みたぬメモ

地味にメモ

コミケ超初心者が平成最後のコミケに初出展したら楽しかったという話

2018年12月31日、コミケ(C95)に初出展しました。

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どう見てもコミケ当日のものじゃないビックサイトの写真

 

私はコミケに縁遠く、毎年夏冬のニュースを見ては「やばい数の人だわ……絶対行きたくない……」と敬遠していました。

オタクの私ですが、公式(けれどコミケに出るタイプの企業ではない)にお金を落とすタイプのオタクで、率直に言ってしまえば個人の作った本の魅力はよくわからないというタイプのオタクでした。

というわけで、まともにコミケに行くのは初めてという状態からのスタート(ちなみに昼からは行ったことあるけど、すぐに撤退した記憶がある)、これはそんな超初心者でもコミケに出展したらおもしろかったよーという話です。

 

超初心者が出展しようかなと思った経緯

「そんな動機かよ!?」と思われそうですけど、まあ誰かにとっては必要になるかもしれません……ということで恥を承知で書いておきます。

 

1. 平成最後のコミケだった

平成最後じゃん、出てみるか」。これ。

色々考えたけど最後の後押しになったのはこれかもしれない。平成に生きる自分として「平成最後の大イベント」に出てみたくなった。申し込んでダメならそれで潔く諦めればいいし、受かれば頑張ろう。そんな感じでした。

 

2. でもその前にたくさんの友人と話していた

でもその前に、友人に恵まれていたのは忘れちゃいけません。

私はコミケをはじめとした、イベントに出展する側の友人に多く恵まれていました。

だからどんなモチベーションでやっているかとか、どれぐらいのスケジュール感なのか、費用感は……ということを雑談ベースで話す機会が多くて、「あれ、私でもできるかもなあ」と思わせてもらったことは大きいです。(あと私は高校時代に学校内外に配布する、冊子や書類を作る組織に所属していたので、紙の出版物を作る上での泥臭い作業感をよくわかっていました。ですので決して制作過程そのものを見下しているのではなく、今までは公費を使ってグループでやっていたものを、スケジュールや費用感全部含めて個人でもなんとかやれるんじゃないか、と思ったということです)

 

特にC94で初出展された、「ねるねるねるねのすゝめ」を出したころんさんと夏にごはんを食べる機会があったのが、私的に大きかったです。ねるねるねるねのすゝめ - ころんくんのお店 - BOOTH

ころんさんもC94が初出展だったため、ビギナーがコミケを始めるには……というところをじっくり聞けたことはもちろん、ころんさんの新刊本を直接購入させていただいたとき、私は「やっぱり物を作る人間ってのはそれだけで強いよねえ」といったことを言いました。

その言葉が自分の中でジワジワと刺さって(自分で言ったのにも関わらず)、「うーん、ということは特に何も作っていない今の自分は、強くないって状態なんだなー」→「何か作りたいなあ」と自分の中で考え始めるきっかけになりました。

周りは製本なりアプリ作成なり色々な挑戦や制作をしているのに対して、自分は消費活動ばかりで、生産的なことはあまりできていなかった自分が歯がゆかったんだと思います。

 

3. 技術書典

池袋で開催された技術書典に行ったんですが、これが面白かった。

techbookfest.org

買う側の私が「なんかよくわからん分野だけど買ってみるか」と、びっくりするぐらいたくさんの本を買いました。これはすごく衝撃的な体験でした。というのも私がむかしむかしとある二次創作同人誌の即売会に行ったとき(まあそのときは高校生だったのでお金がなかったとか発禁本が買えないとか色々制約はあったんですけど)は、厳選した本しか買いませんでした。その私が、両腕が重くなるぐらいの個人発行誌を買いました。本屋でも表紙買いをしたことなんて数える程なのに!

この経験から、私は今まで「価値を見出せないものは買えない」という人間だと思っていたものの、「よくわからん分野だが何かそそられるものがあるから買う」という一面を持つ人間だと気づきました。そして、「こういう買い方をする人って結構いるんだな」と気づきました。

技術書典をきっかけに、「自分の出すもののクオリティがどうこういうのはやめよう。どんなクオリティであれ、買うかどうか決めるのは手に取った人だ」と、コミケ来場者達の胸を借りるつもりで頑張ろうと改めて考え直した気がします。

 

4. そして平成最後のコミケ

あれ、1と同じじゃん?気のせいじゃないね。

でも2と3のことがあって、「うーん、何か作るか」と「平成最後だし!!」というノリに乗れました。「コミケに出る」って決めたのなら、私もスケジュール考えて物を作って出展するんじゃないか。過去の自分の行動で未来の自分の行動をコントロールしてもらうわけです。

結局何かの踏ん切りがないと出られませんね。あと私はまだ独身なので、「独りのうちにやれることをやりたいな」ということも大きかったかもしれません。 

 

おそらく他の人ほど「よっしゃやるか!」と、いい意味でも悪い意味でも気負いもせずに、初出展できたのはこういった経緯だと思っています。

  

コミケ受かってから二日で原稿を終わらせたお話

ここは本当に恥しかない。実はプライベートでやりたいことが結構あって(忙しくて、ではない)、 休日も原稿にあまり手をつけられなかった。毎週金曜に友人が「早割はn日までだよ!」とLINEで連絡をくれていたのに、だいたい進捗つらいつらいスタンプしか返せていなかった。すみません。本当に反省している。

 

じゃあまとまった冬休みにやれたのかというと、趣味半分で書きたいプログラムがあって、それの最適な書き方を考えていたら時間をかなり奪われました。具体的には?12月27日夜に終わった。よっしゃフリーダムや!今から原稿描くぞ!31日に出展だよバカ!!!という脳内会議を終わらせ、とにかく机に向かった。このとき29日の午後。

 

人間ってでも愚かで……、すみません主語が大きい。私ってやっぱりバカなので、29日の16時ぐらいにネーム終わって、夜に半分ぐらいはペン入れして、まあ、お察しなぐらいヤバイ人になってた。二日で原稿が終わるとどうして錯覚した?

 

あとスケジュール立てるときって、「自分は健康!」という大前提潜在意識を持ちがちですけど、それは良くありません。具合が悪くなるとき・そしてその分のリカバリーをするための日程を考慮しないといけませんでした。今回も本当に切羽詰まっているときなのに、自分は30日午前に貧血を起こして死にかけました。またしても激しいタイムロス。

 

時間もないのにやることはたくさん見えている。独り言を始めたり、ちょっとしたことにイラつき始めたり、もうやばい。人間性の限界が見える。でも風呂にも入りたいし睡眠もちゃんと摂りたい。

もう本当に限界すぎる態度でした。同居人氏へ。すみませんでした。

 

これも役に立つかわかりませんけど、「出展まであと二日しかないのに、原稿ができてない!」というときの限界すぎる4つのライフハックを残します:「とにかく出せるものを描く」「おまえ(私)はプロじゃない」「出せたら勝ち」「Don't Stop Me Now」です。

 

原稿に取り掛かる前の私は「素人でもきっちり仕上げたい」「人様に手に取ってもらうなら、それ相応のクオリティを」とか色々考えて、動けませんでした。

でも真っ白な原稿のまま締め切りが迫ると考えが変わります。「ヤバイぞ、初出展なのにここで原稿を落としたらペナルティがある。出たかった人にも申し訳がない。」、そう、私のやることは「とにかく出せるものを描く」、これが脳みその一番上に来ていました。

そうなると一気に集中です。Twitterを見る暇もありません。トイレも瞬足で終わらせられます。優先度を自分の中に持っておく。これ大事です。

 

そして第二に「私はプロじゃ無い」、これは一見言い訳がましいっぽいセリフに聞こえますが、全く違う意味です。

私はプロじゃないんだから、自分が想像している完全クオリティのものを仕上げられるとは思うな!!プロレベルのものを出すには経験も時間も私には圧倒的に足りない。だからまず終わらせろ!クオリティを底上げするのはそれからだ!!」という話です。事実、プロじゃないですからね。これが研究や仕事ならまた違うんですけど、プロじゃないですからね(2回目) 自分の実力を正しく理解しとけよあんた、あんただヨォ!!って叫びながら描いていました。

そりゃやっぱり自分も出すからには100%のものを出したい。本当はもっと上手く描ける。もっと凄いものが作れる。お客さんにも失礼だろう。そういう意地はあります。でもそういうのも、まずはちゃんと形になっているものを描いてから。もっと言えばスケジュールがあった上でのクオリティです。

この意識のおかげ(せい?)で「このページはここまで終わらせられたらおっけー!こっちのページは時間があればもう少し丁寧に!」という取捨選択ができました。

 

あと、29日の夜に風呂入っていたときに「それでも絵を早く上手く描きたい……どうしよう?」と色々調べていてぶち当たったのがこのまとめでした。

togetter.com

これを読んで私は「絵を早く上手く描くのに近道はない。努力を重ねるしかない。」とやっぱり打ちのめされます。絵に限らず何かの分野で効率がいい人ってのは、それまで裏打ちされた経験があるから、どこで手を抜いていいか、どこをどうしたら見せ場にできるかとか、わかるわけです。そういうものは自分に(ほぼ)ないんですから。

「近道はないからこそ、今の自分がやれることをやるまでだ」と逆に覚悟を決めました。コミケまであと一日ですからね!!!!!時間は全然ありませんからね!!!!

