みたぬメモ

地味にメモ

Re:Mindに寄せて殴り書き感想(KH3のネタバレを含みます)

Re:Mindが発売されましたね! スタッフのみなさま、お疲れ様でした。

プレイがざっくり終わったので、感想と気持ちを書いていきます。Re:MindとKH3のネタバレと、一部批判的な表現を含みます。

 

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なお、ふんわりしたKH3の感想は以下。

srknr.hatenablog.com

 

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Re:Mindが終わったとき、まず思ったのは「飽きた」「これは本編に組み込むべき話だった」と思いました。

 

そもそも、KH3は「なんでこれ提供したの?」と、首をかしげるようなものでした。

 

まず、シリーズ原点となるキングダムハーツ無印は、私にとって本当に衝撃的でした。さまざまなワールドでは、その彩色美や愉快なギミックに触れることができ、ディズニーキャラと共に3次元リアルタイムバトルを行なえる。道中現れる、魅力的なファイナルファンタジーとディズニーのキャラクターたち。それらと織りなす壮大なオリジナルストーリー。

幼馴染を探すという旅の目的がブレることなく進み、最後に出会えたと思ったらまたお別れ。そこで宇多田ヒカルさんのテーマソングが流れて……彼らの旅はまた出会えるまで続いていく。

もちろんシステムの粗はあるんですけど、間違いなく傑作でした。例えるならレストランで人生で初めて食べるフルコースだったのかもしれません。(レストランといっても、イメージとしては知名度も人気もまだそこまで熟成できていない感じの個人料理店です。(キングダムハーツは当時まだスクエニの稼ぎ柱になっていない・シリーズ化していないという意味を込めて))

忘れられない衝撃です。本当に美味しかった。前述した通り粗さはあるけど、最初から最後まで楽しく、満足感を覚えながら食べられる料理でした。

 

「ああ、またこのレストランに来て、フルコースが食べたい。(でも、シリーズ化していないし、また来られるか怪しい)」、その願いが叶ったのがキングダムハーツ2(ファイナルミックス+)だと、思います。異論あるでしょうが、私にとってはすばらしく美味しかったコースです。以前のフルコースメニューの粗さを補強して、さらに自分の期待を超えるメニューでした。間違いなく満足度1位のレストランでした。

 

そうして人気を重ねたレストランが、今ではリピーターも世界中に増え、毎日人で溢れている。さて次はどんなフルコースを出してくれるんだろう。

そうして出されたフルコースは、

・盛り付けは綺麗だけど水切りが甘い水浸しの前菜

・味付けが迷子の具沢山スープ

・見た目は立派だけど小骨が多い魚

・表面が焦げすぎの、中は生焼けの肉

・デザートが出てこない

「(これまでと比較して)新鮮味のない同じような料理の繰り返し」、「完成されてない」、「満足できない、足りない」、「具材はいいのに、どうしてここに力を入れたんだ」、「結局何を伝えたいのかわからない」、KH3のエンディングを迎えた当初はそんなことを感じていたと、思います。

本当に同じ店か? もうここに来るのはやめたほうがいいんだろうか。そんな疑心暗鬼になっていたところに、Re:Mindというのは

 

「ごめんなさい、先に出したフルコースは我々が本来意図通りに提供したかったものとはちょっと違うんだ。だからもう一回食べてみて?(有料)

 

と、提供されたものだなと思いました。

同じ具材で作られているけど、確かに今度こそ美味しい。そうだよこういうものを求めていたんだよ。そして、なるほどここでこういう盛り付けにしていたのはこういう意図だったのか、ここでこういう調理方法にしていたのはこういう味わい方をしてほしかったのか……、と、それはそれで満足できます。

 

けど、やっぱり「どうして最初からこれを提供してくれなかったのかな」って、思ってしまう自分がいました。

もちろん、自分の意思でもう一度お金を払って購入することを決めたわけですし、何かを手に入れるのに対価は必要なものだとも理解しています。だから「金を取るなんてふざけているのか、無料でよこせ」とは、口が裂けても言う気はありません。

Re:Mindはよかった。けど、もう飽きた。先に一応同じようなものを食べたから。だからこそ最初から、こちらを出して欲しかった。

 

Re:Mindを作るための労力を低く見積もる気もありません。スカラアドカエルムのワールド探索はおもしろかったし、ギミックも1を思い出してすごく楽しめました。あと各キャラクターが操作可能になったのもワクワクしたし、特にカイリの攻撃エフェクトや操作性はすごく好きです。

何より、各種レビューや感想ですごく叩かれていたKH3を、なるべく矛盾ないようにKH3の流れにもう一度丁寧に作り組み込んだ姿勢は、すごいと思います。

けど、最初からこれを出して欲しかった。それなら、KH3に抱いた感想を持たなくて済んだのに。逆に言えば、Re:MindによってKH3をどう評価すればよいか、更にわからなくなってしまった。そんな気持ちもあります。(実際もうKHから離れちゃった客もいるしさあ……)

 

===

(ここからはぐだった自分語りとこれからについて)

自分は、コンテンツは単純な好き嫌いの二元論で語れるとは思っていなくて、「あーこれは合わなかった」「ここはそうでもないけど、ここは特にすごく好き」でいいんじゃないかな、『自分はKH3(Re:Mind含めて)は正直微妙だったし、ゲームとして退屈で、途中ながら作業しまくりだったけど、でもKHシリーズ全体は好きだよ』のスタンスです。

 

『おまえは昔からキングダムハーツを追いかけてきたから、このゲームがクソだと認められないんじゃない? 一貫性の原理が働いていて、もはやキングダムハーツが好きって思い込んでるだけじゃないの?』と、自問自答もめちゃくちゃしました。

でもやっぱり、まだ年端も行かない頃にプレイして、ソラのまっすぐさやリクの不器用さとかカイリのひたむきさとか、そういうキャラクター達に感動した自分の気持ちまで否定する必要もないな……と。

