言われたんですけど、まあこんな感じで推し活してて、推しが棋聖獲ったので推し活卒業してたというご報告でした。
なんかまた近況があれば書きます。
↓
7. 真のエピローグ
一力棋聖からサイン色紙をいただいた3月19日の夜。
実を言うと、オタクはかなりモヤモヤしていました。
👀 .o(なぜだろう……)
他のイベントでは全然見かけなかったファンの人たちが一力先生に寄っているのを見て、私は「ああ、本当に良かった。一力先生にはまたファンが集まる。棋聖も奪取されたことだし、私もこれで無事に一力先生のファンを卒業できる」と心の底から思いました。
でも何か満たされていない。
👀 .o0(一力先生は棋聖奪取したし、自分もサインもらったし、いいじゃん……。)
しかし気づいてしまったのです。
👀 .o0(でもさあ……たぶん『飛翔』ってみんなに書いたんじゃないかな)
オタクは、有象無象のファンとして終わる感じがあるということに。
いや、文句言うなし。全国には多くの一力ファンがいるけど、コロナ禍の影響もあって、みんながみんなこういう囲碁イベントに来て気安くサインをもらえる人ばかりじゃないんだぞ。もらえてるだけありがたいんだぞ。
それに推し活のエンディングとしては最高のハッピーエンドじゃん? 推しが囲碁界一のタイトル『棋聖』を獲った。これすなわち推しが念願の東京ドームに行ったようなもんじゃん?
あとはyouTube配信を見たり、棋院の対局情報を見る程度のオタク活動がいいよ。棋戦のたびにラーメン食べてたら太るよ。てか太ったよ。痩せようぜ。
なにより一力先生も応援されてばかりいるより、私自身の棋力を上げる時間に充ててもらった方が囲碁普及的にはきっと嬉しいよ。
そんなことを理性の自分は考えました。
しかし一方で、どうしても吹き出る気持ちがありました。今思えば、期待してたからガッカリしていたんでしょうね。
『飛翔』の文字を書いてもらった後に「もしかしてファンレターくれてたの、こいつじゃなかろうか」と気づいてくれるイベント発生しないかなと思った。正直にいえば。
けど長年のオタク活動経験から「ここで退け! そんな映画みたいなこと起こるわけないでしょ!!! ここが最高のエンディングだぞ! 美しいファンのままで終わろうぜ!!!」って頭の中で警鐘を鳴らしていました。
ただでさえ調子に乗りやすい性格なんだし、これ以上なにかアクションしたら一力先生にとっても迷惑になるじゃん……。
👀「だからここで推し活は終わり。絶対終わる。自分は庶民で級位者。向こうは御曹司で棋聖。私が名乗り出る資格はない」
……………………………………
👀「あの、一力先生に差し入れをお願いしたいんですけど」
受付「え、あちらに本人が見えますけど。直接渡さなくて良いんですか?」
👀「はい。プレッシャーかけたくないので、お願いします」
受付の人にやや驚かれつつも、これで終わり。
それから他の先生とも話してみたいなあと思って、オタクはあっちこっち歩き回り、多くの先生方にサインをもらいます。
そして藤沢里菜先生にもお会いできました! いやー嬉しい嬉しい大変嬉しい。
藤沢先生は性格がよすぎてオタクは緊張しすぎて何喋ったのかしどろもどろですけど、いっぱいお話できて、色紙サインもいただいた上にツーショットまで快く撮らせてもらいました。
このとき撮ってくれた人がこれ以外にもたくさん撮っててくれて、おかげでカメラロールには藤沢先生と一緒に撮ってもらった写真がたくさんあって嬉しかったです、あのときのおじさんありがとうございました!
そんな最後に藤沢先生に言ってもらえたのが「また明日も来てください! ペア碁ワールドカップ、楽しいので!」という言葉。神では……?
他のイベントでは出演者側からこんなことをまず直接言われませんし。すごいなあペア碁ワールドカップ。すごいなあ囲碁界。びっくりしちゃうよ。
視界の端に一力先生も見えるけど挨拶は……まあいいか。オタクは綺麗なファンで終わるのでここは我慢や。他のファンもひっきりなしに一力先生に寄ってるからな、他の人に譲ろうな。
これからも頑張ってください、影から応援してます。
👀 .o0(グッバイ、僕の運命の推しは君じゃない)
もう明日は行かなくていいか。ここで終わらないと未練が溜まる。
👀「………………………………………」
👀 .o0(いや…………待てよ)
なんか自分の発想が色々気持ち悪い。ファン活動した自分に酔ってる感じがあるとグッバイのあたりから目が覚めます。
しかも今後も同じようなイベントが行われるかどうかもわからないのに、本当に何も言わずに推し活を引退していいのだろうか? いや良くはないだろう。一力先生のこと知らないけど、向こうだって人間なんだし差し入れしておいてさすがに名乗り出ないのやばくない?
