自分を良くも悪くもしてくれた最悪な"自由宿題"の話
小学校時代にあった、とても印象的で、今思い返すと正直微妙というか最悪だった宿題のことを思い出したので気ままに書きます。
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私は都内・郊外にある、某公立小学校に通っていました。
母校では日●組の先生がめちゃくちゃ猛威を奮っていたという複雑な思い出があります。そして一学年に30人程度のクラスが3クラスある、全体の規模がそこそこ大きめの学校でした。
殆どの先生たちは生徒数の多さか、それともそういう教育思想が蔓延っていたからかいつもピリピリしていて、児童たちにもその余裕のなさが伝わったのか、とにかくピリピリしているクラスメイトが多い(っていうか自分もそうだった)、そんな学校でした。
でも中には自由すぎる先生がいて、その先生は私が小3~4のときの担任の先生になりました。その先生をK先生とします。
小2までの小学校の宿題といえば、教科ごとに細かく出ていて、国語なら「どこどこのページに書かれている漢字を5回書き取り練習」、算数なら「計算ドリルの問題を解いてマル付けまでして提出」という記憶があります。
でもK先生のクラスではそれらの通常の宿題に加えて、「自由宿題」という宿題が学校がある日は毎日出ていて、それが何かと言うと「方眼紙ノートを買ってきて、それを自由ノートとしてください。一日1ページ分以上、なんでもいいので自由にテーマを決めて、自由ノートにこなしてきてください」というものがありました。
最初のうちこそ「なんだそれ!面白そう!」と、みんな自由という名前の響きに騙されて始めるものの、これがめちゃくちゃだるかった。
だいたい小学校の自由研究ですら「自由に研究するってなんだ……? 知識も経験もろくにないのに、何をどうすればよかったんだ……?」という具合に、大人たちの間ですら夏休みの時期にはよく議論が起きるのに、「毎日自分で設定した課題をノート1ページ分やること」が日々の宿題だったというわけです。
この時点で、何が起きたのかだいたい察する人もいるかもしれない。
当時のことを思い出しつつ、ちょっとためらいながら、今更どこがダメに思えているのか書いていきます。
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1. 何したらいいのか本当によくわからなかった
本当にわからなかった。何せ今までは乳歯が抜けてちょっと舌ったらずな小2が、言われるがままに谷川俊太郎さんの詩の音読や、二桁の足し算といった計算ドリルをしてきた宿題だったのが、突然放り出された「自由」の文字に、何をしたらいいのかわからなかった。
自由とは? まず自由の定義から始まるのである。
しかもその自由にはこういう制約があった。「自由といっても、例えば1+1を100回解いて宿題とするのは認めない」。
今も昔もその制約はすごく意味のある制約だと思っていて、それはそうだよねって理解を示すことはできるんだけど、でもこの制約の意味するところはつまり小3にして、「自分が成長するような課題を自分で見つけて、それをアウトプットしなければならない」というところを意味していたんだけど、これがしんどかった。
最近の小学3年生のことはよく知らないけど、少なくとも私たちのクラスは、自分の能力はおろかそもそも「成長」の意味がまだ理解できてないのと、「宿題とは、やらなければいけないもの」という立ち位置すら確固としていない状態のクラスメイトも何人かいた。
そしてこの「自由」という定義に関して、すごく印象的な記憶がある。
保護者会のあった後のある日、K先生がものすごく苛立ちながら教室に入ってきてこう言った。
「あるお母さんから、"うちの子は宿題をやっている様子が全然なくて。聞いてみれば『自由宿題だからやるのもやらないのも自由なんだよ!』って言われたからそうなんだ、って返したんですけど、そうなんですか?"と聞かれました。そんなズルをされているのは、先生は悲しいです。怒られてできるのは当たり前です。怒られる前にやりましょう。」
この話を聞いて「あっ『自由』ってそういう解釈もできるんやな!」と思うクラスメイトもいたけど、すぐに「え、宿題をやらないのはずるくないか」という空気がクラス中に蔓延した。なにせほとんどのクラスメイトは宿題を自分なりにひねり出して頑張ってやっていたのである。一人だけ宿題をやらないだなんて、そんな。
該当児童は泣き出したし、学級裁判の雰囲気すら流れた。
「道筋は全く示されていないが、宿題なのでとにかくやらなければならない。そうでないとまた怒られるぞ。」
クラス中に、以前よりも強く恐怖感情が蔓延した。
あとK先生の口癖の一つ「怒られてできるのは当たり前。怒られる前にやりましょう」というのがあって、私は「怒られたくないからやるか」という気持ちを持つようになった。
2. 導く人がいないため、質が全く向上しない
2年間、2年間……。この宿題をやってきました。
