みたぬメモ

地味にメモ

C100でサークル参加をやめる話

※今回の内容はコミケのシステムや同人用語がわかる人じゃないとわかりにくい話が多いです。

 

ごあいさつ

C100にサークル側として参加しました! 参加されたみなさま、お疲れ様でした。

以前の日記でも少し書いた通り区切りがいいので、これにてコミケサークル参加の申し込みをやめようと思います。

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平成最後のC95にサークルとして初参加してから、初の4日間開催となった夏コミ(C96)と冬コミ(C97)に、GW開催予定だったけど中止になったC98、そしてコロナ禍の影響を喰らったC99とC100の計6回に参加させてもらいました。

思い返せば本当に色々あったと(当方、弱小新規サークルの部類ですが)感慨深くなっています。サークルスペースにお越し下さった方々、ありがとうございました!

 

『サークル参加をやめる』という決意に至った今の気持ちや価値観を、あとで自分が振り返るため(※)に、サークル参加をやめる理由を書いていきます。

※ あとから「どうしてあのときはああいうことをしたんだろう?」と思い返すことが多い性格なので、今の気持ちを未来の自分用にアウトプットしておくことが今後の人生をよりよく生きる上で大事だと思っている

 

 

コミケ引退する理由

1. 創作活動はやめないだろうが、コミケに出展することは負担が大きいと思っている

2. コミケ以外の場で他にやりたい・得たい・優先したいことがある

 

1. 負担が大きい

そもそも創作活動は負担が大きいものですが、コミケにサークル出展するにあたり、

・時間

・費用

・メンタル

・事前準備の手間

以上4点が、自分にとって負担が強くなっていたと思います。

 

*時間について

まず自分のスケジュール管理が下手で、原稿をやるために家のことが後回しになってしまっていた。6回も出させてもらったのにそのあたりに著しい進歩が見られなかった。これ以上続けても満足する結果が出せるどころか、生活を破綻させかねないのでやめた方がいいだろうと思いました。

 

*費用面について

ここは長くなっちゃいます。お金のことなので間違いのないようにきちんと書いておきたい……。

率直に言えば、出展料がだいぶネックになってきました。(ちなみにC95~C100の出展料は1万1千円です。)

高く感じるようになった経緯は、主に分けて3つです。

 

1. もともと高いんじゃないかとうっすら思っていたこと

2. 一般参加者からもお金をとるようになったことと、中止になったC98は一部のみ返金だったこともあり、コミケにおけるお金の流れ方について納得感を得にくくなっていたこと

3. 他のイベントに出てから、この金額では割りが合わないという感覚を得たこと

 

最初(C95の頃)こそ「ビッグサイトを借りるんだし、あれだけ大規模イベントだから出展料もこれぐらいするんだろう」と考えていました。

巷でよく言われている『深夜待機組のせいで警備費用がかかり、その負担が出展者側に加算される』説についても、「自分は出させてもらってる側だし、あれだけの入場者数からいちいち入場料を取るのも難しいだろうから」と、自分の中で納得できていました。(深夜待機組のことを容認しているわけではないです。ただ現象としてそういうことが起きていて、対策しないといけないから費用がかかるという説明に納得していたということです)

その後、C96・C97は四日間開催になることが発表されました。併せてその分ビッグサイトを借りる費用が増えるため、一般参加者からも入場料をとるスタイルに移行することが発表されました。ここで私は「一般参加者からも入場料を取ろうと思えば取れるんだな……」とちょっと思いました。

ただ、まだこのときは「今までより1日多くビッグサイト借りるんだし、その分の負担が出展者側に料金が加算されないなら一般参加者に加算されるのは自然かな」と納得できた自分がいました。

 

しかしC98から、不満が少しずつ溜まっていったと思います。

C98はコロナのあおりを食らって中止になったので、C98の当選サークルはすでに振り込んだ出展料について『繰越』・『寄付』・『返金』のいずれか対応が選べました。

自分はコミケに対して強い思い入れもなく、次回以降もどうなるかわからないので『返金』を選びました。

コミックマーケット98中止に伴う対応の現状について(2020年5月22日現在)

しかしC98に落選したサークルは8千円返金される一方、当選したサークルは5千円しか返ってきませんでした。あれ、どちらも参加できないことには変わりないのに……?

