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みたぬメモ

地味にメモ

もう少し嫌いなものを語ってもいいと思うんだよね

タイトル通り。

世間はとみに「嫌いなものより好きなものを語ろう」という風潮が強い。確かに、好きなものを語っている人は非常に好ましいし、その人のもとに自然と好きなものが集まっていると思う。

私の母もだいぶ昔に「"嫌い"という言葉は強いので、"好きじゃない"ぐらいにしておきなさい」というアドバイスをくれたことがある。今も昔も、嫌いなものを語るということはあまり歓迎されない文化なのだろう。

けど私は、逆に嫌いなものは語ったほうがいいと思っている。理由は3つ。

 

まずは"嫌いな人やものを語ることで、それが近づかなくなる"

当然ながら私にも嫌いな人がいる。なんとなく嫌だなあレベルから、もう私の人生に関わらないでくれレベルの人がそこそこいる。

そこで私は「以前にこういうことが起きて、そのときこういう気持ちを持ったので、こういうことをする人は嫌いだ」と常日頃から言うことで、その人や関係者が近寄ってくることが減っていると体感している。これによって人間関係は萎んでいるだろうけど、嫌いなことや人が入ってこない平穏状態が保てるので、全てが悪くはないと思っている。(バランスは大事だけど)

 

2つめに、"自分の意識を変えるきっかけになる"である。

私の好きな人たちが嫌いなモノや人について語ってくれるのを聞いているとき、「そういうことをしたら嫌われるんだな」, 「こういうことを嫌がる人がいるのだな」という、日常の至りを得られると思っている。ここまでで超偉そうに書いていますが、私もたいがい無神経なところが多いので、好きな人たちとなるべく長く付き合うためには、嫌いだとか怒りといった閾値を把握しておけるのはありがたいと思う。(「それぐらい言わなくても憶測して先回りして動けよ」と言いたくなる気持ちもわかるけど、それこそ他人の理解力や行動力に依存しすぎだったと最近とみに内省している。他人には言わないけど。(明らかに常軌を逸脱したものはまた例外とするとして。))

 

最後に、"自分の感情を把握しやすくなる"である。

最初に戻るけど、好きなモノは流暢に語れるのに、嫌いなモノは歓迎されない文化も影響しているのか、自然発生した嫌悪感を相手に論理的に説明しないために、そこでコミュニケーションのコンフリクトが起きていると思う。(語彙力の問題で"正しく説明できない"というのもあるだろうけど) "お茶を濁す"という文化も、相手の気持ちを慮る意味では素晴らしいと思うけど、自分が失う感情も大きいと思う。齟齬のないコミュニケーションを行う上で、自分の感情を把握するためにも、常日頃からネガティブ感情も相手に伝わるように言語化しておく習慣があるといいと思っている。

 

あと最終的なまとめとしては嫌いなモノや人を語ることで、その人が何を大事にしているかが見えてくるので、そういう側面でも、もっと嫌いなモノや人をもっとフラットに語れるといいんじゃないかと思った。結局それが相互理解に繋がっているとしみじみ考えている。

まあ、なかなか難しいんだろうなあ。

チーズオムレツを作った

 

 

ここまでの流れでもわかるようにチーズオムレツ制作だったはずが、茹でたブロッコリーがなぜか好評だったのでブログに残しておきます。

ちなみにブロッコリーですが、近所の店で198円だったところ50円引きだったものを一房購入して、適当に塩を振って茹でました。

画像はiPhoneのカメラロール標準搭載から加工しました。

 

 

今日も平和ですね。

【ネタバレあり】ラ・ラ・ランドを観てきた

ラ・ラ・ランドを観てきた。その高揚感がある程度自分の中で形をなして留まっているあたりで、書き起こしておきたいと思う。

 

観る前

映画を観に行ったきっかけは2点あった。

後輩と食事に行った時に「ラ・ラ・ランドは期待できるんですよ。アカデミー賞ノミネート最多作品です。」と興奮気味に伝えられたことから始まる。

次に記憶に新しい、アカデミー賞での受賞ミス騒動。

なんとなくそそられるものがあって観に行くことにした。

 

