みたぬメモ

地味にメモ

いい感じのGWを過ごした(追記あり)

この高揚感を雑に思いついた順にまとめておきたい。

 

1. ジョギング

連日、結構走った。もともと運動好きではないけどいい感じのスウェットを最近買ったこともあり、テンションが上がっているのだと思う。近所はツツジや川の土手など、水と緑の自然に恵まれていたことにしみじみ気づかされる。

 

2. お絵かき

中高時代の落書きが続々発掘されて、触発された。毎朝下書きして、ペン入れをした。

当時は描けば描くほど泥沼で「こんなんじゃダメだ!」と、目的設定も明確でない割にいっちょまえに苦悩していたけど、振り返ってそれらの絵を見ると(自画自賛と承知で)「なんだ、結構描けてるじゃん」と懐かしみと親しみ、そして感嘆を素直に感じることができた。案外、かっこつけて描いてみた絵の方が「んーこれは表情が出ていなくてダメ」という具合に、描くのと見るのと、どちらも肩の力を抜いて楽しめる年齢になったようです。

 

3. おでかけ

多くの人に「もっと違うところを行ってみたらどうだろう」というアドバイスを受けたこともあり、あまり出歩かないところに行ってみた。とはいえ、ほとんどは一度は行ったことのある場所だったので、新たな発見や感動があったかというとやや微妙ではある。ただ、今まで通り過ぎてはいたけど入ったことのない店や、ちょっと入り組んだ場所まで足を伸ばしたりと、言うなれば今までは幅優先探索だったのが、深さ優先探索で出歩いたのは新鮮であった。

あと1日、完璧にオフ日を作った。自分がどこに行くのか、何を見るのか、何を食べるのか、それがなんとなく知りたくて気の向くままに歩を進めた。とりあえず二箇所具体的な場所を思いついたもののTwitterで雑に友人に意見を求めたり、結局最初に考えていた場所とは違うところを歩いてみたりした。最後は馴染みの店で終えた。

そういうことができる一面を持っていた自分に、なんとなく驚いた。贅沢な時間の使い方ができたと思う。

 

4. 人

今までも仲良くしてくれている人や、初めて会う人たち、普段は遠いクラスタの人など、バラエティ豊かな人たちと会って話をして、ごはんを食べたりと楽しい時間を共有できた。

第一印象で「合う・合わない」がわかるという感覚が優れている人がいると思う。自分もそういう感覚はあるにはあるけど、その感覚をとりあえず疑っているので、なるべく今後も色々な人に出会っていきたい。その方がおもしろいし、セーフティネットが広い分にはいいことだと、感覚よりも理性的に判断している気がする。

 

5. 読書

最近読んだ本に「ゲームやSNSをやるのは、脳が刺激を求めていてそれが単純に達成できるから。代わりとして知識や深い思考能力を養うために本を読みなさい。」と書いてあったことから、その言葉に素直に反省して色々読み始めている。

そういったわけでウェブ関係の本を眺めたり、哲学思想や研究関連、文学などなど、他ジャンルにおいてパッと開いたページから読み進める手法で色々と手を出した。活字はいい。没頭できることもあるし、他にやりたいことも思い出すのに手っ取り早い。

 

6. ゲーム

3DSシアトリズムFFをちょこちょこやった。一番気に入っているのは4~10の曲なのだけど、8は特に気に入ってるため、未だに手を出していない。こういう意思選択決定方が、なんというか人生的にもたまに損をしていないかちょっと不安になる。

そういえばもらったPS3をまだ接続させていない。

 

7. 音楽

面倒臭がりを克服するべく、CDとして買ってはいたものの放置していたものをiCloudミュージックに落とす作業をした。

ZARDはいい。すごく好きだし、いいんだけど、ずっと聴いていると考えすぎて解釈する癖まで伝染しそう(これも考えすぎなんだろうけど)。というわけで、美女と野獣だったりキュアップラパパとかセーラームーン幽☆遊☆白書とかも聴いたりした。新規開拓もしないとなあ。

 

8. 食事

新しいレシピ作りにはさほどチャレンジしなかった。でも最近ようやく中学~高校時代ぐらいまで料理の勘が取り戻しつつある気がする。

外食は、なんだか最近さしたる感動がない。美味しいっちゃ美味しいし、価格も十分にpayできているとは思うんだけど、なんだろうね?人と話しながら食べるごはんも、一人で食べるごはんも、そのへんあまり変わりもないし。本当になんだろうね?