 

出せたら勝ち」、これもひどい言葉です。っていうかこの時点であほなスケジュールになっているし、クオリティも最低ラインしか見えていない。「俺はプロじゃねえんだよ!こだわるのはここじゃねえんだよ!」と叫びながら作業するのでプライドもズタボロです。

でも「出せたら勝ち」です。目標ラインって人それぞれだと思うんですけど、自分はそこまで下げました。実現可能な目標じゃないと辛いからさ……。

 

最後の「Don't stop me now」ですけど、映画・ボヘミアンラプソディーを観てからずっと聴いていました。作業に熱中できる曲があるといいです。


Queen - Don't Stop Me Now (Official Video)

超いい曲。(単なるダイマ

 

※これは「残り二日でもコミケに間に合うように書ける!」という話ではなく、「こんなクソメンタルになるから、スケジュールに間に合わせるように早く描くんだよ!」という話です。けして真似しないでください。

 

 

コミケ出展の準備

前述のころんさんに直接色々教えてもらったり、コミケに出展されたときのブログを読んだり、

koron-d.hateblo.jp

あと友人のひなっちさんにも直前まで色々と教えてもらいました。

www.funnel-advisor.com

冬コミ二日前ぐらいに「見本誌票ってなに!?」という超初心者質問にもカスタマーサポートよろしく呆れもせず丁寧に教えてくれるひなっちさんに感謝でした。

 

さらに、自分が寄稿している「らぼちっく;ゲート」さんのラボ畜本を委託販売させていただけることになった運びは、心の拠り所になりました。「たとえもし私の本がだめだったとしても、ラボ畜本は置いてある……!」というかなりだめだめ甘え発想からきた安心感ですが。しかも申し出たタイミングも遅かったので、分配搬入が叶わず直接搬入の運びになったんですが、それについてもコミケに強い関宮さんという先輩が協力してくれたことで、原稿に脳みそリソースを用いることができ、脳死合流+設営できたのはありがたかったです。おかげで入場も戸惑うことなくスムーズに完了できました。


#1 10秒でわかる関宮ひかげ

これは関宮ひかげ。

 

あとやっぱり売り子友人に感謝です、コミケなんもわからん状態の友人氏から「うち売り子やるわ!」って申し出があったときは不安がないわけではなかったんですけど、長い付き合いの友人だからこそ「うーん体調が無理無理かたつむり」と素直に吐露できたり甘えられたのはありがたかったです。そしてすみませんでした

 

末っ子精神なので、自分以外の誰か(何か)がいるっていうのはすごく安心できました。自分にとってやりやすい環境をあらかじめ用意しておくのも大事ですね……。

 

コミケ当日から終わりまで

前日の23時半まで印刷機の前でめうめうしていたので、正直当日は虚無虚無プリンでした。リュックに新刊を入れての朝早くからの出陣は、体力的にもすでにつらみがありました。

けど会場に着いてみて、「おお、これがコミケかあ!」と会場の独特の雰囲気に感動して元気になります。ビックサイトがなんかすごいんですよ(語彙力死亡)活気のあるところに行くと元気もらえるよね……。

会場で見本誌票を書いて販売許可もらって、有料のポスタースタンド借りられないかなーと思ったけど当然間に合わなくて、けして段取りがよかったわけではないんですけど、初めてのことながらレイアウトをいろいろ試したり、設営途中に先輩のalstamberさんが来てくれたり、ころんちゃんが来てくれたりと、プチ同窓会気分も味わえて楽しかったです。

 

そして今回お隣だった神崎さんのブースがすごかった。設営も頒布も手慣れている感じがあって、「おおお、これはすごいぞ」ととにかく感動した。

神崎さんところの売り子さんにとても感謝していることの一つに、「うちの本差し上げます!あとおたくの本、買いますよ!」と、自サークルの知り合い以外の初めてのお客さんになってもらったことです。

神崎さんの売り子さんから300円を受け取ったとき、「あっ、こりゃすごいぞ」と私はじわじわ感動しました。

 

なんたって、自分がゼロから作ってほぼ自分1人で作ったmade by 自分商品が直接目の前で売れる感動って、社会じゃなかなか遭遇しないじゃないですか。たかが300円、されど300円。もうすごいですよ、自分の力で300円稼いでいるわけです。

Twitterで写真なり絵なりをアップしてイイネやRTをもらうときとは段違いの、承認欲求が、満たされました。満たされたどころじゃない、爆満たされです。

文字で書くと本当に陳腐なんですけど、これは本当にすごい。300円があったら仮想ガチャも現物ガチャも引けます。お菓子だって買えます。でもその300円で自分の本を買ってもらう。これはすごいことです。お菓子を買うことよりも、自分の本を買ってもらうことをこの瞬間だけでも優先してもらえたわけです。「ものを作れ」ってものを作る人たちが口を揃えて言う理由がようやくわかりました。

 

そこで私も肩の力がちょっと抜けて「ああ、これは楽しんでいいんだな」と、思えました。なんたってもう一人に手に取ってもらえていますからね。あとはまあなんとかなるかなという気持ちになれました。

開場してからも、事前告知にも関わらず知り合いが何人か買いにきてくれたり、知らない人からもラボ畜本と一緒に買ってもらえたり、嬉しいことに「サークルチェックしている時にこれは買わないといけないと思いました!」「この本は、ここでしか出会えませんよね!?これ絶対委託とかないやつですね!買います!!」と、初対面の人に本を買ってもらえて、めっちゃくちゃ、めちゃくちゃ嬉しかったです。

 

売れるかなあどうかなあ最悪ラボ畜本がたくさん売れたらいいなあと終始気弱で、閉場まで正直やっぱりずっと怖かったですけど、最終的には「コミケ出てよかったなあ」という気持ちになりました。

 

帰り際にはいっぱいになった小銭入れケースとお札入れを見て、「これが自分の売り上げかあ」と質量を持って体感できて、「これは本当にすごいなあ」とめちゃくちゃ感動しました。

色々な人に支えられてなんとかできたわけですけど、それがこうして価値として認められる体験って、なかなかないですから。疲れはあるもののかなり満足した足取りで帰ることができました。

 

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コミケは出展料も高いしルールも多いしさらに人も多くて、ハードルの高いイベントです。そこでどうしても尻込みしてしまう気持ちもわかります。

けれどもし、以前の私と同じようにコミケ出展に迷われている人がいれば「変に気負わずぜひトライしてみてほしい、それでもし手に取ってもらえたのなら、すごく嬉しいしやっぱり楽しいから」とアドバイスすると思います。やっぱり出てみないと個人の良し悪しの感覚も持ちにくいですし。ただし締め切りは守ろうね!!

 

……といったところで、忘れられない平成最後のコミケになりました。購入してくださった人たち、挨拶に来てくれた人たち、手伝ってくれた人たち、みなさん本当にありがとうございました!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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余談そのいち・「コミケで本出したら父と和解した話」

タイトル通りの余談です。コミケで本出したら父と和解しました。

冬コミが終わり、同居人も実家に帰った一人のお正月。意を決して、私は実家に一時帰宅しました。

雑に自分の話をすると、私は家族との仲があまりよくありません。5年ぐらいまともに話していません。(そのうち4年ぐらいは一緒に住んでいる状態にも関わらず、やっぱり会話をしていませんでした。)

そういったわけで私にとって実家に帰るということも家にとっても私が帰って来るというのはとてつもない苦痛ミッションでしたが、しかし実家に届いている年賀状を取らないといけないと思い、1/2に実家に行くことにしました。

  

家には父がいて、私が帰るなり開口一番「おまえどうして東京におるの!?!?!?!?」とめちゃくちゃびっくりされます。

なぜでしょう。私もめっちゃ驚いていたら父さんに、

 

「君の恋人が、正月は君を連れて実家帰省して君を紹介するって言ってたやで!?」

「えっ、自分コミケに出るんだから行けるわけないって断ったよ」

「ば、、ばかじゃないの!?!?!??!??!」

 

と、ぐう正論で説教される正月に突入します。

ただそのとき、家のテレビでQUEENのライブ映像が流れていまして、しかもちょうどDon't Stop Me Nowでした(録画だったのかな?)