ちなみにこのとき当落発表が3/11。中止発表が3/27でした。この16日の間に仮に『当選者組だけ』が運営に負担をかけさせていたとして、その『何かの経費』がわからない。

ビッグサイトを借りるための手付金をすでにいくらか払っただとか、そういう説明があればまだ納得できたんですけど。うーん。

 

そしてC99は、もっとモヤっとしました。C99からアーリーチケットが導入されるとアナウンスされ、この制度によって徹夜組・始発組が排除されることがわかったからです。じゃあ警備費用がかからなくなるし椅子も一脚になるし安くなるのかなーと安直に考えたんですけど、結局値下げは起きませんでした。

もちろん「C98が開催されずコミケ運営も赤字だろうし、C99では従来のオペレージョンに加えてコロナ対応もあって新オペレーション導入にお金がかかるのだろう」とは思ったんですけど「なんか高いよね? なんでだろう」という気持ちが残ってしまった。費用は高く見積もろうと思えばいくらでもできてしまうし。

更に言えばC99から入場者数も絞られたこともあって、今まで味わえていた『お祭り騒ぎ』という感覚はまったく得られず「今までと同じ値段なのに、つまんないな」という気持ちになっていたと思います。

 

それから決定的だったのが、コミケ以外のよそのイベントに出たことです。安さと体験の快適さに衝撃を受けました。

自分が出たのはオンラインイベントだったんですけど、サークル出展料が550円。さらにオンラインでも人とたくさん交流できたこともあって、「あれ? コミケと同じぐらいの満足感が得られるのに、こんなに負担が小さくて済むんだ!」と感動しました。

元々コミケの出展料について無意識的に不満が溜まっていたところに、他のイベントの安さと快適さを知ってしまったのは本当に大きかったと思います。

 

不満を持ちながら高い出展料を出すのも頒布物に影響が出そうでよくないし、ここはすっぱりと自分の金銭感覚と体験に合わないことを認めようと思いました。

 

*メンタルについて

今回のC100は『今回もコロナ禍の影響で中止するんじゃない? 都知事がなにか言い出したら中止になっちゃうよね? しかも台風も来ていて、同日開催のロッキンは中止になったしな〜、コミケはどうなるのかな〜』という空気感が最後までありました。

外的要因によって中止になること自体に不満はないけれど、『開催されるかどうかわからない』という不安定な状況に置かれると、自身のモチベーションを保ちながら当日を迎えられない性格なので、余計に負担に感じてしまっていたと思います。

 

*事前準備の手間

これは費用面でも少し触れたけど、オンラインイベントがとにかく自分にとって『楽』だった。だから、コミケ準備が手間に感じるようになったんだと思う。

特にC99・C100はコロナ禍の影響を踏まえて、マスクやビニールなど普段以上に準備する物がありました。

で、そういうものを用意している時って「世間はこんなにコロナで大変なのに、コミケにのんきに出てていいのかな」とどうしても考えてしまった。準備の手間自体は些細ながらもそうしたことで通常より疲れていったと思う。

 

2. コミケ以外の場で他にやりたい・得たい・優先したいことがある

コミケは盆と年末に開催されることもあって、出展するたび家族に迷惑をかけてしまっていると思っていました。コミケで何か特別に表現したいこともないので、そろそろ家族を優先したい欲が湧いてきました。

更に言えばオンラインイベントが楽しかったこともあり、ジャンルは絞られちゃうだろうけどそちらの方でも精力的に活動してみたいという気持ちが出てきたことも大きいです。

あと買い物に限ってはコミケ以外で購入できる場が増えたこともあって、そこまで執着しないで済むんだろうと思っている自分がいます。そもそもコミケでそこまで買い物しないからなあ……。

 

おわりに

改めて書き出すと、コミケが心底嫌になったわけではなく、自分のライフスタイルや表現したいこと、私が求めていたことに合わなくなってきたんだな〜と思いました。

ただ評論島は好きなので、またかつての勢いが復活したら一般でふらっと見に行きたいなと思っています。

 

そういや在庫余ってるのでもしよろしければ→

xsrknrx.booth.pm

読書メモ

最近コミケに出展する本作りのため、大量にバラの本を図書館で借りていた。そのついでに目についた適当な本を借りたので、自分用の備忘録としてメモしておきます。

たいした読み方はしていません。

 

〜〜〜

 