ただ、『1クラスに30人程度いて、先生が一つ一つ毎日丁寧にチェックできるのか?』というと、上述の児童の状態すらスルーしていたんだから、チェックできるわけがなかった。(まあ誰がノートを提出して、誰が提出していないかぐらいは把握していたかもしれないけど)ノートを出してもいつも「大変よくできました」のスタンプ一つのみ。
これが何を生み出したかって、宿題の質が全く向上しなかった。
この宿題に対する自分の心の移り変わりをよく覚えているんだけど、小3のある日、自分は裁縫にハマり始めて「そうだ!大好きな人形の服を作った様子を、自由ノートにまとめて書こう!」と、その日は張り切って2ページ分使って、丁寧に図解しながら書いた。布の切り方はこう、ここではこういう風に縫う、と、すごく丁寧に書いた。もちろん時間はめちゃくちゃかけた。
しかしスタンプは一つだけ。コメントも何もない。他のクラスメイトが「何も思いつかないから」って副読本の計算ドリルの問題を5問解いたのと同じ評価である。
途端に「あれ? 私、もしかして馬鹿らしくない??」と、子供心に急激に冷めた記憶がある。
これは単純にそれなりに時間をかけるなり調査をしたもの・アウトプットを丁寧にしたものについて、きちんとしたフィードバックが欲しかったんだと思う。
けど、「宿題をやる」だけであれば、必要最小限の時間で済むならそれでいいじゃないか、という悪しき心境が発生していた。
すごいアウトプットを、個人のモチベーションのみで生み出せる人ももちろんすごいと思う。ただ自分にとっては、そのアウトプットを正しく評価できる人がいないということにより、「いくらすごいことをやっても時間をかけても、適切なフィードバックをもらえないなら丁寧にやるのは無駄」ということを理解した一人の小3が出来上がってしまっていた。
そして実験的に計算ドリルや漢字ドリルを1ページ分解いてみたものの、やっぱり「大変よくできました」のスタンプ一つだけだったのが、その気持ちにやはり拍車をかけていった。
3. 意識的に楽な方向に向かう
「自分で課題を見つけるの面倒だったし、ドリルの問題を解くだけでもいいならじゃあそうしよう」と小3の自分は気づいてしまった。
しかも自分の場合、算数よりも国語の漢字書き取りドリルの方が好きだった。これはすごく単純な理由から来ていて、覚えのある人もいると思うんだけど、漢字ドリルの仕様とはまず漢字の読みの問題があり、そして次のページには前ページの読み問題そのままの、漢字を書く問題があった。つまり、一度答えとなる漢字を見たあとで、書きとり問題を解くことができる。そういう仕様だったから、漢字ドリルを解く方が好きになっていった。もっと付け加えると、丸つけをすると必ず漢字の方が正答率が高かったのもあって、そういった一つ一つのことで自分のモチベーションを保っていたんだと思う。
じゃあどうなったかって、その後はやはり漢字テストだけはめちゃくちゃ点数が取れていたけど、算数はズタボロの成績になっていった。もちろん適性の問題もあったんだと思うけど、自分の場合は『結局好きなもの・得意なもの・点数が取れそうなもの』をよく自由宿題として選んでしまったので、小3~4の間で差がついたこともあると思う。
大人だったら「ウンウン。苦手なことを無理に伸ばすんじゃなくて、好きなことに注力するのがいいよね」ってなるかもしれないけど、そもそも義務教育の内容なので、その年齢のうちから好き・得意なことばかりやっていてよかったのかはちょっと疑問です。
4. でもまあよかったなーって思う部分
「先生に怒られたくないなあ」と思って毎日取り組んでいたおかげで、家での学習習慣はちゃんとついたんだと思う。
……いやでも、学習習慣を身につけさせたいだけなら、先生が毎日丁寧に宿題内容を指示してもよかったんじゃない???とは思うんですが。繰り返すけど、小学生だからさ。
さらに正直なことを言うと、クラスメイトの中でも「K先生は自分が楽したいから、うちらに宿題内容を決めさせているんだ」という空気がちょっとあったのもある。だから、「この自由宿題は効果があったのか?」と、大人になった今でもちょっと考えてしまった。
でも漢字読み書きの能力が跳ねたのは、この「自由宿題」のおかげもちょっとあると思っている。得意なものを伸ばすのは大事だよね。
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なんで突然こんなことを書き出したのかというと、ブログかツイッターで「小4の時点でわりと学力差がついている」という話題を読んで触発されただけなんですけど、実際にこうやって書いてみると、『自分がどういう状況なら勉強を続けられるか・逆に自分がどういう状況なら勉強をしないのか』、といったところはすごくわかりやすく見えてきた気がする。特に大人になると自発的になかなか勉強しないからさあ……。
けど大人になった今でも(しかも自分は中高の数学免許も持っているんだけど)、正直なところ、『K先生の自由宿題の意図』が見えていないなーと思いました。
指導者目線としても、児童目線としても、「何がしたかったんだろう。結果論としては、正直微妙だったんだけどな」という感情が残っています。
私たちの何かしら子供特有の才能や物の見方でも見たかったのかなあ。今となっては完全に謎です。