みたぬメモ

地味にメモ

旅行とパターン認識の話

こういった理由で昨日は唐突ながら山梨に行ってきた。山梨は小学生の頃に八ヶ岳に行ったっきりなので実に10年以上ぶりかもしれない。

TLの皆がしばしばチェックインしていて気になっていた談合坂SAにようやく行けて、ホッコリした。

全体的に味が濃厚でおいしかった。

 

山があっても山梨県

それはそれとして山梨に行ってきたわけだけど、「人は何を以って山梨に行ってきたと確信できるのだろうか」と道すがらに考えていた。

今回の旅は友人の運転する車だったので、自らは特に細かいルートや時間を調べる必要もなく、本場の桔梗信玄餅を食べるという欲求が満たされたらよかったものだった。だから今回の旅は極端な話、山梨以外のところに連れて行かれて「ここが山梨ですよ!」と案内されて、桔梗信玄餅っぽく似せたものを食べさせられたら、私の脳みそは山梨と認識する可能性だってありうる。そのため、「何を以って私は山梨県にいるという確信を持てるのか?」という疑問が湧いた。

 

パターン認識による理解とそこからの外れ値を得る

人間はモノを認識する過程として「結局、どのクラスに分類されるかという識別問題に帰着することができる」という考え方がある。これがニューラルネットワークSVMの研究の基礎構造である。

だから「山梨にいる」という確信を持つためには、今まで自分が持っているクラス分類の値から、外れるような体験をしないといけないのではないだろうか。 

私の場合は生活圏を長年東京に持っているので、ほとんどの行動を東京で過ごした経験に基づく分類ができてしまっている。(老いたんだろうなあ……。) 例えば先日、キングダムハーツオーケストラコンサートのために、大阪に初めて行った。道頓堀の商店街を歩いていたときは、「ここは雑貨屋や衣料店が多いから、東京の吉祥寺に雰囲気が似ている」、「ここはなんとなく西新宿っぽい」などと脳内でパターン認識をしていた。ちょっと話は逸れるが、人間がパターン認識してしまう一つの理由は、防衛本能に基づくものだろうと妄想している。人間はあまりに未知数な環境に置かれると、たとえそこが危険性を孕んでいない場所だとしても、脳内で処理がしきれずに「よくわからない、こわい!」というものを感じやすいのではないだろうか。入力も未知数なら、出力も未知数なのだ。だからよく知らない場所を歩いているときに、飛び道具が降ってくるかもしれないという妄想を人間がしてしまうのは不思議ではない(?)。 だから、ある程度年齢を重ねた人間は「ここはどこどこに似ている」、「これは〜〜に属しているから〜〜というルールを持っているに違いない」という脳内自動処理をして、刺激的な体験を自分の理解の範疇に収め、ある程度の出力を予想しているのだと私は考えている。

話を戻すと、大阪の旅は道頓堀のグリコ看板が見えたときにようやく「なるほど、ここは大阪なのだ。」という実感が湧いた。グリコ看板という特徴的なオブジェは、私の知識や記憶の限りだと大阪にしかなかった。そして私における東京の経験ベースでは、そのオブジェがクラス分類できなかったのである。だからそのときに、「ここは大阪だ」という認識ができたのだと思う。

そうなると、「ここが山梨である」という確信を得るためには、事前情報と特徴的な外れ値を持たないといけないのだなあ、などと難しいことを考えていた。

山梨を例にとると、甲州ワインを飲む、温泉に入る、桃を食べるといった特産的な事前情報に基づく特徴的(外れ値的)な経験をしてようやく、「山梨に来た」という実感を得るのだろう。そしてそうやってクラス分類を増やしていった人ほど、あらゆる状況に置かれても平然としていられるのかもしれない。

 

「その場所に着いた」と確信を得られるような"事前情報"を得るためには、Twitterでは難しくて、テレビや本の媒体の方が説得力があるとも思ったのは、また別エントリで考える。