先に書いた通り、特に一度は好きになっているコンテンツを、単純な好き嫌いの二元論で語るのってすごく極端だと自分は思っています。キングダムハーツとは長い付き合いなので、一時期は『これは傑作だ!だから全部肯定しないといけないんだ!』と思い込んでいた時期もありましたけど、でもちょっと嫌いな要素が積み重なっている部分があるからといって、全否定する必要もないよね??(自問自答)

 

もう一つ。『自分はキングダムハーツのターゲットから外れたんだろうか』、こんなことも考えました。でも、ゲームってそもそも自分に100%合う合わないの二元論じゃない、と思っています。

(そろそろ眠くなってきた)最近よくチェスを打つんだけど、チェスが合う合わないって多分ないんですよね。戦略が強いか弱いか、長く続けられるか続ける気力がないか、駒の動かし方を把握しているかしていないか、深く考えるのが好きか嫌いか、そういういくつもの要素が組み合わさっていて、「このゲームは好き」「難しくていや」「まあたまに遊ぶ分には楽しい」とかが決まると思っています。100%合うゲームあったらプロになればええんやで……。

自分もキンハーに至っては面倒なギミックやミニゲームはどちらかといえば嫌いで、すっとばしたいけど、でもこの要素が好きだ・気になるからやり続ける、みたいな。

 他のゲームやコンテンツのことを一度思い浮かべば、「えっなんでこんなことに悩むんだろう」と思えることも、キングダムハーツだからこそ、むずかしくいろいろ考えられるのかもしれませんね?(自問自答)

 

というわけで、お金を払ってプレイする限りは、自分も一応客層に含まれている(と思いたい)し、今後もきっとキングダムハーツは好きなんだろうな、というのを踏まえた上で……、けど『今後のキングダムハーツシリーズは様子見』に落ち着くのかな、と感じています。

 

オタクやめるわけじゃないし、繰り返しになるけど嫌いになったというわけでもないです。

ただ、「なんか飽きた」、「もっとちゃんとしたゲームやりたい」と思う以上は、たぶん一度距離を置いたほうがいいのかなあ、そういう時期も来るんだろうなと(やっぱり環境の変化とかもある)、Re:Mindをやりながら色々なことを思いました。

 

===

 

本当に書きなぐりになってしまった。もしかすると朝起きて「ぎゃー!」って言いながらすごい修正をするかもしれない。

長々と読んでくれてありがとうございました、ではリミットカットがんばります。

君はJR渋谷駅のガンダムスタンプラリーの尊さを覚えているか【オタクがスタンプラリーでオタク生を学んだ話】

冬です。寒かったり。冷えたり。スタンプラリーの季節です。

 

時は遡り、2018年冬。JR東日本では、「JR東日本機動戦士ガンダム スタンプラリー」が開催されていました。(~2018.2.27)

www.jreast.co.jp

なんと総数、65駅。ルールは簡単。各駅の改札を出たところに設置されたスタンプ台まで向かい、台帳に押す。そして電車に乗って次の駅に向かう……これを繰り返し、一定数のスタンプを押した台帳を指定された場所に持って行くと、そのスタンプ数に応じて素敵な記念品がもらえるというゲームです。お祭りです。

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文章にするとサラッとしていますが、かなりハードです。制覇するには都内だけでなく、千葉や茨城まで飛び出すことになります。移動時間は結構こたえます。

さらにJRとひとくちに言っても、山手線から中央線京浜東北線埼京線総武線……まだまだあるんですがこれらの路線を乗りこなせないといけませんし、交通費もそれなりにかかります。待合室がない冬場のホームで10分以上の待機もありえるし、路線の激混み時間帯に突入するとガチ泣き必須です。

rocketnews24.com

参考までに、こちらの記事の人は14時間半かけて1日で全駅制覇しています。スタンプラリーと言って侮ることなかれ。これは体力と知力を総動員して、そしていかに美しくスタンプを押せるかという芸術点を競い合うスポーツです。

 

さて、スタンプ台の話題に触れる前に一つ。

筆者はここまでやたら偉そうに解説していますが、ファーストガンダムを完走していません。許して。でもガンダムさんは読んでたから紫ババアのことは知ってる。

ガンダムさん(Amazon)著: 大和田秀樹

 

まあでも、駅ごとの特色が見えるのが好きなんですよ。

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シャアがあった品川駅は専用のフォトスポットがあったり。

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まあ大体はラリー台が置いてあるぐらいです。場所の問題もあるので。

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ふふっ(写真を観て笑っているオタク)
 

 

しかし、原作を知らないで始めるスタンプラリーは、至極当たり前ですけどキャラクターごとの激しいネタバレを喰らいます

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スタンプラリー台の説明に「戦死」などと書いてあると、「あっ……うん……そうでしたか………。」などと、さながら知らない人の墓参りにやってきてしまったような、なんともいえない気持ちになります。(※観ていない自分が悪い)

っていうかガンダムって戦争ものじゃん? むしろ死ぬか死なないかの二択しかなくない? 違う? そんな疑問が湧いてくる。

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そしてやってきた渋谷駅

渋谷駅は、ザクレロでした。ざ、ざくれくち?

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激しい。

 

2018年当時のJR渋谷駅の構造ですが、少し解説すると、みなさんが想像する渋谷は109、ハチ公、ヒカリエとかだと思うんですね。そういった渋谷の象徴から、かなり離れたところに接続するのが新南口改札でした

 

いい感じの画像を見つけたので、ペタッとしておきます。

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出典元:https://shinwa-mahall.co.jp/news/detail/?p=697
 

新南口改札だけ超ぼっち

2020年現在は多少変わっていますけど、山手線ホームから新南改札口に向かうまでは、途中埼京線の狭いホームも突っ切り、連絡通路では100m短距離走ができるんじゃないかと思うぐらいの距離があります。(中央線で東京駅に着いた人が、ディズニーにいくために京葉線ホームの方までいくじゃん?あれに匹敵するめんどうくささのレベルでした。)

 

まったく知らないキャラクターの墓参り、もといザクレロのスタンプのために新南改札口にひたすら向かう自分。

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この途中通路に本屋があった。

 

そして始まる自問自答。「どうして私は観ていないガンダムのためにスタンプラリーをやっているんだろうか。」、そんな怖いことを考え始める距離である。(当時一人で頑張れたのか実際超不思議)

 

しかしその傍にあるポスターが、私をやさしく見つめます。 

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ハートマークが謎すぎる。 

 

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でかい。主張が激しい。(※全長5mぐらいはあった)

 

なんだろう、いやでも目に付く。

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「428は3906で良かった…… 3906は428で良かったかい?」

 

とにかくこのポスターが目立つ。しかも複数種類存在している。

 

 

何の数字だろう、しばし立ち止まって考える。

数字は何かのメタファーかな、どう読めばいいんだろう。

428はヨンにはち、ヨニや、うーん四ツ谷ではないな、、、すると……渋谷?