ちなみにこの時点ではポスターとあらすじぐらいしか知らず、「才能はあるがまだ芽の出ていない男女がミュージカルを交えつつ色々解決して乗り越えていく話」という認識をしていた。

だからTLで意見が二派に分かれていているのだとも思っていた。

 

観た感想

これは「シェルブールの雨傘」だ、と思った。

もとより途中で気づいていた気がする。あえてのミュージカルであること、季節ごとのあからさますぎる場面転換、登場人物たちが着ている服の色選択、大道具の大仰なまでのフランスモチーフ(モネの"印象・日の出"を思わせるような筆使いのセットは本当に感動した。)、ミアの一人芝居の構想メモに出てきた"ジュヌヴィエーブ"の人物名(ここではっきりとラストまでの嫌な予感がよぎった)、そして本当はお互いのことを想い合っているのにも関わらずミアとセブのすれ違っていくストーリーに、「スタッフたちは現代版シェルブールの雨傘を作りたかったのだ」と納得がいった。

ただしシェルブールの雨傘と違う点は、ギイとジュヌヴィエーブの二人は戦争に引き裂かれるわけだけど、ラ・ラ・ランドは違う。セブとミアを引き裂いたのは、生活である。

セブはミアの夢を支えるために、本意でないジャズ演奏で食べていく。しかしそこで二人の考えがどんどん遠のいていく。そこが現代の人間とも価値観がマッチングしていて非常によいと思った。

 

ただ、私はシェルブールの雨傘とどちらがいいと言われたら、間違いなくシェルブールの雨傘を推すだろう。理由は3つある。

一つは音楽である。冒頭の高速道路でのミュージカル"Another Day Of Sun"は最高に良かった。それでもミシェル・ルグランに勝ってはいないというのは、おそらく映画フリークの人なら納得してくれると勝手に思っている。

二つめはストーリーと演出である。シェルブールの雨傘は二人が別れた理由に、納得がいってしまうのだ。そして観客は「もしも戦争がなかったら」などと他の世界線を空想することで現実世界に楽しく戻ってこれるのだ。

一方ラ・ラ・ランドは「どうしてそっちの世界線を選んでしまった」と多少首を傾げざるを得ない話なのである。それこそ、5年前に最後に公園で二人が会話を交わしたときは「もしかしてうまくハッピーエンドに持って行ってくれるんじゃないか」とすら期待したのに、そこをif世界まで用意されて、「ありえないよ」と裏切られたのは大きい。

最後に、この作品は結局はシェルブールの雨傘のオマージュでしかないのだ。シェルブールの雨傘の印象すら感じさせない作品にしない限りは、それを超えることはないだろうと自分の中で理由付けている。

 

とはいえ、ラスト10分のif世界は御多分に洩れず泣いた。正直結末を認めたくなくて、さらにはif世界の映像・演出・音楽が本当に素晴らしすぎて、ミアが他の男と結婚して子供まで生まれている現実世界の方がif(これは悪い夢)で、ミアとセブがうまくいく話とリンクして未来に戻ってきてendになってくれるのだとすら思ってしまった。

だからずるい。この作品は「ifでもしうまくいっていたら」を観客には考えさせてくれない。

 

余談

ラ・ラ・ランドは吹き替え版も気になったのでキャストが知りたくなった。そこでgoogleでサーチしたけど、上位トップページに上がるのが個人ブログの適当な文章のサイトばかりで萎えた。google頑張ってほしい。

2016年度の振り返りとやりたいこと

多少ボヤかして書きますが、そろそろ今年一年を振り返ってもいいかなと思いました。

というわけで今回は本来の意味に近い日記です。

 

1. これまで

2015年度後半からいろいろありすぎたとはいえ、自分に甘く精神的に堕落していた一年に思えました。たとえば自分で決めた貯金額や生活習慣など、課したタスク管理を達成できなかったということです。