小飼弾さんを知ったのはいつだったか。winny騒動の頃には「珍しい名前のおじさんが色々語ってるな」と思っていた記憶があるので、すると10年ぐらい『名前だけはなんとなく知ってるプログラミングやってるおじさん』という認識のままであることに気づいた。そして「そういえばこの人は普段はどういうことを言っている人なんだろう」と思い至って借りた。

2013年発行の本ということで、いまの小飼弾さんとは価値観が多少は変わっているかもしれない。その上で正直に言えば、自分にとってはイマイチな内容の本でした。

内容としては、「ベストセラーよりロングセラーを読め」、「本を批判的に読め」、「愚かな友人といるぐらいなら本を読め」、「書いた本の感想をアウトプットしろ」といった本読みとして求められる姿勢のフレーズが列挙されている。

一つ目の「ベストセラーよりロングセラーを読め」に関してはナニワ金融道の青木先生も同じことを仰っていた。個人的にはそちらの本の方が、読書だけでなく金貸しの思想や、日本経済の問題点、そして金と人間の距離感を踏まえて人間はどう生きるかといった哲学の問題に踏み込んで書いてておもしろかった記憶がある。ちなみに青木先生はドストエフスキー罪と罰が好きで何年も愛読していたそうな。

だいぶ話が逸れた。

あと「愚かな友人と〜」についてもブッダが似たようなことを言ってた。要するにどこかで聞いたことある話ばかりに思えてしまった。

 

ある程度の知識を蓄えて、物事を俯瞰的に捉えることができる人たちの言うことは集約されてひとつの王道になるのは当たり前だろうけど、それが自分にはかなり物足りなかったようです。

本を何も考えずに消費してしまっているという自覚を持っている人には刺さる内容かもしれません。

 

ああ、でも本の中で囲碁棋士天文学者渋川春海という人を扱った冲方丁先生の初期作について紹介していて、それはちょっと今度読んでみたいなと思いました。

 

〜〜〜

「そういやムーミンってちゃんと読んでないな……」と思って借りました。

しかしムーミンほど内容が頭に入ってこなくてつらい本もない。最初は翻訳が悪いのかと思って他の人の翻訳も読んだことがあるんだけど、やっぱりよくわからず、文字がとにかく頭の中を通り抜けるだけという嫌な感覚ばかりが過ぎていく。著者であるトーベヤンソンの育った文化・言語圏の理解が、読み手の自分側に足りていなさすぎるのだと思う。

アニメーションで見ると、テンポや表情がわかるから「ああ、このキャラはこういう立場でこういうことが言いたいのね」というのがまだ楽しめるんだけど。すごいよねムーミンのアニメ。

 

〜〜

児童文学つながりで。

小学生の時にクラスの女子が読んでいたこの表紙が気になって、自分も読み始めたシリーズです。すごく懐かしくなって再読しました。

しかしいま読み返すと児童文学で扱うには重いテーマを随所に扱っているように思う。たとえば母親の育児疲れや、両親の離婚、死別などです。しかもこのシリーズ自体が、松谷みよ子先生自身が母親としてモデルになってる本なので、超リアル。

 

でも小学生の時にはそのあたりに引っ掛かりを覚えなかったのがすごい。いやもしかすると、そのへんのなんとなくの不穏さは感じ取っていたのかもしれないけど、そのへんがうまーくファンタジーで包まれている作品なのです。

たとえばパパとママが不和の間、『くまさん』という大人のくまが、小さいモモちゃんとアカネちゃんの面倒を見てくれる。おいしいスープを作ってくれたり、遊び相手になってくれたり、病気になったらすぐに病院に連れてってくれる万能の『くまさん』です。

たぶん小学生の時の自分は『くまさん』というキャラに対して、『こんなくまさんがいたら楽しいだろうな!』と『くまさん』が姉妹の生活にいつの間にか馴染んでいることについて疑わずに、姉妹二人の楽しそうな生活描写に心を弾ませていた気がするんだけど、大人の自分が今読むと「あ、『くまさん』は松谷みよ子先生が二人の娘のために雇ったシッターだ。そのシッターを『くま』として描いたんだ」と答え合わせができてしまった。

子供が読んでも大人が読んでもおもしろいのはすごいことだ……。

なんかまとまらなくなるのでこのへんで。

 

〜〜

 