 

「渋谷は3906でよかった 3906は渋谷でよかった?」

 

3906……サンキューゼロロク。はて。サンキューレイロク……

 

サキュレロ?????

 

「シブヤはサキュレロでよかった」

 

 

うーん、なんかもうちょいだな。サクレロ…………サクレロ???

 

ハッとしてスタンプラリーの用紙を見直します。

 

 

 

 

「シブヤはザクレロでよかった ザクレロはシブヤでよかった?」

 

 

 

「渋谷は ザクレロで よかった  ザクレロは 渋谷で よかった?」

 

 

……………!!!!!!

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謎の数字の意味に気づいたとき、筆者はポスターの前で思わず涙が出ます。

もう一度書きます、

 

 

「渋谷は ザクレロで よかった  ザクレロは 渋谷で よかった?」

 

 

 

私もオタクであるがゆえ、オタクとして様々なコンテンツを渡り歩き、そして愛してきました

 

しかし、愛しているのにも関わらず「これが好きだ!」と堂々と主張することはおろか共有することもなく、「わかりあえる人たちでやるのが好きなの!」と排他的になり、ときには自らの承認欲求をコンテンツを応援する行為にすり替え、自分の気持ちをぶつけるがために、思いの丈のままにその対象物や世界観を破壊するといった、一方的な愛ではなかったと言い切れるだろうか?

 

 

コンテンツに対してリスペクトは、あったか?

 

 

愛するがために周りに対して攻撃的になり、ときには価値観が合わない人間を侮辱し、その傲慢さを押し通していなかっただろうか?

 

愛される側の、都合は考えたか?

愛される側の、気持ちは考えたか? 

 

 

一方この渋谷駅の社員さんはどうだ。

誰に見られるかわからない、ましてや渋谷駅のような規模の大きい駅では壊されるかもしれない。

しかしそれでもこれほどのスペースを陣取り、

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不安を乗り越え、惜しみもなく自作のザクレロプラモデルを飾り、

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そして公衆の面前で問いかける。

 

 

「渋谷はザクレロでよかった ザクレロは渋谷でよかった?」 

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(ヲタク変換)

「私は君を愛せてよかった 君は、私でよかった?」

 

 

なんという。尊い!!!!!!!

周囲への配慮も忘れず、惜しみなく愛を表現して、そして自分の愛のあり方を、パートナーに問いかける姿勢。

 

そしてそれを許可した周りの駅員さん。(いや実際問題、これが一番の障壁だったと思います)

 

愛は、一方的なものではなく、お互いのことを想い合った瞬間に成立する

そして愛を成立して維持させるには、周りの理解と、リスペクトが必要なのだ

 

などと、このポスターから愛の真理を教えていただいたとも言えます。

大げさでもなんでもなく、とにかく感動して立ち尽くした瞬間でした。

 

私は冒頭にも書いた通り、ザクレロはおろかファーストガンダムすらよく知りません。

しかし、これらの掲示物を見た瞬間に思いました。

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愛だ。ここには真実の愛がある。

 

 

ザクレロの形) 

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とまあ、2年前のエピソードなんですけど、今はまた新たにガンダムスタンプラリーをやっているのを眺めて懐かしくなって、フォルダから日の目を浴びました。

興味のある方、是非是非。

www.gundam.info

 

 

そして渋谷駅の社員さんに最敬礼。

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今年も挑戦しようかなー。

KH2の発売から14年!ところで続編はまだですか?

 

キングダムハーツ2 (Amazon)

2019年12月22日といえば、キングダムハーツ2の発売から14年ですね!

キングダムハーツ2キングダムハーツ2

当時セブンイレブンで配っていたチラシが懐かしい。

 

1の主人公・ソラの年齢と同じだけ時が経ったのか……感慨深いです。

キングダムハーツ2の発売当時の思い出を振り返りつつ、もう出ないかもしれないけど、新作への期待エントリをつらつらと書いていきます。

※盛大なネタバレを含むので、プレイしていない人はとっととプレイしましょう。 

 

 

 

 

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キングダムハーツ2は、前作キングダムハーツチェインオブメモリーズからの続編です。

キングダムハーツ チェインオブメモリーズ (Amazon)

 

『1とキングダムハーツチェインオブメモリーズをプレイしていなくても、楽しめるような構成になっている』『1から広げた風呂敷を畳む』『意外な冒頭シーンに驚くと思いますよ』などとディレクターの野村哲也さんが各雑誌インタビューに答えていて、ファンはどうなるんだろう!?とドキドキしていたものです。

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出典:ドリマガ2005年9月号増刊エクスペリエンス

 

キングダムハーツ2, キングダムハーツチェインオブメモリーズ

とはいえ、すでに2のソラビジュアル自体は出ていましたからね。(出典:週刊少年ジャンプ2003年44号)

ちなみに当時の文化を振り返ると、週刊少年ジャンプは230円でした。そもそもインターネット接続手段も、ADSLが各家庭にようやく普及し始めていた頃で、Twitterはもちろんまとめサイトも何もなく、個人が頑張って作ってくださったファンサイトを見るか、雑誌を買って最新情報を得るのが当時のファンのやり方でした。

ちなみにこのときのジャンプの表紙はアイシールド21で、ハンターハンターは蟻編がまだやっていました。懐かしい。

 

2の話に戻ります。『2はソラの物語じゃないとおかしいけど、チェインオブメモリーズで眠ったところから再開するのか!? それともリク編からのスタートか!?』などと、当時のファンの中では考察が進んでいました。

 

しかしまさか『謎の少年』と発表されていた『ロクサス』からのオープニングだったとは!

