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地味にメモ

ブログが書けない

ブログが書けない。ほんま書けない。

書きたいテーマはいくつかあるし、それらの中には自分語りやら主観ながら「あ、これはインターネットに残しておいた方がいいやつや」と思えるものも含まれている。

けどブログが書けない。

色々理由を考えてみるけど、文章が書けないことに気づく。

 

たとえば、「先日、D23に行ってきました」で書き出す。

すると「あーでもD23ってなんのことなのか、想定される読者の中では把握している人が少なそう。じゃあ説明した方が親切よね。すると公式サイトのURLを引っ張って来て、写真も持って来てー、、、、」で、すでに10分は消費する。私が書きたいのはD23ではやたら並んだとか、その中で出会った人との素敵な出会いとかイベントがすごかったとかそういうことなんだけど、ここまでたどり着けない。

 

そしてそれらを説明しだすと、とにかく文章が長くなる。読みにくい。

特に今の世の中はスマホ文化が浸透していることもあって、シュッとスクロールしつつ読めるレベルの、読み手にとって苦痛のない文章を求められがちである。自分だって文学的表現をなるべく落としたような、簡潔な文章をブログには求めがちなのに、どうして自分だけが延々と長く、けして美しいとも言い切れない文章を書こうという傲慢な心を維持できようか。けどもうこの文章の時点で長い。なるべくやらないようにしているんだけど、いかにシンプルに書いて意図が伝わるようにするか、死ぬほど頭を使って疲れる。自分でもどうしてこんなに長く書いてしまうのか不思議。

 

もちろんどうしても文章を長く/短くしなくてもいいんだけど、「私はきっちり説明したい」。この欲求が高い。じゃないとマサカリを投げられる確率が高くなりそうで怖いからだ。単純な間違い(たとえば誤変換とか)を指摘されるのはありがたい。でも全く知らない人から「こいつの文章えらそうで嫌い」「わかっています、みたいな体裁の文章が気にくわない」などと刺されてきたのに、ヘタに安易な文章表現を用いて、見知らぬ他人にむざむざと刺される要素を与えたくない。とか書くと「調子に乗っているんじゃねーよ、おまえごときの文章なんて誰も読まんわw」とかいって刺されるんだろ、わ、わかっているんだからな。こんなことを考えつつ、的確に言いたいことを伝えられるような文章を探るまでが、長い。

 

そしてなんとかそれらの障害をも乗り越え書いていると、だんだん気恥ずかしくなってくる。

過去の文章を読んでいると「あああああああああああ、おまえほんま何様だよ!!!」と思うことがたくさんある。その文章を書いている時点の自分は、その状況下なりに一生懸命考えているんだろうとは理解できるけど、それでも恥ずかしさは込み上げてくる。そんなコンテンツをインターネットに残しておくことはつらくなるということを、自分はじゅうぶんわかっている(つもりだ)。だから書いていくうちに、「これは本当に今後の自分にとってもよいアウトプットになりえるか?」と、ついつい考え始めて止まってしまう。もちろん、そういった恥ずかしさや照れを乗り越えられる人が強いともわかってきている。けど、書けない。

 

もうちょっと気楽に書いた方がいいともわかっているんだけど、考えてしまう癖が抜けない。そうこうして、ブログを書くための勢いが抜けていく。

うーん、ブログが書けない。(ちなみに、この駄文も推敲をして30分かかっている、もはや向いてないのかもしれない)

実は三浦大知さん私も好きです

もう遡ること10数年前……、とあるCMに目が惹きつけられます。


Vodafone live!BB 三浦大知 2005 cm

 

わかりますか、当時まだ「Vodafone」というキャリアがあった頃です。今のJKは知らんだろ。vodafoneのメアドは都道府県ごとにドメインが違ったんですよ、などという昔話はさておき。

もうこれにドギモを抜かれます、一瞬入る沈黙、そして始まるなんてクリアな声。躍動感のあるダンス、「こりゃすげええ!!!!」と感動します。

このFree Styleという曲が本当にかっこいい。「I can dance!」という最高な主張のサビに、「Rockin'on to the world 誤解はさせときゃいい」「自由なんて 簡単さ 見てちゃダメさ Let it go away」、なんだこの痺れる歌詞。これを当時17歳の三浦大知さんが歌いこなし踊りきったのが最高にロックでした。