君も体重計と向き合うときが来たんだ。

はじめに

春に健康診断をしてから3kgほど太った(※1)。何度でも言う。重くなったのではない、太ったのだ。3kgとはうちの猫ぐらいの重さであるし(もしかしたら猫の方がもうちょっと軽いかもしれない)、もっと言えば3kgとは新生児ほどの重さである。だがあいにく猫を背負っているわけでもないし、ましてや臨月というわけでもない。紛れもなくヤツさ。脂肪。

 

ふりかえり

時を遡ること3年前……その頃はわりとシュっとした体型で、それなりに運動を嗜み、たまの贅沢として月1~2程度に友人と行く食事を楽しみ、Twitterでは悪いヲタクに見つかっていない、1イイネが来るのが3ツイートに1回といった、とてもまともで平和な時代を過ごしていました。

しかしこの頃に一度ひどいストレスをやらかして9日間ほど寝込み、全く飲食できなかった事態が起きました。混濁する意識……止まらない目眩……立ち上がることがままならない身体……そして生涯で初めて浮き出たアバラを見て、「あ、これ本当に死にかけているやつや」と気づき、「ここで死ぬぐらいならいろいろな人やもっと楽しいことに出会って、自分の思っていることを主張して、やりたいことをもう少しやっていけばよかった」と、薄れゆく意識の中で思いました。

そして復活してから「いつ死ぬかわからないから、後悔しないように生きていきたい」という原動力を得ることになります。この気持ち自体はとても素晴らしいのかもしれませんが、美味しいものをたくさんの人と楽しみ、結果としてぷくぷくと太り始めました。

我が家系はストレスを溜めると過食に走る傾向がある気がします。

 

反省のターン

この3年間の日々を全否定する気はありませんが、それはそれとして、増えた体重と向き合わないといけません。

私は日々の体重・食事・移動距離といったもののログを取っています。それらのデータを眺めていると、野菜の摂取量が少なくなったときはやはり極端に代謝が落ち込んでいる気がしてきました。一時期摂取していたヘパリーゼ(錠剤タイプ)のせいかなとも思いましたが、別に関係がなかったことも示されました。完全に怠惰によるものです。外的要因のせいにしようとした自分を恥じたいと思います。

幸いにしてたくさんの方達から「がんばって!」と具体的に励ましをいただくので、今度こそ自分を律して過ごせるのではないかなと思います。というかやっていきたい。

 

あと痩身マッサージとか効くのかどうか気になるんですが、実際どうなのでしょう。いろいろな人の体験談を聞いてみたさがあります。

 

※1...まあ誤差はあるかもしれない

sh: typings: command not foundのエラーが出たときの対処法

angular2を始めるべくいろいろ始めようとインストールしていたとき、typingsフォルダの段階でインストールに失敗したので覚書。

ちなみに以下を参考に環境を整えようとしました。

blog.yuhiisk.com

 

・エラーが出ている段階
$ npm install
npm WARN angular-quickstart@1.0.0 No description
npm WARN angular-quickstart@1.0.0 No repository field.
npm WARN optional SKIPPING OPTIONAL DEPENDENCY: weinre@2.0.0-pre-I0Z7U9OV (node_modules/weinre):
npm WARN enoent SKIPPING OPTIONAL DEPENDENCY: ENOENT: no such file or directory, utime '~/node_modules/.staging/weinre-4d9a3849/web/client/Images/scriptsIcon.png'

npm ERR! Invalid tar header. Maybe the tar is corrupted or it needs to be gunzipped?

npm ERR! A complete log of this run can be found in:
npm ERR!     /Users/user/.npm/_logs/2017-08-01T09_02_54_297Z-debug.log

はて。このエラーにより、どうやらTypeScriptに必要なtypingsがインストールされていないようである。

そこで以下のコマンドで、個別にtypingsをインストールしようと試みる。

$ npm run typings install

これも以下のエラーが吐き出される。

sh: typings: command not found
npm ERR! file sh
npm ERR! code ELIFECYCLE
npm ERR! errno ENOENT
npm ERR! syscall spawn
npm ERR! angular-quickstart@1.0.0 typings: `typings "install"`
npm ERR! spawn ENOENT
npm ERR! 
npm ERR! Failed at the angular-quickstart@1.0.0 typings script.
npm ERR! This is probably not a problem with npm. There is likely additional logging output above.