ジャンプやガンガンでも『謎の少年』と出ていますね。なつかしい。けどサウンドトラックの曲名で『ロクサス』という名前であることがバレてしまっていましたがw
 

サウンドトラックといえば、当時宇多田ヒカルさんのテーマソングが続投になるかどうかも、ファンの中でドキドキしていたものです。「いっそ光をもう一度でよくない!?」と、界隈はざわざわしていましたが、皆さんもご存知の通り『Passion』に確定しました。


宇多田ヒカル - Passion ~single version~

 

特設ページ( https://sp.universal-music.co.jp/utadahikaru/passion/ )もあり、私はよくここで視聴していたものです。(そういえば『Passion』は、最初の告知ではなぜか小文字『passion』での発表でしたね。連携ミスだったのかな?)

 

さて宇多田さんのCD『Passion』は、KH2発売前の2005年12月16日に発売されました。

その歌詞の世界観から、『もしかして、ソラたち三人は離れ離れになった……!?』『未来がよくない風に終わるのかな』と私はすごくドキドキしたものですが、OPでは歌詞が一部カットされて、ちょっとホッとした気持ちを覚えました笑

 

そして2のストーリーですが、1で果たせなかったソラリクカイリの三人が無事に島に戻り、13機関も全員消滅してすべての世界も救われ、けれどこれからも三人の旅は続くのではないか……と、すごく夢のあるエンドで終わりました

システムとしてはれんけい技もフォームチェンジもすごく楽しかったし、1とチェインオブメモリーズでは、各ワールド探索が一回行ったら終わりという構成だったのが、2~3回は必ずワールドを巡るシナリオによって、各ディズニー・FFキャラとのふれあいが増え、愛着と親近感も増したものです。でもセフィロス戦は厳しかったなーw △ボタンのリアクションコマンド、早く押せるようにならないとw

とにかく個人的には、大満点のソフトでした。

 

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さてさて、2の振り返りをふんだんにしてしまいました。

あと「発売しない」と言っていたものの、結局発売してくれた英語版・キングダムハーツ2ファイナルミックスでは、各要素追加はもちろん、チェインオブメモリーズがリメイクでPS2で遊べ、各13機関にも声がついていて、やりこみが楽しくて仕方ありません。

 

しかし……やっぱりキングダムハーツは2で終わりなんでしょうか。ここまで綺麗に終わったもんね。そうですよね。

 

今後は、チェインオブメモリーズのようにスピンオフ扱いの新作が多いのでしょうか?

 

2冒頭の主人公ロクサスの機関員時代も気になりますし、シークレットムービーに出てきた鎧三人組のキーブレード使いの物語など、ソラメインではない話を中心に進むかもしれませんね!

あと個人的には、スマホアプリで全国ランキングが出るゲームや、ディシディアファイナルファンタジーみたいな対戦型のキングダムハーツが出ると、また一層、ゲームの幅が増えておもしろくなりそうです!!

でもやっぱり、コーデッドのリメイクも出して欲しいなあ、、、。ドコモユーザーじゃないと遊べないというのはさすがに厳しくて……。

 

そしてもし3が出るなら、ソラリクカイリが各ワールドを巡って、色々なキャラと触れ合うのかなー。2はチキンリトルも出ましたし、そろそろピクサー作品のモンスターズインクとかトイストーリーとか出て欲しいですよね! 

 

 

 

…………………え?

 

 

もう出てるって?

 

そ、そんなばかな…………………

 

キングダムハーツ 358/2 Days (Amazon)

 

あっ……すごく大事なことなのに……思い出せない…………。

 

キングダムハーツ バースバイスリープ(Amazon)

 

キングダムハーツ Re:コーデッド(Amazon)

 

おいおいおいおいおい嘘でしょ、続編出すとしても新しいソラの物語ってもう難しいでしょ、どうするの。過去の掘り下げしかできないでしょ。

 

www.jp.square-enix.com

 

そうだよね過去の掘り下げ……

 

 

キングダムハーツ ドリームドロップディスタンス (Amazon)

 

え? ソラとリクのキーブレード継承の儀式? なにそれ??? なんか話進んでない??? ってかFFキャラ差し置いてすばせかのキャラが出るってどういうこと? いや嫌いじゃないけど、ディズニーとFFの夢のコラボって1の時点で謳ってたよね?? なんかコンセプトちょっと崩れた?

っていうかカイリ、カイリ。セブンプリンセスとかどうするの。だってプリンセスたちの役目はとっくに果たして、世界の心の鍵は閉じたんでしょ?? ね??? なんで禿げノート倒す話になってるの??

 

キングダムハーツは2で綺麗に終わったんだよね????

 

キングダム ハーツ HD 2.8 ファイナルチャプタープロローグ(Amazon)

 

 

おわっ……

 

 

キングダムハーツ3 (Amazon)

 

 

 

 

…………………。

 

 

ありがとうキングダムハーツ。こんなに長く楽しませてくれるゲームに出会えるとは思ってなかった。

 

1発売当時は年下だった主人公ソラの年齢も、とっくに超えちゃったよ。ライバルのリクの年齢も超えちゃったよ。というかFF主人公キャラの大半も超えちゃったのかな、ふふ。

ゲーム雑誌もジャンプももう買わなくなったよ。14年経って、各雑誌は廃刊・部数減少して、インターネット上の情報で済んじゃうというところも大きいんだけど。

公式サイトに張り付くことも最近じゃめっきりなくなって、今じゃ各公式アカウントのTwitterのツイートを眺めるようになったよ。Twitterですら、今ではたまに見に行くぐらいの頻度にはなってしまったけど。

 

 

セフィロスを代わりに倒してくれ、アドバイスしてくれた兄や幼馴染もとっくの昔に独立したよ。自分も今年結婚したよ。

キングダムハーツのおかげで、ゲーム以外にもいろいろおしゃべりしたり遊んでくれる人もたくさんできたよ。

 