QUEEN Don´t Stop Me Now Live Hammersmith Odeon 1979 GREAT IMAGE & SOUND

またしてもダイマ。 

 

「そういやこのまえボヘミアンラプソディー観たけどいい映画でした。この曲が一番好きです」と言ったところ、「あれ、君も観たの」と父が話に乗ってきます。

なんやらかんやらで弾む会話。 

長年会話をしていなかったとはいえ、なんやかんやで私を育てたのは親で、デザイナーの父の影響を色濃く反映しているのも私なのです。

 

父「で。コミケで何だしたの?」

私「漫画です」

父「あれ、君ちゃんとまだ創作とかやってたの。いいねえ。一冊買うから、今度家に来るときはちゃんと持ってきなさい。」

私「下手とか言うでしょ。嫌ですよ。」

父「言わないよお、300円渡す、渡した!だから次に来るときは必ず持って来なさい!払ったからね!」

 

というわけで、5年ぐらいまともに会話していなかったんですけど(飼い猫が亡くなったときは例外で)、コミケもとい創作をきっかけに父と久々にまともなコミュニケーションが成立しました。

 

照れ臭さと闇の深さがあってサラッと書いてしまいましたが、物を作ることでまさか人と、もとい家族と再び繋がるきっかけを得られたのは、やっぱりとてもうれしかったです。 

 

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あと余談に余談を挟むのはよくないんですけど、上述の隣でサークル出していた神崎さんコミケ後に「私が島に到着したとき、全部のサークルがちゃんと出展していた。当たり前の光景なんだろうけど、一度全部がダミーサークルだったときがあったので、それを踏まえると涙が出そうなぐらい嬉しかった。」といった内容をツイートされていて(現在は削除されています)、「あ、自分がノリで始めたことが他の人にプラスの感情を与えていることもあるんだな、ちゃんと出せてよかった」と、やっぱりうれしくなりました。

 

===

というところで、物を作ること、もといコミケで本を出したことが、私にも他人にも思わぬ効果をもたらしてくれました。『思わぬ効果』を目的に作るのはよくないんでしょうけど、がむしゃらにやってみたら私が思った以上の効果を得られました。そのきっかけを与えてくれたコミケには感謝しかありません。やっぱり自分がやったことが他人にとってプラスになるのって、自分に取っても勇気になります。

 

コミケのすごいところは、たとえば私が誰かに嫌われていようが心を病んでいようが、あるいはどんな信条でどんな宗教でどちらの性別でどんな職業であれ、当選さえすれば個人の事情はまったくお構いなしに出展することができるということです。

 

参入障壁は当然あると思います。初めてのことをやるのってとても怖い。自分の出すものが認められるか(受け入れられるか)どうか、気になってしまうのもとてもわかります。

けれど、コミケ出展が気になっているけどなにかためらっている人には、「それでもちょっと踏ん張ってみて挑戦してみると、もしかしたら、自分を成長させる要素や、他の人にプラスの感情を与える出来事に出会えるかもしれない。少なくとも私はいい経験ができました。」とお伝えしたかった余談でした。 

 

 

 

余談そのに「まさかの」

発行本の紹介が遅れました。

それは1/3の正月でやっぱり家で一人ダラダラしながらTwitterを眺めていたときの話です。あるツイートが目に飛び込んできます。

 

togetter.com

 

 

お買い上げくださった皆さん、(低クオリティのものにも関わらず)手に取ってくださってありがとうございました!!!!!!!!!!!!!!(低頭)

 

なんかもうまさかの、でした。本当にありがとうございました。おかげで正月早々、さらに嬉しい気持ちでいっぱいになりました。

 

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以上、コミケ初陣楽しかった話でした。

次があればまたがんばります。

すばらしい発見をしたので忘れないように書いておく日記

エウレカ! 今日の私はとてもすばらしい発見をしました。

この感覚が次に来るのは一年後か、はたまた数年後なんじゃないかというぐらいの感動なので、興奮のままに書いていきます。

(なおこれは教養のないゴリラの書く話なので、「なーんだこんなことで感動したのか!」と思った人はそのまま優秀な人でいつづけてください かしこ)

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先日の三連休最終日のことです。

私は「大学の同期から、『電磁波工学の講義は唐沢先生のを取る?それとも西先生のを取る?ちなみに唐沢先生の方がちょっと易しいらしい。』という質問をされて、どっちの先生の教室に移動するか悩む」夢を見ました。

 

ちなみに目覚めたときの自分の第一声は「なんでやねん」です。なぜなら私はすでに電磁波工学の単位を、唐沢先生でも西先生でもない先生の講義で履修済みだからです。(しかも残念なことに可です。)

 

そしてこの「唐沢先生」という名前が私の夢に出てくるのは、すごく不思議な感覚でした。なにせ「唐沢先生」から私は一度も教わったこともなければ、学内での直接的な接点はまったくない先生だったからです。そういえば部活の先輩の研究室がそこだったかなあ、ぐらいの関わりです。

ただしすごく特徴的な名前の先生なので、「唐沢先生、たしか唐沢好男先生だったかなあ」と思い出すのには時間がかかりませんでした。

私は変な人間なので「唐沢先生って、電磁波工学担当されたことあるのかなあ。AWCCの先生だった気がするし、多分あるよなあ」と夢のことなのになぜか気になってきます。

 

電通大 唐沢好男」でググります。研究室のページが出てきました。

(ちなみに唐沢先生の研究室のサイトはこちらです: http://www.radio3.ee.uec.ac.jp/ ドメインにradioって入っているのがいいですね)

経歴を覗くと、当時のKDDI研究所の研究員になり社会人時代に博士を取り、電通大で教鞭を取り、IEEEのフェローになられている。これは唐沢先生が無線通信の分野で世界中に認められていることがわかる、超優秀なご経歴です。

そしてすでにご退官されていることも知りました。

www.radio3.ee.uec.ac.jp

人によっては退屈かもしれませんが、ちょっと上の唐沢先生の退官に寄せての記事を読んで欲しい。

最低でもこれだけは読んで欲しい。(以下引用)

    電通大にお世話になって以来17年間、唐沢研究室の学生はもとより、授業など多くの機会を通じて、 「社会で活躍するためには、”セレンディピティ=感じ取る力・結びつける力”を磨きなさい」と折々に説いてきました。精神論ばかりではダメで、具体例が必要です。 それには、化学同人社から出ている「セレンディピティ(R.M.ロバーツ著:安藤訳)」の本に事例が満載で、感覚を身に着けるヒントがいっぱい出ています。 無線の分野では、米国ベル研究所のペンジアスとウィルソンのケースが有名です。1964年のこと、科学者であった両氏は、宇宙通信用に開発した大型アンテナの性能を評価するため、 アンテナを天空に向けて雑音測定している中、どの方向に向けてもほんのわずかに原因不明の雑音(絶対温度3Kのごくごくわずかな雑音)が残り、気になっていました。 あるとき二人は、以前に聞いた講演のことを思い出しました。1960年代当時、宇宙はビッグバンという途方もない大爆発から始まったという荒唐無稽な理論が出てきて、 でも、もしそれが本当なら宇宙の果てにその雑音の名残があるはず、という話でした。そのとき、彼らは「もしかしたらこれかも」、と思い、検証を重ねて、 ついにまさにそれだと確証を得たのです。二人は、ビッグバンの証拠をつかんだことでノーベル物理学賞をもらいました。幸運の女神がそこに来ていて、それを捕まえたのです 。わずかなできごとに徹底的に拘り、幅広い知識や経験を活かして、自分たちの実験結果をそこに結び付けて、思わぬところの不思議を解明したのです。この力がセレンディピティです。  

これを読んで皆さんはどう思われましたか?

私は冒頭にも書いた通り教養のない人間なので、「ペンジアスさんとウィルソンさんという2人が、ビックバンの可能性を見つけ、それでノーベル物理学賞を受賞したんだな。」という浅い理解しか走りませんでした。宇宙の始まりを見つけた科学者なら、ノーベル物理学賞レベルの賞を受賞しても不思議ではないだろう。そんな感じの理解です。

 

そして繰り返されるセレンディピティという単語。「偶然に訪れる幸運を掴み取る能力」、なんだか抽象的であり、例示も正直ピンと来ない。

  

とにかくこのとき、私は「唐沢先生という人は、セレンディピティという言葉(概念)が非常に好きな先生なのだな」という認識で終わりました。

 

===

そして話はガラッと変わります。おとといのことです。唐沢先生の名前が出てきた夢のことをすっかり忘れている私は、本屋に行きました。特に目当ての本があったわけでもなく、「今は店頭に何が並んでいるんだろうなあ」とリサーチ目当てに行きました。

そこでこの本・読書する人だけがたどり着ける場所 (SB新書)に出会います。私ですら知っている、日本では著名な齋藤孝先生の本です。 

その帯には「毎日情報に触れているのに知識が深まらないのは、なぜか?」と少し惹かれるキャッチコピーがありました。というのも、最近の私は「自分が賢くないということには気づいているんだけど、どうしたらいいんだろうなあ」という焦りをずっと抱えていたのです。勉強をしても読書をしても手を動かしても、自分の知識になったという感覚はおろか上っ面感が拭えず、途方に暮れていたところでした。タイトルが抽象的のように感じられましたが、何かしら今の自分にヒントがあるだろうと思い、買うことにしました。

 

===

そして今朝から読み始めることにしました。

これですね。なおこのツイートで書いている内容は意図的に本文の表現とは変えています。(だいたいの内容は一緒です) 私は発売されたばかりの本を引用元も明示せずに丸々引用するのは嫌だったのと、人間と金魚の集中力を比較するくだりは科学的に眉唾ものだと思ってしまったので、雑なことをしてしまいました。齋藤先生にはここでお詫び申し上げます。

 

本の内容ですが、正直「もうすでに知っているようなことばかりだが、時折刺さるようなことを書いてくるなあ」というものでした。齋藤先生の本は読みやすく、そして表現が秀逸であることが多いのです。

たとえば

インターネットの海と言いますが、ほとんどの人は浅瀬で貝殻をとっているようなもの。

(本文 17P)