大半の人間は「えっどうして会場まで来てるのに直接声かけてこないんだろ」って思うのでは? ここまでのムーブ、完全にキモオタの自己満足じゃん。
というか一力先生の囲碁へ向き合う姿から何を学んだんでしょうか。やるなら全力でやれよ。
あとTLでペア碁について検索してたら、「一力先生の写真撮らせてもらった!」というツイートを見かけて、「おいおいおいおいおい、自分だって撮ってもらってないのにうらやましいぞ?」という気持ちになったのも大きいです(素直)
👀 .o0(正直なことを言うと、色紙には『飛翔』ではなく『ある文字』を書いて欲しかった……)
👀 .o0(あと、色紙にはオタクの名前を書いて欲しかったな……)
そんな自らの欲求に気づいてしまいます。
いや、でも仮にファンレターを読まれていた場合、超恩着せがましくならん? 『差し入れしてたんだから色紙の文字を指定させろ』って言うようなもんじゃん? さすがにそれは一方的に贈っておいて最悪すぎるじゃん。
そしてファンレターを読んでもらえていたかどうかも正直怪しい。返信なかったし。いや返信書くぐらいなら囲碁の研究してもらった方が嬉しいけど。けど名前を見せた瞬間になにも反応がなかったら、それはそれで自分にとってキツイんじゃなかろうか。
だいたいもうサイン書いてもらってるんだよなあ。『飛翔』で。これ飾ればいいじゃん……?
いや、でも、欲しくないと言えば嘘にはなる……。
そして悶々と考えます。
綺麗なファンで終わるか、強欲なオタクは名乗り出るか。
『いやでも自分が応援したのってここ3ヶ月だけで、差し入れを渡したの3回じゃん? 一力ファンの中じゃペーペーもいいとこよ。いちいち覚えてもらってないよ』
『覚えてもらってないってのはそれはそれで傷つかんか? 何人にファンレター校正頼んだと思う? それぐらいの労力と時間をかけてきたのにまた塩対応されたらさすがに立ち直れなくなると思うよ』
『いやでも私のことを何一つ知らない藤沢先生だって一緒に写真撮ってくれてサインくれたんだし、一力先生ともサインもらって写真撮ってもらってもバチ当たらなくない?』
『いや出ない方がいいよ、たまにいるじゃん。「俺があいつを武道館まで連れてった」みたいな勘違いオタクになるよ私は。一力先生が棋聖を獲ったのは実力。私はモブ』
はたから見てると「いやとっとと行けよ」と思われそうな脳内会議ですが、これは自分の性格の殻を破るかどうか、あるいは自身の欲の深さを省みて最後くらい美しく振る舞うかという、本人にとっては人生における行動規範を問う大事な問題でした。
そして悩みに悩んで3時間。
『ま、お願いしてみてダメならダメでいいんじゃないの。塩対応されたらそれはそれ』という気持ちに落ち着き、ペア碁ワールドカップ最終日の月曜、またしても渋谷に向かいました。
そしてまた藤沢先生と出会います きゃー!!(嬉しい)
最終日も藤沢先生と虎丸先生と一緒に写真を撮ってもらって満喫してるオタクの図 虎丸先生も応援してるのですごく嬉しかったです
そしてペア碁ワールドカップも終盤戦。
他の人の扇子にサインをしている一力先生の姿を見かけます。
👀「アッ、一力先生」←勇気を出す
一力先生「あっはい(振り向いてもらえる)」
スタッフさん「すみませーん!(割り込み)いまちょっとサインとか遠慮してもらっていいですか」
撃沈。このとき結構凹んだ。どんな思いで!!オタクはここまで来たと思うんですか!!しかも三日連続で渋谷まできてるんですよ!!!!(オタク泣き)
しかし無情にも閉会式等のイベントも粛々と終わり、場が閑散とし始めます。
👀 .o0(あれ、これもしかすると一力先生にもう会えないやつでは……)
はーーー(脱力)
もう帰る? やめとく? そんな弱気なオタクメンタルが顔を出してます。
しかし会場で仲良くなった他の出待ちファンから「あ、一力先生出てきましたよ。行かなくていいんですか?」と後押しされました。
👀「うう……………、これで最後だ」
このときはめちゃくちゃ緊張しました。
なんかもう逃げたい気持ちとここで行かなきゃもう当分ファンイベントもないしなあという気持ちでいっぱいでした。
👀「あの、すみません。図々しいんですけど、名前入りでサインお願いしていいですか?」
一力先生「あっはい、もちろんです」
よかった!
相変わらず爽やかな対応です。土曜の塩対応はさすがに疲れてたんだろうな……
しかし一力先生も棋聖か。すごい人をひざまずかせちゃって、応援してきたんだなあ。
そして色紙とペンを渡しました。
オタクが財布から名刺を取り出そうとしている時、一力先生の手元を見ると文字を早速書き出している様子が見えます。
👀 .o0(……『メ』?)
「アッそういや文字指定しそこなった」という気持ちと、「もしかしてそれは書いて欲しかった『あの文字』を書こうとしてくれてるんじゃないか?」という二つの気持ちからオタクは動揺します。どれぐらいかというと名刺を取り出そうとして大塚屋のスタンプカード出そうとしてたぐらいには動揺してました。出すなよ。
もたつく指でようやく名刺を取り出すことに成功します。
👀「えっと、こういう者です(名刺を見せながら)」
一力先生「あっ」
👀「 ?」
一力先生「いつもラムネくれていますよね、ありがとうございます」
👀!?
