すずめの戸締まり感想
観てきました。感想を適当に書いていきます。そんなに校正していない。ネタバレあり。
前作の天気の子は個人的にいまいちだったので期待値は低めに/特に積極的に情報も調べずに行きました。
地震描写の話
TLに「東日本大震災を思わせる描写があるから、苦手な人は気をつけて」という注意喚起ツイートが出回っていたことと、予告の雰囲気から『そういう映画なんだろう』という覚悟はしていました。
しかし冒頭シーン、船が建物の上に乗っている描写を観て「岩手のじゃん……」と、最初から結構ダメージを受けてしまった。というよりも、3.11の当時のニュースを思い出したという方が近いです。
瓦礫と炎が上がる街の跡のシーンが流れた時は、震災当時に何度も観たニュース映像を想起して、「ああ、そうだった。そうだった。」という感じ。自分は当時も東京在住だったためそこまで被災したわけではないけれども、終始居ても立っても居られない感情になりました。
すずめについて
彼女のキャラクター造形には賛否両論ありそうですけど、まあイマドキの女子高生は良くも悪くもこんなもんなんだろうな〜と思いました。言ってしまえばいつもの新海誠だ!みたいな。
たとえば恋愛面。草太には完全一目惚れみたいでしたけど、そのへんもまあ女子高生っぽくていいんじゃないの?と思いました。
『いや椅子の期間が長かった草太に惚れる理由がわからない』という人もいると思うんですけど、女子高生なんだから、顔がいいとか声がいいとかで軽率に心奪われるぐらいがちょうどいいんじゃないのかなと私は思います。
それに最初の戸締まりのときの草太の声がかっこいいし、初対面の男の人が体を張って自分を守ってくれたとか必死に何かをやろうとしている姿を見てキュンとするなんて、現実にもありそうじゃん、みたいな。草太に惚れる流れはそこまで無理がないと思いました。
環さんとの関係性も、終盤シーンを含めてあれぐらいで普通じゃない?と不思議に納得できる自分もいます。
終盤というのは、環がすずめに「東京に帰ろう」と声をかけて言い争いになるやりとりの中で、すずめは環に『その感情が私には重いのよ!』と逆上して厳しい言葉を投げつけます。
このシーンについて、『その言葉は、ずっと育ててくれた環には言っちゃいけないだろ』と怒る人、ないしはすずめがそれで嫌いになったという人もいると思うんですけど、私にとってはこのシーンですずめを特段好感は持たないけど、逆に嫌いになる要素は全くないなと思いました。
というのも、このやりとりは実は結構難しい問題を孕んでいるように見えて、
むしろ、部外者(観客)がそんなことですずめを嫌な奴と考えてはいけないんじゃないか。そんな風に自分は考えています。
どうして自分がこのシーンですずめのことを嫌いにならなかったのかを考えたのですが、以下の二つの要素が大きいなと思いました。
1. すずめは女子高生で、まだ幼いから。
2. すずめは震災孤児で、震災さえなければ環の世話になるなんてことは早々なかっただろうから。
1については、そのまんまです。すずめはまだ幼いが故に、周りの大人が自分をどう見ているかわからず、どうしても感情的に人とぶつかることもあるのは仕方ないよね、と思う自分がいます。役所の後輩の岡部が言っていた通り『遅くやってきた反抗期』として、理解できる範疇だなあと思いました。
2が個人的に重要ポイントです。
以下に書くことはあくまで、当時も今も東京在住だった私が知っていることであって、すべてが真実ではないかもしれません。
3.11の震災後当時、被災された地域の人たちに対して、支援物資が全国各地から寄せられていて、多くは美談として取り上げられていたように記憶しています。
ただ、中には明らかにゴミとして処分されるべきである衣服だの、洗濯していない毛布、期限が切れた食品といったものを送りつけられたところもあったそうで、『それらは不要です』と被災地が発信していたことがニュースになっていました。当然だと思います。
それに対して本当にごく一部ですが、『せっかくあげている人がいるのに、なんだその態度は』と逆上していた人もいたということをぼんやりと覚えています。
で、どこのニュースだったかはっきりとは覚えていないんですけど、被災された人の一人が、『私たちだって、本当はこんなもの(支援物資)を受け取らなくてもいいような暮らしをしていたのに。新品の下着だって、普通に買えていたのに。どうして使い古された他人の下着を着ないといけないんですか。私たちだって震災前は普通の暮らしをしていたのに。』というような発言を取り上げていたニュースがあって、「そりゃあそうだよなあ……」と自分はひどく心を痛めました。
で、戻ってすずめちゃんの話になるんですけど、
親戚とはいえ他人である環に育ててもらってること自体は、確かに感謝する気持ちを持っていることが望ましいとは思うし、環にそれ言ったらあかんーーーという気持ちももちろんあるけど、それですずめを嫌いになるかって言うと、『彼女が無自覚に母親が生きていたら自分に用意してくれていたかもしれない環境を想像して、現実の環のそれと比較して、環の用意するものはいらないと主張しても、それってもうしょうがないじゃん』という、同情的な気持ちを持つ方が先でした。
いやわかんないですよ? それに支援物資の話と混ぜちゃいけないって?