 

9. 掃除

そういえば、部屋の移動が完全に終わった。去年の6月ごろに兄が独立するのに伴い、なぜか私が兄の部屋に移動が自動決定されていたのが、ようやくである。親がむしろ痺れを切らして強制移動させたというのに近い。10年以上使った部屋を強制的に奪われてむしゃくしゃした時期もあったけど、もう色々言ってもしょうがないし、もうほとんど移動していた兄の部屋だった場所もそこそこに快適ではある。(と思うことにしている。)

掃除に伴い、中高時代のものが次々と発掘された。やはりというか当然かもしれないけど、当時色々考えていたことの片鱗が窺えるものが発掘されると、連続的思考/経験があって今の自分に至っているとしみじみ気づかされる。(突然変異であったり離散しているわけではなく、着々と自分の中で積まれたものがあって、今の自分が存在していると言いたい。)まあ、当時から考えすぎではあるとは思った。思考行動を楽しんでいるならいいんですが、もっと気楽に生きるかその時間をもっと勉強しておけと10年前の自分に言いたい。

とはいえ。

当時の写真も発掘したんだけど、笑うべきときに友達や先生にたくさん囲まれて笑っている写真ばかりだった。そのときそのときでやれるベストを尽くしたとは言わないけど、当時楽しく過ごした感情までも否定するのもキツイし面倒なので、これまでも楽しい人生を過ごしていたし多分これからも楽しく生きていくんだろうなーと改めて認識することができた。

 

10. 人・2

にゃーん。

日記を発掘したこととか、色々な人と会話をしたり色々なところに行ったり、そこから考えてみたんだけど、自分も他人も年齢・環境にとらわれずに案外柔軟に変わっていけると思いましたね。

そう考える背景に色々とあるけど、端的に書くとそんなことを思いました。なによりポジティブ解釈思考の方が、楽しい。

 

 

筆、もといキーの向くままたくさん文字を打ってだいぶすっきりしました。

こういうダラダラした思考回路を開示する終わりのない文章もたまにはいいものです。相変わらず考えすぎなのは、気にしないとして。

 

 

追記(5/8)

こういう感じです。

いいGWを過ごせました。

高校時代の先生がわりと本気で好きだった話

なんかふと思い出したので書いてみる。

高校時代の数学の先生がめっちゃ好きだった。34歳差で妻子持ちで周りの同級生たちからも「じいさん」と呼ばれるような人だったけど、好きだった。

いつもロマンスグレーのスーツをかっちり着こなし、板書がとても早く、暗算もおかしいレベルで早く、数学以外でも頭の回転の早い、でも視力が低すぎてメガネが分厚い。とにかくなんでもすごい人だった。

当時の友人たちは私の熱っぷりをうんざりするほど聞かされていて、今更ちょっと申し訳ないと思っている。

 

数学の先生に惚れた理由を書くにあたり、自分のことをちょっと書く。高1時代の私は実は文系で、数学は本当に嫌いな教科だった。

嫌いだと思っていた理由は、大きく分けて二つある。

まずは、数学嫌いのよくある典型として私は小学校時代、割合や台形の面積を求める計算でつまづいた。その流れで中学数学も定期テストの点数は当然低く、自信がなくなり数学(算数)に苦手意識がついてしまった。(ちなみに中2から数学の先生が変わったおかげで、なんとかやってこれた。)

もう一つは兄の存在である。兄はなかなか数学力の抜きん出ていた人で、両親や周りの大人にその力を絶賛されていた。

そのため私は小さい頃から親に「算数/数学で困ったらお兄ちゃんに聞きなさいね」、「同じように育てたのに、何故あなたはこんなに数学ができないのかしら」などと言われて育ったので、嫌になっていった。

そういったわけで、数学の先生も当然嫌いであった。

 

転機は高1の2学期に差し掛かる頃であった。

私が通っていた高校は英語と数学に力を入れていて、その教科でクラス分けが存在していた。私はそのクラス分けで、兄を指導していた数学の先生に当たったのである。私は入学当初から「君があの子の妹さんか」と注目されていたので、結構複雑な気持ちだった。