このときすごく驚いてしまった。
参考:箱で渡してたラムネの図 地味に重い
ファンレター、、、よ、読まれてた? と、というか、ファンとして認識されてた?
👀「……アッ、いやいつも箱でお渡ししちゃってて、むしろ荷物にしてしまっててご迷惑をかけてないかと……ハイ、思ってます」
ここまで来てオタクはなにを口走っているのだろうか。
なんかもっと気の利いた言葉あるじゃん? 山登りの反省してなくない?
「わ~ありがとうございますぅ~! ずっと応援させてもらってたので棋聖奪取は超嬉しかったですぅ~!」とスラスラ言える頭の中のギャルを召喚するとかさ、「こちらこそ棋聖戦を見るのは楽しかったです。おめでとうございます」とか言える社会人フィールド全開の人間とかさ……なんかあるじゃん。
それがここまできて頭の中の人格の第一優先度が高いのがコミュ障陰キャオタクってどうなのよ。もうほんとオタクやめたいよな……(いややめたくはないがこの瞬間だけはオタクの仮面を捨て去りたい)と正直心の中で泣いてしまった。去りたい。いますぐこれ以上ひどいオタク晒す前に去りたい。御曹司記者棋聖の前にオタクはいてはいけない。
一力先生「あ、いや、対局中とかいつも食べてますよ。ハイ」
👀「……………………」
↑ちょっと目頭が熱くなるオタク
もしかしてこちらが緊張と動揺のあまりにめちゃくちゃなことを口走っているのを察して気を遣ってくださってる……?
なんて、なんていい人なんだ一力先生。やっぱり人柄最高すぎんか?
こちらも一力先生のような素晴らしい棋士を応援できたこの3ヶ月間、楽しかったです。
こんなオタクに応援されないように今後も棋聖を防衛しつつ、他のタイトルも奪取して国内外でもご活躍してください。
あとお父さんお母さん周りの人をいつまでも大事にしてください。
そんなまともな言葉がようやく頭の中に浮かぶんですが、一力先生が色紙に文字を書いてくれている姿に感動してしまい、言葉に詰まって何も言えませんでした。まあ言わなくても別によかったかもしれない。
👀 .o0(色紙の文字、やっぱり『希望』だ……………)
私が一番欲しかった文字です。
私も棋聖戦の期間は公私ともにそれなりにつらいこともあったんですが、一力先生が天元時代に書いてくださった色紙を見て「あんなにすごい人だって頑張ってるんだし、自分もまだ頑張れるはず。希望を持って頑張ろう」と、囲碁以外のいろいろなことにも常に励まされてきた文字です。
だから私は書いていただくなら、『希望』が一番欲しかったのでした。
この時点でだいぶ胸がいっぱいです。
もちろん一力先生の努力と実力あってこそだけど、応援してた自分もこんなに報われていいんだろうか……?
いま、私が日本で一番幸せな推し活卒業イベントを迎えてる自信がある。
👀「あのー。写真も撮らせてもらってもよろしいですか」
一力先生「はい、もちろんです」
👀「あ、指は一冠の一本指でお願いしたいです」←図々しい
しかもピン写真も快く応じてくださるファンサの良さ……。
全国の一力遼ファン見て欲しい ここにも最高の笑顔がある
応援しててよかったと、本当に心の底から報われてしまった。
👀「これからも頑張ってください」
一力先生「はい、ありがとうございます^^」
このあと渋谷のTSUTAYAに寄ったんですけど、TSUTAYAに行ってもまともに本棚も見られないほど放心してしまいました。
結局TSUTAYAもそんなに見ずにすぐに帰ってしまいます。
👀「一力先生にまた色紙書いてもらった。今度は名前入り」
家族「また書いてもらったの!? 全くもう~~~(・ω・`)
ああ、でもずっと欲しいって言ってた一力さんの棋聖位の、『希望』に名前入りかあ。よかったね」
👀「そうなんよ これが、ずっと欲しかったんよ」
改めて見比べます。
長かった。
第2局・第5局を落とした時はこちらも心底つらかったし、第7局前日に宮城で地震が起きた時は「なんということだ」と自分も心が折られかけた。
けれど一力先生は様々な逆境の中、棋聖を獲得した。
すごいよ一力先生、おうちのためとはいえ早大に進学して学業をこなしつつ、囲碁界の記録をいくつか塗り替え、そして卒業してようやく手に入れたタイトル『碁聖』・『天元』をことごとく奪われて、多くの人から厳しい目で見られた時期もあっただろうに、
それでも棋聖を獲ったのが本当に素晴らしすぎる。
そんな一力先生の姿に勇気をもらった人もたくさんいるんじゃなかろうか。そんなことを思います。
本当に、おめでとうございます!!!!!