これなんて、本当にお見事です。わたしはとてもドキリとしました。現代人の浅い・雑な理解で終わらせる情報収集の態度における批判を、ここまで詩的に書けるのは斎藤先生のすごいところの一つです。

 

でもたまに私は齋藤先生に対して、「この人は何を言っているんだね」と勝手に失望する節もあります。

 

以下引用。

大学の先生も教養のための幅広い読書をしなくなっている印象があります。私は大学の採用面接でこんな質問をしています。

「あなた自身の教養になった3冊を専門以外で教えていただけますか?」

専門以外というのがポイントで、幅広い教養のある人なのかを確認する質問です。

学生に対して教養を身につけさせるには、先生自身に教養がなければなりません。

ところが、急に言葉に詰まってしまう人が多くなっています。「数え切れなくて言えません」というのならわかります。「3冊に絞るのは難しいので、10冊言わせてください」くらい言ってほしい。でも、残念ながら「専門ならすぐ言えるのですけど……」という人が増えているのです。

(本文 18P)

私はこれを読んで、最初の印象は「齋藤先生はどうやら大学を教育の場のみだと勘違いしているのかな」とさえ思いました。

私の中で大学とは専門高等教育を学び、そしてさらなる研究の発展をさせていく場所だと捉えています。(語彙力が貧弱なので、この程度の言葉しか思いつきませんが)ことさら理系分野においては、研究者が誰であるかということよりも、事実情報の方が大事だと思っています。

そのため指導者側に教養を求めるのは(例えるならそれは物理学専攻の教授に、わざわざ源氏物語の感想を求めるような感覚でした)、さすがに基準がおかしいのではないか、と思いました。

 

さて、ここからが私のエウレカ話です。わたしはとある文を読んだ後、それだけでこの本に感銘を受けることになります。

少し前までは、人間の集中力を計測する実験結果と、金魚の集中力を計測する実験結果から、秒数のみを単純比較した説を信用した挙句、大学教員採用には「教養」の強要を行なっている齋藤先生には失望を感じていたのに。けれど私はこの本への感謝を少なくともこの今は忘れないでしょう。 

 

===

それは「第2章 深くなる読書 浅くなる読書 何をどう読むか」の「情報としての読書 人格としての読書」節でした。

 

齋藤先生いわく、まず読書には大きく分けて二つあり、それは情報としての読書と人格としての読書であること。

たとえば物理学を学びたいと思って重力波の本を読むのは「情報としての読書」であり、「銀の匙」を読んで世界観を味わうのは「人格としての読書」。

情報としての読書の場合、著者が誰であるかはさほど重要視されないことが多いというものでした。 

これはわかりがありました。物語を味わうか、情報を味わうかという理解をしました。

そして以下の文言に続きます。

 

ただ、情報と人格は、最終的にはあまり切り分けられません。

 

この一文を読んで「あー齋藤先生がなんかまた言っている」とすら思いながら、続きを読みます。そして引用します。ちょっと長いですが、ここが私の「エウレカ!」に繋がる大事な文章になりました。

たとえばケプラーは、惑星が楕円の軌道で動いていることを発見しました。これは科学の歴史において、革命的とも言える重要な転換点です。それまでは2000年にもわたって、「惑星の運動は完全な円を描いている」と信じられていました。円運動は神聖で完全なものであり、天上界の運動は完全な円であるはずだというアリストテレスの「自然観」が根強く残っていたのです。

しかしその考え方ではどうしても計算が合わない。そこで、完全な円ではなくちょっとつぶれた円なのかも、と気づいたのです。そして「惑星は太陽を一つの焦点として楕円軌道を描く」というケプラーの法則にたどり着きました。

そこに至るには観測データと理論を突き合わせていくという科学的なことをしているわけですが、同時に、ケプラー自身は神秘的主義で古い感覚を持ち合わせていました。占星術で生計を立てており、太陽を神聖視し、「宇宙の調和」という価値観を強く持っていたのです。

「惑星の公転周期の2乗は、軌道長半径の3乗に比例する」というケプラーの第3法則も、実は神秘思想から出てきたものでした。惑星の軌道と運動の間には、神秘的な調和があると必ず信じ、それを発見しようとしたわけです。そんな背景を知ると、ケプラーの法則という科学的な情報にも深みが感じられるのではないでしょうか。

(本文 51~52P)

 

私はケプラーの法則を知っています。そういった公式が存在して、テストでも出題されていたことを覚えています。けれどこのような事情を知りませんでした。

「まさか占星術の発想を以ってして、物理学の問題を解決しているとは」と驚きました。

私は正直、占いは生活を豊かにするちょっとした気休めだとか潤いだとか、そういうものでしかないとすら認識していました。けれど、そういった気休めが、ケプラーの法則に繋がっていたとは、青天の霹靂だったのです。

 

 

そして、「もしかして」と、唐沢先生の”せれんでぃぴてぃ”という文章に帰ってきました。似たようなものをもしかしてつい最近読んでいないか、と思い当たったのです。もう一度引用します。

無線の分野では、米国ベル研究所のペンジアスとウィルソンのケースが有名です。1964年のこと、科学者であった両氏は、宇宙通信用に開発した大型アンテナの性能を評価するため、 アンテナを天空に向けて雑音測定している中、どの方向に向けてもほんのわずかに原因不明の雑音(絶対温度3Kのごくごくわずかな雑音)が残り、気になっていました。 あるとき二人は、以前に聞いた講演のことを思い出しました。1960年代当時、宇宙はビッグバンという途方もない大爆発から始まったという荒唐無稽な理論が出てきて、 でも、もしそれが本当なら宇宙の果てにその雑音の名残があるはず、という話でした。そのとき、彼らは「もしかしたらこれかも」、と思い、検証を重ねて、 ついにまさにそれだと確証を得たのです。二人は、ビッグバンの証拠をつかんだことでノーベル物理学賞をもらいました。幸運の女神がそこに来ていて、それを捕まえたのです 。わずかなできごとに徹底的に拘り、幅広い知識や経験を活かして、自分たちの実験結果をそこに結び付けて、思わぬところの不思議を解明したのです。この力がセレンディピティです。

そして焦ります。 「ペンジアスさんとウィルソンさんとは、いったい何者なのだ。ビッグバンとは、いったいどのようにして解明されたのだ?」、私はまず、ペンジアスの名前でwikipediaを調べました。

私はこの感動を当分忘れないと思います。以下、wikipediaからの参照です。

ja.wikipedia.org

ペンジアスはニュージャージー州ホルムデルのベル研究所に就職し、そこでロバート・W・ウィルソンとともに、電波天文学の観測のための超高感度低温マイクロ波アンテナの研究を行なった。1964年、この高感度アンテナの設置中に二人は説明のつかない電波ノイズに出会った。そのノイズの強度は天の川銀河からの放射よりも強いものだったため、二人はアンテナ設備が地上の雑音源からの干渉を受けていると考えた。しかし調査の結果、電波ノイズがニューヨーク市からのものであるという仮説は否定された。マイクロ波ホーンアンテナを調べたところ、アンテナにの糞(ペンジアスは論文の中で「白い誘電性の物質」と記している)がたくさん付いていた。糞を掃除すればノイズはなくなると考えた二人はホーンアンテナに溜まった糞を掃除したが、ノイズは消えなかった(二人は互いに、糞掃除を言い出したのは自分ではないと言っている)。考えられる干渉源は全て取り除いたがノイズは消えなかったため、二人はこの発見を論文に発表した。後に、この放射こそがビッグバンの名残の電波である宇宙マイクロ波背景放射であることが明らかとなった。この発見によって天文学者はビッグバン仮説の正しさを確信するようになり、初期宇宙についてのそれまでの多くの仮説が修正された。 

エウレカ!!!!!!の瞬間でした。

wikipediaはやっぱり面白いです。この短いエピソードすら壮大な物語を想像させてもらいながら読むことができました。)そしてもし私のような凡人が彼らの立場だった場合、おそらく鳩のフンを掃除してもなお、「アンテナの仕様か、バグか」といった可能性の検討から脱却できていなかったのではないか。そんな不安すらよぎります。

物理学者が、天文学の講演に行っていたから、ビッグバンの可能性に気づけたのだ、と。(講演のソースは出てこないので、これは私の思い込みの可能性が大いにあります。けれどそう考えるとしっくりしたのでした)

これはものすごい衝撃でした。頭の中では天文学も物理学も密接に関わっているだろうということは承知していたのに、具体例を持ち出された時の感動というと、言葉には言い表せません。物理学者が、現代の天文学の基盤に大いなる躍進を与えたのです。

これぞ教養、リベラルアーツの考え方だと猛省しました。 

 

そうしてこうして、唐沢先生の言葉終盤に戻ります。

    ピンチはチャンス。幸運はそれを待ち受ける心構えのある人のところに訪れる(パスツール)。電通大の発展と、皆さんの幸運を心より願っています。ありがとうございました。

そしてようやくこの言葉、「セレンディピティ」の意味を理解します。

幸運はそれを待ち受ける心構えのある人のところに訪れる」、これはつまり「幅広い教養と経験を身に付けることによって、思いもよらない発見に繋げることができる」、専門にとがることも大事ですが、さらなる向上を目指す人間は幅広い知識と経験が必要になるということを唐沢先生も齋藤先生も伝えたかったのだとようやく、ようやく気づけた瞬間でありました。