なんかおすすめ書籍コーナーに置いてあったから借りたけど、まあいつものひろゆき氏だなという内容だった。

「自分に合わないところで頑張るな」「まず自分を大事にしろ」。それはそうという感じ。たぶんひろゆき氏と同じこと言ってる人はいる気がする。ただひろゆき氏といえば『2chの設立者』、『”それあなたの感想ですよね”』といった実績や言い回しに惹かれる人がそれなりにいて、そんな人がこんなこと言ってるし、あたしも肩の力抜いて生きよう!って思いたい人がたくさんいるから、こういう本が発刊されるんだろうなとは思いました。

でも彼の文章はとにかく読みやすいんですよね。内容が整理されていて、スーッと読める。頭を使わなくて30分ぐらいもすれば一冊読み終える。これがいい読書体験と言えるかどうかはわかりませんが。

レミニセンス現象というのは知らなかった。あとで調べよう。

 

〜〜〜

 

なんだかいっぱい書いたけど、最近いい本に出会ってないなあ……。

日記をそこそこに書いていて気づいたこと

なんだかんだで、はてブに日記を頻繁に書き始めて一ヶ月ぐらい経ちました。

いくつかマインドの変化が起きた気がするので、備忘録として書いていきます。

 

■書いているうちに考え事が収束したケースがある

誰にでもあてはまるかもしれませんが、私は一つのことが気になると隙間時間に悶々と気になりだしてしまう癖があります。それは散歩中であったり料理中であったり、状況を問わないことも多く、せっかくのリラックス時間にも関わらず脳が疲れてしまうということもたびたびありました。

けれども「現在進行形でこういうことが気になっている」「こういう心持ちでいる」ということを断片的にでも書くことによってメタ認知が起きたのか、その問題に関しては解決していてもしていなくても、日記に書く前と比べると圧倒的に気がかりではなくなっていることが多くなっていると気づきました。

一応今までもノートの日記に書いたり、人に話したりといったことはしていたものの、解決あるいは納得しないことも多かったので、これはちょっとした発見でした。

もしかすると私にとってネット上の日記に書いておくという行為は、「いま自分は問題を抱えている」というメタ認知を起こす上で相性がいいのかもしれません。

 

■もしかすると今は限りなく健康なのかもしれないということ

こういった何気ないブログを書けていたり、世間のニュースに対して想いを致すということができているあたり、今の自分は健康なんだろうなあと気づきました。

もちろん100%健康かと言われたら、持病だのホルモンバランスだの不満はあります。けれど確かにこうして気持ちを外部にアウトプットできていること、他者に対して関心が持てている状態であることから、『健康である』といってもいいのかなと思います。

 

実際、自分はアウトプットできていない期間はだいたいメンタルが大変なことに遭っています。

最近の日記にちらっと書いているんですけど、残念なことに勤めていた企業において賃金未払い期間がありました。

さらに同時期、私の作業量は他のチームメンバーによって(と、自分は認識していますが)常に見積もりオーバーになっていて、そのとき私は『どうしてまともに賃金も支払われていないのに、きちんと賃金が支払われているメンバーは、私に賃金が支払われていないことを承知で、期間内に終わらない、あるいは自分の担当でないタスクを振るのだろう』と悩み苦しみ、果ては人権が損なわれているという感覚を常に持ってしまいがちの時期がありました。当時、SNSには時間的な問題ではなく何も書けないしそもそも人と極力喋りたくない状態になっていたと思います。

あと当時のノートの日記や人とのメッセージやりとりを見ていても、一応文章を書いているんですけど、文章になっていないものが多く、どう見てもあかんなという状況なんですよね。説明しようとするとまだその当時のメンタルに引きずられるので、ここでは割愛しますが。

 

そういう最悪な状態を知っているからこそ、いまこうして世の中に対して気持ちが発露できていることは、限りなく健康な状態だからだろうな〜と俯瞰して思いました。

 

■人に見られているかもしれないという意識ゆえに向上心が起きた

ノートの日記は、『自分しか読まない』状態がある程度担保されてしまっているからか、「まあどうせ誰も読まないし」という油断が生じており、結局1日の振り返りに適さないスタイルになっています。(まあ月や年スパンだといい振り返りになるのかもしれないけど……)

けど1日の終わりにこうしてネットに今日考えていたことを書くと、『誰かに読まれるかもしれない』という意識が自然と働くのか、『あれ、今日はたいしたことしてないな。明日はこういうこと頑張ってみよう』という意識づけが以前よりかは起きているように思います。

 

こんなところでしょうかねー?

