みたぬメモ

地味にメモ

人に言われたことで特に印象に残っている言葉をひたすらあげてみる

出だしからひどい話なんですが、人生もそこそこに生きてきて、「あっ、これたぶん自分は長生きするのではないか」と気づくようになってきました。

これはわからない人はわからないだろうけど、自分はなんとなく、30歳ぐらいまで生きていないのではないかと漠然とした考えを昔から持っていて、でもその漠然とした考えはそろそろ覆され、今では「うーん、どうももうちょっと長く生きるような気がする。そうなると自分の人生は他者貢献・相互扶助……まあそんな感じでとりあえず社会がもっとハッピーになるようにしつつ、自分の人生を最大限冗長化する努力をしないといけないような気がする」と、これまた漠然とした考えにシフトしつつあります。(「今更ですか?」と聞かれても人には人の人生があると私は思っていて、私も人の口出しをしないから、私のことをろくに知らない人に口出しされるといやだなあという所存です。でも好き嫌いは当然あると思うので、エクスキューズを投げます。ここいらで「あっ、こいつの文章や考え方は私にフィットしないかも!」と思ったら逃げてください)

 

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で、長く生きて行くにはある程度は人生の指標、もっと低レイヤーに落とすと行動の指標というのが言葉として必要だと思っています。現時点では「うーんあの人のあの言葉はよかったなー、じゃあ取り入れてみるかー」というものがもちろん存在していて、たぶんその中のいくつかは今後も変わらないだろうし、いくつかは変わるかもしれない。ここでやりたいのはそれらをきちんと言語化して記録に残すことで、その言葉が「なぜ自分にフィットしたのか / もうフィットしなくなったのか」ということの述懐と、こういうことを書けばたぶん他の人が持つそういう言葉を、同じように書いてくれるんじゃないかなーという呼応を期待しているからです。(自分がそういうものを読むのが好きなので)

で、ここでは偉人や有名人とかそういうものの言葉は取り上げていません(ネットに転がっているものをあえて書き残す必要もないかなと思いました)

 

【フィットしたもの10選】 

1. 人間が作ったものなんだから、人間にとって便利な仕様になっていると考えてもいいのではないか

これは兄の言葉です。

たしか兄がエクセルに苦戦していて、「〜〜という機能があれば便利なのに、どうして存在しないのだろうか。いや待て、調べてみるか。やはりあった。そうだよな、そもそもエクセルは人間が作ったものなんだから、ある程度人間にとって使いやすい仕様であると、機能を想定しながら使うことも大事なんじゃないか」とブログに書いていたのがやけに印象に残っています。

実際、自分が「こうすれば楽なのに」と思ったことはほとんど考え尽くされていて、もうすでに手を尽くされている可能性と、それでも本当に不便であれば自分で作るなりすればいいという二つの側面をもらった言葉だなと思いました。

 

2. なぜ織田信長が負けたと思いますか? 情報が足りなかったからですよ。

これはとあるチームを組んでいたとき、映画監督志望の人に言われた言葉です。自分が「これこれこういう風にすればよくなるんじゃないか」と言ったときに「それはどうでしょう、もうちょっと調べましょう」と切り返され、続けて言われた言葉です。

歴史を出されると、それは(およそ)事実であるのでもう切り返せません。実際、情報が足りないと人間は不安になりがちであったり、策を組み立てるのも独善的になりがちになったりと、ネガティブ要素を少なからず持ってしまうと自分も同意するので、本気で何かに勝ちたい・目標を到達させたい場合は、それに関連する情報に敏感になる必要があると思っています。

 

3. 人間、全部持つことは無理なのでやはり取捨選択は必要

これは隣のラボの先生に言われた言葉で、「まあそんなもんなんだろうなあ」としっくりきたのでそのまま取り入れている。これは隣のラボの先生のことをわりと無条件に「うーんすごい人やなー」と尊敬していることや(これはもしかしたらよくないことなのだろうけど)、人生の先輩から出た言葉は基本的に素直に享受するという自分の人間性もあるのかもしれません。

 

4. 人間、背が高いとか自分より綺麗だとか若いだとか、そういうものだけで簡単に嫉妬する。女は特にそうだ。

これは近所に住んでいたおばあちゃん(over 80)に言われた話です。そのときは自分も何かで疲れていて、「どうしてこんな目に遭うのかわからない」といったことを話したところ、人生論について語られて「あー、まあそう考えると合点はいくな」と腑に落ちた言葉です。フラットに評価されることは非常に珍しく、あいつは俺より背が高いといったファーストインプレッションや、あいつは学歴があるから調子に乗っている、あいつは学がないから馬鹿に違いないなどと、その人の持つバックグラウンドで勝手に、しかもほとんどは無意識的に傾斜をつけて評価する人は多いという、自制を込めて覚えています。

 