npm ERR! A complete log of this run can be found in:
npm ERR!     /Users/user/.npm/_logs/2017-08-01T09_43_44_383Z-debug.log

typingsコマンドがbashにないですよ云々かんぬん怒られているようです。

 

・解決策

以下のコマンドを試した。

$ npm install typings -g

そして以下のコマンド再実行。

$ npm run typings install

結果。

> angular-quickstart@1.0.0 typings ~/angular2/first-angular2
> typings "install"

typings WARN deprecated 2016-11-21: "registry:dt/node#6.0.0+20160909174046" is deprecated (updated, replaced or removed)
typings WARN deprecated 2016-9-14: "registry:dt/core-js#0.0.0+20160725163759" is deprecated (updated, replaced or removed)
typings WARN deprecated 2016-10-25: "registry:dt/jasmine#2.2.0+20160621224255" is deprecated (updated, replaced or removed)

├── core-js (global)
├── jasmine (global)
└── node (global)

warnが出ているけどひとまずインストールされた。もしかしたらもっといい方法もあるかもしれないけどひとまずメモ書き。

 

参考:postinstall script 'typings install' fails. · Issue #54 · pablodenadai/angular2-seed-project · GitHub

ラブホ女子会をやってきた(※18禁)

6月某日にラブホ女子会をやってきた。タイトルにも書いている通り、未成年の方には一部好ましくない内容が含まれています。自己責任で閲覧してください。

 

■行くことになったきっかけ

2月某日に大学の後輩たちと鍋会をやった際に、体のサイズがどうという話になり、「じゃあラブホで実際に確かめさせてください。ラブホ女子会をやりましょう!」と提案され「いいですよ!」という完全にアルコールが入ったノリで返事をしたところから始まる。注釈すると、その鍋会にいた後輩たちはそのときがほぼ初対面だった。(自分はTwitterで雑にイイネを飛ばす習慣があるため、ありがたいことによく声をかけられる。)

したがって今回のメンバーはお互い初対面からの、二回目はラブホで会いましょうという流れである。お酒って怖い。

そういったわけで大学の後輩たち(♀)と行くことになったのだが、参加メンバーの一人には某電気で通信できない大学では知らぬものがいないアイドル女帝・ねこのてさんがいた。

彼女の魅力をここで語るには筆者の語彙力の貧弱さが恨まれる。ねこのてさんの過去ツイートから厳選したものを以下に示すので、参照されたい。

 

1. まだマシ 

 

2. ちょっとヤバい

 

3. すごくヤバい

ご覧の通り、彼女のツイートにはいつも愛しさと切なさと心強さ(※1)がある。

そういったわけで、「アタイ、何されるんやろ……。綺麗な体で帰ってこられるだろうか……。」と開催当日まで結構ビクビクしていたのは内緒である。

 

■ホテル探しから予約まで

しかし言い出したからには責任(?)をとるしかない、ホテル探しから早速始まった。 ラブホに縁のない人生を送っているので適当に検索をかけたところ、"ラブホ女子会"といったワードでのまとめサイトがいくつも作られており、ホテル探しにはこれらのまとめが大変役に立った。特に都内のお店情報はよくまとめられているので、都内在住のアドを感じる。 そうこうして内装写真から伝わる部屋の雰囲気や料金体系、そしてアクセスの良さを吟味して全員一致でホテルバリアン東新宿を選んだ。本当は本店のハニトー食べ放題も気になったのだが、予約が開催日前ギリギリになってしまい、唯一の空き部屋チェックイン時刻に間に合わなさそうだったので諦めた。

予約はwebと電話での両方対応で、ウェブサイトのUIが非常によくできていた。これは感覚的なものだが、予約フォームを記入しているときに起こりうる「やっぱりやめようかな」といった怯みをあまり感じず、でもラブホに相応な隠微さが感じられるUI/UX仕様だったので、もし興味があれば是非覗いてみてほしい