 

完全に蛇足ですが、今日やったことで満足していることは、図書館で借りてきた法律関係の本とバラ園芸の本を読み終えたことです。

図書館って便利だなあ。

 

動揺

やはり今日はこの話題は避けて通れないという気持ちです。

 

news.yahoo.co.jp

 

安倍晋三元首相が死亡 - Yahoo!ニュース

 

今日はこの一連の速報ニュースを主にTwitter経由で、リアルタイムにずっと眺めていました。

総理を経験した政治家が凶弾によって亡くなられたという事実はいち国民として、とてもつらく感じます。

ニュースで多くの政治家がおっしゃっているように、民主主義に対して暴力で対抗するという形は、戦前の日本の人々が勝ち取ってきた民主主義のあり方を踏まえますと、けして許されるものではないと思いますし、何よりこのような残忍な形でひと一人の生命が絶たれたという事実が、非常につらく感じています。

 

政治家としての安倍晋三氏は功罪いずれも持ち合わせていると思いますが、それでも自分の中において、『安倍総理』という人は日本のために尽力し、ある程度の実績を残し、最後は非常に好意的に退任された人という印象を持っています。

 

ちょっとくだけて書くと安倍さんは、(そこまで政治に興味関心のない国民からみて)外交手腕がすごかったなと現時点では思います。北朝鮮拉致問題に関連する難しい外交問題に挑戦されたり、オリンピック招聘からのリオ閉会式でのご活躍をされたりなど、ここまで諸外国から認められたprime ministerは日本の戦後歴史上では安倍さんぐらいなのじゃなかろうか。「そんな人が……」という動揺がずっと自分の中にあります。

 

さらに率直な気持ちを書くと、『ずっと抱えていた言いようのない不安感を無理やり答え合わせさせられた感覚』を持ったような気持ちを味わっています。

『ずっと抱えていた言いようのない不安感』ですが、ここ数年……あるいはここ数カ月の日本の政治経済は、自分はあまりよくなっていないように感じているのです。

消費税率は2014年に5%から8%に上がり、さらに2019年には10%になり、そして世界情勢ではコロナ禍やウクライナ侵攻といった影響を受け、さらに地球温暖化による猛暑やらなんやら、『もしかして、日本は昔に比べて良くなっていないのでは?』といった不安な気持ちを誰が言わずともなんとなく持っていたような気がしていて、それが本事件によって一部正解であると証明されてしまったような感覚を受けています。

 

だからといってこれまでの日常が劇的に変わるわけでもないと思いますが、暗い影響をしばし引きずりそう。

 

あと懸念しているのは未来の話でしょうか。

今日の話はおそらく日本史に刻まれてしまうと思うのですが(それにしたって2019年から日本は色々起こりすぎで色々あるうちの一つにはなりそう)、その日本史の教科書を読んだ未来の若者が『このときの日本って、どうだったんですか?』『あなたはそのときどう思っていたんですか? 何をしていたんですか?』と無邪気な顔をして質問してきたとして、自分はそのときなんて答えるのだろうと考えると、とんでもない現代に生きているのだなということを嫌でも考えざるを得なくて、さらなる言いようもない不安感に襲われています。

自分は、いま何を思っているのだろう。何をしているんだろう。

いやもちろん自分がやるべき今日のタスクはこなしましたが、それでもなにか、『それも違うのではないか』という疑問がぬぐえません。

事件発生からそろそろ12時間が経ちますが、地に足をつけてうまく考えられない自分がいます。

 

うーんまとまりがないので、今日はこの辺で終わり。

本当に大したことは書いていない

なのにアクセス数が跳ねる時があるのはなぜでしょう。

最近書いた中で耳目を集めるネタは住民税の二重通知と、囲碁について思っていたことぐらいですかね? まあ今日もゆるーく書いていきます。

 

■やっぱり図書館便利だな〜〜〜

だいぶ前に絶版になった本が読みたくなり、ここ二ヶ月ぐらいはフリマアプリをずっと眺めていたんですが、出品がないしあってもかなり高価(元値の2~3倍ほど)で読むのは半ば諦めていました。

あるときふと「もしかして地元の図書館にあるんじゃない?」と気づき、調べたところ蔵書があったので早速取り寄せ予約。こういうときに住民税が還元されているなあ〜と思います。感謝。

