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6+8ができなかった話

今回は算数ができなかった自身の小学生時代について振り返ってみるという話です。

仲間内に話したところ、「算数/数学を教える側の観点で読むと、なかなか興味深い」と言われたのでまとめます。

 

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まずはこの日記を書こうと思ったきっかけについて書きます。

先日部屋の掃除をしていたところ、こんなものを見つけました。

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トレーディングカードゲームTCG)をやる人なら、すぐにピンときたかもしれません。

多くのTCGにはプレイヤーの持ち点(ライフ)があり、その持ち点を回転窓で表示される数値で示す、ライフカウンターが重宝されます。

↑こういうやつ。

 

私には兄がおり、むかし兄はマジックザギャザリングというTCGをやるために、私をよく付き合わせていました。この工作は、ライフカウンターを持っていない私のために自作したものです。

もう捨てるか、と一瞬思ったんですが、これが非常に良くできていました。回転させる上部ダイヤル部分がつっかえることなく回るし、窓にはきちんと数字が見えている。捨てる前にせっかくなので、解体してどのように作られているか確認することにしました。

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裏面。当時流行ったショボーンの落書き(これらは兄によるもの)

 

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ホチキスで片側だけ止めることにより、うまく回転させていたようです。

窓に持ち点を表示させるために、少しずつ角度をつけて数値を書いてくれています。ちなみにゲームの初期持ち点は20点のため、1~20の数値が書き込まれています。

 

ここでなんとなく自分が感動したのが、「円を20分割するために、まず最初に4分割を行なってから、5分割している」ということでした。

なにを言っているかわからんという人のために、もし当時の兄と同じようなものを私が作れと言われたら、以下図のようなものができると考えたのです。

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これは単に円の一周360度を20で割ったものです。分度器で少しずつ角度を測って、均等に線を引いた状態です。

 

この二つの円を比較して、『同じように育ったきょうだいで、どこでその差がついたのか』を考えたときに、タイトルに書いた「そういえば自分は6+8ができなかった」ということを思い出しました。

 

1. 指を使った計算に慣れすぎていた

自分は体育より学び重視の幼稚園に通っていたので、数の順序・数の大小・簡単な式は理解できていた状態で小学校に入学しました。

けれど5以上の答えが出てくる一桁同士の計算、たとえば6+2とか7+2といった計算がやや苦手でした。小1後半〜小2前半ぐらいまで指を使って計算していたためです。

指は五本しかない以上、5以上の数値がきた途端に「あれ?」と困った覚えがあります。先生にも「そろそろ指を使って計算するのをやめよう」と注意された記憶があるほどには、同級生よりかは指を使っていた記憶があります。

 

2. 数の分解発想に至らない

指を取り上げられた(言い方に語弊がある)私ですが、さらに苦行は続きます。

6+8といった、繰り上がりが発生して答えが10以上になる計算で詰まります。

 

文科省の学習指導要領・算数には、小学一年生が身に着けるべきこととして、以下の内容が書かれています。(読み飛ばしてもらって大丈夫です)

 

数量の関係に着目し,計算の仕方を考えること

 加法及び減法の計算の仕方を考える場合,既習の数の見方や計算の仕方を活用することで,未習の計算の仕方を見付け出していくことができる。その際,今までの計算と違うところはどこか,どういう数なら今までの計算が使えるかを考えさせることが大切である。例えば,和が 10 より大きい数になる加法及びその逆の減法は,「10 とあと幾つ」という数の見方や計算の意味に着目し,数を分解して足したり, 引いたりすることで,既習の計算が使えるようになる。 加法の場合には様々な計算の仕方が考えられる。その主なものとしては,加数を分解する場合と被加数を分解する場合がある。例えば,8+7の場合,加数の7を分けて(8+2)+5としたり,被加数の8を分けて5+(3+7)としたりして,数を分解して加えて 10 をつくり,10 と5で 15 と計算する。』

参考:文部科学省 小学校学習指導要領(平成 29 年告示)解説 算数編 P93

https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/03/18/1387017_004.pdf )

 

上にあげた6+8であれば、

1. まず6+4+4という数に分解した式を作り、(あるいは4+2+8)

2. 先に6+4を済ませ、10の数の塊を作ってから

3. 4を足して、14という答えを導く

ように、指導しなさいということが書かれています。

0に『何かの数』を足してもその『何か』の数になるという特性を生かし(零元)、平易な計算に変換して答えを求めていくことを要求しています。

 

けれど私は、この式の良さが理解できなかったのです。

予測ですが、「6+8は指を使えばギリギリ計算できるけど、6+4+4とわざわざ分解して計算するのは面倒だ。ノートに書く文字の数が増える。」と考えていた気がします。いやなやつです。

 

この『わざわざ分解する』ということの面倒くささを感じていた理由は、主に二つあった気がします。

まず、1ずつ足していく指計算に慣れすぎていたんだと思います。指であれば6+1+1+1+1+1+1+1+1と、数を順に足し合わせれば、もとい、指を折り数えていけば、いずれ答えを導けるという動作の方が楽だったのだと思います。