大学で尊敬しているN先生に「そのときにやれるベストは尽くしたと考えてはいけません。そのときの自分が力量不足で、やってみたけどダメだったとしっかり現状を認識して次に繋げなさいといったことを言われたことがあるのだけど、そうやって考える方が自分にもフィットしている気がしています。(なにより、(尊敬しているのもあるけど)N先生が自分に向けてそう言ってくれたという気持ちも、大事にしたい自分がいる。)

自分を責め過ぎてもいけませんが、できなかったことはできなかったこととして自分の能力不足をどうしていくか、伸ばしていくのか・それとも他のことで補うのか、考える必要があるように思いました。

 

2. 逆に何ができたの

ちょっと話は逸らすけど、2015年度後半から長期的に面倒なことに巻き込まれてしまった。

その件は「自分が何を言っても何をしても話が通じなかったのに、他の人たちの力を借りてなんとかなった」ことから、「自分は一人では何もできない」とまで、一時期は考えるとか考えない以前にその精神をベースとして過ごしていた。

しかしけして何もできなかった一年ではなく、むしろいろいろなことにトライアルアンドエラーができたと思う。

その内訳は大きく分けて2点あるのだけど、一つは逃げを選ばなかったことだと思う。

逃げた方がよかったものもあるかもしれないけど、意思を通して実行できたことで、「何かしら行動すれば思い通りの成果物を得られることもある」という心境状況に持って行けたことは、すごく嬉しかった。

もう一つは、いろいろな人と交流が増えて、新しい経験や知見を得られたと思う。

皆の器に助けてもらったとは承知の上で、自分もちゃんとそれに乗っかることができたのは、すごくよかったと改めて思いました。

 

2.1 一人では何もできないというか

上記に関してちょっと補足しておく。

親や先生と話した際に、「一人では対峙してはいけない人間もいる」「言いづらかっただろうが、そういうときは相談して欲しかった」と言われてしまった。

そこでようやく、自分の実力と他人に頼る力の見極めのバランスを見誤っていたことを学べました。

親と先生に言ってもらえたことで、なんだか結構ホッとしています。

 

3. これから

人生における長期的な目標の設定って難しい。

先輩にも質問されたんだけど、そのときもうまく答えられず「本当にそれをやりたいのか?」と言われてしまったことをよく覚えている。

この分野を勉強したいとか、この趣味を充実させたいとか細かいことはいろいろある。その上で食べていくための生存戦略も、真面目に設定する必要があると思う。

ただ長期的となると上記でも軽く触れたけど、自分一人ではどうしようもない案件に嵌ったときに自分が我を忘れてしまうことも重々わかっているし、大言壮語をしたくないという気持ちも正直ある。

 

しかしながらまあ、自分がポジティブな側面を見出して納得したことを、常に選択してやっていきたいと思います。どうせ生きるなら皆も自分も楽しくやっていきたい。

あともう一つは、やりたいことに取り組まない理由を原因分析するときに相手都合でなく、自分都合の言い訳をしていく思考習慣+αを身につけたいと思います。

簡単にいうと、「会いたいのに会わない」というときに、「向こうも私に会っても困るでしょう」ではなくて、「今のままでは自分が相手にいろいろ要求したくなるだろうから、会わない」といった言い訳といいますか、自分がどうなのよという部分をしっかり見据えた方がいいと思いました。

その上で行動するかどうかは……まあ、人間関係はサイコロみたいなところもあるし、相手に負担にならない範囲であまり考えずに幸せにやっていきたいと思います。(欲を言えば自分にその心構えができてなくても、向こうが会ってくれるなら御の字精神。)

 

というわけで2017年度も各位どうぞよろしくお願いします。

2016年度に観た映画(ネタバレなし)

まだ2016年度が終わっていないけど、今年はたくさん映画を観た。

観た順に雑に感想も述べておく。

 