 

偶然に訪れる幸運を掴み取る能力」、その言葉の意味を遅まきながらもかみしめることができたのです。

 

===

といったところで、今日は知識の点と点が線として繋がる瞬間を久々に自覚できた、最高に素晴らしい1日でした。

私のエウレカもといセレンディピティ体験は、世界にとって非常に小さいものではありますが、個人にとっては素晴らしい一歩の1日でした。

みなさんにもよいエウレカ、ないしはセレンディピティがおとずれますように。

 

 

というところで。読書はやっぱりいいですね。いまいちどおすすめしておきます。

読書する人だけがたどり着ける場所 (SB新書)

 

宇多田ヒカルの曲「光」を語らせてくれ・その1

ちょっと長い前置き

自分は他の人の感想や口コミを読むわりには、感想を書くことが少ないんじゃないか〜と唐突に気づきました。

個人的には「私一人が感想を書いたところで、他人に影響は及ぼさない」という非常に冷めた考えを持っているんですが、それはそれで世の中に対してあまりに消極的にすぎるし、あるものに関して適切に(冷静にしかし情熱を持って)魅力を言語化する努力をしないというのもいかがなものか。ということで改めて書いてみたいな〜と思います。

 

=== 

好きなものとか気に入っているものなら書きやすそう、ということからまずは宇多田ヒカルさんの「光」「Simple and Clean」そして「Passion」について関連づけて語っていきたいと思っています。これらの楽曲の関連性は何? そう、キングダムハーツの主題歌です。

(先日初めて彼女のライブに行ったので、思いを整理しておきたかったのもあります)

色々な人の中で世界観が構成されている曲について語るのは恐縮しかないし、音楽的な教養は一切ないので、歌詞から受け取る世界観で勘弁してください(色々な方向に向かって)

 

===

「光」について 

光

 

 宇多田ヒカルさんの本名を冠したこの楽曲。「自分と同じ名前をつけるほど」、本人にとって特別な曲だと述懐されており(2006年に行われたライブ・Utada United)、さらには私の大好きなゲーム・キングダムハーツの主題歌でもあります。

けど私はこの楽曲は、キングダムハーツの世界観には必ずしも全てがマッチングしていないと思っています。キングダムハーツアルティマニアにディレクターの野村哲也さんが、「光」が主題歌になった経緯として以下のエピソードを語っています。

 

「エンディングのイメージはわりと早い段階から決まってたんで、主人公とヒロインがお別れをするシーンで流れる、でも、その別れは悲しい別れではなくて、すごく前向きな別れですということをお伝えしたんです。歌詞的にはピッタリで、はじめて聴いたときはふるえて言葉が出ませんでした。一応NGワードで、”携帯電話”とか、そういうゲーム中の世界にない単語は入れないでくださいと言ったんですが、”テレビ”が入ってましたね(笑)。でも、あれは深い意味にも取れて良かったと思います。」

 

引用:キングダムハーツ アルティマニア

 

この言葉からも読み取れるように、「光」という楽曲は、キングダムハーツからのリクエストは全て受け取らず、「光」としての世界観を独立させて作られたように思いました。

そしてこの「光」という曲でようやく「宇多田さんは、ようやく宇多田ヒカルさんの幸せな内面を描くことができたんじゃないか」、彼女のいちファンとしてはそんな風にものすごく嬉しく感じながら聴いています。

 

「光」と他の楽曲の明白な違い 

私と彼女の楽曲はファーストアルバムからのおつきあいですが、ほとんどの楽曲に一貫して描かれていた一つのテーマがありました。「孤独」です。

 

  • 誰かと一緒にいながらもどこか距離を感じる孤独。
  • 一時期は互いに求めあっていたのに、結局うまくいかずに終わって味わう孤独。
  • 求めて(受け取っているのにも関わらず)も満たされない孤独。
  • 求められているのに満たすことができない内なる孤独。
  • 頂点に登りつめた者の孤独 

 

書き出すとたくさんあるんですけど、宇多田ヒカルさんの楽曲は終始「孤独」という根底の感情がつきまとっているように私は感じています。

 

どこにも属せず、誰かから求められているのに、あるいは誰かに求めているのにその感情はうまく噛み合うことができない、そんなもどかしさを感じさせられるものです。 

 

でもそれらは言ってしまえば、どこにでも、誰にでも起きうる普遍的な孤独であるので、それらの歌詞は誰でもあたかも自分のことが歌われているかのような錯覚に陥ることができるのかもしれません。現に私もその一人です。

 

しかし一方「光」の歌詞は、純然たる主人公が存在しているかのようなストーリーを彷彿させられるものです。

歌詞を見ていきます。歌い出しは

 

「どんなときだって たった一人で」

 

と始まります。もうずっと孤独だったということを認めている主人公であることが窺えます。なんだか、リスナーが置いてけぼりかもしれません。けど続けて

 

「運命忘れて 生きてきたのに」

 

ここ、いつだったかの番組で小田和正さんが「普通なら『運命背負って』とかいうところを、『運命忘れて 生きてきた』んだからすごいよね」と評された記憶があります。

私自身は、「この曲の主人公はずっとひとりで生きてきて、これからもそうしてずっと一人で生きていくのだから、いわゆる"暖かい家庭"や"心から信頼できる誰か"といった、"普通の人"(普通という表現とは大衆化している存在ではなく、ここではあくまで理想的なもののイメージです。たとえば、温かい家庭だとか、自分を惜しみなく愛してくれる周りの人たちといった、ホームドラマに出てくるような人物像を指しています)なら得られるような人生のレールには乗っかれない、そういった運命は自分には縁がないと割り切っていた寂しい主人公なのだから、『運命忘れて生きてきた』という歌詞は、非常に自然な表現だな」と解釈しています。

 

そして以下のフレーズに続きます。

 

「突然の光の中 目が覚める 真夜中に」

 

この主人公は何かしらの「光」に出会ったのかな?という出だしです。どうやらこの楽曲の主人公は、先述の"心から信頼できる誰か"に出会い、孤独な人間ではなくなったのかもしれない。そんな予感があります。なんだか幸せな予感のある曲です。ここでリスナーもなんだなんだとようやく追いつけます。(当然主観です)

  

静かに出口に立って 暗闇に光を撃て

ここのフレーズは実は宇多田ヒカルさんがブログにちょっと触れています。

Hikaru Utada Official Website | MESSAGE from Hikki

2013.11.26の「トンネルの向こうの光が見えてきたぁ」です。

 

”私にとって、出口の先にあるのは光じゃなくて暗闇なのかな”という言葉からも読み取れるように、「これから暗闇を探索するのか」ということをやっぱり想起させられます。

この場合の「光」は、さっき書いた「心から信頼できる誰か」ではなくて、この主人公が自分の中に持っている光のイメージを私は持っていますが、他の人の解釈はまた違うのかな?

 

余談ですけど、自分はずっとここの歌詞を「これまで歩いてきた道は暗闇で、それらに光を撃つ」ということだと思っていました。

孤独だった暗闇の道の出口が見えてきて、光を撃つことができる力(と書くとなんか安っぽいんですけど、ここでいうと経験とか。他人との関係性とか。)を手に入れて、主人公がこれまでの道を振り返って、「これまでの闇は終わるんだよ」とでも過去の自分に伝えることが「出口に立って光を撃つ」ことと思っていました。

なんかでもよく考えたら、パートナーがいようがいまいがこれからの道が必ずしも光である保証の方が少ない、けれど眼前に広がる暗闇を通って行くための何かの力を得た、という方がしっくり来るよね。と思うこの頃です。

 

どうやら"誰か"といるみたい 

「家族にも紹介するよ きっとうまくいくよ」

 

「光」の歌詞には”私”と、「未来はずっと先だよ 僕にもわからない」のフレーズにも見られるように、もう一人の登場人物、”僕”の存在が匂わされます。

 

歌詞を追うと、どうやら結婚を間近に控えた”私”と”僕”の二人のカップルの話のように思えます。(実際、そういう解釈をする人の方が多数なのではないでしょうか)

で、お前感想にいきなり現実世界の事例をぶち込むんじゃねえよと言われそうですけど、ここからどうしても自分は「あーこの歌詞の主人公の一つの例は宇多田ヒカルさんと前夫、紀里谷和明さんなんだなあ」と考えていました。

宇多田ヒカルさんは19歳のときに一度電撃結婚されています。当時のメディアも楽曲「光」はその結婚を示唆していたのではないか、としばしば取り上げていました。)

 

途中の歌詞に「完成させないで もっとよくして ワンシーンずつ 撮っていけばいいから」なんてまさに、映像監督である紀里谷和明さんに向けた当時の宇多田さんからの秘密のメッセージなんじゃないか……なんて、ロマンティックじゃん? ロマンティックだよね!? 実際そうだったら最高に可愛い。 国民的歌姫が、好きな人=監督に向けて歌詞に想いを乗せているなんて、メタ的にこの歌詞から素敵なドラマを感じ取ってしまいます。