5. コミュニケーションとは、目に見えないものの方が評価されやすい

これは尊敬している先輩に言われた言葉です。

自分が人間関係に悩んでいたときに、アドバイスをくださいと恐れ多くも言ったところ「人間はおもしろいもので、朝の挨拶だとかちょっと身の回りを綺麗にすることが実はコミュニケーションに大事」ということと、「別に成果があるとか中身があるとかは関係なくて、その人の機嫌がいいかどうか、気にいるか気に入らないかということを忘れがち」というのを聞いて、これはちょっとメタ的かもしれませんが、私はその先輩を結構尊敬していまして、「その人ですらそういうことを実践しているんだから、まあそりゃ実践した方がうまくいくに決まっているよな」という気持ちがすんなりと持てたのかもしれません。

 

6. ロジカルな物言いは確かによい側面も持ち合わせているが、結局人間はすききらいで動く動物だ。実際市場だってそういうもので動いているものもある。

これは5のつながりで思い出しました、これまた別の尊敬している先輩から言われたものです。

きっかけは理系特有の、といってもこの言葉からみなさんが想起する印象は人それぞれだと思うんですが、自分の認識だと「感情の揺らぎがなく・落ち着き払って・きちんとした知識/経験前提のもとでの・ロジカルな話し方」というものに憧れをもっていまして(それはたぶん尊敬している人たちがそういう話し方をする人が多いからかもしれない)、自分もそうであろうとしているが、しかしえらそうだのなんだの言われてしまいがちだということを言ったようなときに言われた言葉です。

まあTPOに合わせた話し方をしなさいよと言われたらそれまでですが、他者のすききらいという要素を考慮しないやり方はうまくいかないんだなーとしみじみ思わされた言葉です。

 

7. いま辛いと思っているものはきっとずっと辛くて、それにずっと捉われてエネルギーを費やすぐらいなら、いまもう少しのエネルギーを出して、それの解決になるように動いたらどうですか

これは大学の同期に言われた言葉です。

そのときも相変わらずしんどいことが起きていた気がして、それを指摘された時に「それもそうだ。もうちょっと頑張れば解決するかもしれない」という風に動くきっかけになった言葉です。つらいときは長期的につらい状態になってしまうかもしれない、ということを見落としがちで、結局それらの総エネルギーはすさまじくなってしまいがち。なんでも行動って大事ですね。

 

8. なんかねえ、人間は一人でいるとさみしくなる生き物なんだよ

これは特別に世話になっている、大学の先生に言われた言葉です。人生についてしみじみ茶をしばきつつ話したときに言われた言葉で、「君は家族や友達が身近にたくさんいるから、さみしくないんだと思うんだよね。だから、一人でもいいんじゃないかなとか思うのかもしれないけど、人間はさみしくなる生き物だからね」と言われて「うーんまあそうかもなー」と、まあ、実感したりしなかったり。(心では認めつつも、頭では理解したくないのかもしれません。)でも、ある人はそういう心の持ち方を持っている、と考えると、どうして集団であろうとするのかなーとか、そういうメカニズムがわかるのはいいことだと思っています。

 

9. 人間、弱っているときは自分より弱い(と思っている)人間を傷つけたくなるものだからねえ

これも上と同じ先生に言われた言葉で、「ああ、うん。まあそうだよな」と思ったものです。そのときの自分は、たぶんその先生から見ると傷ついた状態で、でもどうしてそういう攻撃(という表現も間違いかもしれませんが)を喰らったんだろうというしみじみした話をしたところ、その人もその人で弱っていて、行為自体が正しいか悪いかはともかくその人は私に攻撃せざるを得なかったのだという、事象の理解は得られたなーと思える言葉でした。

 

10. 

(おっ、もう最後か。いいやつにするかーーーと思っていろいろ思い出していたら、逆にどれがよいのかわからなくなって空白)

(細かいことはパッと思いつくんですが、たとえば「私ははっきりと物を言うことは損をすることだと思っている」、「誠実さが欠けている相手に、私も誠実さを欠けてしまったら、相手に隙を与える」、「別に敬ってはいない相手に敬語を使うのは、あくまでも自分の身を守るため」とかいろいろあるんですけど、なんか「うーんどれも違うねーーー」という気持ちになりました。たぶんフィットしていないのかもしれません。)

人の言葉に優劣も何もないですし、もっといえば選べないぐらいには、自分は自分で思っているよりも人に恵まれていたのかもしれません。

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いつだったかスピリチュアルな本を雑に読んでいたとき、「他人から言われる言葉というのは、その人の今にとって重要なことを、ご先祖の霊がその他人の口を使ってあなたにアドバイスしていると受け止めなさい」といったことが書かれていまして、「その考えもいいなー」とそのとき思いました。

耳に痛い言葉や激励の言葉も、"その人にとってはいまの私に必要だと思った言葉だから言われているんだなー"と思えば、ある程度は受け入れやすい体制であったり、逆にスルーする体制が作れるのかなあなどと模索しています。

結局は言葉も縁であって、なんかこのエントリの中で「あーうんうんわかるわー」という共感だったり「いやいや私はこう思うわ」というアウトプットだったりを誰かしらに巻き起こせたら嬉しいなと思いました。というところで締めます。