そういったわけでそのクラス分けも嫌で、意を決してその先生に「先生の指導はよく知りませんが、兄を教えていた人に比較されたくないので教わりたくないです。」と直談判をすることにした。我ながら馬鹿であるが、当時の私は自尊心を守るために必死だったのだと思う。

しかし、その先生に言われたことは「え、比較しないよ。」だった。

青天の霹靂だった。妙に説得力のあるその言葉に、その場を「あ、そうですか」とおとなしく引いた。

今思い返せば先生は先生として当然の対応をやってくれたのだとわかるけど、私にとっては兄を知っていて私と比較しない人がいたことと、呆れも苦笑もせずに対応してくれたことに、本当に感謝した。

(余談だがその先生の授業は難しかったものの、式を丁寧になぞってじっくり考えれば理解できて感動した。授業を受けることができてよかったと思う。)

 

でもそれだけなら別に惚れはしなかったと思う。 

それからのエピソードとして、兄とは比較しないという約束をしてくれたことと教え方がわかりやすかったこと、私はその感謝を先生には数学のテストで返したかった。しかし残念ながらそこまで点数は伸びなかった。(数学に対する深い理解や、そしてそれらに取り組んでいく熱意といった全部を含めた根本的な問題として、上位層には遠く及ばなかったのである。)

じゃあどうするか、何なら自分はできるのかと考えて、黒板拭きをした。毎回毎回授業前に綺麗にした。自分で言うのもなんだけど、本当に美しかった。

先生が来る前にこっそりやっていたが、ある日普通にばれた。当時から私は考えすぎの子だったので、「あっやばい、見つかったら"そんなんやってる暇があるぐらいなら数学やれ"って怒られるわ」と考えて焦った。

けどそのとき先生から言われたことは、「綺麗。ありがとう」だった。

毎回毎回こっそり拭いていたけど、先生はいつも「綺麗だね、いつもありがとう」と言ってくれて、嬉しかった。そのうちに本当は授業に間に合うように消せるくせに、先生が到着するころぐらいまでかかるように時間をかけて拭き始めた。

高校以前にも私の周りには感謝の言葉を言ってくれる人がいたのだろうけど、はっきりいって、私はそれまでそういう言葉をずっと認識していなかったし、もっと言えば自分の行動は誰にも認識されていないとすら感じていた。

しかしその先生のおかげで、「自分が動いたことで感謝されるのは、すごく気分のいいことなのだ」と、ようやく学べた。自分からも感謝の言葉を述べるようになり、自分が感謝されたときは素直に喜ぶことができた。行動実績が認められなかったときは、とことん反省して、次にどうしたいのかを一生懸命考えた。

数学以上に、大事なことをその先生から学べたと思っている。

それからというもの、数学という教科そのものにも傾倒した。その先生が執筆した本を購入し、学校通信系で寄稿したものは全部調べ上げて、先生がどんな考えを持つ人なのか、とにかく読んだ。「どうすればこんなに誠実で頭が良くて素敵な人になれるかな」と、とにかくその先生と同じ視野を持ちたくなったのである。

(しかしながら、34歳差の妻子持ちの先生を師匠・異性的どころかどこか神格化して好きになったのは、今から考えるとやはり当時からどこか抜けていたとは思う。)

 

第三者が聞くと単なる憧れの感情と一蹴されるかもしれないけど、その先生の授業を受けるだけで本当にしあわせだった。バレンタインは初めて家族以上に高価なものを渡した。先生と廊下ですれ違って挨拶できた日は最高の1日だった。先生が生きてくれて自分と同じ環境にいることだけで、世の中に感謝していた。

あいにく自分の代の卒業と同時に転任されたこともあり、その後はよくわかっていない。

ただ、手計算でその先生が教えてくれた式展開が出現したとき、「もう二度と会うことはないだろうけど、先生が教えてくれたことが自分の中でちゃんと残っている」と実感したときは危うく涙腺が崩壊しかけたことがある。

その先生への感謝や尊敬を込めて、私自身は数学そのものには向いていないと承知で、中高の数学免許も取った。文系から理系になったことや生き方まで、とにかく私の人生を変えてくれた人はこの人ぐらいである。

