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地味にメモ

「嫌われる勇気」アドラー本を読んだ

研究室の先輩が貸してくださったので読みました。 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

この本はいわゆる哲学・自己啓発本に分類されるものの、二人の人間が出てきて会話形式に話が進むという、珍しいスタイルを取り入れている。

以下、ネットでも出回っているレベルでのアドラー哲学の話とそれらに関する感想。 

 

取り入れたいと思った部分

アドラーは「トラウマなどない」という主張で有名である。

この本でもそれはしっかりと論じられていて、そのくだりは非常に秀逸だった。

 

「トラウマなど存在しない。

 ただ"やりたいこと"があり、その目的のために過去に起きたことを言い訳しているに変わらない」

 

例えば、アドラーに言わせれば

 「過去にひどい失恋をした!だからもう恋なんてしない!」

というのは大嘘である。

このセリフを分類するとトラウマ(原因があって)→行動(に至る)ですね。

だけどこのセリフをアドラー流に言い換えれば、

 「恋をしたくないから、過去の失恋のトラウマをしきりに持ち出し、それらを周囲に納得させて、恋をしない行動(やりたいこと)へとつなげている。」

といったところだろう。目的→ツール(トラウマ)→行動となっている。

 

確かに、怠惰な自分に照らし合わせて自省すると、「〜〜ということがあったから〜〜はやりたくない」と主張していたことは、単に失敗を恐れていて「単純にやりたくなくて、過去のことを言い訳しているに過ぎない」という考え方は否定できない。

「やりたくない」という気持ちに関して、全体最適化に適っていないからか、それとも自分由来の感情なのか、そこを見極めてうまくライフスタイルに取り入れるとよいと思った。

 

賛同できにくい部分

アドラーは「人は感情を道具としてコントロールして使っている」と指摘している。

本書の中ではこんな例を持ち出していた。

 

  ある母娘が大声で口論していた。

  突然電話のベルが鳴り響き、母はやや怒りの感情をこめつつも受話器を取る。

  その電話主は学校の先生で、途端に母は丁寧な口調になる。

  そして電話が終えると、母はまた娘に怒りの感情を向ける。

 

日常によくありふれているエピソードだが、ここでアドラーが言いたいのは「怒り」という感情を、何かの目的到達のために用いているに過ぎないということである。

今回の場合だと、娘に対して「怒り」の感情をぶつけることで、娘を反省の方向に導かせるといった具合だろう。

アドラーは「感情で人の行動を支配するのは赤ん坊までにしておけ」と主張しているようだ。その根拠として、「人は感情的にならずとも、他者を何かしらの行動に導くことは可能だ」・「人は感情に抗えない存在ではない」・「人は怒りを捏造するから」といったことを主張している。

ただし、アドラーも感情の揺れ方そのものを否定しているわけではない。あくまでも「そのときに受けた感情にいつまでも縛られるな。ひいては過去に縛られるな。」と指摘しているのだとは思う。 

 

だが私はここで、違和感を受けた。

私は、それに関してはどちらかといえば自分はできないと思っているし、私の周りもそうでない人が多いから、どうしても違和感を受けてしまった。

アドラーは全体的にはなかなか受け入れやすい哲学を説いてくれているが、ここのくだりだけは馴染めなかった。

(もしかすると、読解が浅いのかもしれないが。)

 

全体を通して

8割は「まあそうだろう」という気概であった。概ね彼の考え方には賛同である。

自分のライフスタイルに取り入れられるかどうかは、読解と理解を重ねる必要はありそう。

 

人にお勧めできるか否か

普通。

そう考える理由は、文体と内容である。

 

文体

文体の読みやすさはある方だと思う。

ただそれは初読の場合であって、再読をしたい際にピンポイントで読みたいところを探すには少し厳しい。冒頭にも書いた通り、本書は二人の人間の会話によってアドラー哲学を読み解いていくものだからだ。

もう少し深く内容を知りたいor再読性を求める人にはお勧めしにくい。

 

内容

内容に関しては、「まあ鵜呑みにすると危険だよな」と思う。

アドラーはあくまでも「感情・過去に支配されずに動け」、「人のために貢献することが一番の幸せ」と説いている。

しかし、まずは精神ならび肉体の健康が保持される上でないとそれらを実行するのは難しいと私は思う。

 

極端な例え話かもしれないけど、家族を亡くしたばかりの人がいたとする。

当然、その人は落ち込む。

翌日に自分に向かって「元気出せよ、がんばれよ。過去ばかり見てくよくよするな。」などと自己を鼓舞する人はいないと思うが、半年、一年経っても元気を出せずにいる場合は世界中どこにでも起こり得るだろう。

そのとき、この本をその人に読ませることで「私はアドラーに言わせれば、家族を亡くしたことを言い訳にして元気にならないという行動をしているのだろうか?」などと当人に考えさせるのが、この本の目的だろうか。

アドラーの言いたいことはそうではないだろうが、極限まで追い詰められた人は、その思考にも至れない人が多いと思う。

必要があれば適切なカウンセリングを受けたり、薬に頼るのも一つの手だとはアドラーも考えるとは思うのだ。ただし、本書ではそういったことは全く示されていない。

ゆえに、鬱や本当に生命に関わるトラウマを持つ人には、アドラー哲学が解決に導く考え方ではないのでお勧めできないと思えてしまった。

(だから、先述した"感情云々"のくだりが私には馴染めなかったのかもしれない)

 

そのあたり、本書においてはもう少し救いの部分も強調していけば、癒される人も増えるのではないかなどとamazonの星1のレビューをつけている人をみて思った。(ここでは紹介しないが)

 

 

続きの本も借りたのだけど、いったいいつ読破できるのだろうか。