みたぬメモ

地味にメモ

わかりやすく伝えたい人と詳細に伝えたい人が同時にいる説明の場は総じて地獄

タイトルで言いたいことはほとんど書ききっていますが、皆さんもそんな経験はないでしょうか。私はわりかしあります。

例えば、あるAさんは"りんご"の存在や概要を知らず、しかしその場に今すぐりんごを持ってくることはできず、Aさんは"りんご"がわからない限り、次のステップに進むことができないとします。

そこで親切なBさん, CさんはAさんに"りんご"を教えようとします。

 

B「りんごとは、果物だよ」

C「いやりんごが果物とは限らないよ。りんごは果物でもあり、同時に落葉高木樹のことを指すこともある」

 

これは極端な例え話かもしれませんが、いかがでしょうか。Bの言っていることも間違いではないですし、Cの言っていることも間違いではありません。

しかしながら往往にして、このままだとCとBによる知識のマウンティングが起きてしまい、Aはどちらの言うことが正しいのか、BやCのパワーバランスを鑑みて話の本質でないところにおいても困惑してしまいます。結果として、りんごのことがよくわからないままA, B, Cは穏やかでない空気、すなわち地獄のままで終わることが多々あると思っています(ないならないでいいんですが)

 

私はAにもBにもCにもなってしまうことが多く、そのたびに他の二人に申し訳ないという気持ちになります。ではどうしてこのような会話の地獄が起きるのでしょうか。100%自分の主観ですが、色々と思考したのでメモしておきます。

 

Bさんの立場:BさんはAさんに対して「基本から抑えて欲しい」という気持ちがある

「人にものを教えるときはその人の発達段階や持っている知識・理解に応じて、レベルを合わせていった方がよい」という考え方があります。この考え方は、特に教育関係においてしばしば聞きます。

実際、足し算どころか2桁の数が怪しい3歳児相手に「50円のものが4つあるなら50+50+50+50なんてしないで、50*4をすればいいじゃないですか」という不親切な教え方をする人は、さすがに少ないと思います。3歳児であればまずは数のかぞえかた、次に足し算、繰り上がりの計算、一桁同士の掛け算、そしてようやく一桁と二桁の数の掛け算を覚えていきます。(日本の公立校の場合、文科省による指導要領というものが全国一律で遵守されているため、この教え方の段階に覚えがある方も多いと思います)

この教え方はその人のレベルに応じて教えるため、誤解が生まれにくくわかりやすく伝わりやすいという側面を持ちます。一方で、必ずしも正確な情報のみが伝わっているとは言い難く、情報過不足や乱暴な理解を招いてしまうこともありえます。(でもそれを承知で、わかりやすさのバランスを重視する人もいるということを忘れてはいけないとも思っています。)

 

Cさんの立場:CさんはAさんに対して「正しい知識を抑えて欲しい」という気持ちがある

一方、CさんはBさんがAさんに説明した内容では「そのままで覚えられたら今後困る(であろう)」という思惑のもとで、詳細に伝えたいという気持ちがあります。先のりんごの場合だと、「りんごは果物という性質だけではなく、樹木のことを指すこともある」という部分が、詳細に伝えたい部分です。

この「困る」という感情の居どころが結構やっかいで、2パターン存在していると思っています。

 ・Aさんが困る

 ・Cさんが困る

このたとえ話のポイントは、Aさんは樹木としてのりんごを知らなくても、ただちにAさんの生死や、今後の人生といったものには影響を与えないところでしょう。でも"ただちに"というだけで、もしかしたら1週間後にAさんがそれを知らなくて困るかもしれない事態になる可能性は否定できません。(もちろんそれはAさん自身の責任もあるでしょうけど)

そこでCさんは義侠心から「ちゃんと知っておいて欲しい」という感情の流れが起きることは十分ありえます。ここで言及しておきたいのはCさんが持つ感情が必ずしも正しい、つまり世間的に容認される云々ではなく、そういう感情を持つ人もいるという前提で進めます。特に、Aさんから見てCさんが保護者や指導者の立場の場合であれば、Cさんはますますそうであろうとするかもしれません。我が子が間違った知識のままで怪我をしたら、かなしい気持ちになる親御さんみたいなものです。

次に、Cさんが困る場合です。これはCさんがその分野に関してスペシャリストであったり、経験者であった場合であれば、「間違ったことを教えたくない」というその分野に対する責任の感情が生まれるのはもちろん、極端な話、あとからそれを誰かに「どうしてCさんがついていながらちゃんと教えなかったの?」と追及されることだってあるでしょう。今後のCさんにおける立場が揺らぐ可能性もあります。そのため、CさんはCさんの沽券を守るためにきちんと教えなければならない、ということも往往にしてあると思います。