 

が。

 

当時、時を同じくして木村カエラさんもvodafoneでCMタイアップをしています。


2005 ボーダフォン

こちらも有名ですね、「リルラリルハ」。

当時はパケット定額なんていう気の利いたプランを取っている携帯会社は少ない中での、メールし放題というキャッチーなコピーに明るく可愛らしい演出。かくして日本国民は「木村カエラのリルラリルハかわいい〜〜!!」「VodafoneのCMの歌手? ああ、カエラね!」と、まじ三浦大知誰それ状態で、語り合える人間がいないと言う不遇の時代を過ごしました。(もちろんカエラさんがメールし放題のCMだから当たったとかではなくて、三浦大知さんとはまた違った魅力があるアーティストだと思います)

 

三浦大知さんは色々な事情でメディアにもあまり露出せず、ライブ活動や所属しているエイベックスのyouTube公式アカウントからのプロモーションなどにより、コツコツと下積みをしていくこととなります。

大変申し訳ないながら、私はライブには行けなかったもののCDをコツコツ買ったりyouTube公式チャンネルで最新PVを眺めることとなりました。もうな、最高なのですよ。

 


三浦大知 (Daichi Miura) / Who's The Man

もうやばい(語彙力の衰退)、「おまえにぴったりな男は俺しかいねえ!」とこれまた最高の世界観。もうとにかくセクシーアンドセクシー。

 


三浦大知 (Daichi Miura) / Delete My Memories -Music Video- from "BEST" (2018/3/7 ON SALE)

とか思ったら、失恋している……。「この関係性を修復できないなら、おれの思い出消して」と、、、泣かせられます。そして当然こちらのダンスも自分で振り付け。なんだこの見事なアシンメントリーダンス。もう最高でしょ。

 

 

その後も、様々な楽曲を打ち出す三浦大知さん。

個人的「おっ!?」と思ったリリースがあります。それがこちら。

(イベント券なし)The Entertainer (ALBUM+DVD)

(イベント券なし)The Entertainer (ALBUM+DVD)

 

これの何が「おっ」だったのかというと、渋谷の駅を降りたところすぐの看板を、この「The Entertainer」というCDのジャケット画がジャック。うわ、まじか、、、一時期露出が危ぶまれていたのに、そのとき申し訳ないながら自分はあまり邦楽を聴いておらず、渋谷もたまたま降りただけだったんですが、まさかyouTubeや音楽ショップだけじゃないところでの、しかも一等地でのエンカウント。泣いた。

 

もう本当、こんな感じでした。

http://blog-imgs-76.fc2.com/s/u/g/sugatagstyle/15071007.jpg

G-STYLE 2014年11月20日 より

センター街を歩いても、三浦大知さんの楽曲はもちろんPVまで流れている始末、これは、、、ようやく三浦大知さんの時代が来た!と確信

すぐさまその足で渋谷のTSUTAYAに予約、購入しました。

 

なお、このときのCD発売記念ライブに当選して、TSUTAYA本社まで行くことに!そして友達に「一緒に行かない?」と言ったものの「誰それ知らない状態」だし家族からも「ふーんライブ?知らないけど気をつけて」。泣いた。

 

三浦大知さん初ライブ出陣は屋内なので、激しいダンスはないのかーとちょっとしょんぼりしていたんですが、そこは三浦大知さん。三浦大知といえば、やはりダンスですよねーー!?」と、積極的に動いて楽しそうに歌ってくれるプロ。真の"エンターテイナー"を実感させられました。和製マイケルジャクソン、いや三浦大知さんは常に、観客が自分に何を求めていて、自分が何をしたら楽しんでくれるかを考え、そして表現してくれる。泣いた。

ライブ終了後の握手会では「Free Styleのときからずっとファンです!」ともなんともトンチンカンなことを言ったんですけど、「わあー嬉しいです!」と言っていただけてもうすごかった。。。オーラパない。。。(語彙力の衰退)

 

とかなんとかやっているうちに、寄生獣アニメ化です。

www.barks.jp

そう、三浦大知さんがED曲に抜擢!

