みたぬメモ

地味にメモ

断捨離をしている話

断捨離している

最近の日記でもグッズを集めるのをそこそこにしているということを書いた気がするけど、ここのところグッズをはじめいろいろなものを断捨離しています。(いろいろといっても、グッズを手放している比率が圧倒的に高いけど)

 

グッズを手放していることについて

部屋に物が多すぎるとはしょっちゅう意識しており、さらに色々思うところあって、「グッズが自分の生活や人生を助けてくれるわけではない」という気持ちになりました。中学生頃の自分が聞くとびっくりする価値観の変化だと思います。(なにせ自分のお小遣いのほとんどは常にグッズに投入してきた人生だったので……。)

 

もともとコレクター(気質)になったのも、『それそのものが欲しかった』というよりも、『何か満たされていない感情があって、その気持ちを紛らわせるために集めていた』ことが多かったんじゃないかなと述懐しています。(もちろん本当に欲しくて手に入れることもたくさんあるけど、自分の場合はいわゆる箱買いや併せ買いが多くて、推しキャラ以外も手元に持ちがちだったりする。)

過去の日記を読み返していても生活が充実しているときは「これは今の私にいらない」といった判断ができているようだけど、無性にイライラしていることがあると途端に机周りや家中に色々と置き始めている気がします。いかんことです。心の乱れは部屋の乱れとはよく言ったもの……。

 

いい意味で他の人と比較する

それこそTwitterやインスタを眺めていると、何か特定のジャンルのぬいぐるみやフィギュアを綺麗にガラスケースや棚に飾っている人をたくさん見かけることができて、一方で自分はその領域まで至れてないし、現状だと今後もそうすることは可能性として低いだろうと思いました。持っているだけで満足しちゃっているというやつです。

同じように趣味のものを集めている人たちの話を聞かせてもらっても、「自分はこの人たちほどグッズを大事にできているわけじゃないな」ということに気づけたのも大きいです。

具体的な話をすると自分の場合、グッズを手に入れたけどもったいなくて開けられないままでいることが多く、箱やビニールのまま飾っていることがザラです。でもそれって本当に物を愛しているのかというか箱を眺めているだけで実体がよくわからなくなっているし、物に対して健全じゃないんだろうなーという気持ちになっていました。

しかし他の人たちは「これは買ったらどこどこに飾る!」「これはこういうときに使う」とちゃんと決めてから買っている。すごい。えらい。最近そういう人たちに物をよく譲っている。

 

いろいろな考え方や消費に触れた

他の人って何にお金使ってるのかなーと自分なりに色々と考えを聞かせてもらったり、本を読んでみたりしている。

その中で一番自分からかけ離れていて興味深いと思った考え方は、仕事で会計管理をしている人から聞かせてもらった「経費で落とせるもの、落とせないもの、税額控除されるもの、されないものを知っていると何に消費をすべきか適切な答えが見える」というもので(細部はちょっと違うと思う)、自分に足りないものはこういう考え方なんだろうなと思った。(減価償却とか投資効果とかたぶんそういう知識です。)

 

とはいえお小遣いを全力でグッズに投入してきたような自分がいきなり100%そうするのはやっぱり難しいので、最近は『今の自分』が欲しいものかどうか、でよく考えるようになった。

『今の自分』について、これを適切に書こうとするのは結構難しいけどむりやり書くなら『過去の自分なら絶対買ってただろう』、『未来にこれを所有していない自分を考えたとき、きっと後悔してる』と考えるものではなくて、『今の自分がこれを必要だと思って、せめて一年はこれを手に入れたことを喜んでいられる自分』という設定をした。

たとえば自分は中古ショップやフリマアプリを眺めるのが好きで、中高生ぐらいのときに手に入れられなかったグッズを見かけると「欲しい、買っちゃお!」と勢いで買うことが多かったのだけど、最近は「それって過去の自分が欲しかったものだよね?」と立ち止まるようになりました。

で、過去の自分が欲しかったし実際に今の自分もそれが欲しいと考えても、『未来』にそれを持っていて喜んでいられるかなーというところを考えられなかったらやめよう、というところまで考えるようになりました。未来といっても漠然とした20年30年先を考えるのではなくて、1年先ぐらいならまあ想像できるだろうと考えた結果、「これはたぶん買っても一年も嬉しいという気持ちは保たないなあ」という自制心が働くようになった気がします。

 

あとよく聞く「今買わなきゃ後悔する!」という考え方もすごくよくわかるんだけど、「じゃあ未来に欲しくなったそのときに買えばよくない?」という考えにシフトされた気がします。限定品は割高にはなっちゃうだろうけどいずれメルカリや中古ショップに出るかもしれないし、もし手に入れられなかったとしても「縁がなかった」「自分が持つにはふさわしくないのだろう」と割り切るのも大事だなあって思うようになりました。このへんは大人になりました(自画自賛

 

手放す

とはいえ顔がついているものを捨てるのは結構つらい(真顔)

けど私と同じようにグッズを集めているフォロワーさんとお話しした際に、「私が持っているもので、他の人の方が大事にしてくれそうならお譲りする」といった価値観を聞かせてもらったことや(自分の感情でなく物の感情を考える的な、若干スピリチュアル精神っぽいけど結構気に入っている)、あと以前に「自分にとって必要で無いものを持ち続けるとメンタルにアヤがつく」的なことを仰っていて、「そうだよな〜」と思って真似しています。

確かにちょっと気に入らないものを持ち続けると知らずにメンタルポイントを消費している気がして、微妙なエピソードがついているもの、たとえば持っていて嬉しい気持ちよりも「これは嫌いな奴も同じものを持っているんだよなー」という感情の方が上回ったら捨てるとか、そんな感じにしていったらそれなりに減らせている気がします。

あと最近読んだ断捨離の本で、「キャラクターグッズとはすべてが『主役になりたいモノ』です。家の主役は自分や家族であり、キャラクターたちではありません」と書いてあって、「あっ、それはそうだ」という気持ちになれて色々捨てられるようになった気がする。

完全余談ですけどこの文章のいいところって、『あなたの人生の主役は〜』って書かれちゃうと「いや、私の人生は**に捧げるためにある」と考える人にとってはとにかく刺さらないと思うんだけど(実際自分もそういう時期があったのでわかる)、「家の主役は〜」という主語にされると、「確かにキャラクターグッズは我が家の主役にはなれないな……」という不思議な納得感を得られたのでありました。自分が家にいて、次にキャラクターグッズが家にあるというのが自然といいますか。そんな至りです。

ちなみに引用元はこちらの本です。シンプルな文体で書かれているのでおすすめ。

あとは色々な人に声をかけたら、意外と「あ、それなら引き取りたい」って言ってくれる人も多いことに気づいたので譲ることも増えた。ありがたい。

 

まとめ

そういったわけで最近はいろいろと物を手放しつつ、空いたスペースをどう使うか考えています。

集中できる部屋に住みたい〜〜〜