この「詳細に伝えたい」という思惑のもとに伝わる情報は、将来的には非常に有用な情報になることが多々ありえる一方で、その相手にそもそも理解してもらえるかどうか、というところがポイントとなってくると思います。

 

Aさんの問題点

ここまでB, Cのそれぞれのメリット・デメリットや背景等を考えてきましたが、AさんにはAさんで出すべき情報が不足しているとも考えられます。それは、Aさんはどのレベルでそれを知りたいのか?ということをB, Cに伝えていないという点です。たとえば話半分や、コミュニケーションとして"りんご"を知りたいのであれば、おそらく必要なのはBさんの持つ情報であるでしょうし、"りんご"についてレポートに書きたいだとか発表するであれば、必要なのはCさんの持つ情報といえそうです。

ただし、Aさんの年齢が極端に幼かったり言語化が下手であったり、そもそもAさん自身もその情報が自分にとってどこまで必要であるか判断できない場合など、Aさんを責めるべきでない状況は当然あるとも思います。

 

ではA, B, Cの三名は十分に発達した成人である場合、どうすればよいか

いろいろ考えてみたんですが、結局のところB, Cそれぞれがどういった背景を持っていて、Aがどこの段階に置かれているかというところを共有しておけば、わりと単純に解決される問題であるということを、書いていて殊更に強く思いました。まあそれが往往にしてできないためにコミュニケーションは成り立たなくなるので、「地獄やな」の感想に尽きてしまいがちではありますが。

今更感かつおまえが言うなと言われるのは承知ですが、この地獄を防ぐにはそもそも日頃からその人がどういう人なのかを知っておく必要があるので、日常からどれだけコミュニケーションをその人と取っているのか、ということも尺度として抑えておかないといけないなどとも思いますが、まあそれも難しいこともあるよななどと考えています。

 

ちょっと話が溢れて:みんな実はりんごを知っている

これはタイトルと外れてくるんですが、私はそもそも「りんごとは何か?」と質問された時点で、その人はもうすでにりんごをほとんど知っているようなものだと思っています。

現代はインターネットも普及しているので、わざわざ人に聞かずとも調べることができるのは自明です。もっと言えば、wikiでも読めばそこらの一般人よりよほど専門的な知識量が掲載されているページが表示されます。そのため、「そもそもわかっていない対象物がわかっている状況は、もうすでにわかることができる状態」と私は考えています。本当にわからない人なら、その概念にすらアクセスしていないであろう、とも同時に思っています。

でも自分で知識が手に入るにも関わらず、その人があえて他者に尋ねているのはなぜか?というと、以下の3つを考えています。

  1. 調べる手間と時間すら惜しい

  2. コミュニケーションがしたい

    3. その人ベースの話が聞きたい

1については、(事例ベースの話ばかりで恐縮ですが)たとえばある日、日本の一般家庭にいるあなたが早く起きなければならない日に限って目覚ましをセットしそこねて準備もバタバタ、髪もぐしゃぐしゃ、とりあえず服はこれと決めながらここで「今何時何分!?」と家族に向かって声を張り上げます。その気になればスマホなりテレビなりの電源を入れて時刻を見るのだって造作もないけど、それすらも惜しい瞬間というのがあると思います。

そんなときの家族からの返答が「8時45分だよ」と言われるのと、「グリニッジ標準時?それとも日本標準時間?」と言われるのと、どちらが有用な情報でしょうか。明らかに前者かと思います。

2については、答えそのものが重要ではなく、会話を重ねることで日頃からのコミュニケーションを図っているという人も一定数存在すると思っています。幼児の例でいうとこれがわかりやすく、「おとうさん、あれなーに?」と聞く子はそれが本当に知りたいのではなく、単に会話そのものがしたいだとか、その人にとって居心地の悪い沈黙状態をなんとか打破したいといった思惑のもとで行われるために、質問される状況が起きると私は思っています。この2の場合において、わかりやすく伝えるのがベストなのか、それとも詳細に伝えるのがベストなのかは、聞かれた側がその選択肢を持っているという認識でいくとお互い幸せだと思います。(答えに文句あるなら自分で調べればいいだけだし……)

3は、これは井戸端会議とか哲学、あるいはその人しかアクセスできない情報といった、その人のパーソナルに依存した意見情報が欲しい場合のことを想定しています。これは1,2と比べて異色なのでここでは論じません。(まあ、そういう「聞かせてください!」の立場になるのは難しい)

 

まとめ

地獄をどうにかしたいと思う場合、まずお互いの背景と要求されているレベル感を知ろうとしようねといういい話になっていますが、このエントリは本当は愚痴日記みたいな位置付けで書こうとしたのにどこで間違えたんだろう。つくづく自分は説明に向いていないと思い知らされました。(ちなみに自分はCのような人間が苦手です)