 

ようやく家族や友達とも「三浦大知さんイケてるじゃん!」と会話が通じるように。

そうだろ、もうずっと追いかけて来たんだよ。すごいでしょ三浦大知さん。エグゼイドとかのタイアップでもご活躍されていたりとっくの昔に武道館も埋めたり、マツコデラックスにも大絶賛されたり、もうだいぶ注目される一人のアーティストになった。

 

でもたまーに、昔のことも語れる人が欲しくなる。Folder時代も群を抜いて素晴らしいダンスと歌を披露してくれているので、聴いてください。

 

amanatsu0312.hateblo.jp

 

なーんて偉そうに、こちらの方のエントリが目についたので久々に筆をとりました。

三浦大知さん最高ですよね!!!!!

吉祥寺が好きだ

私は吉祥寺が好きだ。

といっても、吉祥寺全体を歩いたことはなく、せいぜい駅周辺〜井の頭公園あたりを指して「吉祥寺が好きだ」とのたまわっている。だから武蔵野市にお住いの方や通勤・通学されている人には「ニワカモノに何がわかる」と思われそうだが、それでも吉祥寺がすごく好きだ。

 

私と吉祥寺の最初のきっかけは、中学生の時に受けた模試会場決めのときである。

そのとき先生から、自宅から近すぎても緊張感が出ないだろうから、電車で乗って行く範囲のところで会場を選びなさいと言われていた。

当時仲がよかった友人たちと示し合わせてどこにしようか、なるべくわかりやすい場所がいいと話したところで、「吉祥寺にしよう!」と提案された。

個人的には住んでいるところから乗り換えなしで行ける明大前がよかったので、「なぜ吉祥寺?」と正直乗り気ではなかった。(これは私が昔から乗り物酔いをしやすい体質であり、井の頭線乗り換えには結構な準備と勇気を要したからである。)

しかし友人はすかさず「吉祥寺にはアニメイトがあるよ!」と言ってきた。

その一言で、私も吉祥寺を選択して模試を申し込んだ。(注釈しておくと、そのときの模試はちゃんといい成績をとっている)

初めての吉祥寺は、本当に魅力的だった。

食べ物のお店も雑貨のお店も洋服のお店も書店も、駅前周辺にたくさん揃っている。商店街がこんなに活気あふれていて、しかも洗練された商品も流行の商品も昔ながらの商品も全部揃っている。

本当に面白い街だと思った。

 

それからも何回か吉祥寺には足を運んだ。いまはもう廃盤になっているキングダムハーツトレーディングカードゲームの大会のために、アメニティドリームというカードショップにもお世話になる。

それまで私にとっての吉祥寺は、西武デパートやマルイもあるため、おしゃれな人が多く、そして学校もたくさんあるので学生が多いという印象だったのだけれども、ヲタクの人たちに紛れて色々とカードを漁るときは妙な安心感を覚えた。(ちなみに当時はまだブックオフができていなかった気がするのと、ヨドバシカメラは敷居が高くて行かなかった。)

そうした経験から「吉祥寺には色々なお店があって色々な人がいるんだな」という意識がついたのだと思う。

食べ物にも買い物にも趣味にも困らない。

どこまで歩いても飽きない街並み。

そういう楽しさが味わえる街がよかったのだと思う。

フォロワーさんに「渋谷はディズニーランドみたいだ。とにかく広くて魅力的なものがたくさんあって、キラキラした街並みでいつもにぎやか。」とおっしゃっていたのだけど、ならば私はこう思う。

「吉祥寺は、ディズニーシーみたいだ。」

程よく歩きまわれて、渋谷や池袋ほどには人も混雑せずしかしけして少なくなく、そして非常に魅力的なものに満ち溢れている。 

 

井の頭公園あたりの自然が多いところも気に入っている。 

駅周辺は都会の雰囲気が出ているのもとてもいい。

商店街の脇道に入ると、ちょっとアングラな店やサブカル感がある店が揃っているのもとてもいい。

 