 

コミケの入場券が届かない

原稿をこのまま書き進めていていいのだろうか。少々不安になってきました。

 

■野生のすっぽんと対峙

最初は「亀が落ちている!」と思ったんですが、フォロワーさんたちによってすっぽんであることが判明。触らなくてよかった……。

このあとおじさんがやってきて、「いま産卵シーズンなんだよね、だから昨日も夕方ぐらいにこのへんにいたよ」と教えてくれました。なるほどね〜。

家に帰ってからなんとなくすっぽんを捌く動画を見たんですが、なかなかにグロくて途中で視聴をやめてしまった……。魚を捌くのは平気なんですが、なんでダメなんだろう。

首を落とすところや、身体をひっくり返して、きこきこと甲羅?に近い部分を包丁で切り取られるところ、お腹をぱっくりと切り開かれた瞬間あたりは人間の構造に近いものを想起してしまったからかもしれない。

 

■おみくじ

そういえば今日、思い立って久々に神社でおみくじを引いてきました。結果は35番末吉。

『表面に出てはいけません。自分から進んですることは止めることです。無理してことをおこなうと大変なことになりますから慎んでおくことです』

という一方で、

『先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち人の為に制せられる』

んー? 自分から進んで何かを行うことは止めた方がいいのに先手必勝とはどういうこと……?と解釈に迷う結果でした。あと自分が大吉を引かないって結構珍しいことなんですよね。末吉、末広がりとはいえ、今後やっていきたいことと照らし合わせてますますちょっと悩みました。

このことを家族に話したところ、「前者と後者で矛盾が起きないように行動すればいいんじゃない?」という意見をもらう。なるほどー。

目立たないようにしつつ先手必勝で、そして無理はしないように動けってところでしょうか。なかなか難しい注文です。

 

そういえば自分は(年齢の割に)しょっちゅう神社に参拝する習慣があるんですが、理由の一つに母方の実家が神社であることが大きい気がしています。

それゆえに「罰当たり」「お天道様は見ている(天網恢恢疎にして漏らさず的な……)」考え方が自分の中に染み渡っている気がするんだけど、このために自分の行動が知らずに制限されていることがないかどうか、ちょっと悩ましい……。いやまあ、もちろんモラルの中で生きることは大事ですが。

 

なんだかとりとめのない内容になった。しかしこう書いてみるとそんなに勉強していないことがバレてしまう。朝起きて30分ぐらいは勉強してるんだけど、もうちょい頑張ります。

ああどんどん日が過ぎていく

あっという間に7月が目前に迫っていますね。

 

■住民税の通知が二重にやってくる

先日、6月10日付で住民税の通知が来ていました。「まあ去年はこれぐらい稼いでいたのねふーん」という気持ちで一括納入したのが6月15日。

そして今日も6月24日付での住民税通知がやってきました。えええええ? 一瞬寝込むかと思いました。しかも複数枚での通知、何があった。

タネを明かすと勤めていた企業において未払い賃金が発生しており、そちらを先日ようやく払ってもらったため、未払い賃金が発生していた該当年度分に対してそれぞれ新たに住民税が割増で発生したのです。(つまり差額が発生するほどの残業代が未払いだったと考えると、ドキドキするなあ)

しかし今年度分の住民税額が『すでに一括で支払った額+差額』での納付書になっているのはさすがに驚いてしまった。「さすがにこの額ではないだろう……」と思い、役所に電話して確認をしました。

確認したところ、全期分を一括で払っていることを役所側でまだ把握しきれておらず(金融機関との連携にタイムラグがあるそう)、それで2・3・4期分はまだ元々の金額が乗っかっている額での通知になってしまっているとのことでした。

それから市民税課から納税課に電話を交代され、「今日発行して郵送するので、今週中には新しい納付書が届きます」とのこと……「もしかしてこういう場合、放置していても新しい差額分だけの納付書って届かないものですか?」と尋ねたところ「はい、そうなります。だから問い合わせてもらって助かりました」と言われたんですが、それって気づかない人だと二重支払いにならない……? 