>>ホテルバリアンリゾート | リゾート・シティー・ビジネス・ラブホテル等複合ホテル

女子会プランは複数選べるのだが、料金体系やサービスもわかりやすかったし、レスポンスメールの対応の良さもすごくよかった。

ちなみにここまでの流れで、ねこのてさんが「いろいろ持っていきますね!あと、亀甲縛りができるのはたぶん私しかいませんよね!」とキラキラしながらなんか言っていた気がする。

 

■開催当日〜到着から料金から

新宿にはバリアンの系列店が3店舗存在し、ウェブのマップ地図ではどの店がどこに位置付けられているか、その情報記載が今ひとつわかりにくいので注意が必要である。ただ系列店同士の距離は非常に近いので、間違えてもすぐに徒歩で向かえるというところがやはりいい。(なお、リムジンでお迎えしてくれるオプションもある。)

料金は前払い制度で3~5人部屋を5人で使って一人当たり4,400円だった。現金でもクレジットも両方対応してくれる。(ここでもたつくと他のカップルに申し訳ないのでスマートに会計をする必要があると感じた。)

女子会プランということで6時間も部屋を自由に使えてこの料金は、後述するサービスを考慮するとなかなかよいと思う。 ただし3人で使っても5人で使っても一人当たりの料金が一緒なので、人数が少なくてもよいかもしれない。

ちなみにねこのてさんは集合時刻にやや遅れての到着だった。なんかいろいろ入っていそうな鞄を持っていた。 

 

■あとは主に写真を中心に雰囲気をご覧ください

入り口からすごいし天蓋付きベッドも最高だしバスルームにはテレビもあるし、部屋のテレビからはルームサービスは頼めるし無料wifiへのつなぎ方や最新映画も観られたり写経セットを注文できたりと、なかなかおもしろかった。

おっ

ウーン。。。 

 

さて。ラブホ女子会のプランには無料オプションでスパークリングワインが一本頼めるサービスがあり、 更には画像と指定文字のラベルを入れられるサービスがあったので迷わずお願いしておいた。ワインの届く時間もわりと自由に指定できるので、サプライズにはうってつけである。

 

 

メンバーに喜んでもらえてなによりでした。

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(※画像の団体・組織・企業と今回の催しは関係ありません。)

これまた一つ無料でついてくるハニトーと共に。

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ルームサービスも一つ1,000円ぐらいで美味しくいただきました。

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女子会っぽい!

更にはホテル全室向けのサービスとしてデザート一個選べたりドリンクバーの横にワイン飲み放題サービスに、様々なアメニティがバイキング形式で持って帰れたりシャンプーコンディショナーはほぼ全種類揃っているしで至れり尽せりでした。

写真は面倒なので載せないけど100スターぐらいきたら気まぐれで載せるかもしれない。(はてなの仕様で写真投稿を複数できないのが悪い)

 

女子会はお酒も飲んで美味しいごはんも食べてファンタビも觀始めたりいろいろ話したりお風呂に入ってまったりしたりと、ほぼ初対面ながらも楽しかったです。 

楽しかった。

楽し……

 

 縛られたうどんちゃんのことは忘れないよ!!!!!

 

最後に、全員素敵なルームフレグランスのアメニティと、全員映った写真をいただいて帰りましたとさ。めでたしめでたし。

 

■まとめ

ラブホ女子会ということで最初の心理障壁は大きいかもですが、一回やってみるとこれはおもしろいねーという結論に全員一致しました。

感覚としてはちょっと不思議なカラオケか小旅行にきましたみたいな感じかもしれません。優雅な気持ちに浸りやすいのでおすすめです。

 

■余談

ラブホ女子会について、メンバー全員が当日にリアルタイムに中継していたのですが、UEC関連者を中心にかなりの反応があって楽しかったです。

裏切ったな!おまえらやっぱりラブホについて知ってるんじゃないか!!!