===

観たものリスト

1. KING OF PRISM

最初は正直「なんだこれは……」と思ったけど、応援上映を体感することで評価が変わった。光る棒が手放せない。

元となる世界観であるプリリズを視聴していないので、多分全体的にまだ楽しめていないのだろうけど観終わった後は世界が輝いて見える。

オススメ度:★★★☆☆

 

2.  ズートピア

ニクジュディかわいすぎるでしょ。反則。ニックにすべてを持って行かれた。

あらゆる層を唸らせてくる作品だと個人的に思う。安心して人に薦められる。

オススメ度:★★★★★

 

3. KINGS GLAIVE

実はそこまで期待せずに観に行ったのだけど、しっかりしたストーリーで終始楽しめた。

詳しくは以前のブログ

dietmitanu.blogspot.jp

に投下していたのでそちらをどうぞ。

オススメ度:★★★☆☆

 

4. シンゴジラ

すごかった。2回目にゴジラが上陸した時の絶望感は音楽と相まって本当に凄まじかった。あと石原さとみさんかわいいぞ。高橋一生さんかわいいぞ。

MX4Dも観に行ったけど、本当によかった。庵野監督ありがとう。

オススメ度:★★★★☆

 

5. 君の名は。

賛否両論あるけど、ストーリーは確かに人を選ぶ気はする。私個人としては映像がすごく綺麗で好きなので、それだけでも観る価値はあると思っている。

オススメ度:★★★★☆

 

6. ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

ハリポタを全部読んでいないので、今作スピンオフ製作に対するありがたみを感じられないまま鑑賞したのが残念である。

主人公のニュートの設定上仕方ないのだけど、ハリーポッターと賢者の石を初めて観た時に受けたような、主人公ハリーと共に味わうワクワク感がそこまで持てなかったのが個人的敗北だった。

オススメ度:★★☆☆☆

 

7. 劇場版カードキャプターさくら

17年前の作品が映画館で観られるだなんて……という感激も凄まじいんだけど、とにかく香港の街並みが綺麗。他にもセル画アニメながら水や服・髪の表現など終始最高に感激していた。さくらちゃんの可愛さぶりに思わず2回観に行った。

オススメ度:★★★★☆

 

8. この世界の片隅に

原作者・こうの史代さんの"夕凪の街・桜の国"を読んだことがあり、今作もそういう具合かなと思っていたけど、更に上をいくものでした。

映画ならではの表現・演出をうまいこと使った作品だと思います。

オススメ度:★★★★☆

 

9. ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち

ティムバートン作品ということだけで前情報なしに観に行った。よく15禁にならなかったと思ったけど、パンフレットインタビューを読んで納得。

各人物ごとの能力に世界観、すべてに無駄がなかったと思います。

オススメ度:★★★★☆

 

===

今年度が終わるあたりにまたガッツリ各作品に関して書けたらなと思います。

あとそろそろシネマイレージ的なものに登録するか悩ましい。

 

 

今後観たいものリスト

1. 美女と野獣

気になっている度:★★★★★

 

2. ひるね姫 ~知らないワタシの物語~

気になっている度:★★☆☆☆

 

3. KING OF PRISM PRIDE the HERO

気になっている度:★★★★★

 

 

なにかオススメ等あればお気軽にお知らせください。というか誘ってください。

peeweeのupsert()について

DBに接続して値を登録するAPI作成に関する備忘録です。(たぶんあとで読みやすくなるよう適宜修正する可能性があります。)

言語はPythonで、DBはMySQLになります。

 

1. 背景

DBにbulk insert(まとめて一気にインサート)するとき、DB側にすでに登録されてある値が含まれているとエラーを返します。そのとき、他の新たに登録したい値も棄却されます。

peeweeのドキュメントによるとon_conflict()を用いることで、すでに登録されてある値を無視して他の値がバルクインサートされます。しかしon_conflict()はSQLiteにしか使えません。

 

2. 解決方法

MySQLの場合は、on_conflict()の代わりにupsert()が使えます。

bulk insertと組み合わせると、こんな具合になります。

 ModelName.insert_many(rows).upsert().execute() 