次の理由として、6+4+4にするために、『最初に、足して10になる組み合わせを作る』という思考を一回挟むのがしんどかった思い出があります。

 

 3. 数と文字形の関係性に詰まる

次に、なんで10の塊を作るのが辛かったんだろうと考えることにしました。

 

算数ができない子の特徴として、『数は言えるけど、数と実際のものの個数を結びつけて考えられない』『頭の中に具体的な数が思い浮かばない』という指摘がしばしば上がります。

確かに幼少期の私は、頭の中におはじきのような具体的な複数個の物体を想像していませんでした。

理由が二つあるような気がしていて、一つは先に挙げた指計算によるものです。『目の前にある指を数えた方が早いよね?』という発想で生きており、想像力のリソースをさぼっていました。(ひどい……)

 

もう一つは憶測ですが、そもそも自分は文字で書かれた数の形に納得がいっていなかったのではないか、というものです。

笑っちゃうんですけど、たとえば「1+1」であれば、答えが「2」という形の文字になることが理解できなかった。つまり、アラビア数字の表記形に納得がいっていませんでした。

自分は幼稚園のときに電卓で遊ぶのが好きだったんですけど、セブンセグメントで表示された「8」を見るたび、「8の方が9より大きい」とすら思っていた記憶があります。(8の方が9より棒が多いからという、非常に原始的な認識でした。)

さらに言えば、文字はその文字でしかないという意識が強すぎたような気がしていて、数字ではなく文字に何かを足し合わせて、別の文字にするという状況に納得がいっていなかった子供だったような記憶がうっすらあります。

もしこれがローマ数字で表記されていたら、すごく納得がいっていたかもしれません。「ああなるほど、Ⅰ+Ⅰ=Ⅱだ!」と。

 

4. 6+8ができるように……?

それから、指を使えない自分が始めたことは、「全部覚える」ことでした。

ノートに2+9といった式を何回も書いて覚え(無駄な努力だ……)、おかげで2+9という文字列の次は11、ということは瞬時に書ける/言えるのですが、9+2と左右を入れ替えられた式に一瞬詰まるようになる。そんな子になりました。

確か計算プリントでも、「どうしてこの計算はできているのに、入れ替えただけの式は答えられないのか?」と先生にも不思議がられた記憶があります。

 

頭の中で10の塊を作るという操作を挟まず、ただただ『6+8=14』と手で覚えさせた結果、自分の中でこの式の答えの14はあくまで『14という文字』という意識が大人になった今でも、なんとなく残っています。14は14であり、10+4にも7+7にも分解させようとは思わない、という意識です。

プログラミング言語では型というものがありますが、言い換えれば私にとって14はStringであり、Numberではないという状態に近かったのかもしれません。)

ちなみにあとだしエピソードで、私は小一のとき親に、「ここにあるお金はいくら?」と聞かれ、元気に「ごじゅうさんじゅうえん!」と言って親を呆れさせた記憶があります。なんというか、数値に関して、文字として認識する力の方が強かったのだと思います。

 

 5. 6+8ができる状態になったのか……?

自分にとっての転機が、小2で学ぶ二桁同士の筆算でした。

大きい数を目の当たりにすることで「指計算では追いつかない、スピードが出せない」と指計算のデメリットを覚え、指を自然と使わなくなった気がします。

 

あとちょっと言い訳ですが、自分は幼稚園〜小1,2のときに計4回ほど引越しをしており、学習環境はもとより、住環境に関して、微妙にストレスを持っていた記憶があります。

それにより小二の夏まではボーッと生きていたのですが(具体的に挙げると、私は幼稚園時代の家や通学路といった地図・建物情報を覚えていません)、もう引越しをしないということを確信して、学習に対してようやく落ち着いて取り組めるようになったことは大きいかもしれません。

 

 

まとめ

『6+8ができなかった』理由は、数値をNumberではなくStringで認識していたから、ということは書いていて自分でも腑に落ちました。 

このエピソードを仲間内にしたとき、脳内アルゴリズムという単語が出たのですが、脳内アルゴリズムどうこうという段階でもなかったかもしれない。

 

じゃあそれ(文字ではなく数として認識させる)にはどうすればよかったのか、という一つの考えですが、単純に計算ドリルを解いた量が足りていなかった気がしています。兄と差がついたのも、結局そこなのかなあと。

『ノートに書く』『おはじきなどを使って数をどのように操作すれば、早く解けるか』と、幼少期から数に慣れ親しみ、経験と自信をつける。

そこがうまくいけば算数や、先に書いたような円の工作や計算などが得意になっていたのかもしれません。たぶん。

 

余談

幼少期を振り返るたび、数学教員免許(中高)を返却したほうがいいんじゃないかとたまに考えこんでしまいます。

 

 

オチがついたところでこのへんで。それでは。