 

 ■余談の余談

このブログ公開には一ヶ月も要しました。というのも、ラブホ女子会体験そのものにフォーカスすべきか、それとも我々がラブホ女子会をやったことにフォーカスすべきかというところで文章推敲に時間を要したからです。

最初は前者のスタイルで書いていたんですが、これが書いていてとにかくつまらなかったありきたりのパーリィピーポー体験記なんて、読んでいても書いていてもおもしろくもなんともない。ベーシックなアウトプットはすでに存在している先人に任せればよいというお気持ちがおそらく自分に内在しているのだと思い知らされました。

そこで「ねこのてさんの紹介をまじえると面白いんじゃないか」と、不意に舞い降りた直感を信じて随所に入れたところ、かなり筆が乗った。アイドル女帝の彼女には改めて心から感謝を申し上げたい。今度新しい手錠でも差し上げようと思う。

 

 

やっぱ首輪にしようかな。

 

※1. みたぬメモは過ちは恐れずに進むねこのてさんの今後のご活躍をいつも応援しております。

 

拝承。

良いプロダクトを産むための議論のスタイルについてアンケートを取ったので結果と感想を置いておく

 

なんとはなしに上記の内容でアンケートを取ったところ、多くの投票がありました。結果はご覧の通りです。投票してくださったみなさま、ありがとうございました。先にエクスキューズを申しておくと、私のTwitterアカウントのフォロワーの7割以上はおよそ理系大学出身(予定含)ですので、主にそういった経歴を持つ人たちによって投票されたと私は推測しています。

 

今回このアンケートを取った理由は「どちらが多数派か」ということを確かめたい軽い気持ちだったのですが、思いの外TLで意見を寄せてもらったので雑にまとめます。

 

<A派>

・Bには良いプロダクトを出すための議論(労力)の手間を惜しんでいるように見える。

・あとで決まったことに関してBに文句を言われないために、先にコミュニケーションコストをかけておきたい。

・議論をナアナアにしてしまうと、目標到達の最後の過程で軸がブレやすい。だから最初にきちんと認識を共有しておきたい。

 

<B派>

・議論を重ねたからといって必ずしも良いプロダクトが生まれるとは思えない

・Aは何が何でも我を通したいだけ

・Aを選ぶ人間は、議論のための工数や時間といったコストと天秤にかけることができていない。

 

私はプロダクトによってどちらの立場も選んだことがあるので、ウンどちらもわかるなあという気持ちがあります。ただ、A派が少なかったことが意外でした。もちろん投票してくれた人たちの背景事情もあるとは思いますが、もしかすると世間的にもBは多かったのにも関わらず、Aのやり方をする人が印象に残りやすかっただけかもしれません。

 

AがいいとかBがいいとかの議論はさておき、このアンケート結果から思うことは良いプロダクトを産む際は、こういったお互いの感性の違いからすり合わせをするなり相手の人間性を認識した方がいいのかもしれないとしみじみ思いました。

ボドゲとかTRPGとか興味ないわけじゃないしむしろやりたいけど

ふと思ったので書いておく。(※1)

 

0. ボドゲとかTRPGとか興味ないわけじゃないしむしろやりたいけど

我が家は卓上ゲーム・カードゲームで家族揃って遊ぶことが多かった。

もともと両親がゲーム好きだったから、数も豊富でドンジャラモノポリー、人生ゲームといった卓上ゲームに、いたスト・桃鉄といったコンシューマーゲームで家族対戦して遊んだ記憶が有る。

高校時代も友達グループで昼休みはずっと大富豪をしていた。KHTCGの大会にもよく足を運んだ。

だから私自身は対人ゲームが嫌いなわけではない。むしろ懐かしみと親しみを持っている方であると思う。

しかし近年、非電源ゲームやTRPGのお誘いになると、内心結構な緊張を受けている。

その理由がおおよそ5つに分かれる。 

 

1. 楽しくやりたいだけであって、けして勝利が最終目標ではないのを嫌がられる

2. ルールを覚えている段階であることを理解してもらえないことが多い

3. 勝たせてもらえないというより優越感を持った相手にタコ殴りされるのに嫌気がさす

4. 「遊びたいから教わっているorやっているんでしょ?」的なのがキツい

5.  勝ちたい人間が同じ場にいるとき、どのポジションでゲームをやるか、かなり心的負荷がかかる

 

まあ結局初心者の愚痴なのだけど、一個ずつ解説していきたいと思う。

 