MySQL側でselectして確認すると、値がREPLACEされて登録されていることがわかります。

 

参考:

http://docs.peewee-orm.com/en/latest/peewee/api.html?highlight=conflict (公式ドキュメント)

python - How can I insert multiple rows with INSERT REPLACE in peewee? - Stack Overflow

 

TwitterでDMでセックスブスメンヘラ女に絡まれて超面倒な気持ちになった話 ※アルコール入り

それは私がのんきに貰い物のチーズケーキを食べて「うひゃわっしょい!!!!チーズケーキ!!チーズケーキ!!!!! あああああああ、この食感は俺の求めているチーズケーキではない!!!!!!!なんだよ、じゃあ私は好きでもないチーズケーキのために高カロリーを摂取したのか!!!!好きでもないチーズケーキから無駄な栄養を摂ったのか!!!!好きってなんだ、愛ってなんだよ!!!チクショウ!!!」などと脳内でキレていた金曜午後でありました。

相互フォロワーさん(当時)からDMが来ました。

その人をセックスブスメンヘラ女さん(敬称・仮名)とします。鍵垢です。

 

その人とは最近相互フォロワーになったんですが、

 「セックスしているときにどうして女だけ突っ込まれなきゃいけないのかな。女にもちんこがついていれば二つあるわけじゃん。それってそれだけで強いよね」

 「突っ込まれているときだけ女という実感を得るけど、でもそれってすごく空虚。そんなことで自分が女性ということを実感するのが癪。」

 「ちんこを舐めているときに男性が無防備なのがナンヤカンヤ」

という具合の、いつもセックスと女性における意味不明悟り系つぶやきをしていた人でした。私はいつもの好奇心とTwitterランドにおける多様性維持でフォローしていました。私のアカウントは電気で通信できない一応国立の大学関係者が多く、男性はだいたい童貞、女性も毎日推しへの課金で死にかけ、「はーおっぱい揉みたい」などという童貞つぶやきが日常茶飯事です。

そんな中でこういった生々しく具体的で、ノルウェイの森に出てくる小林緑のような、70年代に流行ったような愛と青春と堕落の喜びっぽい話題を鍵垢とはいえ、毎日明け透けに呟くセックスブスメンヘラ女さんに私は興味を持っていました。とりあえず毎日イイネしてましたイイネはコミュニケーションです。

 

話が逸れました。70年代の愛と青春と堕落の喜び系つぶやきだけなら畏敬と感謝を込めてセックスメンヘラ女さんと名付けていたのですが、ブスと加えさせてもらったのには強い理由があります。

以前、私は意識的に実験としてキラキラアカウント(TwitterInstagramか何かと勘違いしているかのような加工画像と毒にも薬にもならないような呟きをするアカウントです。造語です。)活動をしていました。それまでの私はいつもまともとあほのアカウントの狭間をさまよっていたので、これは特殊な試みでした。

そのときにいきなりセックスメンヘラ女(当時)さんから「あなたはどういった方なんですか?」とDMが来ました。これはチャンスです。あわよくば70年代の愛と青春と堕落の輝きの多様性を手にいれるチャンスです。

私は速攻でDMを返しました。

その人とのやりとりは非常におもしろく、「女としてこうあるべきというジェンダーに強い反感を覚える」、「なぜ女性だけ生理やメンタルのバイオリズムと長年付き合わねばならないのか」、「化粧をしないのがマナー違反だなんてよくわからない」、「男性もいろいろあるとは思うが、女性は化粧をしたりヒールの高いパンプスを履いて女を磨く必要があるのが非常に苦痛。他の女性はそれを楽しんでやっているのかもしれないけど、私はそれらを心から楽しめない。」といった話を聞かせてもらいました。