いや待ってくださいよ。
すずめは母親のことなんてもうほとんど覚えていないかもしれないですけど、それでもすずめは確実に『環は実の親ではないのに、育ててくれている人』『お母さんは立派な看護師で、自分も将来そうなりたい』という意識を常に持っている描写が、映画の中で随所に見られます。
つまりすずめはずっと『自分が生きていること(環が育ててくれていること)への感謝』、『環への遠慮』、『自分が現在置かれている環境に対して、一つ一つは特に具体的な文句があるわけではないけどなんともいえない苛立ち』、『小さい頃に大切な人を失っている悲しみ』が混在している中で生きてしまっているんじゃないかと。だから生きているか死んでいるかなんて運でしかない、という割り切った考え方にもなれてしまった。
これってどうしようもないし、自然な心情ですよね。
震災は起きちゃって、お母さんがいないのは事実ですから。
そこについて、『お母さんがいなくなってかわいそうだと思って、親になってくれた人がいるのに、感謝しないなんてなんてひどい子どもだ!』と逆上する観客がいるなら、先述の不要な支援物資の話と同じ構造に思えてたまらないのです。すずめからしたらね。
頼んでないものを与え続けられているんだから、そりゃ文句の一つも出るよねというところは、私はやはり彼女に同情してしまう。
もちろん環さんだって人間だから、いろいろしてあげてきたのにどうしてそんなひどいことを言うのって怒るのも当然だとは思います。ここいらは親目線に寄り添ったらそれはそう。
親になるのだって相当の覚悟が必要で、出費もそうだし自分の人生の一部を諦めたという環の独白はその通りなんだろうと思います。
すずめが全然連絡してこないことについても、学校に行っていないことについても、あれだけ怒るのは心配しているからというのを理解していないすずめに苛立ちを覚えるのも、そりゃ愛情が深ければそうなんだろうと思います。
でもやっぱり、環のあの態度は被災していない人間側の言い分、あるいはちゃんと育てていない親の言い訳に過ぎないんだろうと思いました。
(ここで私の言いたいことは、被災した人間がえらいというわけではなく、真の意味で被災した人に寄り添うことは実質的に無理だということです。)
(というか、すずめが家出騒動を起こしている問題と、環さんがこれまで養育環境を整えてきた中での問題は、別として切り分けて言い争いするべきではあったんですけど。)
まとめていくと、あの言い争いのシーンは環とすずめが本当の親子になるために必要なやりとりだった、と評する人もいると思うんですけど、むしろ私は環だけがすずめの真の支援者(親)になるために必要なやりとりだったんじゃないのと思います。
まあほとんどの人には無理だろうけど、環さんはすずめに対して日頃から「私はあなたの実の親ではないけれど、それでも家族としてやっていきたいから、お互いにいいところダメなところを伝えていこう」的なコミュニケーションを怠ったんだろうなー。『放任主義』って言われちゃってるもんなあ。遅かれ早かれ、ああいう衝突は起きていても自然だったんだろうと思います。
すずめについてはそんな感じ。年相応と経験相応の精神構造を持ってる子じゃん。みたいな。
強いて言えば、最後のシーンの、過去のすずめに向かって現代のすずめが語りかけるシーンはちょっと綺麗すぎるというか自分に酔ってるのかなあと思ったけど、それらも含めてやっぱり女子高生っぽいというか。いるじゃん? tiktokやインスタとかでなんかポエム量産してる子……。
ただ、電子マネーをたくさん使っているところは環さんに対して感謝すべきだと思いました。
なんだか熱く語ってしまっているしまとまってない。
ここから駆け足でいこう。
草太さんについて