飾ってみると結局これが一番収まりがいいなと気づきました。
天元位から棋聖位に移り変わったこの二つの色紙が同時に揃うの、なかなか感動的だと思ってる。
さすがにご本人の目には届かないと思いますが、一生の記念になりました。
本当にありがとうございました。これからも囲碁も、囲碁以外のことも頑張りたいと思います。
〜〜〜〜
と、3ヶ月ぐらい怒涛のごとく御曹司の一力先生をひざまずかせてから、棋聖が獲れるまで応援していた話でした。
「ここで卒業していいんですか?」と聞かれそうですけど、むしろ推し活でここまで報われることなんてそうそうない気がしていて、だからここでやっぱり卒業でいいと思っています。
あと一力先生に次に会うときはアマチュア初段持ってたいし……。こんなところでしょうかね。
おじいさんたちに無慈悲にボコられつつも色々な碁会所に通ってるオタクがいる
昨日の #ほんまる会
— まつもと @洪道場 (@rin_hongdojo) 2022年4月24日
の様子です。カメラ目線の洪先生(笑)
ほんまる会は初心者、級位者の方向けにはなっていますが洪先生の話は高段者の方もとても勉強になると思います。
自分も一緒にやりながら毎回勉強になっています😎 pic.twitter.com/mkymqZBICK
奥のオタクが自分ですね
===
というわけで、本記事は「一力遼さんという、ファンのためにわざわざひざまずく体勢でサインを書いてくれた、とても囲碁が強く人間性が素晴らしい囲碁の”プロ棋士”がいる」ということを紹介したいがために筆をとりました。
正直他の一力ファンに刺されかねないし自分の中だけに留めておこうと思っていたんですけど、多くの人から『そのひざまずかせたくだりは絶対に公開した方がいい。たくさんの人に囲碁界および一力さんという人を知ってもらうのに、インパクトがある』と後押しされて書きました。耳目を集めるタイトルのわりにひざまずかせた内容はそこまですごい話ではなくてすみません……
しかしこうして改めて文にすると、私自身も充実した期間を過ごさせてもらったんだなと実感しました。一力先生を通して色々な世界を知れて本当に楽しかったです。
ちなみにオタクが長い時間をかけてこの文を書いている間に、一力先生は第77期の本因坊戦挑戦者決定権を得ました。
相手はまたしても最強・井山先生なので、また名局を見せてくれるはず……!!
第1局は5月10日と11日に開催なので、みなさんもよろしければぜひ観て!!!!(宣伝)なんだったら先に高評価だけ押しておいてください!!!!!!!(?)
というところで、今回のブログはここで本当に終わりです。
みたぬメモ始まって以来の最長の2万文字越えに、執筆に一ヶ月以上かけるというまさかの大作になりました。出せる力を使って一力先生の魅力を届けられていたら嬉しいなあ。
コミケ99の私的振り返り
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2021年の締めくくりは、サークル出展者側としてコミケ99に参加していました。
そのことについて忘れないうちに、反省点を踏まえつつ所感を書いておきたいと思います。
- 前日までにモチベーションが上がらない
例年ほどコミケ参加にあたりモチベーションが上がりませんでした。正直に言えば、今回のコミケは参加をキャンセルしたかったという気持ちが大きかったです。
参加をキャンセルしたかった理由は、大きく分けて三つです。
- 私生活が忙しいから
- コロナの影響が気になるから
- コミケに参加する意義が見出せないから
まず一つ目の『私生活が忙しいから』についてですが、そのままの意味です。今回のC99準備に関する時間を、十分に用意する余裕が持てていませんでした。
そのため、『2020年12月に開催されるはずだったC99が、2021年12月開催にスライドされたこと』、『2020年12月のコミケ99に向けて申し込んだサークル情報が、2021年12月開催のコミケ99に対して、継続申し込みされること』について、大変恥ずかしいことに、当選通知が来るまで把握していませんでした。
【参考】
ではこの情報を把握した上で、配置辞退の手続きができていたかと言われれば、2021年8月当時のスケジュールおよび精神的余裕を振り返ると、実質無理だったと思っています。
それほどに2021年は、コミケ(を含めた余暇の過ごし方)について考えることが難しいほど忙しかったことが、結果としてモチベーション維持に繋がらなかったと考えています。
余談ですがコミケ前々日に、『らぼちっく;げーと』の編集長であるぺんぎんさんに、コミケ参加にあたり諸注意読み合わせzoom会に招いてもらいました。(感謝!)