あの頃みたいにキラキラした気持ちの夢見るこどもには戻れないけど、でも、キングダムハーツをプレイしているときは、『心の繋がり』『仲間を想う心』『約束を絶対に守る意志』など、本当に忘れてはいけない大事な気持ちをちょっとだけ取り戻せる気がしているんだ。

 

 

ありがとうキングダムハーツ

 

===

 

まあ、リマインドはどうなるのかな……。

www.famitsu.com

 

個人的には本編に盛り込んでほしかったとか、FFキャラがようやく出てくれて嬉しいけどやっぱり本編に盛り込んで欲しかったとか、リクカイリアクアロクサスなどなどプレイアブルになるのも嬉しいけど本編に盛り込んで欲しかったとか、いろいろありますけど、

プレイヤーの自分も当然変化したので、そりゃゲーム作る側もいろいろ変わるのはあたりまえだよねーーーという気持ちで、どんなDLCがきても、それでもついていくんだろうなというところです。もう予約もしたので。

 

ジョーク記事でした。おわり。

Twitterを使い始めて10年が経った・1

 

あっという間でもないんですけど、『もう10年か』と、とてもドキドキしています。

こんなに長く、インターネット上のサービスを、しかもSNSをずっと使い続けることって、そうそうないと思います。(なお、私はFacebookはやっていません)

そういったこともあり、いい節目だしとちょっと振り返ってみたいと思います。

長くなったので、前後編で。

 

Twitterを始める前の話

私が最初に始めたSNSといえば、mixiでした。私がmixiを始めた頃(2006~7年だったかな?)の当時は招待制かつ18歳未満の登録禁止だったんですけど、先輩が誘ってくれて、18歳未満ながらにこっそり入会していました。(時効ということで許されたい……)

そういった(未成年)こともあり、正直『たくさんの人と繋がれる』SNSには興味がなかったものの、mixi自体にはすごく興味を持っていました。その理由は、アーティストの宇多田ヒカルさんが書いたブログにきっかけがあります。

www.utadahikaru.jp

 (2006.4.11, 2006.4.12)

こちらのブログによると、宇多田さんが一般の人に紛れてmixiアカウントを取得していて、しかも一般の人たちが運営するコミュニティグループに入っていて、もし自分のことを特定できたらメッセージまで送っていい、という話でした。

 

これは、当時すごく衝撃的なことでした。

2019年現在では、芸能人の方々が様々なコンテンツサービスにおいて、アカウントを開設しています。けれど当時芸能人のコメントを読むには、その人自身の公式ブログか、ファンクラブ会報/メール配信ぐらいしか手段がありませんでした。

それらのコメントは当然、芸能人からの一方的な発信のみで、我々からリアルタイムかつフラットにメッセージを送り、さらには返信を得られる手段はほとんどありませんでした。

そんな時代に、『mixiに入会すれば、宇多田さんが一般人に紛れているアカウントが見つけられるらしい!』ということは、本当に衝撃的でした。

憧れの芸能人のプロフィール画像はどんなものだ? メッセージも普通に送れちゃうの?公式サイトでは見られない、日記も読めるの? 宇多田さんはネットコミュニティに入って、他の人たちとどんなやりとりをしているの?

今の中高生からすれば『えーそんなのが知りたかったの?w』と言われちゃいそうですけど、そういうものが『知れるかもしれない』という手段があること自体、本当に凄かったのです。(まあこのへんは若さゆえに、憧れの人の情報を色々得たかったということもあるけど)

そのため、mixiに入って宇多田さんのアカウントを探したかったという心情を抱いたのです。けれど、上記の招待制の縛りが問題でした。自分が入れないことに歯がゆさを覚えていました。

 

そして入った憧れのmixiでしたが……、未成年ゆえに当時はまったく知らない人とも積極的に繋がらず、学校の先輩や、当時自分が運営していたサイトから知り合った(そういえば、pixivもまだ存在しない時代でした)人とだけ、ひっそりとやっていた記憶があります。

初期はクローズドなSNSで、しかも本当は大人しか入れないという空間にいられるというところに、これは言い換えるなら学校や趣味以外の大人ともフラットに、(しかも攻撃的な人はBANされる状況で)やりとりできることに、心地よさを覚えていました。

 

mixiへの疲れ

それから数年後、mixiに疲れてきました。リアル空間でも共にする、クラスメイトなどとも『マイフレンド』になってきて、招待制もなくなってきた頃でした。

自分の心境は、思い返すとざっとこんな感じでした。

 

  • 照れがあり、それまでよりかは、趣味のことを話題にするのを控えてしまう自分がいたこと
  • 当時のmixiには『最終ログイン時間』というものが表示されていたのですが、それによって、『mixiにはログインしているのに、どうしてあの人はメールを返してくれないんだ』といった疑心暗鬼が走ったり、逆もあったこと
  • 他人と比較して、『マイフレンド』数を意識する自分がいたこと
  • 『あしあと』機能で『誰が見にきたか』『誰がコメントをして、誰がアクションしてくれているか』を逐一チェックする自分がいたこと

 

いわゆるSNS疲れの先駆けでした。

あと、mixi自体も『あしあと』機能が廃止される・Facebookと遜色ない『つぶやき』が実装されるなど、ユーザーにとって嬉しくないアップデートが起き、前者においては署名活動をするといった息巻いた人たちが暴走している様子を眺めて、その空気感に辟易していたのもあります。『大人なのに、機能ひとつがなくなったこと程度で熱中できるんだな』と、すごく冷めた目で見ていた気がします。

 

そして『そもそも家に帰って一休み中のインターネットでまで、日中にリアルに出会う人の近況を知りたくなくない?』という気持ちもありました。自分に余裕がない時だと、どうしても、誰かの嫌な面も見えてしまうのも、見せてしまうのも、いやでした。

 

そして始めたTwitter

その頃に始めたのが、Twitterでした。

『なにを書いてもいい』『匿名でもいい』

このことに今ひとつピンときていませんでしたが、知り合いから『始めてみませんか』と誘いのメールもきていたこともあり(確か当時のTwitterは、メールアドレスを知っている人に始めてみないか?の連絡ができたはず)、知り合いへの対抗心から始めました。(なお、そのときの知り合いとは繋がっていない)

 

そして私はまもなく、Twitterの心地よさに気づきます。

mixiはフレンドになるために、『あしあと』や『検索』で探り合ってから『フレンド申請』して、それが通ればフレンド、通らなきゃそのまま。という段階がありました。

そういった探り合い期間が楽しい人もいたかもしれませんが、万一クラスメイトに申請を無視されたら、生きた心地がしません。さらに、当時の周りの風潮として『知らない人には安易にフレンド申請しない』というものがありました。インターネットでも、私は狭い世界にいてしまったのです。

 

それが一方Twitterでは、フォローするかしないかだけで終わり。その人のツイートはお互いにフレンドでなくても読める。なんてフラットな世界なんだ!

