動揺
やはり今日はこの話題は避けて通れないという気持ちです。
今日はこの一連の速報ニュースを主にTwitter経由で、リアルタイムにずっと眺めていました。
総理を経験した政治家が凶弾によって亡くなられたという事実はいち国民として、とてもつらく感じます。
ニュースで多くの政治家がおっしゃっているように、民主主義に対して暴力で対抗するという形は、戦前の日本の人々が勝ち取ってきた民主主義のあり方を踏まえますと、けして許されるものではないと思いますし、何よりこのような残忍な形でひと一人の生命が絶たれたという事実が、非常につらく感じています。
政治家としての安倍晋三氏は功罪いずれも持ち合わせていると思いますが、それでも自分の中において、『安倍総理』という人は日本のために尽力し、ある程度の実績を残し、最後は非常に好意的に退任された人という印象を持っています。
ちょっとくだけて書くと安倍さんは、(そこまで政治に興味関心のない国民からみて)外交手腕がすごかったなと現時点では思います。北朝鮮拉致問題に関連する難しい外交問題に挑戦されたり、オリンピック招聘からのリオ閉会式でのご活躍をされたりなど、ここまで諸外国から認められたprime ministerは日本の戦後歴史上では安倍さんぐらいなのじゃなかろうか。「そんな人が……」という動揺がずっと自分の中にあります。
さらに率直な気持ちを書くと、『ずっと抱えていた言いようのない不安感を無理やり答え合わせさせられた感覚』を持ったような気持ちを味わっています。
『ずっと抱えていた言いようのない不安感』ですが、ここ数年……あるいはここ数カ月の日本の政治経済は、自分はあまりよくなっていないように感じているのです。
消費税率は2014年に5%から8%に上がり、さらに2019年には10%になり、そして世界情勢ではコロナ禍やウクライナ侵攻といった影響を受け、さらに地球温暖化による猛暑やらなんやら、『もしかして、日本は昔に比べて良くなっていないのでは?』といった不安な気持ちを誰が言わずともなんとなく持っていたような気がしていて、それが本事件によって一部正解であると証明されてしまったような感覚を受けています。
だからといってこれまでの日常が劇的に変わるわけでもないと思いますが、暗い影響をしばし引きずりそう。
あと懸念しているのは未来の話でしょうか。
今日の話はおそらく日本史に刻まれてしまうと思うのですが(それにしたって2019年から日本は色々起こりすぎで色々あるうちの一つにはなりそう)、その日本史の教科書を読んだ未来の若者が『このときの日本って、どうだったんですか?』『あなたはそのときどう思っていたんですか? 何をしていたんですか?』と無邪気な顔をして質問してきたとして、自分はそのときなんて答えるのだろうと考えると、とんでもない現代に生きているのだなということを嫌でも考えざるを得なくて、さらなる言いようもない不安感に襲われています。
自分は、いま何を思っているのだろう。何をしているんだろう。
いやもちろん自分がやるべき今日のタスクはこなしましたが、それでもなにか、『それも違うのではないか』という疑問がぬぐえません。
事件発生からそろそろ12時間が経ちますが、地に足をつけてうまく考えられない自分がいます。
うーんまとまりがないので、今日はこの辺で終わり。