"ジェンダー"、"女性として"……非常に素晴らしく懐かしい響きに私は歓喜を隠せませんでした。なにせ電気で通信できない大学の人たちは事あるごとに「はーおっぱい」「おなかすいた」「いま起きた(朝11時)」でしたので、久々に幼稚園児以上とTwitterで会話しているということへ神への感謝を持ちました。

 

しかしそのセックスメンヘラ女さんとはそのとき一度話がこじれかけます。

セックスメンヘラ女さんは就活を控えているそうで、その話題になりました。

世間話として「美女から就活が決まるんですよね〜。」と私個人として話題を振ったつもりでしたが、セックスメンヘラ女さんの気に触ったようでした。

 

「不愉快ですね。今から就活を控えている女性にそれを言えるあなたの神経が分からない。」

 

oh, sorry.

 

そのときは「しまった、これでは70年代愛と青春と堕落の輝きツイートを読めなくなる」「別にこの人の美醜云々はツッコミ入れていないし、話の文脈からあきらかに世間話だから不快になるという気持ち自体は共感はしないけど、この人が不快に感じたのは事実で、そういう気持ちをさせたのは私である。だからここは謝罪しよう。」という具合に、詫びて彼女に怒りを収めてもらいました。

この一件から更なる畏敬を込めてセックスブスメンヘラ女さんと心で呼ぶことにしました。

 

さて、時は進み私が優雅にチーズケーキをむしゃむしゃしていたときです。

セックスブスメンヘラ女さんは、Twitterランドによくいる"自称こじれだけどアラサーくたびれアタシでも人生楽しいしw"的なアカウントの「大手企業に興味ない就活生とか、本当は強がってんじゃないのwww」という煽りにホイホイ乗っかっていました。そのつぶやきに対して「そんなことない。そんな一概に決めつけないで欲しい」と鍵垢引用ツイをされていました。

それをさらにお知り合いの鍵垢にスクショ引用されて「はいはい強がり強がりwww」と言われたことに腹を立てているつぶやきをしていました。とりあえず私は日課としてイイネをしておきました。

 

そのときいきなり彼女から「Twitterランドで不快な人物に遭遇しました!」とDMされました。私はそのときチーズケーキから愛とは何かを悟ろうとしていた哲学中でしたので「おっ、生理か?」と返信したい気持ちをこらえ、「先ほどつぶやいていた案件ですね」と返しました。(誰か褒めて)

 

しかし繰り返しますが、私は愛とは何かを考えていたときでした。「早稲田の男にスクショで煽られたからってなんだよ、とりあえずチーズケーキ食べなよ」と思考が雑になっていました。

 

「ナーバスになりやすい時期に神経をすり減らすのはもったいないですよ。」

 「まあ貴方が腹をたてる気持ちはわかりますね。リテラシーが低い人に思います。」

 「ルール違反はおっしゃる通りです。鍵垢の秘匿性が失われますから。」

「あと、悪意的に引用されたのが気に入らない部分もあるのだと推察しております。」

 

こんな具合の、80年代後半バブルを謳歌した毒にも薬にもならない男のような言葉を重ねていました。

しかしセックスブスメンヘラ女さんはまだ憤りを収められないようで、「身バレしないとは思うけどスクショはルール違反だと思うんです!」と意見をぶつけられていました。

私は片手間に英語ドキュメントを読み始めていたので「HAHAHA、若さゆえの情熱と過ちかな?」という気持ちで、

 

「上から目線に聞こえたら申し訳ないですが、人への悪意に対しては素直になっておいた方が後々生きやすくなるコツになるかなあと思います。過剰に反応して攻撃しろという訳ではなくて、自分の感情に素直になっておいた方がいいという意味です。」

「そうじゃないと、貴方の神経がすり減るだけになって疲れるのはもったいないので。」

 

"上から目線に聞こえたら申し訳ないですが"、このフレーズは私が気に入っている中の一つです。

これは「私はけして貴方を立場が下とは微塵にも思っていないし、対等な立場として冷静な議論を交わしたいと思っている。しかし私の言葉足らずで上から目線かのように聞こえるかもしれない、だから先に非礼を詫びておく」という意味合いで使っている言葉です。友人から引用させてもらった、いつも私を低い立場からの物言いにさせてくれるワードです。