とにかくなんでも受け入れ、何もかもを内包しているかのような雰囲気ながらでも何かが足りない、そんな吉祥寺が好きなのだ。 

みんなも吉祥寺に一度足を運んでみてほしい。たのしい。

わかりやすく伝えたい人と詳細に伝えたい人が同時にいる説明の場は総じて地獄

タイトルで言いたいことはほとんど書ききっていますが、皆さんもそんな経験はないでしょうか。私はわりかしあります。

例えば、あるAさんは"りんご"の存在や概要を知らず、しかしその場に今すぐりんごを持ってくることはできず、Aさんは"りんご"がわからない限り、次のステップに進むことができないとします。

そこで親切なBさん, CさんはAさんに"りんご"を教えようとします。

 

B「りんごとは、果物だよ」

C「いやりんごが果物とは限らないよ。りんごは果物でもあり、同時に落葉高木樹のことを指すこともある」

 

これは極端な例え話かもしれませんが、いかがでしょうか。Bの言っていることも間違いではないですし、Cの言っていることも間違いではありません。

しかしながら往往にして、このままだとCとBによる知識のマウンティングが起きてしまい、Aはどちらの言うことが正しいのか、BやCのパワーバランスを鑑みて話の本質でないところにおいても困惑してしまいます。結果として、りんごのことがよくわからないままA, B, Cは穏やかでない空気、すなわち地獄のままで終わることが多々あると思っています(ないならないでいいんですが)

 

私はAにもBにもCにもなってしまうことが多く、そのたびに他の二人に申し訳ないという気持ちになります。ではどうしてこのような会話の地獄が起きるのでしょうか。100%自分の主観ですが、色々と思考したのでメモしておきます。

 

Bさんの立場:BさんはAさんに対して「基本から抑えて欲しい」という気持ちがある

「人にものを教えるときはその人の発達段階や持っている知識・理解に応じて、レベルを合わせていった方がよい」という考え方があります。この考え方は、特に教育関係においてしばしば聞きます。

実際、足し算どころか2桁の数が怪しい3歳児相手に「50円のものが4つあるなら50+50+50+50なんてしないで、50*4をすればいいじゃないですか」という不親切な教え方をする人は、さすがに少ないと思います。3歳児であればまずは数のかぞえかた、次に足し算、繰り上がりの計算、一桁同士の掛け算、そしてようやく一桁と二桁の数の掛け算を覚えていきます。(日本の公立校の場合、文科省による指導要領というものが全国一律で遵守されているため、この教え方の段階に覚えがある方も多いと思います)

この教え方はその人のレベルに応じて教えるため、誤解が生まれにくくわかりやすく伝わりやすいという側面を持ちます。一方で、必ずしも正確な情報のみが伝わっているとは言い難く、情報過不足や乱暴な理解を招いてしまうこともありえます。(でもそれを承知で、わかりやすさのバランスを重視する人もいるということを忘れてはいけないとも思っています。)

 

Cさんの立場:CさんはAさんに対して「正しい知識を抑えて欲しい」という気持ちがある

一方、CさんはBさんがAさんに説明した内容では「そのままで覚えられたら今後困る(であろう)」という思惑のもとで、詳細に伝えたいという気持ちがあります。先のりんごの場合だと、「りんごは果物という性質だけではなく、樹木のことを指すこともある」という部分が、詳細に伝えたい部分です。

この「困る」という感情の居どころが結構やっかいで、2パターン存在していると思っています。

 ・Aさんが困る

 ・Cさんが困る

このたとえ話のポイントは、Aさんは樹木としてのりんごを知らなくても、ただちにAさんの生死や、今後の人生といったものには影響を与えないところでしょう。でも"ただちに"というだけで、もしかしたら1週間後にAさんがそれを知らなくて困るかもしれない事態になる可能性は否定できません。(もちろんそれはAさん自身の責任もあるでしょうけど)