本当にその先生自身に傾倒していて、心底惚れていた。 

 

この前の日曜日、そんな激しい熱情を持っていた当時をよく知る高校時代の友人と「当時好きだったものは、結局いまも好きだよね」という話をしてきた。

続けて、「ただ、好きは好きだけど、情熱は年齢を重ねてだいぶ変化した。その対象について、昔と同じような温度感で接せるかというと、できないことの方が多いだろうけど、でもやっぱり好きだよね」ということを話した。

 

振り返って現在。

正直に告白すると、その友人と話していたときですら、先生のことをうっかり忘れていた。帰った後どころか、翌月曜日のお昼に思い出した。

つまり、そういうことである。好きということを忘れていたどころか、「こういう風に生きたい」という人生目標にしていたことも忘れていた。

だけど、今でももしもその先生が何か困っていて自分がやれることなら、助けたいと思うし、極端な話、その先生が私に絶命を命じるようなことがあれば喜んで受けると思う。とはいえ、そんなことは私に絶対に言わない人だとも思えたから、そういうところも含めて本当に全部好きだった。

 

忘れていたとはいえ現在もその先生のことは変わらず好きなのに、過去形にするのは本当はどこかおかしい気持ちがある。しかし、当時の自分と今の自分が持つ先生への熱情を比較すると、昔の自分が持っていた好きの方が断然強い。たぶん好きという感情は質的にも量的にも時間変化して、"当時の自分が好きだったことを認めた"瞬間から、その人自身への拘泥はなくなるのだろうと思った。端的に言えば、自分の感情に酔っているのだと思う。だから、過去形で正解なのかもしれない。

 

部屋の掃除をした際に当時の日記を発掘して、そんな青臭いことをしみじみ思った。

もう少し嫌いなものを語ってもいいと思うんだよね

タイトル通り。

世間はとみに「嫌いなものより好きなものを語ろう」という風潮が強い。確かに、好きなものを語っている人は非常に好ましいし、その人のもとに自然と好きなものが集まっていると思う。

私の母もだいぶ昔に「"嫌い"という言葉は強いので、"好きじゃない"ぐらいにしておきなさい」というアドバイスをくれたことがある。今も昔も、嫌いなものを語るということはあまり歓迎されない文化なのだろう。

けど私は、逆に嫌いなものは語ったほうがいいと思っている。理由は3つ。

 

まずは"嫌いな人やものを語ることで、それが近づかなくなる"

当然ながら私にも嫌いな人がいる。なんとなく嫌だなあレベルから、もう私の人生に関わらないでくれレベルの人がそこそこいる。

そこで私は「以前にこういうことが起きて、そのときこういう気持ちを持ったので、こういうことをする人は嫌いだ」と常日頃から言うことで、その人や関係者が近寄ってくることが減っていると体感している。これによって人間関係は萎んでいるだろうけど、嫌いなことや人が入ってこない平穏状態が保てるので、全てが悪くはないと思っている。(バランスは大事だけど)

 

2つめに、"自分の意識を変えるきっかけになる"である。

私の好きな人たちが嫌いなモノや人について語ってくれるのを聞いているとき、「そういうことをしたら嫌われるんだな」, 「こういうことを嫌がる人がいるのだな」という、日常の至りを得られると思っている。ここまでで超偉そうに書いていますが、私もたいがい無神経なところが多いので、好きな人たちとなるべく長く付き合うためには、嫌いだとか怒りといった閾値を把握しておけるのはありがたいと思う。(「それぐらい言わなくても憶測して先回りして動けよ」と言いたくなる気持ちもわかるけど、それこそ他人の理解力や行動力に依存しすぎだったと最近とみに内省している。他人には言わないけど。(明らかに常軌を逸脱したものはまた例外とするとして。))

 

最後に、"自分の感情を把握しやすくなる"である。

最初に戻るけど、好きなモノは流暢に語れるのに、嫌いなモノは歓迎されない文化も影響しているのか、自然発生した嫌悪感を相手に論理的に説明しないために、そこでコミュニケーションのコンフリクトが起きていると思う。(語彙力の問題で"正しく説明できない"というのもあるだろうけど) "お茶を濁す"という文化も、相手の気持ちを慮る意味では素晴らしいと思うけど、自分が失う感情も大きいと思う。齟齬のないコミュニケーションを行う上で、自分の感情を把握するためにも、常日頃からネガティブ感情も相手に伝わるように言語化しておく習慣があるといいと思っている。