ビジュアルはハウルを意識してるのかな? 今までの新海誠作品にはいなかったような、ちょっと浮世離れした容姿の青年でした。閉じ師はすなわち魔法使いという意味でああなったのかな。
とにかく声がかっこよくて、本職の声優さんを使っているのかと思ったらSixTONESの松村さんでびっくりしました。
個人的にはずっと斉藤壮馬さんが演じてるのかと思ってた。一緒に観た夫は中村悠一さんが演じていたのかと思っていたそうな。なるほどー。
ダイジンについて
ネコ好きなので、ダイジンがガリガリのときや、遊園地のシーンで白熱した戦いを見せられている時は相当しんどかった……。ネコ使うのはずるいって。しかもあんなにネコ然した仕草なんだもん。可愛いよ。
あと結局要石の役目に戻っていくのもなんだか納得感が足りない。それでよかったのかおまえ……。
芹沢
いいやつだな。歌のチョイスが古いけど結構好き
こまごまとしたところについて
すずめが道中二人の女性に助けられたけど、うまくいき過ぎているように思った。
あれらについて実はダイジンは福の神要素も持っていて、ダイジンが訪れたところに、ダイジンに親切にした人が訪れれば必ずラッキーイベントが起きるようになっているとかそういう説明があればよかったなあと思う。
全体について
率直に、『どう評価したらいいか、わかんないなあ……』とずっと困惑しています。
世界観が嫌いか好きかで言えば、舞台が日本っぽい感じがあるので別に嫌いではないです。
キャラクターも感情移入はしにくいけど、ビジュアル面が好きだから好きだなーって感じ。
お話自体は、私の大好きな『ほしのこえ』を男女逆転してリブートしたなあと思っていて、そういう面では好きだと思います。男の子/女の子が世界の敵と戦うことになっていて、女の子/男の子がその子を追いかけるべく共に戦おうと奮闘するセカイ系だーといいますか。
ただ、やっぱり3.11が扱われたことが、感想を書く上でとても難しくなってしまいました。
地震は後ろ戸が開いていることが原因で起きているという世界観の設定というか解釈については、なんかこう、『3.11についてはどうしようもなかった』というところで感情を落ち着かせた人たちの気持ちに寄り添えていないんじゃないか、むしろこの映画に対して嫌な感情を想起させてないか心配になる自分がいます。
でも一方で、私は古いツイッタラーなので3.11の当時のツイッターランドの雰囲気を知っているんですけど、『被災者じゃないのに被災者の気持ちを勝手に代弁するなんて、”不謹慎厨だ!”と批難されやしないか』と、どうしても身体がビクビクするのです。当時はそういう流れがどこでも起きていてなあ(古のツイッタラー)
うーん。
「震災のことを忘れないように、そしてそれでも前に生きていこうという強いメッセージを伝えてくれるいい映画だった」とまでも思えなかったし、でも今回もとにかく映像が綺麗で、そこはやっぱりいいなあとも思えたり。
うーんうーん。
あまちゃんという、3.11を扱って社会現象を起こした朝ドラがあるんですけど、あれに出てきたアキちゃんのように、すずめがとにかく元気をくれる魅力的な女の子かっていうと、そこまで琴線も響かなかったし、とはいえそれで評価を下げるのも(キャラクターとはいえ)彼女らに申し訳ないなあという気持ちがあり、本当に難しい。
総論、スッキリはしなかったなあ……。ダイジンのことも含めて。
せめて恋愛描写にめちゃくちゃ振り切るか、被災者感情に寄り添う形に振り切るか、親子関係を丁寧に描くか、何かに特化できてたらよかったのかもなあ。わからんけど。
だから『なんかよくわかんない』ぐらいの感想なんだと思いました。まとまってないって?そうだと思います、すみません。
映画館を出た後に後ろのカップルが「あたしにはこの世界観が合わなくてキツかった!」って言ってたんだけど、それぐらいシンプルに客観的に観られるようになりたいです……。