そのときに「いやはや、申し込み辞退するの忘れてて……」と話したところ、「うちもそんなもんw」と言ってもらえ、ズボラ仲間がいることに超安心しました。
次に二つ目の『コロナの影響が気になるから』についてですが、この日記を執筆している時点においては、世界的にオミクロン株の影響が危惧されています。実際、日本でも市中感染のニュースが連日報道されています。
そんな中、多くの人が行き交うコミケ会場に行き、自分はともかく他人に感染させないかどうか?という点において、参加する前から非常に強い不安感を抱いていました。
しかしコミケという長い歴史を持つイベントに対して、無断キャンセルする勇気は湧かず、自分の中の妥協案として、感染防止対策を十分にした上で参加することを決めました。
そういった背景から、今回は「参加するかどうか?」という心理的ハードルが高く、相対的に参加モチベーションが下がったと考えています。
最後に、『コミケに参加する意義が見出せないから』についてです。
これまでにコミケに参加しているモチベーションについて、自分という人間を冷静に省み、考えた内容が以下の通りです。
- コミケというイベントに、いちオタクとして参加したい
- インターネットに直接的に書けない内容を、発表したい
- おもしろそうな本があれば、入手したい
- 疲れない範囲で参加したい
- 他の人と交流したい
- 赤字はなるべく出したくない
これらを挙げた理由について本意を細かく列挙するのは本筋でないため、割愛します。
自分がここで伝えたいことは、C99に参加するにあたり、これら6点について自分の中で満足できるラインを超えられるか、自信がなかったということです。
そのため、参加する意義が見えていませんでした。
- 当日のモチベーションも上がらない
なんとか参加することを決めましたが、当日もモチベーションを上げるのが大変でした。振り返ります。
- 隣がダミーサークルだった
- 売り子がいなかった
- 思いのほか寒かった
- 人が少なかった
- 買いたい本を積極的に探さなかった
- オンラインイベントの手軽さと比較する自分がいた
- 費用対効果といった数字を考えきれていなかった
1. 隣がダミーサークルだった件について
今回は誕生日席かつ、同じテーブルを共有する隣スペースが終始荷物置きという状況に、心がどうしても引きずられるときがありました。
隣が完全に無人だったら、あるいは売り子さんがいれば、まだ心を無にできたかもしれません。
以前にサークル参加していたフォロワーさんが「この島は全然ダミーがいなくて感動した」とブログに書いていましたが、今ならその気持ちがすごくわかります。
今まで売り子で手伝ってくれた人と、両隣サークルの熱量に、知らず引っ張ってもらえていたことに気づけたC99でもありました。
2. 売り子がいなかった件について
今回は売り子さんを依頼しませんでした。理由は、自分の参加モチベーションが上がっていなかったことと、コロナ禍の影響を踏まえて今までと同じように頼むのは、その人に対して申し訳ないと考えていたからです。
売り子さんがいないことにより、今までは「ちょっと散策/お手洗いに行ってきます」といった気楽にできていたことに、当然制限が生まれました。
そのため、普段より念入りに準備する必要があり、モチベーションの方まで気持ちを維持しにくかったというところがありました。
厳密に書くと、当日は遊びに来てくれたけいなさんに売り子を少し手伝ってもらいました。感謝。
3. 思いのほか寒かった
事前に天気予報を調べ、当日の最高気温が6度であることは把握していました。
ただこれまでにも、冬場の幕張メッセ開催イベントに何度か参加していたこともあり、ヒートテック+上下裏起毛で凌げるだろうと思っていました。
それでも寒いこと寒いこと……。後述しますが今回は人が少なかったことも影響してか、会場内はとにかく寒かったです。
持ってきたカイロは全部使い、14時ごろには着てきた羽毛ジャケットを着込みましたがそれでも寒くて、持ってきた食料を全部食べました。
環境によってモチベーションは簡単に左右されると改めて思いました。
4. 人が少なかった
ほとんどの島中サークルはこれでモチベーションが下がったのではないでしょうか。うちもそうです。
もともと入場者数を絞っているのは知っていましたが、実際に体感すると本当に人が少なかったです。コミケなのに、人と人がぶつかっている様子が全然見受けられないことに驚きました。
自スペに座りながら、「一般参加なら快適だろうな」、「緊急事態宣言後のディズニーもこんな感じだったな。入園する側は快適だけど、ディズニーとしては確かに早く入園者数を戻したいよなあ」といったことを思いました。
ちなみに頒布した数でいえば、例年の30%まで下がりました。
コミケ97の1日あたりの来場者が約18万人に対して、コミケ99では5万5千人だそうなので、綺麗に比例した方だと思います。
5. 買いたい本を積極的に探さなかった
もともと私自身は、本業アニメーターさんが趣味として発行している本や、他人がやっていなさそうなことを真に追究している本を好んで買います。
ですのでたとえば以前は、自分がよく見るアニメのプロによる非公式イラスト本や、個人のバイアスがかかった研究や旅行本を好んで買っていました。
しかしながら今回評論島が開催された31日は、もともと自分のニーズとは一致していないスペースが多く配置されました。
そしてコロナの影響を考え、(例年より少ないとはいえ)人混みの中を積極的に回りたいと思えなかったことと、今は旅行も気楽にできないご時世のため、買う気が湧かなかったというところが大きかったです。
6. オンラインイベントの手軽さと比較する自分がいた
2021年に、私はあるオンラインイベントにサークル側として参加しました。