というか、そもそも賃金未払いを起こした企業が問題なんだよなあ。会社はいろいろなところにごめんなさいしてほしい。

 

まあしかしそんなことが自分の身に起きていたもので、最近は労基による是正勧告関連の報道がよく目につきます。

こういうニュースが増えるのも、時代の変遷なのかな。

 

 

なんか普通の日記になっている

もともと自分は思考のアウトプットをするのが下手だと思っています。それでフラットな表現を書く癖をつけておきたいと思い、それで久々にはてブを書き始めたんですが……。なんか普通の日記になってきていますね。

「今日はこれをやった。こう思った」という内容は記録日記としては価値があるんでしょうけど、もうちょっと頑張って書いていきたいと思います。

 

■大学の後輩に久々に会った

後輩にはコロナ前あたりに会った記憶があるので、およそ2~3年ぶり?変わらず元気そうで何よりです。

そしてその後輩がいま推している『harmoe』というユニットの1stアルバムアドトラが新宿を周遊するので、それを撮影したいとのことでなぜか自分も撮影していました。

自分が推しているコンテンツはアドトラを出さない気がしているので、アドトラの仕組みをいまいちよくわかっていなかったんですが、後輩から「公式が事前にどこそこに何時に周遊するのを告知している」とか「アドトラって、運転手が撮影する人を見かけたらちょっと速度を落として運転してくれるんですよ」などと色々教えてもらって、そういう世界もあるんだな……と思いました。

個人的には新宿・渋谷・秋葉あたりで走らせるよりかはTwitter広告を出した方が、もともとのファンがこぞってRTして、そこから同じ嗜好を持つファンに波及させられそうな気がしているのだけど。そうするよりかは普段からそういったコンテンツに慣れ親しんでいない都会の人たちにも「何あれ?」って興味を惹かせる方が大事だと思う人がいるってことなのかな。どうなんでしょう。

聞けばキングレコード系はそういった広告宣伝が多いらしいので、伝統芸かもしれない。また一つ世の中の仕組みを知った気がします。

 

■無相関検定

後輩とちょっと話していて、『もしかするとhogehogeについて今後頼むかもしれない……』と言われたので、久々に統計学の本を引っ張り出して読んでいました。

相関係数が0.2~0.4の間にあるからといってただちに弱い相関があるとは言えないとか、やったなあ……。この有意水準をどの値に定めるかは、調べたいことに対してのミッションで決める必要があるのだけど、もう少し母集団に対する理解を深めないとなあとかなんかもごもご考えていたことをメモして今日は終わっておきます。

 

■推し活……?

先述の後輩から「そういえば先輩、距離感は気をつけた方がいいですよ」と歩いているときに突然言われて「なんのこと?」と尋ねたところ、「ここのところ囲碁棋士を推していたでしょう。距離感がやばいと思ってましたよ。地下ドルへのそれかと思いました。それがあっさり卒業しちゃって。ちょっと短すぎると思いました。推しに対して手のひら返しが激しくありませんか? 自分はまだ先輩が何を考えていたか、なんとなく先輩の性格からわかりますけど、同担からすれば表面的な応援に見えて『なんやあいつ』って思われますよ。そりゃ推しから直接返事をもらってましたしそれをきっかけに解釈違いって引く人間もいますけど、先輩の場合はそれ以前に卒業しかけてましたしそもそもガチ恋でもないですし、あとで卒業して後悔しないように過ごした方が良くないですか」と突っ込まれて悩んでしまった。うーーーん。

ちなみに誰の話かというと、囲碁の一力遼先生の話であります。

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まあ応援される人も人間なので、いきなり応援されていきなり去られたら「なんなんだあの人は……」という恐怖と困惑が訪れると思うけど(そこに関しては申し訳なさがある……)

とはいえ囲碁棋士は人気商売ではないし、たとえばファンからの応援度合いでCD頒布枚数が決まる芸能界の人とかだったらこちらのやり方も少しは変えますが、勝負師だからなあ……。こんな得体の知れないファンがいなくても普通にご活躍していてほしいし、そうでないとよくないと思うのです。

ただ一力先生から直接の返事をいただいた件については、近いうちにこのブログにも書いておきたいなあ。今後一力先生を応援する人の一助となる気がする(※)ので。というぐらいですかね?

 

※ファンからすれば応援している人/コンテンツが、過去にファンに対してファンレターの返事をしているかどうかを事前に知れていると、ファン側がファンレターの類を送るときのモチベーションにもつながるじゃん?ということです。

 

 

なんか今日も色々考え込んでしまった、考えるのが好きなのかも知れない。