 

あと最終的なまとめとしては嫌いなモノや人を語ることで、その人が何を大事にしているかが見えてくるので、そういう側面でも、もっと嫌いなモノや人をもっとフラットに語れるといいんじゃないかと思った。結局それが相互理解に繋がっているとしみじみ考えている。

まあ、なかなか難しいんだろうなあ。

チーズオムレツを作った

 

 

ここまでの流れでもわかるようにチーズオムレツ制作だったはずが、茹でたブロッコリーがなぜか好評だったのでブログに残しておきます。

ちなみにブロッコリーですが、近所の店で198円だったところ50円引きだったものを一房購入して、適当に塩を振って茹でました。

画像はiPhoneのカメラロール標準搭載から加工しました。

 

 

今日も平和ですね。

【ネタバレあり】ラ・ラ・ランドを観てきた

ラ・ラ・ランドを観てきた。その高揚感がある程度自分の中で形をなして留まっているあたりで、書き起こしておきたいと思う。

 

観る前

映画を観に行ったきっかけは2点あった。

後輩と食事に行った時に「ラ・ラ・ランドは期待できるんですよ。アカデミー賞ノミネート最多作品です。」と興奮気味に伝えられたことから始まる。

次に記憶に新しい、アカデミー賞での受賞ミス騒動。

なんとなくそそられるものがあって観に行くことにした。

 

ちなみにこの時点ではポスターとあらすじぐらいしか知らず、「才能はあるがまだ芽の出ていない男女がミュージカルを交えつつ色々解決して乗り越えていく話」という認識をしていた。

だからTLで意見が二派に分かれていているのだとも思っていた。

 

観た感想

これは「シェルブールの雨傘」だ、と思った。

もとより途中で気づいていた気がする。あえてのミュージカルであること、季節ごとのあからさますぎる場面転換、登場人物たちが着ている服の色選択、大道具の大仰なまでのフランスモチーフ(モネの"印象・日の出"を思わせるような筆使いのセットは本当に感動した。)、ミアの一人芝居の構想メモに出てきた"ジュヌヴィエーブ"の人物名(ここではっきりとラストまでの嫌な予感がよぎった)、そして本当はお互いのことを想い合っているのにも関わらずミアとセブのすれ違っていくストーリーに、「スタッフたちは現代版シェルブールの雨傘を作りたかったのだ」と納得がいった。

ただしシェルブールの雨傘と違う点は、ギイとジュヌヴィエーブの二人は戦争に引き裂かれるわけだけど、ラ・ラ・ランドは違う。セブとミアを引き裂いたのは、生活である。

セブはミアの夢を支えるために、本意でないジャズ演奏で食べていく。しかしそこで二人の考えがどんどん遠のいていく。そこが現代の人間とも価値観がマッチングしていて非常によいと思った。

 

ただ、私はシェルブールの雨傘とどちらがいいと言われたら、間違いなくシェルブールの雨傘を推すだろう。理由は3つある。

一つは音楽である。冒頭の高速道路でのミュージカル"Another Day Of Sun"は最高に良かった。それでもミシェル・ルグランに勝ってはいないというのは、おそらく映画フリークの人なら納得してくれると勝手に思っている。

二つめはストーリーと演出である。シェルブールの雨傘は二人が別れた理由に、納得がいってしまうのだ。そして観客は「もしも戦争がなかったら」などと他の世界線を空想することで現実世界に楽しく戻ってこれるのだ。

一方ラ・ラ・ランドは「どうしてそっちの世界線を選んでしまった」と多少首を傾げざるを得ない話なのである。それこそ、5年前に最後に公園で二人が会話を交わしたときは「もしかしてうまくハッピーエンドに持って行ってくれるんじゃないか」とすら期待したのに、そこをif世界まで用意されて、「ありえないよ」と裏切られたのは大きい。