(とはいえこのご夫妻はのちに離婚するので、それについてばかり肯定的に感想を書くのも憚られますが……、でも当時宇多田さんは本当に幸せだったんだろうなあと感じてやみません)

 

”私”と”僕”は多少意識や行動の上ですれ違いを起こしつつも、それでもお互いそばにいることを決めたんだから、いいよね(語彙力衰退)

しかし「前向きなお別れ」とリクエストされたのに「どんなときだってずっと二人で」の歌詞は、個人的にはめちゃくちゃ面白いです。

 

私のことだけを見ていてよ

この歌詞を見て、「運命を忘れて生きてきた私」という主人公が、「ようやくわがままを主張できているんじゃないかな」などと、親心で見てしまいます。泣けちゃうやんけ。

余談で、宇多田さんが離婚後初のライブ「Wild Life」で「光」を歌ったときは、「私のことだけを」で歌うのを止める演出なんですけど、「そこから先のわがままは、もう言えない」という気持ちに至るところまで来ちゃったのかなあなんてファン的には色々感慨深くてオンオン泣きました。その前のライブ「Utada United」ではめちゃくちゃ幸せそうに宇多田さんが「光」を歌っていたということもあり、その対比を考えるとエモくてエモくて……。(宇多田さん自身は自分の作った楽曲にそこまで強い思い入れもない(日常的ではない)というインタビューも読破した上で、さらにアーティストの結婚離婚を含めて感想を書くのもどうなのという気持ちを持ち合わせた上での、超何様目線感想です)

 

ようやくこの歳になって気付いたんですけど、音楽ってのは音楽そのものだけでなくて、その音楽と一緒に成長してきた自分のこと、周りのこと、経過時間といった音楽以外のものも同時に喚起されて、すごくエモい感情を得られるんだなあと知りました。本当に今更です。

 

===

やっぱりめちゃくちゃ長くなった。4000文字越えですよ。

この後「Simple And Clean」と「光」の感想に続くわけですけど、次はいつかしら。

 

後この記事で宇多田さんの「光」が気になった人、Apple MusicやSpotifyに加入している人はもちろん、PSVRで無料ライブ映像楽しめるからぜひぜひぜひ(ダイレクトマーケティング

store.playstation.com

 

キングダムハーツにはもうすでにたくさんの"ムリ"が存在していることに気付されて考えていたこと

#これはポエムです。

私のブログは、私のツイッターアカウントを補足してくれている人がおよそ読んでくれていると思っているので、私がいかにキングダムハーツが好きか・人生の色々な行動や判断基準の一部にしてきたというのは割愛します。

 

そのわたしが、めちゃくちゃ衝撃を受けた発表がありました。

「あ、キングダムハーツってそういうゲームになっちゃったんだ」という感じに、16年間応援し続けた自分にとって非常にショッキングな内容でした。

そもそも発表と言っていいのかわからない、わたしの観測した範囲だとそのことは軽くスルーしている人ばかりで、実は結構大きい話だと思っているんだけど、誰も本質に気付いていないのでは。そんな風に思えてしまいました。

 

それは2018.9.22のTGSの一般公開日1日目に起こりました。

その日スクウェアエニックスブースにて、キングダムハーツの特設ステージがありました。わたしは現地には行っていませんでしたが、ウェブ配信をずっと視聴していました。

それは開始17:40ごろから17:56ごろの話で、MCの麒麟・川島さんが「ストーリーが壮大で、結構ここまでくると説明するのも複雑なんですけど、どうですかそのへん野村さん」と振ります。

 

野村さん「ちょっとムリですね」

 

 

これ、めちゃくちゃショックでした。

キングダムハーツの世界観の根底というか、もっと大きいところが揺らいでしまった。いや、そもそもずっと前から揺らいでいたのでは。そんな焦りすら感じました。

"無理"って言っちゃったよ野村さん」という具合に、私は冷や汗を死ぬほど掻いていました。そのときはちょうどランチを取っていましたが、一気に味が分からなくなりました。放心しました。

 

 

どうして? 

 

 

ほとんどの人ならこれは笑い話でアッハッハって済む発言だと思っています。「あー野村さんでも簡単に説明するのはダメなんだ、そうだよね」、いや、それが本来の反応だと思います。実際、私も「ああ、野村さんでもダメか。そうだったか。」とすぐさま思いました。そして不思議と笑いが込み上げました。

 

 

じゃあ私は何に驚いていたのか?

キングダムハーツのストーリーを説明するのが、もはやディレクターでも難しいことについてではなく、キングダムハーツの世界観を作り上げた野村さんが「無理という言葉を使ったことについてでした。

 

自分の考え方を変えた雑誌の一つ、ニンテンドードリームの2007年9月号。

野村さんのロングインタビュー特集が載っています。

12年前!もうそんなんになるんですね。紹介しておきながらびっくりしています。

本誌のインタビューでは新しく発売されるDSソフト「すばらしきこのせかい」について言及しつつ、キングダムハーツの開発体制や、野村さんのこれまでの経歴についても触れられています。

 

ここでゲームソフト「すばらしきこのせかい」についてちょっと紹介すると、DS専用ソフトで、当時としては画期的……というか史上初・2画面同時バトル展開というゲームシステムということで、当時話題を呼びました。 

これはゲームやっている人にはわからんでしょうけどこのシステムは本当にすごくて、インタビューでもディレクターの神藤さんが『彼ら(共同制作した株式会社ジュピター) から、最初は「こんなの無理だ」って言われたんです(笑)』と、企画の無謀性について言及しています。

 

で、インタビューではキングダムハーツも奇跡のソフトだよね、と言及されています。

キングダムハーツを最近好きになった人からすれば、とても意外かもしれませんが、スクウェアとディズニーが共同でゲームを作ること。しかもオリジナルキャラクターが主人公というのは当時のゲームファンを相当数驚かせました。

今ですら、ディズニーとゲームを作るとなるとおそらくミッキーやドナルドといったディズニーキャラクターが主人公に来るのが、言っちゃえば「普通」と思うじゃないですか。

野村さんも雑誌内インタビューでは『ディズニーの方から「ドナルドのゲームを作ってほしい」とかいろいろ提案があったんですけど』と前置きをした上で、なんどもなんども粘りつよくディズニーと交渉をして企画を押し通したというエピソードを語っています。

 

そして「すばせか」のシステム話に戻ってきてやっぱりすばせかのシステムはすごいよね、よく通したよね、そもそもみんな最初から「ムリだ」って考えちゃうよねというインタビュアーの誘導から野村さんが一言。

 

『基本的に自分は「ムリだ」という言い逃れは好きじゃないんです』 

 

インタビュアーさんも『ディズニーを説得した野村さんの言葉なだけに、とても重いですね』と一言。

続いて神藤さんも『だから、僕らも「それはムリです」と絶対に言わないようにしてるんです。』という言葉を続けます。

 

当時、このインタビュー記事を読んだ自分はものすごく感銘を受けました。

固定観念を捨てて、粘り強く取り組んでいった結果、キングダムハーツという素晴らしいゲームが生まれた

そのひとつの要因として「ムリって言わない」ってところがあるんじゃないかな、と考えていたわけです。

 

 

 

で、それが、冒頭に戻るわけです。

ストーリーを簡潔に伝えることはムリ

もうね、めちゃくちゃ脱力しました。野村さん、ほんまか?ほんまか?

 

もちろん、、、野村さんも会場の笑いを取ったんだろうなーーーーーーとか、そもそもインタビューからおよそ10年、10年後やぞと。

そりゃ、、、、、、、、変わっちゃうよね。などと、わかったようなことを書きつつ、けれど相当なショックを受けた自分がいました。

 

もちろん今の私と10年前の私だってほぼ違った生き物だと思います。というか、そうじゃないと困るんですよね。身体的なことだけではなく、内面的にも立場的にも。

だから「変化しないこと」を他の人に要求するというのはかなり傲慢なのも理解しているわけですが、「ああ、キングダムハーツにもムリという言葉が使われるほど、そんなに時間が経ってたんだな」とつくづくと思い知らされていました。

 

 

そりゃファンはもちろん開発者も、そしてゲームも変わる。

(余談なんだけど、個人的にはカイリのキャラデザが一番それ(時代や価値観)を反映していると思っている。10年前に発売された2はやっぱり10年前の女子高生っぽい感じの髪型なのに、今年発売される3のカイリは、イマドキの女子高生さながら髪の毛も綺麗に巻いた流行りのショートボブスタイル。これはこれでもちろん可愛いけど、もし2のすぐ後に3が発売されていたらカイリの髪型は違ったんだろうなって思っている)

  

過去記事でも雑に、「キングダムハーツはなんかすごくファンが増えた」ということを述懐しています。

srknr.hatenablog.com

予兆はすでにあって、それがたまたまそのタイミングでようやく言語化された。

自分が「キングダムハーツは、ムリがあるゲーム」ということを受け入れた瞬間でした。

この「無理」というのも色々な解釈ができて、イベントのキャパシティが無理、ファンのモラルが無理、このストーリーは無理、このマーケティングは無理、もうそろそろ昔と同じ情熱と愛情でファン活動するの無理……色々あると思います。

 

 