そこでCさんは義侠心から「ちゃんと知っておいて欲しい」という感情の流れが起きることは十分ありえます。ここで言及しておきたいのはCさんが持つ感情が必ずしも正しい、つまり世間的に容認される云々ではなく、そういう感情を持つ人もいるという前提で進めます。特に、Aさんから見てCさんが保護者や指導者の立場の場合であれば、Cさんはますますそうであろうとするかもしれません。我が子が間違った知識のままで怪我をしたら、かなしい気持ちになる親御さんみたいなものです。

次に、Cさんが困る場合です。これはCさんがその分野に関してスペシャリストであったり、経験者であった場合であれば、「間違ったことを教えたくない」というその分野に対する責任の感情が生まれるのはもちろん、極端な話、あとからそれを誰かに「どうしてCさんがついていながらちゃんと教えなかったの?」と追及されることだってあるでしょう。今後のCさんにおける立場が揺らぐ可能性もあります。そのため、CさんはCさんの沽券を守るためにきちんと教えなければならない、ということも往往にしてあると思います。

この「詳細に伝えたい」という思惑のもとに伝わる情報は、将来的には非常に有用な情報になることが多々ありえる一方で、その相手にそもそも理解してもらえるかどうか、というところがポイントとなってくると思います。

 

Aさんの問題点

ここまでB, Cのそれぞれのメリット・デメリットや背景等を考えてきましたが、AさんにはAさんで出すべき情報が不足しているとも考えられます。それは、Aさんはどのレベルでそれを知りたいのか?ということをB, Cに伝えていないという点です。たとえば話半分や、コミュニケーションとして"りんご"を知りたいのであれば、おそらく必要なのはBさんの持つ情報であるでしょうし、"りんご"についてレポートに書きたいだとか発表するであれば、必要なのはCさんの持つ情報といえそうです。

ただし、Aさんの年齢が極端に幼かったり言語化が下手であったり、そもそもAさん自身もその情報が自分にとってどこまで必要であるか判断できない場合など、Aさんを責めるべきでない状況は当然あるとも思います。

 

ではA, B, Cの三名は十分に発達した成人である場合、どうすればよいか

いろいろ考えてみたんですが、結局のところB, Cそれぞれがどういった背景を持っていて、Aがどこの段階に置かれているかというところを共有しておけば、わりと単純に解決される問題であるということを、書いていて殊更に強く思いました。まあそれが往往にしてできないためにコミュニケーションは成り立たなくなるので、「地獄やな」の感想に尽きてしまいがちではありますが。

今更感かつおまえが言うなと言われるのは承知ですが、この地獄を防ぐにはそもそも日頃からその人がどういう人なのかを知っておく必要があるので、日常からどれだけコミュニケーションをその人と取っているのか、ということも尺度として抑えておかないといけないなどとも思いますが、まあそれも難しいこともあるよななどと考えています。

 

ちょっと話が溢れて:みんな実はりんごを知っている

これはタイトルと外れてくるんですが、私はそもそも「りんごとは何か?」と質問された時点で、その人はもうすでにりんごをほとんど知っているようなものだと思っています。

現代はインターネットも普及しているので、わざわざ人に聞かずとも調べることができるのは自明です。もっと言えば、wikiでも読めばそこらの一般人よりよほど専門的な知識量が掲載されているページが表示されます。そのため、「そもそもわかっていない対象物がわかっている状況は、もうすでにわかることができる状態」と私は考えています。本当にわからない人なら、その概念にすらアクセスしていないであろう、とも同時に思っています。

でも自分で知識が手に入るにも関わらず、その人があえて他者に尋ねているのはなぜか?というと、以下の3つを考えています。

  1. 調べる手間と時間すら惜しい

  2. コミュニケーションがしたい

    3. その人ベースの話が聞きたい

1については、(事例ベースの話ばかりで恐縮ですが)たとえばある日、日本の一般家庭にいるあなたが早く起きなければならない日に限って目覚ましをセットしそこねて準備もバタバタ、髪もぐしゃぐしゃ、とりあえず服はこれと決めながらここで「今何時何分!?」と家族に向かって声を張り上げます。その気になればスマホなりテレビなりの電源を入れて時刻を見るのだって造作もないけど、それすらも惜しい瞬間というのがあると思います。

