6月が始まった
どうでもいい話
面倒臭い話がやってきて、その対応のことを考えたり調べたりしていたら日記が2日も開いてしまった。
これから先の計画もどうすれば自分にとっておもしろいものになるか、煮詰めていきたい。
↑あと面倒臭いことがやってくると、途端に悶々と考える時間が増えてしまうので、そういうときはyouTubeで興味のある分野の動画を見て少しでも知識を詰め込もうとしている。昨日は裁判関連動画を眺めていた。
タイトルは忘れたんだけど、『やって後悔する民事裁判のパターン』というものの中に「民事裁判はそもそも謝罪を要求して始めるものではない、あくまで金銭で物事を解決しようというものですので、謝罪目的の人はそもそも裁判を起こさないほうがいい」という言葉があった。自分はその言葉に深く染み入った。
そもそも誰かしらに強制されて謝罪されても何の救いにもならないと自分は思っているので、「謝ってくれさえすればそれでよかった」といった考えの人もワンステップ上げて「じゃあ謝ってくれない場合は」→「他の方法で制裁を加える」あるいは「もう忘れる」というところまでたどり着けたほうが人生うまくいくのかもしれない。
あとそもそもそういう知識や仕組みこそ義務教育で一度触れさせて、「社会はごめんなさいで話は終着しないので、やるなら徹底的にやるか、とっとと忘れるかのどちらかで心の落とし所をつけなさい」という考えを身につけさせるのが本当はいいんだろうなということを思った。
なんだか邪念に満ち溢れた日記になった。面倒なことが起きるとすぐにこういうことを考えてしまう。