たまに有名人がツイートしているのを見て、たまにツイートして、終わり。

『あしあと』もないから、ストーキングの心配もない。知り合いにアカウントを教えなければ、疲れることもないだろう。匿名性で自由にのびのび。

私はようやく『インターネットに帰ってきた』気がしました。

mixiは知り合い限定でのやりとりを楽しみ、Twitterはネットの向こう側の人たちとのやりとりを楽しむ。そうした使い分けをしていました。

それはおそらく他の人たちもそうで、mixiと同じアイコンかつ同じ名前の人が、メールアドレス周りから『あなたの知り合いかも?』とサジェストされていましたが、無視をすれば問題ありませんでした。みんな、無理して繋がろうとしませんでした。

 

楽しんでいた時期

Twitterを始めた頃は、和やかでした。

アキバヨドバシにて入ったトイレに、トイレットペーパーがなかったから誰か助けて』という、こちらのまとめ記事に載っている該当ツイートも、リアルタイムで観測したのでよく覚えています。

getnews.jp

そういえばまだ公式RT機能もありませんでした。

 

知らない人たちが、リアルタイムで助けあえる平和な世界

その可能性がすごく高いと感じさせられたのが、Twitterでした。

 

とはいえ、ポジティブな面ばかりでもありません。この頃でもすでにTwitter発祥の炎上事件は起きていました。

一番古いもので2009年8月です。でもまだ2009~2010年頃は『バカッター』という単語は存在していませんでした。確か。

「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ」 ツイッター軽率発言を産経新聞が謝罪 : J-CASTニュース

 

 

3.11

転機が訪れます。3.11です。

避難情報、安否確認、地元の買い物情報。そうしたものを知るのに、mixiよりもTwitterが優れていました。

違いを列挙します。

mixiは一度セッションを切るたびに、いちいちログインする必要があった

mixiのつぶやきはリアルタイム性に欠けていた

mixiから得られる情報は、非常に限定的だった

当時のことはこちらの記事でも触れています。

srknr.hatenablog.com

 

さて、問題はその後でした。

リアルタイム性がやや低いしmixiは不便だ。メールでも地元の友達とやり取りしていたが、通信の限界も精神の不安もある。

お互い『あのさ、Twitterでも繋がらない?』と言いだすのに、時間はかかりませんでした。

地元の友人、同期、それから遠方の従兄弟とも繋がることになりました。

(とはいえ、地元の友人はそんなにツイートする方ではなかったし、まだ和やかだったと思います) 

 

そして3.11の頃、『不謹慎』ツイートが話題になります。記憶に新しい人も多いのではないでしょうか。

togetter.com

こうして様々な焦りや閉塞感が、Twitterの世界でも徐々に見えてきた気がします。(体感ですけど、その頃からTwitterは使いにくくなったと思います。)

 

そしてユーザーが増えたからか、Twitter発の炎上も増えます。

news.livedoor.com

news.livedoor.com

 

news.biglobe.ne.jp

なお、炎上史料に関してはこの本を参考にしました。

 「ネット炎上対策の教科書 攻めと守りのSNS活用」 小林直樹

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長くなったのでひとまずここまで。

4,000字ほど書いたのですが、これでもまだTwitterを始めてから3年間ぐらいしか追えてないことにびっくりしています。

自分を良くも悪くもしてくれた最悪な"自由宿題"の話

小学校時代にあった、とても印象的で、今思い返すと正直微妙というか最悪だった宿題のことを思い出したので気ままに書きます。

 

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私は都内・郊外にある、某公立小学校に通っていました。

母校では日●組の先生がめちゃくちゃ猛威を奮っていたという複雑な思い出があります。そして一学年に30人程度のクラスが3クラスある、全体の規模がそこそこ大きめの学校でした。

 

殆どの先生たちは生徒数の多さか、それともそういう教育思想が蔓延っていたからかいつもピリピリしていて、児童たちにもその余裕のなさが伝わったのか、とにかくピリピリしているクラスメイトが多い(っていうか自分もそうだった)、そんな学校でした。

でも中には自由すぎる先生がいて、その先生は私が小3~4のときの担任の先生になりました。その先生をK先生とします。

 

小2までの小学校の宿題といえば、教科ごとに細かく出ていて、国語なら「どこどこのページに書かれている漢字を5回書き取り練習」、算数なら「計算ドリルの問題を解いてマル付けまでして提出」という記憶があります。

でもK先生のクラスではそれらの通常の宿題に加えて、「自由宿題」という宿題が学校がある日は毎日出ていて、それが何かと言うと「方眼紙ノートを買ってきて、それを自由ノートとしてください。一日1ページ分以上、なんでもいいので自由にテーマを決めて、自由ノートにこなしてきてください」というものがありました。

 

最初のうちこそ「なんだそれ!面白そう!」と、みんな自由という名前の響きに騙されて始めるものの、これがめちゃくちゃだるかった。 

だいたい小学校の自由研究ですら「自由に研究するってなんだ……? 知識も経験もろくにないのに、何をどうすればよかったんだ……?」という具合に、大人たちの間ですら夏休みの時期にはよく議論が起きるのに、「毎日自分で設定した課題をノート1ページ分やること」が日々の宿題だったというわけです。