そのイベントは、pictSQUAREというサービスを使って開催されました。コミケと比較して、非常に便利で楽だったと感じています。
そのため今回コミケに参加するにあたり、無意識的に準備コストを比較して、モチベーションを落としていたと思います。
たとえば、pictSQUAREで行われたイベントの参加費は550円でした。
コミケの参加費用と1万円と比較して考えると、およそ20倍もの差があります。
また、コミケのサークル参加者は8:45までに入場手続きを済ませないといけません。(参考:https://www2.comiket.co.jp/info-c/C99A/C99AAppealEnclosure.pdf )
コミケ会場である国際展示場まで、自分の家からは距離があるため、朝は遅くても6時起床が求められます。
一方でオンラインイベントは、事前にサークル情報や頒布物リンクなどを登録すれば、当日はいてもいなくても構わないという利点があります。つまり、朝起きなくても問題なしです。
次に準備〜頒布〜決済の流れについてです。
今回C99では感染防止対策のため、サークル側に対して、見本誌にはビニールをかけること、一定人数に触られたら取り替えることといった事前アナウンスがありました。
次に、キャッシュレス決済を取り入れたサークルをいくつか見かけました。しかしコミケではまだ現金でのやりとりが多く、サークル側は釣り銭準備が求められます。
いち早くキャッシュレス決済を導入していた先輩や後輩のサークルに立ち寄ったところ、9割ほど電子決済での購入だったが、それでもやはり釣り銭対応が必要だったと話してくれました。
一方、pictSQUAREはオンライン開催のため、実体としての見本誌を用意する必要がありません。サークル参加者が用意するのは、サンプルページです。HTML等の知識も特に必要ではありません。
さらにいえば、ビニール, 除菌ティッシュ, 除菌用アルコールといった感染対策防止グッズはもちろん、テーブルに敷く布だとかポスター印刷等を準備する必要がありません。
頒布についても、決済はすべてオンライン上で済ませることとなります。手数料は取られますが、実物のお金のやりとりは一切起きないので、小銭準備も必要ありません。
本の受け渡しは、店舗に委託していれば手間がかかりませんし、出展者は本にかかる送料も購入者側に上乗せさせることもできます。もとより電子本であれば、発送の必要もありません。
もちろん他にも比較できる要素はありますし、コミケにもメリットはあります。
それでも自分の中で大事にしている軸として、オンラインイベントに参加する方が遥かにコミケのメリットを凌駕したと思いました。
まとめると以下の通りです。
起床時間 | 参加費用 | 買い出し準備 | 両替準備 | 売り子さん | 参加者数 | 帰りの荷物 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
コミケ | 6時起き | 約1万円 | ◯ | ◯ | いればありがたい | 例年通りなら多い | たいがい重い |
オンラインイベント | 起きなくてもいい | 550円から | × | × | 必要ない | イベント規模によるがコミケと比較すると少ない | 帰りという概念がない |
次項でも少し述べますが、今回のコミケは参加時間あたりに対して頒布した数が少なく、結果として、売り上げ額はオンラインイベントで参加した時とほぼ同額になりました。もちろんオンラインイベントに参加した時のジャンルがそもそも違うことや、既刊新刊数の違いは考慮する必要がありますが、それでもやや残念な結果に終わったと思っています。
そのこともあり、コミケに対する魅力を少し感じられにくくなったと思います。
7. 費用対効果といった数値を考えきれていなかった
今回、新刊執筆をする時間をほとんど捻出できていませんでした。
その結果、「このクオリティなら低価での頒布が妥当であり、参加費は数で巻き返そう」と考えました。
しかし今回はコロナ禍の影響によって、参加者数が少ないコミケでした。そのため、自スペースに寄ってくれる人が少なくなり、結果として数で巻き返すのもだいぶ苦戦しました。
ただしこれらは、事前に想定できたことです。
自分のニーズである「参加費ぐらいはトントンにして、早めに帰りたい」のであれば、一冊当たりの単価を上げること、そして一冊のクオリティを従来より追求する必要がありました。そこは今回一番の反省点だと捉えています。
今回はコロナ禍の中での初コミケという事情はあり、実際に当日を迎えないとわからない部分はあったと思いますが、それでも数字を読む・考える力が甘くなっていたと思いました。
まとめ
モチベーションが低いままのコミケとなりました。
一方で、「モチベーションが上がらなかったことについて、反省はした。しかし軌道修正して、今後またコミケに参加する価値を見いだせるか?」というところは、今一度自問自答しています。
コミケの最大の魅力は、なんといっても『リアルで体験できるお祭り騒ぎ』だと私は考えています。
それがコロナの影響がどうなるかわからない今、またその体験を味わえるのか。そして私自身がそのときまで待てるのか(=コミケに参加する気持ちを持てているか)どうか、確たる答えが出せないでいます。
率直にいえば、今後の参加はキリのいいC100で終わりにしてもいいとうっすら考えています。
余談ですが、私の中で一番の達成感を得たコミケはサークルデビューしたC96です。
当時は初参加にあたり、多くの人々の協力を得てあの熱狂する時間帯に参加することができたということが、本当に嬉しく、充実した時間を過ごせました。
そして、身に余る結果が後からやってきたと思います。
【参考】