最後に、この作品は結局はシェルブールの雨傘のオマージュでしかないのだ。シェルブールの雨傘の印象すら感じさせない作品にしない限りは、それを超えることはないだろうと自分の中で理由付けている。

 

とはいえ、ラスト10分のif世界は御多分に洩れず泣いた。正直結末を認めたくなくて、さらにはif世界の映像・演出・音楽が本当に素晴らしすぎて、ミアが他の男と結婚して子供まで生まれている現実世界の方がif(これは悪い夢)で、ミアとセブがうまくいく話とリンクして未来に戻ってきてendになってくれるのだとすら思ってしまった。

だからずるい。この作品は「ifでもしうまくいっていたら」を観客には考えさせてくれない。

 

余談

ラ・ラ・ランドは吹き替え版も気になったのでキャストが知りたくなった。そこでgoogleでサーチしたけど、上位トップページに上がるのが個人ブログの適当な文章のサイトばかりで萎えた。google頑張ってほしい。

2016年度の振り返りとやりたいこと

多少ボヤかして書きますが、そろそろ今年一年を振り返ってもいいかなと思いました。

というわけで今回は本来の意味に近い日記です。

 

1. これまで

2015年度後半からいろいろありすぎたとはいえ、自分に甘く精神的に堕落していた一年に思えました。たとえば自分で決めた貯金額や生活習慣など、課したタスク管理を達成できなかったということです。

大学で尊敬しているN先生に「そのときにやれるベストは尽くしたと考えてはいけません。そのときの自分が力量不足で、やってみたけどダメだったとしっかり現状を認識して次に繋げなさいといったことを言われたことがあるのだけど、そうやって考える方が自分にもフィットしている気がしています。(なにより、(尊敬しているのもあるけど)N先生が自分に向けてそう言ってくれたという気持ちも、大事にしたい自分がいる。)

自分を責め過ぎてもいけませんが、できなかったことはできなかったこととして自分の能力不足をどうしていくか、伸ばしていくのか・それとも他のことで補うのか、考える必要があるように思いました。

 

2. 逆に何ができたの

ちょっと話は逸らすけど、2015年度後半から長期的に面倒なことに巻き込まれてしまった。

その件は「自分が何を言っても何をしても話が通じなかったのに、他の人たちの力を借りてなんとかなった」ことから、「自分は一人では何もできない」とまで、一時期は考えるとか考えない以前にその精神をベースとして過ごしていた。

しかしけして何もできなかった一年ではなく、むしろいろいろなことにトライアルアンドエラーができたと思う。

その内訳は大きく分けて2点あるのだけど、一つは逃げを選ばなかったことだと思う。

逃げた方がよかったものもあるかもしれないけど、意思を通して実行できたことで、「何かしら行動すれば思い通りの成果物を得られることもある」という心境状況に持って行けたことは、すごく嬉しかった。

もう一つは、いろいろな人と交流が増えて、新しい経験や知見を得られたと思う。

皆の器に助けてもらったとは承知の上で、自分もちゃんとそれに乗っかることができたのは、すごくよかったと改めて思いました。

 

2.1 一人では何もできないというか

上記に関してちょっと補足しておく。

親や先生と話した際に、「一人では対峙してはいけない人間もいる」「言いづらかっただろうが、そういうときは相談して欲しかった」と言われてしまった。

そこでようやく、自分の実力と他人に頼る力の見極めのバランスを見誤っていたことを学べました。

親と先生に言ってもらえたことで、なんだか結構ホッとしています。

 

3. これから

人生における長期的な目標の設定って難しい。

先輩にも質問されたんだけど、そのときもうまく答えられず「本当にそれをやりたいのか?」と言われてしまったことをよく覚えている。

この分野を勉強したいとか、この趣味を充実させたいとか細かいことはいろいろある。その上で食べていくための生存戦略も、真面目に設定する必要があると思う。

ただ長期的となると上記でも軽く触れたけど、自分一人ではどうしようもない案件に嵌ったときに自分が我を忘れてしまうことも重々わかっているし、大言壮語をしたくないという気持ちも正直ある。

 