1.楽しくやりたいだけであってけして勝利が最終目標ではない

勝ちたいよね?と言われたらそりゃ勝ちたい。正直なところ、勝てる方が楽しい。

しかし私の場合は勝利はあくまでも遊びの延長線上にあって、それがmustではない。例えると"公園でキャッチボールするぞ。相手のミットにボールが入ったらいいな。"程度の気持ちである。

それが「おっ、おまえ野球に興味があるのか!」と草野球試合に無理やり引きずり出されて「今のは角度が悪い!おまえやる気あんのかよ!そんなんでメジャーリーグ行けると思うな!」的な罵声が飛んでくる。

そう言われるときってだいたいは何がよくて何が悪くないのかわかっていない段階で、何を怒られているのかよくわかっていない。その上誘われているこちら側としても(誘ってくれた感謝は覚えつつも)、「この人たちは草野球をやってるくせにメジャーリーグを見ているのか?」という具合にだんだん滑稽な気持ちが生じる。

そういう経験を積んでいくと「ああ、このゲームは真面目に勝ちに行く努力を見せないと”怒られる”んだな。」という印象しかつかなくなって、結局離れていく。

チームプレイだとか協調が必要なゲームならまだしも、対戦ゲームで個人がそれなりにやって負けることに対してキレる人がいることで、そのゲームのファン層もそういう人が多いのかなと思うようになる。実際は嫌いになったとか興味がないわけではないのに、だ。

 

2. ルールを覚えている段階の人間はそれだけで不利ということを理解してもらえない

新しいカードゲームとかボドゲを手に入れたとき、プレイ人口を増やしたいのはすごくわかる。

友人や兄弟が「新しいのを手に入れたから遊ぼう!」とキラキラした目で見てきたら、まあわざわざ誘ってくれるぐらいだし楽しいんだろう、いっちょ付き合うかと思う。ここまでは全然問題ない。だって誘ってくれるのは私も嬉しいから付き合うわけですよ。

だけど、だいたいゲーム開始から問題が発生する。

初心者の自分としては説明書を読みたい。なぜって?誘ってくれた手前、真剣に取り組みたいからだ。それがゲームに誘ってくれた人への誠実さだと思っている。

けどだいたいこう言われる。

「自分もまだ理解してないからちょっと待って」

「こういうのはやりながら覚えよう。途中で質問していいから。」

しかし、そうなってくるとゲーム初期〜中盤で本当にしんどくなってくる。

「これこうやってもいい?(自分は説明書なし状態)」→「あ、いやダメ。ここにこう書いてある。(向こうは説明書あり)」

ここまでで、本当に釈然としない気持ちになっている。

そういうルールなら最初から言ってもらえないと、向こうの勝利が自ずと見えてくる。だって「この手を出していいか?」と聞いている時点で、こちらは手札を明かしているのだ。最初からそういう質問がしたくなる状況になることを想像することは、そのゲームの枠組みを理解していないと本当に厳しい。それなのに途中で質問していいですよって、勝たせてくれるのかい?そうじゃないだろ?アンフェアで開始してまで得た勝利の美酒は美味しいか?とすら疑心暗鬼になる。

もちろん初心者が情報過多になって、ゲームそのものに関心を持たなくなるのを恐れているのかもしれない。でもそもそも初心者が説明書に手を伸ばしている時点で、興味は持っている。その人は自分のレベル感でわかるところから、ルールを覚えようとしているわけである。なぜその知的好奇心を摘みに来るのだろうかとすら感じる。

私のこの文句に関して誘う側にお願いしたいのは、コンシューマーゲームチュートリアルの絶妙さを学んでほしいと思っている。段階的にルールを説明していって、最終的にかなり甘い勝負を用意する。"プレイ人口を増やしたい"のが目的なら、そうした方がいい。それが定石になっているから色々なゲームでチュートリアルが存在しているわけだ。それでようやく、「楽しいしとりあえずやってみよう」という具合に、新たなユーザーは育つのだ。それなのにどうして相手を勝たせる要素を排除する?やる気をなくすに決まっている。

 