この時点で、何が起きたのかだいたい察する人もいるかもしれない。

当時のことを思い出しつつ、ちょっとためらいながら、今更どこがダメに思えているのか書いていきます。 

 

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1. 何したらいいのか本当によくわからなかった

本当にわからなかった。何せ今までは乳歯が抜けてちょっと舌ったらずな小2が、言われるがままに谷川俊太郎さんの詩の音読や、二桁の足し算といった計算ドリルをしてきた宿題だったのが、突然放り出された「自由」の文字に、何をしたらいいのかわからなかった。

 

自由とは? まず自由の定義から始まるのである。

 

しかもその自由にはこういう制約があった。「自由といっても、例えば1+1を100回解いて宿題とするのは認めない」。

今も昔もその制約はすごく意味のある制約だと思っていて、それはそうだよねって理解を示すことはできるんだけど、でもこの制約の意味するところはつまり小3にして、「自分が成長するような課題を自分で見つけて、それをアウトプットしなければならない」というところを意味していたんだけど、これがしんどかった。

最近の小学3年生のことはよく知らないけど、少なくとも私たちのクラスは、自分の能力はおろかそもそも「成長」の意味がまだ理解できてないのと、「宿題とは、やらなければいけないもの」という立ち位置すら確固としていない状態のクラスメイトも何人かいた。

 

そしてこの「自由」という定義に関して、すごく印象的な記憶がある。

保護者会のあった後のある日、K先生がものすごく苛立ちながら教室に入ってきてこう言った。

 

「あるお母さんから、"うちの子は宿題をやっている様子が全然なくて。聞いてみれば自由宿題だからやるのもやらないのも自由なんだよ!って言われたからそうなんだ、って返したんですけど、そうなんですか?"と聞かれました。そんなズルをされているのは、先生は悲しいです。怒られてできるのは当たり前です。怒られる前にやりましょう。

 

この話を聞いて「あっ『自由』ってそういう解釈もできるんやな!」と思うクラスメイトもいたけど、すぐに「え、宿題をやらないのはずるくないか」という空気がクラス中に蔓延した。なにせほとんどのクラスメイトは宿題を自分なりにひねり出して頑張ってやっていたのである。一人だけ宿題をやらないだなんて、そんな。

該当児童は泣き出したし、学級裁判の雰囲気すら流れた。

 

道筋は全く示されていないが、宿題なのでとにかくやらなければならない。そうでないとまた怒られるぞ。

 

クラス中に、以前よりも強く恐怖感情が蔓延した。

あとK先生の口癖の一つ「怒られてできるのは当たり前。怒られる前にやりましょう」というのがあって、私は「怒られたくないからやるか」という気持ちを持つようになった。

 
2. 導く人がいないため、質が全く向上しない

2年間、2年間……。この宿題をやってきました。

ただ、『1クラスに30人程度いて、先生が一つ一つ毎日丁寧にチェックできるのか?』というと、上述の児童の状態すらスルーしていたんだから、チェックできるわけがなかった。(まあ誰がノートを提出して、誰が提出していないかぐらいは把握していたかもしれないけど)ノートを出してもいつも「大変よくできました」のスタンプ一つのみ。

これが何を生み出したかって、宿題の質が全く向上しなかった

 

この宿題に対する自分の心の移り変わりをよく覚えているんだけど、小3のある日、自分は裁縫にハマり始めて「そうだ!大好きな人形の服を作った様子を、自由ノートにまとめて書こう!」と、その日は張り切って2ページ分使って、丁寧に図解しながら書いた。布の切り方はこう、ここではこういう風に縫う、と、すごく丁寧に書いた。もちろん時間はめちゃくちゃかけた。

しかしスタンプは一つだけ。コメントも何もない。他のクラスメイトが「何も思いつかないから」って副読本の計算ドリルの問題を5問解いたのと同じ評価である。

 

途端に「あれ? 私、もしかして馬鹿らしくない??」と、子供心に急激に冷めた記憶がある。

 

これは単純にそれなりに時間をかけるなり調査をしたもの・アウトプットを丁寧にしたものについて、きちんとしたフィードバックが欲しかったんだと思う。

けど、「宿題をやる」だけであれば、必要最小限の時間で済むならそれでいいじゃないか、という悪しき心境が発生していた。

すごいアウトプットを、個人のモチベーションのみで生み出せる人ももちろんすごいと思う。ただ自分にとっては、そのアウトプットを正しく評価できる人がいないということにより、「いくらすごいことをやっても時間をかけても、適切なフィードバックをもらえないなら丁寧にやるのは無駄」ということを理解した一人の小3が出来上がってしまっていた。

そして実験的に計算ドリルや漢字ドリルを1ページ分解いてみたものの、やっぱり「大変よくできました」のスタンプ一つだけだったのが、その気持ちにやはり拍車をかけていった。

 

3. 意識的に楽な方向に向かう

「自分で課題を見つけるの面倒だったし、ドリルの問題を解くだけでもいいならじゃあそうしよう」と小3の自分は気づいてしまった。

しかも自分の場合、算数よりも国語の漢字書き取りドリルの方が好きだった。これはすごく単純な理由から来ていて、覚えのある人もいると思うんだけど、漢字ドリルの仕様とはまず漢字の読みの問題があり、そして次のページには前ページの読み問題そのままの、漢字を書く問題があった。つまり、一度答えとなる漢字を見たあとで、書きとり問題を解くことができる。そういう仕様だったから、漢字ドリルを解く方が好きになっていった。もっと付け加えると、丸つけをすると必ず漢字の方が正答率が高かったのもあって、そういった一つ一つのことで自分のモチベーションを保っていたんだと思う。

 

じゃあどうなったかって、その後はやはり漢字テストだけはめちゃくちゃ点数が取れていたけど、算数はズタボロの成績になっていった。もちろん適性の問題もあったんだと思うけど、自分の場合は『結局好きなもの・得意なもの・点数が取れそうなもの』をよく自由宿題として選んでしまったので、小3~4の間で差がついたこともあると思う。

大人だったら「ウンウン。苦手なことを無理に伸ばすんじゃなくて、好きなことに注力するのがいいよね」ってなるかもしれないけど、そもそも義務教育の内容なので、その年齢のうちから好き・得意なことばかりやっていてよかったのかはちょっと疑問です。