ただ、これは植松伸夫さんがファイナルファンタジー8か10のサウンドトラックに書いていたことなんですけど(ちょっと思い出せない)、「離婚したけど新しい恋ができるじゃん」といった具合に、マイナスも結局プラスに転じて考えることができるよね、人生ってそんなもんって話があった気がしまして。(雑な記憶なので間違っていたらすみません)

 

実際、キャパシティが無理だのマーケティング戦略についていけないだの、それこそ1発売当時からしたら贅沢な悩みではあるんですよ……。(あくまで個人的には。)

ほんと、「キングダムハーツというゲームが好きです。ディズニーとファイナルファンタジー宇多田ヒカルがコラボしている。そう、今三ツ矢サイダーバヤリースでCMやってるあれだよ。」ぐらいまで言わないと伝わらなかった時代がありました、信じられる?自分の周りだけかもしれんけど、それぐらい今の待遇から比べたら冷遇もいいところだった。

 

 

それが今では新宿駅やら丸ノ内線やらでどこかしこにも広告が見られるし、「キングダムハーツのグッズはこちらです」と、グッズショップでも堂々とコーナーが設けられるぐらいに認知度が上がった。キングダムハーツで育った世代が、ようやく経済を支える側に入ってきている。

 

これって1の発売当時から考えると本当にすごくて、「無理」という言葉が使われるようになった反面、こういう時間の経過が同時に起きていたんだなと胸がいっぱいです。

だってキャパシティいっぱいだってのも結局ファンが増えたからだし、ファン活動が無理になってきたって言っても、他に情熱が注げる何かが見つかっているってことじゃないのかな、と、思わざるを得ないんですよね(お気楽な思考)

 

 

それらの無理を超えてきて、それでも形になったゲームを遊べるというのはファンとしては至上の喜びだと思ったことと、そしてキングダムハーツ3もきっと何か、無理の分だけ、嬉しい何かがあるんじゃないかなんて勝手に期待しつつ、いちファンとしてありがたく発売日を迎えていきたいと思いました。

 

 

というわけでようやく二週間後発売ですね!!!\(^o^)/

盛り上がっていきたいと思います!!!

 

ボヘミアン・ラプソディを観てきたので感想

観てきた。

www.foxmovies-jp.com

 

・鑑賞前

実を言うとQUEENの楽曲はよく知らなかった。。。

10年以上前、UTADA HIKARU SINGLE COLLECTION vol.1と同時発売でQUEENのベストアルバムも発売されて、当時はQUEENのアルバムを買った友達と自分が買った宇多田ヒカルのベストアルバムを交換して聴いたことがあるな〜〜〜って思い出した。

ジュエルズ

ジュエルズ

 

ちょうど木村拓哉さんのドラマ「プライド」の主題歌として「I was born to love you」が使われていた時期で、耳馴染みはあった。でも他だと「We will lock you」を知っていたのと、フレディ・マーキュリーエイズで亡くなったことぐらいしか実はよく知らなかった。

 

・良かったなあと思っているところ

ストーリー自体はよくあるものなんだろうけど、これが実話ベースだと承知して見ると、鑑賞後も色々考えさせられることが多かった。

 

フレディは基本的に破天荒な行動に言動が多く、飛び抜けたエピソードが物語中に明確に描かれたわけでもないけど、彼が孤独感を募らせていくところは観客の自分にもなぜか理解(あえてなぜか、という言葉を置いておきます)できたし、荒れていくところもやっぱり理解できてしまった。彼は誰もが認めるスーパースターなんだけど、我々よりも人間臭くそして脆いところをたくさん持っているように思えました。

個人的な感動ポイントは終盤、フレディがQUEENのメンバーに自分がエイズであることを告白したところ、フレディが父親と和解するところ、ライブ・エイドで歌うシーンでした。王道だろうけど。

あとスタッフロール入ったところのフレディに関する但し書きと、「Don't Stop Me Now」が流れたところが無性にエモクなった。(ちなみにとんでもないことに、このとき同曲がQUEENによるものだと知りました。ゴメンナサイ。。。)

でもQUEENほぼ素人の自分も、多くの楽曲を改めて知り、全体を通してずっと楽しめたのが満足度高いです。最後のライブシーンも圧巻でした。あれ全員エキストラ集めて撮ったのかな?

 

・劇中理解できなかったところ

フレディがエイズの検診で病院に行った帰り、診察待ちの少年と猫の鳴き声で互いに呼応しあうところがあったんだけど、あれは何が示したかったんだろう……?

 

・考えさせられたところ

結果論だけど、フレディがメアリーとあのまま付き合い続けていたら……とちょっと考えてしまいます。

彼は自分の様々な内面に気づくこともなかっただろうし、エイズになって若くして亡くなることもなかったし、私も生きているフレディを何かの機会で観られたんだろうなあと、考えずにはいられませんでした。

しかし逆に、フレディは孤独を感じ、エイズになったことで、自分の限りある命をどう使うかということに意識を向けられたからこそ、QUEEN再結成や父との和解に繋がったのかと考えると、人の人生ってなかなか奥深いなあなんて勝手なことばかり考えています。

 

あと、フレディがQUEENと仲違いをしたシーンと、QUEENとしてもう一度ライブに出るためにフレディが謝るシーンの二つでギャラの話が出たんだけど、私がもし他3人の立場ならフレディに「ギャラは均等に」とは絶対言えないなと思った。

フレディの才能にリスペクトや嫉妬とか一切なかったんだろうか……もしそれらがあれば、そんな条件なんて出せないなあなんて思ったのだけど、リスペクトや嫉妬を超えた「家族」という括りでQUEENとして頑張るんだから、全員でフレディの才能に対するプレッシャーや苦悩を全て分かち合おうという意味を込めての「ギャラは均等に」という条件提示だったのかなーと考えが至った。

 

・この曲QUEENだったんだと思った曲

「KIller Queen

よく考えたら父がよく聴いていた気がする。(赤っ恥) 刺激的な歌詞だったんだなあ。

 

「Don't Stop Me Now」

スタッフロールで流れてQUEENよく知らないくせにめっちゃエモくなった。なんか妙に泣ける。それからずっと聴いている。

 

 

・4DXで辛かったところ

雨のシーンはずっと雨降っていて、劇場の人たちもあまりの雨の多さにハンカチを頭の上に置いたりしていた。寒い日は気をつけよう。

 

俺はベルトコンベアー。(曲名にありそう)

あと冒頭は人が歩いていたり呼吸しているだけで椅子が振動する仕様になっていたから、酔いやすい人は気をつけた方がいいかも?

 

 

・次は

そういやドラゴンボールまだ観てない。

英語でのコミュニケーションの壁が見えてきたっぽい

英語むずい。

のちに笑い話になるといいなーと思って、いまの現状を書いていきます。(他の人からすればレベルがアレとか言わないでそれ)

 

*きみどんな人なの

英語はふつーに中高大こなしてきた程度です。高校がオーストラリアの高校と姉妹交流していたことから国際教育もとい英語教育に力を入れていたので、正直高校三年のときの方が語彙力も文法も諸々すごかったんじゃないでしょうか。あくまで日本基準で。

もっと詳しく言えばセンター英語過去問やってもノー勉で6割以上はキープしてました(早口)(マウントオタク)(コーナーで差をつけろ)

無論、今は無理です。かなしいね。

 

*なんで英語やってるの

これはもう率直に、必要に迫られているからです。もっというと自分が今いるところは日本語を母国語としない人が半数以上なので、「あれーこれどうやればいいの?」ってひとつ尋ねるのにもいちいちスマホ取り出してGoogle翻訳にかけるのは時間のロスに思えてきました。というわけでどう考えてもやっぱり英語喋れた方がいいね。はい。 

 

*第一の壁・リスニング

まず、英語が聞き取れない。早いとかじゃなくて、コミュニケーション言語として耳が認識しようとしない

きょうび英語なんて、街中に溢れてるじゃないですか。それこそJ-POPの上位タイトルだってほとんど英語入ってるじゃん? でも耳が認識しないんですね。

なんかもう

 

@&*☆+`¥〜〜!?!

 

みたいな。耳が慣れていないとかじゃなくて、聴こうとしなかった。これに尽きる。

たとえば私はカーペンターズの楽曲がすごく好きなんですが、

 

えーびーしゃらららーーえびうぉうぉうー

 

こんな感じで、音で覚えてる。言語としてみなしていないなんかの音

 

でもこのへんの問題は、会話をこなすとわかってきます。

まず向こうも「あ、こいつ英語できねえんだな」と認識してくれるから、ゆっくりわかりやすい英語を喋ってくれる。

そうなると、

 

@&*☆+`¥〜〜!?!

 

 

「Hey, have you ever nice vacation?」

 

とか聴けるようになってくる。手加減してくれてありがとうな。おれはこの前宇多田ヒカルさんのライブに行ったよ。(単なる自慢)

 

 

*第二の壁・スピーキング

喋れない。単語がパッと出てこない。

さっきの「Hey, have you ever nice vacation?」にしたって、ドラクエの主人公じゃないんだから「Yes!!」だけ言っているわけにはいきません。

でも相手はせっかくコミュニケーションを取ろうと「やあ、君は素敵な休日を過ごせたかい?」なんて、「Hey」までつけて和やかにしてくれているんだから、なんかいい感じに返したい

 

よーしまずは日本語じゃ、「そうねえ、私は宇多田ヒカルのライブに行ったよ!」これを英語にするぞ!!!!

