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宇多田ヒカルの曲「光」を語らせてくれ・その1

ちょっと長い前置き

自分は他の人の感想や口コミを読むわりには、感想を書くことが少ないんじゃないか〜と唐突に気づきました。

個人的には「私一人が感想を書いたところで、他人に影響は及ぼさない」という非常に冷めた考えを持っているんですが、それはそれで世の中に対してあまりに消極的にすぎるし、あるものに関して適切に(冷静にしかし情熱を持って)魅力を言語化する努力をしないというのもいかがなものか。ということで改めて書いてみたいな〜と思います。

 

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好きなものとか気に入っているものなら書きやすそう、ということからまずは宇多田ヒカルさんの「光」「Simple and Clean」そして「Passion」について関連づけて語っていきたいと思っています。これらの楽曲の関連性は何? そう、キングダムハーツの主題歌です。

(先日初めて彼女のライブに行ったので、思いを整理しておきたかったのもあります)

色々な人の中で世界観が構成されている曲について語るのは恐縮しかないし、音楽的な教養は一切ないので、歌詞から受け取る世界観で勘弁してください(色々な方向に向かって)

 

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「光」について 

光

 

 宇多田ヒカルさんの本名を冠したこの楽曲。「自分と同じ名前をつけるほど」、本人にとって特別な曲だと述懐されており(2006年に行われたライブ・Utada United)、さらには私の大好きなゲーム・キングダムハーツの主題歌でもあります。

けど私はこの楽曲は、キングダムハーツの世界観には必ずしも全てがマッチングしていないと思っています。キングダムハーツアルティマニアにディレクターの野村哲也さんが、「光」が主題歌になった経緯として以下のエピソードを語っています。

 

「エンディングのイメージはわりと早い段階から決まってたんで、主人公とヒロインがお別れをするシーンで流れる、でも、その別れは悲しい別れではなくて、すごく前向きな別れですということをお伝えしたんです。歌詞的にはピッタリで、はじめて聴いたときはふるえて言葉が出ませんでした。一応NGワードで、”携帯電話”とか、そういうゲーム中の世界にない単語は入れないでくださいと言ったんですが、”テレビ”が入ってましたね(笑)。でも、あれは深い意味にも取れて良かったと思います。」

 

引用:キングダムハーツ アルティマニア

 

この言葉からも読み取れるように、「光」という楽曲は、キングダムハーツからのリクエストは全て受け取らず、「光」としての世界観を独立させて作られたように思いました。

そしてこの「光」という曲でようやく「宇多田さんは、ようやく宇多田ヒカルさんの幸せな内面を描くことができたんじゃないか」、彼女のいちファンとしてはそんな風にものすごく嬉しく感じながら聴いています。

 

「光」と他の楽曲の明白な違い 

私と彼女の楽曲はファーストアルバムからのおつきあいですが、ほとんどの楽曲に一貫して描かれていた一つのテーマがありました。「孤独」です。

 

  • 誰かと一緒にいながらもどこか距離を感じる孤独。
  • 一時期は互いに求めあっていたのに、結局うまくいかずに終わって味わう孤独。
  • 求めて(受け取っているのにも関わらず)も満たされない孤独。
  • 求められているのに満たすことができない内なる孤独。
  • 頂点に登りつめた者の孤独 

 

書き出すとたくさんあるんですけど、宇多田ヒカルさんの楽曲は終始「孤独」という根底の感情がつきまとっているように私は感じています。

 

どこにも属せず、誰かから求められているのに、あるいは誰かに求めているのにその感情はうまく噛み合うことができない、そんなもどかしさを感じさせられるものです。 

 

でもそれらは言ってしまえば、どこにでも、誰にでも起きうる普遍的な孤独であるので、それらの歌詞は誰でもあたかも自分のことが歌われているかのような錯覚に陥ることができるのかもしれません。現に私もその一人です。

 

しかし一方「光」の歌詞は、純然たる主人公が存在しているかのようなストーリーを彷彿させられるものです。

歌詞を見ていきます。歌い出しは

 

「どんなときだって たった一人で」

 

と始まります。もうずっと孤独だったということを認めている主人公であることが窺えます。なんだか、リスナーが置いてけぼりかもしれません。けど続けて

 

「運命忘れて 生きてきたのに」

 

ここ、いつだったかの番組で小田和正さんが「普通なら『運命背負って』とかいうところを、『運命忘れて 生きてきた』んだからすごいよね」と評された記憶があります。

私自身は、「この曲の主人公はずっとひとりで生きてきて、これからもそうしてずっと一人で生きていくのだから、いわゆる"暖かい家庭"や"心から信頼できる誰か"といった、"普通の人"(普通という表現とは大衆化している存在ではなく、ここではあくまで理想的なもののイメージです。たとえば、温かい家庭だとか、自分を惜しみなく愛してくれる周りの人たちといった、ホームドラマに出てくるような人物像を指しています)なら得られるような人生のレールには乗っかれない、そういった運命は自分には縁がないと割り切っていた寂しい主人公なのだから、『運命忘れて生きてきた』という歌詞は、非常に自然な表現だな」と解釈しています。

 

そして以下のフレーズに続きます。

 

「突然の光の中 目が覚める 真夜中に」

 