このときは稚拙なデビュー作にして、新年早々からTLの人たちに笑いを届け、評論島という場所を参加者以外の人にも少しでもお伝えすることができたことは、かなり嬉しい出来事でした。
(しかし内容がお粗末で、当時手にとってくれた人には本当にすみませんそしてありがとうございましたという気持ちが強いです。ありがとうございました。)
このときの達成感を乗り越えるには、
- 頒布物のクオリティを、自分の中で納得できるレベルに達成させる
- 売り上げや頒布数といった数値目標を明確に立て、それを大幅に超える結果を出す
といった、自分にとってかなり厳しい目標が必要だと思っています。
そして『その目標を立てるところまで、私はコミケに対して真摯に取り組めるか?』という問いの答えを考えるにあたり、『私はそれより先に、やらないといけないことがある』という、現実の課題とのバランスに苦しんでいる気がします。
そのためコロナ禍以前に自分の中の問題として、モチベーションを保つところが難しいと考えています。創作あるある。
少しまじめなことばかり書いてきましたが、それでも今回コロナの影響もある中で無事に開催されたことと、そして参加できたことに非常にありがたく感じている自分もいます。
開場アナウンスとともに湧く拍手の音にしばし「コミケが帰ってきたんだな」と茫然として、拍手に少し出遅れました。次に参加するなら、大きな拍手ができるようにしたいです。
6+8ができなかった話
今回は算数ができなかった自身の小学生時代について振り返ってみるという話です。
仲間内に話したところ、「算数/数学を教える側の観点で読むと、なかなか興味深い」と言われたのでまとめます。
===
まずはこの日記を書こうと思ったきっかけについて書きます。
先日部屋の掃除をしていたところ、こんなものを見つけました。
トレーディングカードゲーム(TCG)をやる人なら、すぐにピンときたかもしれません。
多くのTCGにはプレイヤーの持ち点(ライフ)があり、その持ち点を回転窓で表示される数値で示す、ライフカウンターが重宝されます。
↑こういうやつ。
私には兄がおり、むかし兄はマジックザギャザリングというTCGをやるために、私をよく付き合わせていました。この工作は、ライフカウンターを持っていない私のために自作したものです。
もう捨てるか、と一瞬思ったんですが、これが非常に良くできていました。回転させる上部ダイヤル部分がつっかえることなく回るし、窓にはきちんと数字が見えている。捨てる前にせっかくなので、解体してどのように作られているか確認することにしました。
裏面。当時流行ったショボーンの落書き(これらは兄によるもの)
ホチキスで片側だけ止めることにより、うまく回転させていたようです。
窓に持ち点を表示させるために、少しずつ角度をつけて数値を書いてくれています。ちなみにゲームの初期持ち点は20点のため、1~20の数値が書き込まれています。
ここでなんとなく自分が感動したのが、「円を20分割するために、まず最初に4分割を行なってから、5分割している」ということでした。
なにを言っているかわからんという人のために、もし当時の兄と同じようなものを私が作れと言われたら、以下図のようなものができると考えたのです。
これは単に円の一周360度を20で割ったものです。分度器で少しずつ角度を測って、均等に線を引いた状態です。
この二つの円を比較して、『同じように育ったきょうだいで、どこでその差がついたのか』を考えたときに、タイトルに書いた「そういえば自分は6+8ができなかった」ということを思い出しました。
1. 指を使った計算に慣れすぎていた
自分は体育より学び重視の幼稚園に通っていたので、数の順序・数の大小・簡単な式は理解できていた状態で小学校に入学しました。
けれど5以上の答えが出てくる一桁同士の計算、たとえば6+2とか7+2といった計算がやや苦手でした。小1後半〜小2前半ぐらいまで指を使って計算していたためです。
指は五本しかない以上、5以上の数値がきた途端に「あれ?」と困った覚えがあります。先生にも「そろそろ指を使って計算するのをやめよう」と注意された記憶があるほどには、同級生よりかは指を使っていた記憶があります。
2. 数の分解発想に至らない
指を取り上げられた(言い方に語弊がある)私ですが、さらに苦行は続きます。
6+8といった、繰り上がりが発生して答えが10以上になる計算で詰まります。
文科省の学習指導要領・算数には、小学一年生が身に着けるべきこととして、以下の内容が書かれています。(読み飛ばしてもらって大丈夫です)
『数量の関係に着目し,計算の仕方を考えること
加法及び減法の計算の仕方を考える場合,既習の数の見方や計算の仕方を活用することで,未習の計算の仕方を見付け出していくことができる。その際,今までの計算と違うところはどこか,どういう数なら今までの計算が使えるかを考えさせることが大切である。例えば,和が 10 より大きい数になる加法及びその逆の減法は,「10 とあと幾つ」という数の見方や計算の意味に着目し,数を分解して足したり, 引いたりすることで,既習の計算が使えるようになる。 加法の場合には様々な計算の仕方が考えられる。その主なものとしては,加数を分解する場合と被加数を分解する場合がある。例えば,8+7の場合,加数の7を分けて(8+2)+5としたり,被加数の8を分けて5+(3+7)としたりして,数を分解して加えて 10 をつくり,10 と5で 15 と計算する。』
参考:文部科学省 小学校学習指導要領(平成 29 年告示)解説 算数編 P93
上にあげた6+8であれば、
1. まず6+4+4という数に分解した式を作り、(あるいは4+2+8)
2. 先に6+4を済ませ、10の数の塊を作ってから
3. 4を足して、14という答えを導く