 

4. でもまあよかったなーって思う部分

「先生に怒られたくないなあ」と思って毎日取り組んでいたおかげで、家での学習習慣はちゃんとついたんだと思う。

 

……いやでも、学習習慣を身につけさせたいだけなら、先生が毎日丁寧に宿題内容を指示してもよかったんじゃない???とは思うんですが。繰り返すけど、小学生だからさ。

さらに正直なことを言うと、クラスメイトの中でも「K先生は自分が楽したいから、うちらに宿題内容を決めさせているんだ」という空気がちょっとあったのもある。だから、「この自由宿題は効果があったのか?」と、大人になった今でもちょっと考えてしまった。

でも漢字読み書きの能力が跳ねたのは、この「自由宿題」のおかげもちょっとあると思っている。得意なものを伸ばすのは大事だよね。

 

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なんで突然こんなことを書き出したのかというと、ブログかツイッターで「小4の時点でわりと学力差がついている」という話題を読んで触発されただけなんですけど、実際にこうやって書いてみると、『自分がどういう状況なら勉強を続けられるか・逆に自分がどういう状況なら勉強をしないのか』、といったところはすごくわかりやすく見えてきた気がする。特に大人になると自発的になかなか勉強しないからさあ……。

 

けど大人になった今でも(しかも自分は中高の数学免許も持っているんだけど)、正直なところ、『K先生の自由宿題の意図』が見えていないなーと思いました。

指導者目線としても、児童目線としても、「何がしたかったんだろう。結果論としては、正直微妙だったんだけどな」という感情が残っています。

 

私たちの何かしら子供特有の才能や物の見方でも見たかったのかなあ。今となっては完全に謎です。

「やらなかったこと」を考えることをやりたい・0

今日同期と「公私ともにやりたいことを決めて、一週間のうちにどれだけやれたかを考える振り返りを実行していこう!」という話をして、その振り返りはそれはそれでワクワクしているんだけど、人生的に「どうしてやりたいことがあったのにやらなかったのかなー」ということを真剣に考えたいんだった、ということを思い出した。

 

昨今、転職ブログや何かしらの行動エントリで「これこれを達成するために、これこれをやりたかった」「これがしたい」、ということがよく書いてあるけど、もうすごい。熱気がある。目標に対する情熱がある。(中にはそういう風に見せかけているだけかもしれないけど、自分はそういう言語化も時としてサボるのですごいと思う)

 

自分はそもそも面倒くさがりというのが根幹にあるんだろうけど、特に労力が大きい目標ほど「やりたい」という意志が揺らぎやすく、さらにそれを到達させる道のりの理解もふわっとしていることがすごく多い。いまどきはインターネットで玉石混合の情報があるのだから、調べればやり方ぐらいは知れるのに、そこまでやろうとも思っていないことが多い。

 

じゃあ最初の「やりたい」って気持ちは結局「やらなかった」という事実に負けるんだけど、どうしてそもそもやらなかったんだろうな、ということを真剣に考えたことがなかった気がしている。

 

「そんなものを真剣に考えなくてもいいじゃない、やらなかったっていうのもあるけど、時間的制約だとか立場だとかでやれなかったんでしょ」って簡単に済ませることもできるんでしょうけど、それはそれで、実際に他にやったこととの優先度が自ずと自分の行動から見えてくるんじゃないか、だとか、自分の中の変えられない軸であったり、見逃していたかった自分の弱さだとか、そういうものといい加減向き合わないと、おそらく人生を今以上に向上させていく気持ちを持つことは当分起きないのかもしれない、と考えていた。

 

と、そういったわけで久々に「自分の弱点(に近いもの)を晒す」、という珍しいエントリを書くことにしたのでした。

まあでも人間、自尊心も大事だからね……ほどほどにやっていこうとは思います。

 

無性に家が欲しくなっている

資産運用の話ではなく、これはポエムです。

 

 

先日実家が引っ越したために、私の中で「実家」は二度と訪れることができない場所になってしまいました。

もちろん両親は健在であり、別の場所に引っ越しているので広義の意味では私に「実家」は存在するんでしょうけど、それはもう「自分の実家」ではないな、と。おそらく慣れ親しんだ家具もある程度は新調されたでしょうし、なにより、馴染みが持てなさそうです。(権利や相続的にも、自分の場所には断じてならないというところも大きい)

 

私自身は幼少期(の家の事情)も合わせると4回ぐらい引っ越しているので、引っ越しそのもの自体は抵抗がないものだと思っていたんですが、小中高大と多感な時期を先日引っ越したその家で過ごしていたので、部屋から見える景色や我が家のレイアウトがもう味わえないというのは、使い古された表現ですけど、心にぽっかり穴が空いたような気持ちになっています。

自分の中にそういうこだわりというか、場所(この場合は住所的な意味合いが近い)だけでない、執着や愛着があったんだなとつくづく思い知らされています。

 

特に小中高大時代なんぞ、いいことだらけの思い出というわけでもないですし、むしろ家に帰ることをひどく嫌っていた時期もあったんですけど、なくなってみると「ああもう帰れないんだな」という気持ちになっているのが、自分でもどことなく不思議です。

 

でもなくなってしまったものはもうしょうがないですから、それはそれとして。

 

最近は「いつでも戻れる家を自分に残したいな」という気持ちが無性に湧いてきました。いまだってすでに衣住食が保証されているのに、どうしようもなく「家」という存在に焦がれています。(繰り返しになりますが、資産運用とかそういう面が大きいわけではなく)

家が欲しいなら土地を買って、家を建てて……ということになるんでしょうけど、センチメンタルな気持ちのまま買うものでもないし、ただただ自分を含めた次世代に不可侵の空間を残すという意味合いで欲しいんだろうなと、自分の中の気づいていなかった欲求と向き合っています。

 

結論、持ち家の実家がある人がうらやましいんだよなあ。

この日本で家を買うなんて無駄遣いだとか昨今はよく言われているけど、家があるのはいいと思います!というだけの話でした。