そんなときの家族からの返答が「8時45分だよ」と言われるのと、「グリニッジ標準時?それとも日本標準時間?」と言われるのと、どちらが有用な情報でしょうか。明らかに前者かと思います。

2については、答えそのものが重要ではなく、会話を重ねることで日頃からのコミュニケーションを図っているという人も一定数存在すると思っています。幼児の例でいうとこれがわかりやすく、「おとうさん、あれなーに?」と聞く子はそれが本当に知りたいのではなく、単に会話そのものがしたいだとか、その人にとって居心地の悪い沈黙状態をなんとか打破したいといった思惑のもとで行われるために、質問される状況が起きると私は思っています。この2の場合において、わかりやすく伝えるのがベストなのか、それとも詳細に伝えるのがベストなのかは、聞かれた側がその選択肢を持っているという認識でいくとお互い幸せだと思います。(答えに文句あるなら自分で調べればいいだけだし……)

3は、これは井戸端会議とか哲学、あるいはその人しかアクセスできない情報といった、その人のパーソナルに依存した意見情報が欲しい場合のことを想定しています。これは1,2と比べて異色なのでここでは論じません。(まあ、そういう「聞かせてください!」の立場になるのは難しい)

 

まとめ

地獄をどうにかしたいと思う場合、まずお互いの背景と要求されているレベル感を知ろうとしようねといういい話になっていますが、このエントリは本当は愚痴日記みたいな位置付けで書こうとしたのにどこで間違えたんだろう。つくづく自分は説明に向いていないと思い知らされました。(ちなみに自分はCのような人間が苦手です)

HHKBのfnキーを不注意により油性ペンで汚してしまった

今年の1月ごろに「新しいキーボードほしいなー」と思い立ち、予算もある程度見積もっていたところ、知人から「これ使わないからあげるよ」とHHKBのLite2(白)をもらった。

それまでは付属のキーボードやロジクールの安いキーボードで満足していたので、初めてのHHKBの打ちやすさにとにかく感動した。「これは本当にすごい。ごちゃごちゃした刻印もなく、やたらとキーも多くなくてすごくいい。」とめちゃくちゃ感動していた。まさしくハッピーなキーボードライフを楽しんでいた。

そして今しがた、そんな素晴らしいキーボードを汚してしまった。

本当に不注意である、読んでいた手元の専門書に付箋を貼ろうとしたとき、あろうことか、付箋メモに使ったペンの先端が出ていたままだったのである。自分の不注意もあるけど、イベントでもらった超使いにくい無料のペンごときにHHKBのキーボードを汚された。しかもよりによってわりと使うファンクションキーだ。

ある程度動揺しつつも、ネットで調べた「プラスチック消しゴムで落ちる」という記述を信じてこする。少し落ちた。ここでちょっと安堵する。そういえば無料ペンの先端はゴム製だし、細かいところはそれで落ちるだろう。こすってみる。なぜか汚れが広がる。解せない。俺はお前が嫌いだペン。

ふつふつと湧き上がる怒りを堪えつつ、静かに立ち上がりティッシュを手に取る。そして洗剤をつけてこすった。落ちない。

 

かくして、最高級キーボードと誉れ高いHHKBのファンクションキーに、油性ペンの汚れがついたままになった。しかもイベントでもらった無料ペンだ。無料ペンごときに5桁はくだらないキーボードが汚されてしまったのだ。無料ペンは静かにゴミ箱にダイブさせた。書きにくかったし、まったく悔いはない。あばよペン。あとは懺悔の時間だ。あらためてHHKBの前に向き直る。君は汚れた体で僕を見つめる。

大好きだよHHKB、ものすごく打ちやすいよHHKB。でもそんな君を、僕はくだらない不注意で汚してしまったのだ。君の汚れがあるうちは、きっと僕は僕の不注意さをきっといつまでも責め続けるだろうし、君はファンクションキーを押されるたびに僕をその純粋な目で眺め続けるんだろう。君は何も語らない、ただ、僕によってタイプされ続けるだけだ。