しかしながらまあ、自分がポジティブな側面を見出して納得したことを、常に選択してやっていきたいと思います。どうせ生きるなら皆も自分も楽しくやっていきたい。

あともう一つは、やりたいことに取り組まない理由を原因分析するときに相手都合でなく、自分都合の言い訳をしていく思考習慣+αを身につけたいと思います。

簡単にいうと、「会いたいのに会わない」というときに、「向こうも私に会っても困るでしょう」ではなくて、「今のままでは自分が相手にいろいろ要求したくなるだろうから、会わない」といった言い訳といいますか、自分がどうなのよという部分をしっかり見据えた方がいいと思いました。

その上で行動するかどうかは……まあ、人間関係はサイコロみたいなところもあるし、相手に負担にならない範囲であまり考えずに幸せにやっていきたいと思います。(欲を言えば自分にその心構えができてなくても、向こうが会ってくれるなら御の字精神。)

 

というわけで2017年度も各位どうぞよろしくお願いします。

2016年度に観た映画(ネタバレなし)

まだ2016年度が終わっていないけど、今年はたくさん映画を観た。

観た順に雑に感想も述べておく。

 

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観たものリスト

1. KING OF PRISM

最初は正直「なんだこれは……」と思ったけど、応援上映を体感することで評価が変わった。光る棒が手放せない。

元となる世界観であるプリリズを視聴していないので、多分全体的にまだ楽しめていないのだろうけど観終わった後は世界が輝いて見える。

オススメ度:★★★☆☆

 

2.  ズートピア

ニクジュディかわいすぎるでしょ。反則。ニックにすべてを持って行かれた。

あらゆる層を唸らせてくる作品だと個人的に思う。安心して人に薦められる。

オススメ度:★★★★★

 

3. KINGS GLAIVE

実はそこまで期待せずに観に行ったのだけど、しっかりしたストーリーで終始楽しめた。

詳しくは以前のブログ

dietmitanu.blogspot.jp

に投下していたのでそちらをどうぞ。

オススメ度:★★★☆☆

 

4. シンゴジラ

すごかった。2回目にゴジラが上陸した時の絶望感は音楽と相まって本当に凄まじかった。あと石原さとみさんかわいいぞ。高橋一生さんかわいいぞ。

MX4Dも観に行ったけど、本当によかった。庵野監督ありがとう。

オススメ度:★★★★☆

 

5. 君の名は。

賛否両論あるけど、ストーリーは確かに人を選ぶ気はする。私個人としては映像がすごく綺麗で好きなので、それだけでも観る価値はあると思っている。

オススメ度:★★★★☆

 

6. ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

ハリポタを全部読んでいないので、今作スピンオフ製作に対するありがたみを感じられないまま鑑賞したのが残念である。

主人公のニュートの設定上仕方ないのだけど、ハリーポッターと賢者の石を初めて観た時に受けたような、主人公ハリーと共に味わうワクワク感がそこまで持てなかったのが個人的敗北だった。

オススメ度:★★☆☆☆

 

7. 劇場版カードキャプターさくら

17年前の作品が映画館で観られるだなんて……という感激も凄まじいんだけど、とにかく香港の街並みが綺麗。他にもセル画アニメながら水や服・髪の表現など終始最高に感激していた。さくらちゃんの可愛さぶりに思わず2回観に行った。

オススメ度:★★★★☆

 

8. この世界の片隅に

原作者・こうの史代さんの"夕凪の街・桜の国"を読んだことがあり、今作もそういう具合かなと思っていたけど、更に上をいくものでした。

映画ならではの表現・演出をうまいこと使った作品だと思います。

オススメ度:★★★★☆

 

9. ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち

ティムバートン作品ということだけで前情報なしに観に行った。よく15禁にならなかったと思ったけど、パンフレットインタビューを読んで納得。

各人物ごとの能力に世界観、すべてに無駄がなかったと思います。

オススメ度:★★★★☆

 

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今年度が終わるあたりにまたガッツリ各作品に関して書けたらなと思います。

あとそろそろシネマイレージ的なものに登録するか悩ましい。

 

 

今後観たいものリスト

1. 美女と野獣

気になっている度:★★★★★

 

2. ひるね姫 ~知らないワタシの物語~

気になっている度:★★☆☆☆

 

3. KING OF PRISM PRIDE the HERO

気になっている度:★★★★★

 

 

なにかオススメ等あればお気軽にお知らせください。というか誘ってください。