ように、指導しなさいということが書かれています。
0に『何かの数』を足してもその『何か』の数になるという特性を生かし(零元)、平易な計算に変換して答えを求めていくことを要求しています。
けれど私は、この式の良さが理解できなかったのです。
予測ですが、「6+8は指を使えばギリギリ計算できるけど、6+4+4とわざわざ分解して計算するのは面倒だ。ノートに書く文字の数が増える。」と考えていた気がします。いやなやつです。
この『わざわざ分解する』ということの面倒くささを感じていた理由は、主に二つあった気がします。
まず、1ずつ足していく指計算に慣れすぎていたんだと思います。指であれば6+1+1+1+1+1+1+1+1と、数を順に足し合わせれば、もとい、指を折り数えていけば、いずれ答えを導けるという動作の方が楽だったのだと思います。
次の理由として、6+4+4にするために、『最初に、足して10になる組み合わせを作る』という思考を一回挟むのがしんどかった思い出があります。
3. 数と文字形の関係性に詰まる
次に、なんで10の塊を作るのが辛かったんだろうと考えることにしました。
算数ができない子の特徴として、『数は言えるけど、数と実際のものの個数を結びつけて考えられない』『頭の中に具体的な数が思い浮かばない』という指摘がしばしば上がります。
確かに幼少期の私は、頭の中におはじきのような具体的な複数個の物体を想像していませんでした。
理由が二つあるような気がしていて、一つは先に挙げた指計算によるものです。『目の前にある指を数えた方が早いよね?』という発想で生きており、想像力のリソースをさぼっていました。(ひどい……)
もう一つは憶測ですが、そもそも自分は文字で書かれた数の形に納得がいっていなかったのではないか、というものです。
笑っちゃうんですけど、たとえば「1+1」であれば、答えが「2」という形の文字になることが理解できなかった。つまり、アラビア数字の表記形に納得がいっていませんでした。
自分は幼稚園のときに電卓で遊ぶのが好きだったんですけど、セブンセグメントで表示された「8」を見るたび、「8の方が9より大きい」とすら思っていた記憶があります。(8の方が9より棒が多いからという、非常に原始的な認識でした。)
さらに言えば、文字はその文字でしかないという意識が強すぎたような気がしていて、数字ではなく文字に何かを足し合わせて、別の文字にするという状況に納得がいっていなかった子供だったような記憶がうっすらあります。
もしこれがローマ数字で表記されていたら、すごく納得がいっていたかもしれません。「ああなるほど、Ⅰ+Ⅰ=Ⅱだ!」と。
4. 6+8ができるように……?
それから、指を使えない自分が始めたことは、「全部覚える」ことでした。
ノートに2+9といった式を何回も書いて覚え(無駄な努力だ……)、おかげで2+9という文字列の次は11、ということは瞬時に書ける/言えるのですが、9+2と左右を入れ替えられた式に一瞬詰まるようになる。そんな子になりました。
確か計算プリントでも、「どうしてこの計算はできているのに、入れ替えただけの式は答えられないのか?」と先生にも不思議がられた記憶があります。
頭の中で10の塊を作るという操作を挟まず、ただただ『6+8=14』と手で覚えさせた結果、自分の中でこの式の答えの14はあくまで『14という文字』という意識が大人になった今でも、なんとなく残っています。14は14であり、10+4にも7+7にも分解させようとは思わない、という意識です。
(プログラミング言語では型というものがありますが、言い換えれば私にとって14はStringであり、Numberではないという状態に近かったのかもしれません。)
ちなみにあとだしエピソードで、私は小一のとき親に、「ここにあるお金はいくら?」と聞かれ、元気に「ごじゅうさんじゅうえん!」と言って親を呆れさせた記憶があります。なんというか、数値に関して、文字として認識する力の方が強かったのだと思います。
5. 6+8ができる状態になったのか……?
自分にとっての転機が、小2で学ぶ二桁同士の筆算でした。
大きい数を目の当たりにすることで「指計算では追いつかない、スピードが出せない」と指計算のデメリットを覚え、指を自然と使わなくなった気がします。
あとちょっと言い訳ですが、自分は幼稚園〜小1,2のときに計4回ほど引越しをしており、学習環境はもとより、住環境に関して、微妙にストレスを持っていた記憶があります。
それにより小二の夏まではボーッと生きていたのですが(具体的に挙げると、私は幼稚園時代の家や通学路といった地図・建物情報を覚えていません)、もう引越しをしないということを確信して、学習に対してようやく落ち着いて取り組めるようになったことは大きいかもしれません。
まとめ
『6+8ができなかった』理由は、数値をNumberではなくStringで認識していたから、ということは書いていて自分でも腑に落ちました。
このエピソードを仲間内にしたとき、脳内アルゴリズムという単語が出たのですが、脳内アルゴリズムどうこうという段階でもなかったかもしれない。
じゃあそれ(文字ではなく数として認識させる)にはどうすればよかったのか、という一つの考えですが、単純に計算ドリルを解いた量が足りていなかった気がしています。兄と差がついたのも、結局そこなのかなあと。
『ノートに書く』『おはじきなどを使って数をどのように操作すれば、早く解けるか』と、幼少期から数に慣れ親しみ、経験と自信をつける。
そこがうまくいけば算数や、先に書いたような円の工作や計算などが得意になっていたのかもしれません。たぶん。
余談
幼少期を振り返るたび、数学教員免許(中高)を返却したほうがいいんじゃないかとたまに考えこんでしまいます。
オチがついたところでこのへんで。それでは。