次に買う時は必ず汚れが目立たない黒いモデルにする。だからごめん、まだ僕のそばにいてくれないか。ごめんHHKB。大好きだHHKB。

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図1. 汚れが落ちないHHKBのfnキー

 

 

※だいぶショックです。

フルメタDC版を観てきたよ〜ハリセンというアイテムにおける、ヒロインへの魅力度貢献の考察〜

先日、フルメタル・パニック!ディレクターズカット版を観てきました。(以下、これらのシリーズを総称する言葉として"フルメタ"を用います。)

 

私とフルメタの出会いはもう10年以上前にも遡ります。兄がふもっふを観ていたことがきっかけでした。

私自身が作中のモデルとなった調布に長く住んでいることもあり、しばしば挿入される地元ネタにまず反応。そして非常に魅力的なキャラクターたちが織りなす学園バタバタコメディに、「おもしろいなー」と思うのは当然のことでした。兄の書架から漢数字シリーズ、いわゆるふもっふパートを借りては読み漁る毎日。宗介による銃痕が残る校舎に、かなめのハリセンがうなる楽しい高校ライフに没頭。さらには兄のスパロボプレイ画面を横から眺めて「あれ、なんで宗介が戦っているの?」というトンチンカンな質問をした日々。

 

そして兄の誕生日に、燃えるワン・マン・フォースとつどうメイク・マイ・デイをプレゼントしました。当然のごとく自分も読むものの「あれ、結構シリアスなSFアクション小説なんだな」とようやく認識。クルツやマオといった味方キャラクターの役どころをまったく掴まないまま、レナードやカリーニンがラスボス側であることを把握し、物語の終盤戦を読んでいる愚行に気づくのは数年後である。

作者様にもファンにもかなり失礼な読み方をしたまま「なんかおもしろかったなー。せっかくだから最初から追いかけたいなー。」という気持ちが募ったところに、SFアクション本編ディレクターズカット版上映のお知らせでした。

これは観るしかありません。悪いヲタクたちを誘って行くことになりました。

 

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映画の感想としてはやっぱりおもしろくて、アーバレストが起動するシーンは胸熱だったしガウルンとの戦闘も息を飲むアクションでハラハラさせられっぱなしでした。

かなめのウィスパードとしての覚醒の瞬間も「あーなるほどなるほど」となったり、あとはかなめと宗介の関係性に注目をしながら観ていたんだけど相変わらず宗介の朴念仁っぷりもかなめのツッコミっぷりも…………て、え、あれ。

 

かなめってこんなに乱暴なキャラだっけ???

 

と、違和感を受けた。(ちなみに、ハリセンは学園パートのみに使われると後で知る)

いやまあもちろん映像演出の問題もあるんだと思うんだけど、最初のコピー用紙のくだりで「え、宗介にそんなに乱暴な手段で詰めるの?? でも宗介と事前にどのように行動を起こすかを徹底共有しなかった、かなめの司令官としての詰めの甘さじゃない? っていうか、そもそもいくらミスコピーをされて自分が所属する生徒会のコピー用紙の在庫がなくなったからって、それを職員室からパクる行為もどうなのよ」とかいろいろ思うんだけど、総評するとやっぱり乱暴なのだ。ふもっふのときは多少かなめが理不尽な思いつきをしたとしても、別段何も思わなかった。もっといえば、「テッサよりもかなめの方が面白くて好き」という感想すら抱いていた。

序盤ということで宗介との心の距離もまだ決定されておらず(なにせ、「相良くん」呼びだし……)、かなめにとって楽しい日常をいきなり破綻させてくる不愉快な転校生ということで、随所のかなめの心情を追うのは苦ではない。わかりみがある。一方で国領駅(地元民としてはひたすら懐かしいことに地上駅仕様)で、かなめが下車したのを無理やり身体を張ってでも追いかけようとした宗介に、心を動かすところもなんか共感できる。「そこまでしてくれるなんて、アタシって君にとってそんなに特別なんだ」と、勘違いしちゃう。荒唐無稽っぽいけどこれがいいんだよこれが。

