語彙力とコミュニケーションについて
語彙力には3段階あると思う。
まずは「ある概念を表現するときの言葉がある」という認識・認知の段階。
漢字や熟語の読み書き、もっと落とし込めば概念理解の学習段階である。
次に、その言葉を使う状況になる・使用する段階になること。
ある状況になったとき、自分や物の状態を的確に説明するための言葉を選んで用いる段階である。人への説明や、日常会話が相当する。
言葉を使用するためには様々な経験を経ないと、結局自分のものとして落とし込めない。ある言葉や概念、もっといえば他者の感情を知っていることと、ある言葉を自分が使用する状況になり、実際に使ったことには大きな差があると思う。
最後に、その言葉を用いることでそれが自分の人間性や社会的立ち位置と合わせて、相手に対してどういった意味や思考を与える・与えやすいのかを認識して使う段階。
そしてエクストラモードとして、よりシンプルに言葉を省略化して、かつ自分のブランディングイメージも損なわずに相手に自分の想いや意思を的確に伝わるように使う段階である。
これらの段階を経て初めて、人は語彙力があるといえるのではないかとふと思った。そしてその人の語彙力と、コミュニケーション能力の関係はなかなか切れない。
更に思うこととして、素人が第三段階をなくしてエクストラモードで初対面の人間に接していくことは相当危険なことに思う。というのも、単にコミュニケーションコストを省エネしたい人にも思われがちになりかねないからだ。長期的なコミュニケーションをしていくにはもともとの人間性を相手に知ってもらった上で、きちんとした言葉を取捨選択して話していく必要があると思うので、そこの塩梅は難しいと思う。
まあそういった段階をすっ飛ばしたいなら、同じような背景で同じような言葉やコミュニケーションを用いるコミュニティにずっと属するのも一つの方法なのだろうけど、社会における自身の成長が担保されるかどうかわからないのでなんとも言えない。でもたぶんよくないと思う。コミュニティの人間がずっとそこにいてくれる保証なんてないからだ。
ということを思った。