 

 

「あまり分かったような言い方しないで欲しいです。」

「なんでいつも話が進んでいくとそうやって上から目線になるんですか?」

 

敗北しました。

このとき私は顔がカオナシになり「アッアッアッ……マジカヨ」という大変厳しい気持ちになっていました。

しかし質問をされている以上は返さないと無礼になります。それに数あるツイッタラーの中で私を選んでDMをしてくださっているのだから、「いいからお前セックスしてこい。おまえの承認欲求もおまえのイエスマンもそこにある。」などと言わず、なるべくその気持ちには応えたいと思います。

 

「話しかけられた目的(事由)が見えないので私も戸惑っているのです。アドバイスを求められているのか、それとも単に話を聞いて欲しいのか。」

 

「ほんっとにめんどくさい人ですよね。 分からないなら話を聞いて欲しいだけなのかなって思って無難な対応しといた方がいいですよ。 そういうコミュニケーションの取り方って学んできませんでした?(笑)」

 

このとき、私は思い出していました。

幼少期から母にいきなりオチもわけもわからない話を振られるたび「同意や意見を求められているのか解決法を共に模索してほしいのかわからない。雑談がしたいのなら兄にしてください。」と無難に代替案を提示しつつ返していました。

しかし母には「うるさいわね!あんたは雑談にも話を合わせられないの!うんうん頷いていることもできないの!?」と肉便器ならぬ愚痴便器にされてとりあえずキレられていた過去を思い出しました。お母さんそれはね、子どもを別人格として認められない母性の人間ですと思いつつも、「まあこの人もこの人なりに何かしら私の及びもつかない深淵があるのだろう。」などと雑解釈していました。

このDMのセックスブスメンヘラ女も、自称色々な男性に抱かれてちんこを舐めているからには何かしら魅力があることは事実として認めざるを得ません。たとえ肉便器だって人間だ

さて、教育を受けてこなかったのかという返答に対して返事をする時間が来ました。

 

「少なくとも私は。」

 

"少なくとも"、このワードも非常に好きです。最初に出会ったのは数学Aの確率の単元だったでしょうか。

私は"私たちみんな困ってるんです!!!"などという主語の拡大が非常に嫌いです。そうやって味方をつけて相手を攻撃したいだけの人格に侮蔑すら感じます。

それに比べて"私は困ってるんです"のシンプルさの素晴らしいことか。更にそれに"少なくとも"をつけることによって「あなたはあなたなりに違う考えや環境を持っているかもしれない、でも私は違うのですよ」ということを奥ゆかしく伝える手法として、なかなかナイスです。このワードを積極的に使う人間とは握手をして抱きしめに行きたい。

 

 

「ああ、就活生に向かって美人から内定もらえるなんて無神経なこと言える人ですもんね。それで生きてこられたのは周りの人も変わってるからなんですかね。」

 

肉便器、おめーも女がどうとか言いつつもセックスを楽しんだんだろ?

「私は構わないが、周りの人を非難する意見は許容しがたいですね」と返そうとしたとき、ブロックされました😭

 

 

しかし……私もこの世に17年も生きているので、よくわかっています。

「セックスをするときしか自分を女性として認識できないの><」「化粧している自分がときたま馬鹿らしいわ」などとのたまい気に入らない人間を攻撃してブロックし、セックスとオナニーの狭間で自己の承認欲求を求めるクソ女が、世の中の男性に可愛がられ、愛されることも。

私は、嫉妬しているのでしょう。

でも、ああ、私の好きな人たちもこんな女にコロッと騙されるのだろうな(でもそれも人生であるから、致し方ない)(けど、やりきれないね)という具合に、一時間程度で新たな悟りを開きました。

これが創作だったらどんなにいいだろう。でもこういう女はいる。知ってる。

 

はあ、おっぱい。