 

………………………

 

 

 

「そうねえ」ってなんて言うの????????

 

わからん。Let me see, とかがそれにあたるのかな、いやわからん。(※wellあたりがよろしいです)

 

でもそこは会話に重要なところじゃない!主語・動詞・目的語だ!!!

 

「I went to LIVE……of Utada………」

 

ここで気づく。「宇多田ヒカルライブ」ってどう言うの???

喋っているとき、前置詞やらなんやらがびっくりするぐらい出てきません。使い慣れていないっていうのが大きいのかもしれない。

これは語彙力や自分が言いやすい言い回しをもっと身につけないと。そんなことを思います。でもまあこのへんもなんとかなる。練習あるのみです。

 

*次の壁に行く前に余談

ライティングはどうですか、と聞かれた気がする。今はぐーぐる翻訳が優れているので日本語→英語→日本語にすればだいたい通じることがありがたい……。

どう考えてもおかしい言い回しをぐーぐる先生が提示しているなって思ったら、自分が使いたい文法でググって「あーやっぱりこっちの方が意味通じそう」ってなってから適宜修正すればいいし、それでも相手に伝わらない場合はおそらく相手は質問してくれるし、ことばとは相手と創り上げるものだなあとしみじみ感じます。

 

ただしぐーぐる翻訳にかける大前提として、きれいな日本語を考える必要ができました。

日本語の構造としてよく指摘されますが、主語を飛ばして考えがち・文の順序が雑でも通るので、翻訳にかけるときは気をつけています。

 

*文化の違い

今はここでつまづいています。

言語が思考を作る、とは誰かが言っていた気はしますけど、どの言語もクセがあるのは間違いないんじゃないでしょうか。

 

まず日本語の大きな特徴として、敬語があります

だからたとえば、目上に向かって「それをやるのは無理じゃね???」とは言いませんね。口頭にせよ文語にせよ「それをやるには、さすがに私には荷が重いです」といった言い回しをしませんか?自分はします。

だから日本語→英語変換するときも、「あれ?この状況でこの単語の選び方ってもしかして失礼じゃないか???」とドキドキして、タイムラグが生まれます。

まあネイティブじゃないんだから完璧に文化を理解するのは厳しいんですけど、「Do you understand?」がさすがにNGなのは知っている程度の英語力なので、そういうのもなるべく尊重したいじゃん。したいんです。

 

あとこれは英語→日本語にも言えて、誰かが「I want to ~」って言ったら「おっ、I'd like toより強い意思の現れなんだな」って思うじゃないですか?思ってくれ。

でもそれがために、たとえばslack上で行ったディスカッションで「よーしそろそろ終わりが見えてきた!」というときに、「I will not want to do like that.」とか書かれちゃうと「おまえ喧嘩売っているのか」と思えちゃいませんか。思いました。喧嘩になりました(英語力+1、コミュニケーション能力ー888)

 

ちょっと話が逸れるんですけど、日本人は議論が下手というか、同調を求める傾向があると言われがちですけど、自分の中にもそれがしっかり根付いているのだなと上の一件で気づかされました。

その人は「そのプランには問題があるように思えるから、そんな風にはしたくないなー」って、まとめの段階に入っていながらも指摘しました。

もしこれが私なら「まあもうまとめに入っているし、問題があるなら上の方で撥ね付けてくれるだろう」とスルーしていた気がします。

なぜって? 指摘したところで「いま言うな。もうすでにプランはまとまっているんだ。指摘するべき段階で指摘しなかったのはきみの手落ちだ」と説教されるからです。もっといえばチームメンバーにも白い目で見られるかもしれません。

良い・悪いをひとまず抜きにして、そういう経験が私にはあるので、言わぬが華銀は雄弁沈黙は金なり根性が染み付いているようにつくづく感じさせられます。人間性の問題だとも思いますけど、皆さんの周りはいかがですか……?

(まあ下っ端がそんなんだから指示する側のタスクが増えるとかは別問題なのでちょっとスルー)

 

日本語・英語の優劣を議論できるほどの脳みそも持っていないんですけど、とにかく英語ってアグレッシブだと思います。

 

もうひとつエピソードを。

私はツイッターでゲーム関連の、特にグッズに関するツイートをしばしばします。そのため、そこそこ国内外問わずリプライが来ます。

おそらく日本の人からだと「FF外から失礼します。こちらどこのお店で買えますか?」とリプライ。返事をすればイイネ付きで「ご丁寧にありがとうございます!今度行ってみます!(実際行けるかどうかはともかく)」という具合に返してくださる一方で、

英語圏の人だと「I want to go to this shop!!!! Where!?」っていきなりリプがきて、返事をしても特に反応なし。

私も日本で育ったからかやっぱり前者の方が好感を持てるんですけど、でも前者だってコミュニケーションコストがやっぱりかかりすぎという指摘もわからなくもありません。

 

 

 

なんかまとまりがないんですけど、現在はそういうところに戸惑いを覚えます。

 

冒頭にもある通り、基本的に英語むずいなーって思っています。

でもやっぱり改めて「喋らないとお互いわかりあえるわけないなー」というコミュニケーションの原点に立ち返ることができているので、以前より意識が前向きになったんじゃないか、などとポジティブに考えてはいます。

英語がんばるぞーエイエイオー(←これ英語ですかね?)

くるみ割り人形と秘密の王国を観てきたので感想

観てきた。ちょっと辛口です。

www.disney.co.jp

シアタス調布の20:55回で、劇場内には自分含めて5人しかいなかった。経営大丈夫かシアタス調布。

 

よかったところ

「さすがディズニー」と思えるほどの豪華な世界観だった。

衣装も装飾も半端なく豪華。冒頭のクララ家に置いているクリスマスツリーはもちろんテーブル周りの家具やら、おじさん家に出てくる回転式ハンガーとか、その辺を歩いているだけの召使いたちの服飾がめちゃ凝っている。エキストラの数も半端ない。

セットも流石にすごい。ロンドン綺麗。秘密の王国のファンタジー感がすごい。

どのシーンも観ているだけで"なんかワクワク"する。

主人公・クララが秘密の王国に入ってからの世界も、うるさいぐらいの色と光と小物の世界なのに、目が全く疲れないどころか画面を観るだけで胸がはやった。

 

キャラクターの造形もすごい。特に第四の国に行ったときの道化師たちは本当に怖かった。ビジュアルだけで「あ、こいつやべーわ」って思えるのってなかなかない。

 

イマイチ入り込めなかったこと

自分はバレエとは縁遠い世界で育ったので、「くるみ割り人形」のあらすじも実はあまりわかっていなかった。そのため劇中様々なキャラクターが出てきても親近感が湧きにくかった。おそらく先に原作を読んでいれば「あーなるほどあのキャラクターをこういう設定として持ってきたのね」とニヤリとできたのかもしれないと、あとでネットであらすじを読んでから反省した。

 

イマイチに思えた部分

主人公のクララも10代女の子あるあるっちゃあるあるだけど、基本的に情緒不安定。お父さんやフィリップに八つ当たり気味に接したり、プリンセスプリンセスと持ち上げられて調子に乗ったのかろくに作戦も立てずに、敵のマザージンジャーに立ち向かってそこそこの被害を出しても知らん顔して「私には居場所がないの……帰る!」と言っちゃうあたり、「この子を美女と野獣のベルと同列扱いの聡明な女の子として観るには、厳しいかな」と思った。(もしかしてあれか、技術はあるけどマネジメントに向いてないパターンか)

でもマッケンジー・フォイの顔と鎖骨のラインはめちゃ綺麗で好き!!!(突然の主張)

マッケンジー・フォイ可愛いよね。 マッケンジー・フォイ - Google 検索

 

ストーリー感想はネタバレになるので雑に書くと、敵にも味方にもあまり感情移入ができない。「結局あれってどういうことだったの?」と疑問に残る部分がたくさんある。ただただ世界が移ろっていくのをどこか俯瞰的に眺める主人公に、観客はそういう意味で感情移入できるかもしれません。(話の雰囲気も構成もどことなくアリスインワンダーランドに似てるかも。)

厳密なストーリーを楽しむより、ディズニーの世界観とファンタジーらしさを楽しめる人勝ちかもしれないと思います。

 

あとCGがなんか気になるところは気になってしまった。元々のレベルが当然高いから気になるんだろうけど、クララがネズミの王に捕まるところ、城をテコの原理で脱出しようとするシーンはクララと背景が浮いていて、観ててヤキモキしてしまった、、、。。。

 

でもやっぱりよかったところ

ラストのくるみ割り人形のバレエシーン最高でした。バレエを映画館でじっくり観るのってなんか新鮮です。2分間ぐらいだったかもしれないけど、あれだけでも観る価値はあると思います。

映画本編そのものではないけど、パンフレットもよかった。役者インタビューで妙に「あーなるほどこの映画のメインターゲットは自分じゃなかったかもね」と補完的に納得できたことと、丁寧な世界観をスタッフがじっくりと解説しているので、世界観が好きな人は満足できるかも。

 

次は

ボヘミアンラプソディーとメリーポピンズリターンズが気になる。