3. 勝たせてもらえないというより優越感を持った相手にタコ殴りされるのに嫌気がさす

これは2の続きにもなる。

陣取りまたはライフを削るゲームだと、全手札の効果と相手の捨て札を覚えている"自称上級者"がいる。そういう駆け引きは"勝利"の目標のためには、もちろん必要だろう。

ただ繰り返す。「それってルール覚え中の人にやることか?」と思う。

何度でも言うけど"プレイ人口を増やしたい"ときはその目標だけに徹して欲しい。そのついでに"勝利したい"は本当の"上級者"になってからやってくれというハナシである。

 

4. 「あなたも遊びたいから教わっているorやっているんでしょ?」的なのがキツい

おまえボドゲのルール知っている程度で偉そうにするなよ。

まあ、そりゃ新しいコミュニティに入るからにはね、そこのルールを学んで従うのは当然だけど、1〜3の流れがあると正直内心結構キレてる。

 

5.  勝ちたい人間が同じ場にいるとき、どのポジションでゲームをやるか、かなり心的負荷がかかる

是が非でも勝ちたい人がいて、ビギナーズラックなんかで勝ったときにはゲーム外でも恨まれるし「たまたま凡ミスしちゃった」とか本気出してませんでしたアピールされるならまだしも、コントローラを投げつけて「終わり!」とかされると本当に無理。

うまーく負けられるならいいけど、初心者にそういうのは無理なのでたまに明らかなミスをしても「真剣にやれよ!」とか言われるし。

じゃあいっそ手を抜いてヘラヘラとゲームしてた方が気楽なんですよなあ。

 

 

 

ちなみにこのネタは4ヶ月ほど下書き状態にして寝かせていた。わりと毒多めだなとは我ながら思う。読み返してみて推敲しようと思ったけどそれでもなお、考えは変わっていなかったから、、、まあそんなもんだなあと思った。

あとこれらは全部大昔に兄にやられた話なんだけど、書いていて当時のことを思い出して本当にムカついてきた。

 

プレイ人口を増やしたい優良ユーザーの皆様に、こういう理由でゲームから離れていったユーザーがいることが届いたらいいなあ。

 

※1 ... 言い訳だけど、真夜中に更新したことで確認が及ばずレイアウトがガタガタだったものを直しました。(6/15 10:13)

語彙力とコミュニケーションについて

語彙力には3段階あると思う。

 

まずは「ある概念を表現するときの言葉がある」という認識・認知の段階

漢字や熟語の読み書き、もっと落とし込めば概念理解の学習段階である。

 

次に、その言葉を使う状況になる・使用する段階になること。

ある状況になったとき、自分や物の状態を的確に説明するための言葉を選んで用いる段階である。人への説明や、日常会話が相当する。

言葉を使用するためには様々な経験を経ないと、結局自分のものとして落とし込めない。ある言葉や概念、もっといえば他者の感情を知っていることと、ある言葉を自分が使用する状況になり、実際に使ったことには大きな差があると思う。

 

最後に、その言葉を用いることでそれが自分の人間性や社会的立ち位置と合わせて、相手に対してどういった意味や思考を与える・与えやすいのかを認識して使う段階

 

そしてエクストラモードとして、よりシンプルに言葉を省略化して、かつ自分のブランディングイメージも損なわずに相手に自分の想いや意思を的確に伝わるように使う段階である

 

これらの段階を経て初めて、人は語彙力があるといえるのではないかとふと思った。そしてその人の語彙力と、コミュニケーション能力の関係はなかなか切れない。

更に思うこととして、素人が第三段階をなくしてエクストラモードで初対面の人間に接していくことは相当危険なことに思う。というのも、単にコミュニケーションコストを省エネしたい人にも思われがちになりかねないからだ。長期的なコミュニケーションをしていくにはもともとの人間性を相手に知ってもらった上で、きちんとした言葉を取捨選択して話していく必要があると思うので、そこの塩梅は難しいと思う。

まあそういった段階をすっ飛ばしたいなら、同じような背景で同じような言葉やコミュニケーションを用いるコミュニティにずっと属するのも一つの方法なのだろうけど、社会における自身の成長が担保されるかどうかわからないのでなんとも言えない。でもたぶんよくないと思う。コミュニティの人間がずっとそこにいてくれる保証なんてないからだ。

 

ということを思った。