この主人公は何かしらの「光」に出会ったのかな?という出だしです。どうやらこの楽曲の主人公は、先述の"心から信頼できる誰か"に出会い、孤独な人間ではなくなったのかもしれない。そんな予感があります。なんだか幸せな予感のある曲です。ここでリスナーもなんだなんだとようやく追いつけます。(当然主観です)

  

静かに出口に立って 暗闇に光を撃て

ここのフレーズは実は宇多田ヒカルさんがブログにちょっと触れています。

Hikaru Utada Official Website | MESSAGE from Hikki

2013.11.26の「トンネルの向こうの光が見えてきたぁ」です。

 

”私にとって、出口の先にあるのは光じゃなくて暗闇なのかな”という言葉からも読み取れるように、「これから暗闇を探索するのか」ということをやっぱり想起させられます。

この場合の「光」は、さっき書いた「心から信頼できる誰か」ではなくて、この主人公が自分の中に持っている光のイメージを私は持っていますが、他の人の解釈はまた違うのかな?

 

余談ですけど、自分はずっとここの歌詞を「これまで歩いてきた道は暗闇で、それらに光を撃つ」ということだと思っていました。

孤独だった暗闇の道の出口が見えてきて、光を撃つことができる力(と書くとなんか安っぽいんですけど、ここでいうと経験とか。他人との関係性とか。)を手に入れて、主人公がこれまでの道を振り返って、「これまでの闇は終わるんだよ」とでも過去の自分に伝えることが「出口に立って光を撃つ」ことと思っていました。

なんかでもよく考えたら、パートナーがいようがいまいがこれからの道が必ずしも光である保証の方が少ない、けれど眼前に広がる暗闇を通って行くための何かの力を得た、という方がしっくり来るよね。と思うこの頃です。

 

どうやら"誰か"といるみたい 

「家族にも紹介するよ きっとうまくいくよ」

 

「光」の歌詞には”私”と、「未来はずっと先だよ 僕にもわからない」のフレーズにも見られるように、もう一人の登場人物、”僕”の存在が匂わされます。

 

歌詞を追うと、どうやら結婚を間近に控えた”私”と”僕”の二人のカップルの話のように思えます。(実際、そういう解釈をする人の方が多数なのではないでしょうか)

で、お前感想にいきなり現実世界の事例をぶち込むんじゃねえよと言われそうですけど、ここからどうしても自分は「あーこの歌詞の主人公の一つの例は宇多田ヒカルさんと前夫、紀里谷和明さんなんだなあ」と考えていました。

宇多田ヒカルさんは19歳のときに一度電撃結婚されています。当時のメディアも楽曲「光」はその結婚を示唆していたのではないか、としばしば取り上げていました。)

 

途中の歌詞に「完成させないで もっとよくして ワンシーンずつ 撮っていけばいいから」なんてまさに、映像監督である紀里谷和明さんに向けた当時の宇多田さんからの秘密のメッセージなんじゃないか……なんて、ロマンティックじゃん? ロマンティックだよね!? 実際そうだったら最高に可愛い。 国民的歌姫が、好きな人=監督に向けて歌詞に想いを乗せているなんて、メタ的にこの歌詞から素敵なドラマを感じ取ってしまいます。

(とはいえこのご夫妻はのちに離婚するので、それについてばかり肯定的に感想を書くのも憚られますが……、でも当時宇多田さんは本当に幸せだったんだろうなあと感じてやみません)

 

”私”と”僕”は多少意識や行動の上ですれ違いを起こしつつも、それでもお互いそばにいることを決めたんだから、いいよね(語彙力衰退)

しかし「前向きなお別れ」とリクエストされたのに「どんなときだってずっと二人で」の歌詞は、個人的にはめちゃくちゃ面白いです。

 

私のことだけを見ていてよ

この歌詞を見て、「運命を忘れて生きてきた私」という主人公が、「ようやくわがままを主張できているんじゃないかな」などと、親心で見てしまいます。泣けちゃうやんけ。

余談で、宇多田さんが離婚後初のライブ「Wild Life」で「光」を歌ったときは、「私のことだけを」で歌うのを止める演出なんですけど、「そこから先のわがままは、もう言えない」という気持ちに至るところまで来ちゃったのかなあなんてファン的には色々感慨深くてオンオン泣きました。その前のライブ「Utada United」ではめちゃくちゃ幸せそうに宇多田さんが「光」を歌っていたということもあり、その対比を考えるとエモくてエモくて……。(宇多田さん自身は自分の作った楽曲にそこまで強い思い入れもない(日常的ではない)というインタビューも読破した上で、さらにアーティストの結婚離婚を含めて感想を書くのもどうなのという気持ちを持ち合わせた上での、超何様目線感想です)

 

ようやくこの歳になって気付いたんですけど、音楽ってのは音楽そのものだけでなくて、その音楽と一緒に成長してきた自分のこと、周りのこと、経過時間といった音楽以外のものも同時に喚起されて、すごくエモい感情を得られるんだなあと知りました。本当に今更です。

 

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やっぱりめちゃくちゃ長くなった。4000文字越えですよ。

この後「Simple And Clean」と「光」の感想に続くわけですけど、次はいつかしら。

 

後この記事で宇多田さんの「光」が気になった人、Apple MusicやSpotifyに加入している人はもちろん、PSVRで無料ライブ映像楽しめるからぜひぜひぜひ(ダイレクトマーケティング

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