それでも一部、たとえば宗介が風間とベランダで話し込んでいるところに遭遇した後のかなめの宗介に行った態度は、正直理解できない。いやこれが宗介がかなめにとって"普通のクラスメイト"なら、普通に気持ち悪いでしょ。もっといえば警察に通報するなり担任に相談すればええやん。修学旅行のごみ係として彼を指名した使命感もあるのだろうけど、それでも宗介を断罪せずにむしろ彼に対して拗ねた態度を示すあたり、「えー、これはもう宗介に何かしら期待なり情が移っている人間の態度やん」と思わざるを得ない。でもそれをキョーコに言及されているのに、認めようとしないかなめの態度に納得がいかない。いや、納得はできるんだけど寛容できない。おまえ、宗介に惹かれているって自覚しろよアマ!とすら思ってしまう。

このへん、暴挙ながらも燃えるワン・マン・フォースのかなめとレナードの会話を読み返すと、「あーやっぱりかなめって自分が惚れたイケメンには情を持つけど、そうでない男にはイケメンだろうが醜男だろうが同じレベル感で切り捨てるんやな」と改めて思う。

かなめにはかなめなりのイケメン(好きになる人)のモノサシがあって、たまたま宗介がそれに一致したんだろうと思う。男性にはなんとも理不尽な話であるが、それが女子高生という生き物だと自分は解釈している。

 

いや、でも、やっぱり、乱暴なんだよ

 

愛情表現が乱暴であるというのはもちろん、物理的に乱暴なのだ。なーんで宗介を蹴ったりコピー用紙での束で宗介の顔をグイグイ押し付けたりと、そこまでやれちゃうの?と、宗介には本当に同情せずにいられない。端的に言えば愛がないのだ。好きな子ほどいじめたいとかそういう範疇ではない、私刑だこれは。

ふもっふでは生まれなかった「かなめは乱暴」という感情が、どうしてDC版(ないしは本編パート)では自分の中に生まれるんだろうなーと考える。宗介が本編だといいやつだからか? それも違うと思う。やはり宗介は宗介で常識が足りず、朴念仁の上に周りに迷惑をかける行動に移しがちだから、あれはあれでセーブをかけるなり制裁を落とす必要があると思う。

じゃあ何によって宗介の行動を正す必要があったか……暴力ではない。ハリセンである。

何をバカな、と思われるかもしれないけどこの三日間俺も真面目に考えたんだ!

実際シティハンターの香がハンマーでなくて単なる暴力なら? ないしはるーみっくワールドのヒロインのような、可愛らしい表現のパンチでなくて本気の拳なら? これらのヒロインの魅力は大いに下がっていたと思う(要出典)

でも実際、かなめの暴力は見ているこちらとしても結構キツいものがあって、それだけでヒロインであるかなめの株価を下げているように感じた。なにせ宗介無抵抗だし。いくら宗介が最強のソルジャーであり、かなめのような素人の暴力など暴力とも思っていないかもしれないけど、さすがにあかんでしょ。

ヒロインが愛を持ってヒーローの行動を諌めているかどうか、それが案外ハリセンであったり創作独特のコミカルな擬音語であったりなのではないか。

 

などと思ったけど、そもそもラノベのヒロインにどこまでリアル感を求めているんやというお気持ちにもなりました。

まとまりがないのでひとまずこのへんで。

【日記】ミニバラ買った

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休日に吉祥寺方面に行ったところ、三鷹の農業祭だかで植物が売られていたので購入した。これはミニバラのセナ(黄色)とプリンセスチュチュ(ピンク)である。セナは香りがよくて、プリンセスチュチュは花付きが華やかなので買った。

室外育成は小学生の頃からベランダで色々育てきたけど、室内育成は初なので結構ドキドキしている。


あと表題からは外れるけど、明日は自分の誕生日だ。とはいえ、ここ三年ぐらいは誕生日当日以降は3月ぐらいまで結構酷い目に遭ってきたので、手放しで喜べない。そろそろいいこと起きろとまでは言わないけど穏やかに過ごしたい。(とか書いているから大変な目に遭うんだろうけど。)

とりあえずごはんとか気軽に誘ってくれると嬉しいです、はい。


あと欲しいものリストも載っけておきます。何か届くと嬉しいなあ。